集う
その後、二人は他愛のない会話と穏やかな沈黙を繰り返し、静流が本を棚に戻す頃には陸人が部室に訪れてから既に二時間半が経過していた。
「ふぅ、今日も長いこと居座っちゃったなぁ」
「私にとって先輩はいてもいなくてもどっちでもいい存在なので、どれだけいても構いませんよ」
「前半の文言がなければとても嬉しいんだけどね……」
桜舞うキャンパスで、二人はいつもと同じ道を、いつもと同じように歩いていた。
「先輩はこの後も仕事ですよね」
「ああ、多分また八時頃まで」
「そうですか、なら仕方がないので嫌がらせの電話はそれ以降にかけることにします」
「自分で嫌がらせって認めるんだね……」
「私がされて嫌な行為は全て嫌がらせです。そんなこと小学校でも教わるでしょう」
「それは他の人にやっちゃいけないって教わるやつだよね」
「私を小学生扱いするのですか。先輩は女性の敵ですね」
「俺に救いはないのか」
そんなやりとりをしながら、二人は新芽が芽吹きつつある桜の木に挟まれた道を歩く。そして陸人が静流から目を外しふと校門を見ると、そこには見覚えのある人物が立っていた。
陸人と同じぐらいの身長。白シャツにグレーのジャケット、デニムというラフな服装に、暗めの赤紫色の中折れ帽を被っている。アンダーリムの眼鏡をかけたその顔は理知的な雰囲気に満ちている。
陸人がその人物を見ていると相手も陸人に気づいたようで、人懐っこそうな笑みを浮かべながら小走りで近づいてきた。その表情は、理知的でクールな見た目とは裏腹に少年のような無邪気な笑顔だった。
「陸人君、久しぶり! 元気してた?」
その人物は、見た目にそぐわず高めな声で、嬉しそうに陸人に話しかける。
「お久しぶりです、紗羅先輩。一年会わないうちにだいぶ雰囲気変わりましたね」
「いやー、今勤めてるアパレルショップの店長のコーディネートなんだけどね。『あなたの私服はダサいから仕事中は私が選んだ服を着なさい』って言われちゃって」
「よく似合ってますよ。一瞬誰かわかりませんでした」
「ありがとう。というか、陸人君って今年の三月に卒業してるよね? もしかして大学院に入ったの?」
「いえ、僕にはそんな気力も財力もありませんので。仕事の合間に顔を出してるんです。それより先輩は何故ここに?」
「実は僕の妹がここに通ってるんだ。今日は丁度僕と妹の帰る時間が重なったから車で一緒に帰ろうと思って」
二人は久々の再会を喜ぶように、和気あいあいと話に花を咲かせていた。するとその輪に入れない人物が一人。
「先輩、こちらの方はどちら様ですか?」
静流は陸人の服の裾をくいくいと引っ張り、というより、
「ちょっ、セーター伸びるから、や、やめてください麻宮さん!」
思いっきり引きちぎろうとし、陸人に質問を投げかける。
「それで? こちらの見た目に似合わずなよなよっとした方はどちら様ですか?」
「なよなよっとか……まあ否定はしないけど……ちょっと落ち込むなぁ」
「こら麻宮、初対面の人になんて事を言うんだ」
会ったことのない人物にも臆することなく毒を吐いていく静流を陸人は軽く窘め、さらに続ける。
「こちらは高杉真紗羅先輩。さっき話してた俺の唯一の先輩だ」
「ああ、この方が例の先輩の先輩ですか」
「そして紗羅先輩。彼女は麻宮静流。文化研究部の部員で、俺の唯一の後輩です」
「つまり新入部員さんってことだね。よろしく、麻宮さん」
「はい、よろしくお願いします。先輩の先輩」
「麻宮、その先輩の先輩って呼び名なんとかなんないの?」
陸人は頭を掻きながら呆れたように言う。
「別にいいよ、好きなように呼んでくれれば」
真紗羅は帽子の縁を触りながら少し照れたように答える。
「どうやら先輩の先輩は先輩と違って度量の大きな男性のようですね」
「先輩が多すぎてわけがわからないし、さりげなく俺を引き合いに出さないで欲しいんだけど。というか先輩は——」
「ちょっと二人とも、喧嘩は止めて、ね?」
「いや、先輩。これいつものやりとりなんで」
二人の問答が続く中、その様子をあたふたしながらなんとか仲裁しようとする真紗羅。しかし、ただいつも通りの会話をしているだけの陸人は、少しやりづらさを感じながら真紗羅の誤解を解く。
と、そんなややこしいやりとりをしている三人だったが、次の瞬間、ソプラノのどこか怯えたような声が三人に向けて発せられた。
「あ、あの、私の兄から離れてくれませんかっ!」
三人が同時に声のする方を見ると、そこには小さな少女が体をぷるぷると震わせながら、必死の形相で立っていた。
少し茶色が混じった髪に目元や鼻、そのどこか弱々しい雰囲気までも、ここにいるある人物にそっくりだ。
「先輩、もしかして彼女が……」
「うん、僕の妹、美空だよ」