思索
思えば十三才のとき、多摩川で深い思索をしていた頃から大きく飛翔した。しかし、この今歩いている大道は当時心に抱いていた理想そのものであったということを気づいた。かつての苦難は今となっては金の思い出となり、我が宝となった。
ここに我が青春の譜を記しておきたいと思ったのは久々に訪れた多摩川であった。
星が輝き、月は冴えていた。
そして、新しき出発のために過去をここに正しく記したいと思った。
拙き文ではあるが、ここに我が青春を記すつもりである。
遠くから朝の音が聞こえる。あまりにも遠いその音は着実に迫りつつあることを一人の少年に知らせていた。
彼は遠くから来たれる朝へと走りゆく。
多摩川の岸辺に一人の少年がいた。
西へ沈みゆく太陽を眺めながら。
彼の心にある深い悩みは、立ち込めた厚い雲のように払われる気配はなかった。この夕陽だけが彼を和ませた。
彼は多摩川で思索することがよくあった。それは未来のことであり、深い哲理でもあった。
彼は多摩川の水面が銀色に染まりゆくのを見ていた。
太陽が沈み、月が冴え、銀波は下流へと静かに流れゆく。
日常生活から離れた世界のようであり、最も人間の近くにある世界であった。しかし誰一人として足を止めるものはいなかった。
一人、少年が足を止めていた。
彼の名は山原伸広といった。
伸広は深い思索から何かを見つけようと必死であった。
しかし、彼にも何か、というものが何であるかは解らなかった。
航路なき船は行き着く場所がない。闇の中を灯りもなく歩けば危険である。まさに彼はその状況であった。
「人間よ人間的であれ」とはルソー著のエミールの一節である。
彼がこの言葉と出会うのは三年後であったが、彼の心では近い言葉が叫ばれ続けていた。誰にも届かない叫びであった。
多摩川での思索は彼に多くを与えた。
そして、ここでの思索のままに彼は後年、その大道を歩むことになるのである。伸広の未来は荒海に航海する船のようであった。激闘の未来であった。しかし、彼に新しき道が拓かれるその時、新しき歯車が回り始めるのである。その時まで彼は成長し、大樹となりゆくに違いない。
伸広はノートに詩を記した。
「雲は厚く道は塞がる
なれど
我には希望あり
我には勇気あり
恐れぬ不屈の心あり
我は一人道を拓かん
恐れぬ心で
遠くから聞こえる朝へ
我は着実に歩む
未来!
汝は何を知るか
我に何を与うか
汝に会うにはいかにすれば良いか!
我は苦悩の雲を脱せず
永遠にここにはいられぬ
ならば道を開くのみ
一人剣を持ちて」
この詩は後年彼によって「未来の音」と題された。当時の彼の凄まじい覚悟と決意が綴られている詩である。
彼は若冠十三才にして一人立つ決意をした。
遠い未来への船出を決意したのである。
激動の船出は穏やかな多摩川から始まったのである。
まだ彼は後に起こる苦難を知るはずが無かった。
しかし、着実に彼の近くへと迫っていた。
彼は激闘へと突き進んでいったのである。