マーブル
「まあでも、彼女は日常生活で本性を現す様なヘマをする人ではありませんので。その点はご安心ください」
「本性とかヘマとか所々物騒なんだけど……」
真紗羅達との雑談により、昨日よりも少し闇が濃くなってる住宅地を歩く二人。薄闇と夕焼けが混ざり、淀んだ橙を映し出す空は、どこか不気味な雰囲気を湛えていた。
「そういえば先輩。最近藤花さんはお元気ですか?」
静流は横に並んでいる陸人に顔を向けることなく、何気なくそう尋ねた。
「ん? 藤花さんなら良くも悪くもいつも通りだけど、どうかした?」
「いえ、ただ最近顔を合わせていなかったので。なんとなくですよ。それともあれですか、先輩の一挙手一投足には全て論理的で合理的なロジックがあるんですか?」
「いや別に、それこそなんとなく聞き返しただけだよ。なんたって、俺の行動は基本的に一%の閃きと九十九%の気まぐれで出来上がっているのだからな!」
「そんな発明王みたいなこと言って開き直らないでください。あと言っておきますが、エジソンは一%の閃きがなければ残る九十九%は全て無意味だ、と言う意味でその言葉を使っているんです。つまり先輩の行動は、一%の閃きがなければ全て無意味だってことですね」
「そうだったのか……知らなかった。いやだとしても俺って気まぐれすらも無駄にしてたのかよ」
「全く、先輩の言葉からは知性が欠片も感じられませんね」
「知性……か」
陸人はいつものごとく静流の辛辣な言葉を受けたが、心ここに在らずといった様子で、珍しく返しの言葉を見つけることができなかった。
その脳内には昨日の言葉。
『いいか陸人よ。他人から授かった知識は大いに振るえ。だがそれは自ら十全に調べた後だ。何も行動を起こさなければ、その知識は錆びた剣は疎か、己を傷つける棘となるだろう』
藤花が滅多にしない様な真剣な顔をして、陸人に向けて言い放った教訓めいた言葉。
それが巡り、周り、どこに行き着くでもなく、ただ陸人の頭の中を漂っていた。
「……もうちょっと学を増やそうかな」
「どうしました、先輩。確かに先輩には大学を卒業したとは到底思えないほど知識が不足していますが、そこまで気に病むようなことでもないですよ」
「後輩にそこまで愚弄されて気に病まない方がおかしいよ……。実は昨日、藤花さんに言われたんだ。人から授かった知識は十全に調べてから披露しろー、みたいなことをね」
「なるほど、流石藤花さん。何を考えているかわからない反面、含蓄のあることを仰いますね」
「俺は概要を伝えただけなのに、何故こうも扱いが違うのか……」
「わかってますよ。だからその概要から藤花さんならどう伝えるかを想像し、それに感心しているのです」
「やっぱり信用度が全然違うなぁ、なんでだろうなぁ」
一時は上の空だった陸人だったが、静流の口から紡がれる言葉の猛襲に、そんなことも忘れてしまったようだ。
二人がそんな攻防を繰り広げているうちに、いつの間にかあの分かれ道に到着していた。
「先輩は今日も牡丹ですよね」
「ああ、寂しいがここで一先ずのお別れだ」
「安心してください。また夜にばと……電話しますので」
「今罵倒って言いかけたよね? そうだよね?」
「そんなことより」
静流は陸人の問いかけをバサリと切り捨て、そして紡ぐ。あの言葉を。
「どうせ明日もくるんですよね」
「……ああ、残念ながら」
陸人はその言葉に、いつも通り皮肉げに、しかし穏やかな微笑みを浮かべて答えた。
「そうですか」
そして、静流は笑う。
安らかに、愛らしく、どこか儚げ。
そんな笑顔を浮かべる。
心の底からの笑顔なのか、上辺だけの笑顔なのか、その真偽は陸人にはわからない。
しかし、ただ一つ理解していることがある。
思いの大小はどうあれ、彼女は少なくとも、嫌悪感は抱いていない。
安堵と喜び。
そんな感情を、陸人は感じた。
静流の笑顔の中から。