春休みの悪夢
【文学フリマ短編小説賞参加作品】
「こ、これをあいつに見せるのか……!」
聖痕十文字学園中等部二年、冥条琉詩葉は自室で煩悶していた。
布団の上で仰向けになりながら今学期の通知表を矯めつ眇めつの琉詩葉。
だが上から見ても、下から見ても、事実は残酷だった。
体育『5』、その他の科目『1』。
前期ではかろうじて最低を免れていた『美術』と『音楽』も今期はこの有様。
いくらなんでも、まずい。
とどめの一撃が担任の所見欄だ。
「いつも明るく元気に学校生活を送ってるのは大変結構ですが、せめて授業中くらい先生や友達の話をしっかり聞くようにしましょう。」
「毎朝、生活指導の先生方と果たし合いをしたり、屋上で他のクラスの生徒に妖怪を召喚してけしかけるのはいかがなものでしょう。」
「休み時間など、誰でも仲間に入れて楽しく遊びます。休み時間だけにしてください。」
……以下、ゴマ粒の様なフォントで、担任の昏樹魔衣の執拗な小言が、連綿と綴られているのだ。
「やばい……やばい!」
琉詩葉が恐れているのは、祖父の獄閻斎ではない。
基本孫LOVEなあの老人は、琉詩葉の素行と成績にはなんとも鷹揚なのだ。
問題は、『あの男』……執事の天幻寺。奴にこれがバレたら……。
「絶対にだめだ!殺される!」
琉詩葉の目が恐怖に竦んだ。
天幻寺夜斗。眉目秀麗、謹厳実直。普段は温厚な冥条家の影執事であるが、こと礼儀作法と琉詩葉の成績に関して、彼の沸点の低さと折檻の苛烈さは常軌を逸していた。
なんとかしないと!なんとかしないと!
頭抱えて布団をゴロゴロ転がりまわる琉詩葉。無い知恵絞って必死に窮余の策をめぐらす彼女に……
「ん?」
ふと、机の上にある『それ』が目にとまった。
中学校に上がった時に、祖父に買ってもらったノートパソコンだ。
「ぬぬぬ!」
何かが閃いた!
琉詩葉は、再び通知表を睨んだ。これは……いける!
教師の印鑑以外は、全てパソコンでの印字。その押印箇所とて、スキャンしてカラーで印刷すれば……!
「我に勝つ道あり!」
そう叫ぶなり琉詩葉は布団から跳ね起きると、携帯を手にとった。
「もしもし、コーちゃん? うんあたし、君さぁ、パソコンとか得意だったよね?」
ブラウザとメーラーしか使ったことのない琉詩葉は、そっち方面に詳しいクラスメートの時城コータに電話をかけたのだ。
「ちょっとさ、作ってもらいたい『書類』があるんだけどさぁ……あん? 今忙しい?」
琉詩葉が眉を寄せた。
「コーちゃぁあん、これはね『お願い』じゃないの……! すぐに家まで来てよ! でないと先週の『あの話』、エナちゃんに教えちゃおうかな~」
級友の弱みは逐一嗅ぎつけ握り込んでいる彼女が、口の端を歪めてよこしまな猫なで声。
もはや手段は選ばない。なんとか通知表を『偽造』して、この危機を乗り切るのだ。
燃え立つ紅髪を揺らした琉詩葉の目に、いかがわしい決意の炎が燃えていた。
#
「まったくコーちゃん、『忙しい』なんてほざくから、何してるのかと思えばぁ!」
琉詩葉の部屋まで呼びだされて、彼女のパソコンをいじくるコータの肩をポンポン叩きながら、琉詩葉が邪悪に笑った。
「てゆーか、お前と発想が同じだったなんて、マジへこむわ……」
琉詩葉のパソコンを渋々いじりながら、そうボヤくコータ。
なんと、彼がクラウドストレージからダウンロードしたのは、既に出来上がっていた偽通知表のフォーマットファイルだったのだ。
学年で成績最下位の座を琉詩葉と争っていたコータ。
彼もまた、両親の叱責を逃れるため、必死に窮余の策を講じていたのだ。
「くくく……! コーちゃん、お互い悪よのう……」
そう言ってニタリほくそ笑む琉詩葉の前に、
うぃーん……
プリンタから、偽通知表が吐き出されてきた。
「か……完璧だ……!!!」
偽通知表を手にして、琉詩葉は陶然とする。
申し訳程度に『2』と『3』の教科が増えているその通知表は、画材店で選び抜いた用紙の紙質、コンマミリ単位で調節したレイアウトとフォント、調色に調色を重ねた捺印部のインクの色合い、全てに職人の技が光る、まさに本物と見紛うばかりの出来栄えだったのだ。
「いいか! もしバレても、絶対に俺の名前は出すなよ!」
何度も何度もそう琉詩葉に念を押すと、コータは冥条家から自宅へと帰っていった。
「うーん、のりきったあ!」
自室にて満足至極の冥条琉詩葉。
目前の危機を、人間の叡智でもって見事切り抜けたのである。
「それにしても……」
すっかりダラけきった表情の琉詩葉が、通知表の成績を眺めながら少し不満げに呟いた。
「せっかく自由に『評価』できるのに、ちょっと地味めじゃね?」
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その夜。
「琉詩葉様、これが……! 今学期の……! 成績だと……!」
冥条家猖獗の間。
通知表を眺める長身麗躯の男の肩が、ワナワナ震えている。
「へへ……そ、そうですが何か?」
男の前で、冷や汗に作り笑いの琉詩葉。
……プロの詐欺師は相手を騙す時、話の全てを嘘で固めたりはしない。
事実の中に一点だけ虚構を混入させ、人の心を巧みに欺くのであるが、もとより琉詩葉にそのような『加減』など、利かせられようはずもなかった。
ぎらん!
主要教科に『5』を盛りまくった通知表を見せられた執事の天幻寺。
顔を上げた彼の眼が、怒りに燃え狂っていた。
「どぎゃ~~~~~!」
漆の様な闇の垂れこめた冥条屋敷邸内に、琉詩葉の絶叫がこだました。
風は血の匂いを伝うのを嫌ってか吹くことを止め、雲間から顔をもたげた真っ赤な月が、屋敷の庭園を赤黒く不吉に照らした。
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天幻寺の恐ろしい吊るし上げをくらった琉詩葉はあっけなく真相をゲロったあげく三日三晩、邸内の座敷牢に放り込まれ。
翌日、とばっちりを食った時城コータが学園に呼びだされ、両親と担任に泣いて土下座したのは言うまでも無い。