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ソシオメーター  作者: 蓮と 悠
春の水面に映る虚像
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夕闇

「陸人よ、今日の業務はここまでだ。帰路に着くといい」


 時刻は午後八時。おもむろに二階から降りて来た藤花は、陸人を見据えてそう告げた。


「わかりました。お疲れ様です」


 陸人はカウンターの下からブラウンのポーチを引っ張り出し椅子から立ち上がると、ポーチを肩に掛け店の出口へと向かう。


「せいぜい気をつけて帰るんだな」

「ご心配なく、そんなよくある悪役の捨て台詞みたいなことを言われなくてもわかってますから」


 背後からかかる声に陸人は振り向くことなく答え、そのまま引き戸を開け暗闇の中に足を踏み出す。そしてズボンのポケットからペンギンのキーホルダーの付いた自転車の鍵を取り出すと、店の横に停めてあるママチャリのロックを外した。そのシルバーのフレームは店の淡い光に照らされて鈍く光っている。

 陸人は自転車に跨ると、あまり力を入れずにペダルを漕ぐ。店に通ずる細い路地を抜け、一度夕方の分かれ道まで戻ってくると、一つ大きく息を吐いた。

 ぽつぽつと光るだけの街灯と、住居の窓から溢れる微かな光。

 その分かれ道には、夕方に通った時とはまた異なった静けさがあった。

 夕方、温かな斜陽に包まれて歩いた道を陸人は一瞥し、もう一つの道へと進むべくペダルを踏む。

 それは先ほど、別れた静流が歩いた道。

 静流が一人で、陸人にはわからない何かを考えながら歩いたであろう道。

 ペダルを漕ぐ陸人の足に自然と力が入った。何故かは陸人にもわからないが、夜風を切り進む爽快感は、己の心にまとわりつく何かを払ってくれているようだった。


「ふぅ……」


 そんなこんなで、自転車を使い約五分。陸人は無事愛しの我が家に辿り着いた。

 そこは、三階建て鉄筋コンクリートのアパート。外壁はくすんだ白で、牡丹とは違ったベクトルで古さを感じさせる建物だ。

 一階部分の小さな駐輪場に自転車を停め、カンカンと足音を鳴らしながら鉄でできた階段を上る。二階の一番奥の部屋まで進むと、自転車の鍵が入っていたのと反対のポケットから、フクロウのキーホルダーが付いた鍵の束を取り出す。そこには三つの鍵が吊るされていた。

 そして少し上を見上げ、目の前の部屋が二〇四号室であることを確認した後、少し強引に鍵を鍵穴に差し込み、右に回す。陸人はドアノブを捻り、扉を開いた。キィと耳障りな金属音が部屋の中に響く。

 中はいたって簡素な作りだ。部屋が一つ、ユニットバスが一つ、キッチンが一つ。部屋にはベッドと本棚、それとテレビが置いてある。

 食事は基本外で済ませる陸人には、冷蔵庫や食器の類いは必要ない。この日も店番中に大学の購買で買ったサンドイッチで夕食は済ませていた。稀に料理をすることもあるが、フライパンで適当な食材を炒めそれを大量の卵で閉じ、皿に移さずフライパンのまま菜箸で貪る、ということしかしない。


「今日も一日頑張った……ってそうでもないか」


 一人呟きながら荷物を片付ける陸人。その後、いつもの習慣で陸人は風呂へと向かった。

 基本的にシャワーしか浴びない陸人は、だいたい十分で風呂から上がる。その後は一人だらだらしながら本を読むなりテレビを見るなりしている。

 と、陸人は風呂から上がり、いつものようにベッドで寝転がりながら本でも読もうかと考えていた時、突然甲高い機械音が聞こえてきた。


「なんだなんだ……」


 陸人はベッドに放り投げておいたスマホを掴むと、表示も見ずに耳に当てる。


「はい、もしもし」

『もしもし先輩。夜分遅くに失礼します」

「って麻宮か。今日はなんだ?」


 スピーカーから聞こえてきた声は、単調で平坦そのもの。間違いなく静流のものだった。


『少し世間話です。どうせ先輩この後も暇なのでしょう』

「俺の意見は反映されないのか。まあ、暇だけどさ。というか毎回思うんだけど、わざわざ電話しなくても廊下に出ればいいんじゃない?」

『それだと他の方に迷惑でしょう。それぐらい考えてください』

「俺に迷惑がかかるって発想はないのか……」


 あいも変わらず毒舌を飛ばす静流。それに陸人は少し呆れつつ、苦笑いを浮かべる。


 実はこの二人、同じアパートに住んでいるのだ。陸人は二〇四号室、静流は二〇二号室。一つ部屋を挟んでいるものの、二つの部屋の距離はそう遠くない。

 そして、何故か最近静流はよくこうして夜に電話をかけてくる。結局は他愛もない話をして一方的に電話を切るのだが。

 昨日はウォンバットの習性について、確か一昨日はギリシャ神話について一方的に語られたっけ……。

 陸人はそんなことを思いつつ、逸れた話を修正しようと静流に話題を振る。


「それで、世間話って言うのは?」

『はい、これはもしもの話なのですが、先輩は超能力なるものは信じますか?』


 静流はそう言った。先ほどとまるで変わらない淡々とした口調のまま。


「超能力かぁ」


 陸人はそう言って天井を仰ぐ。柔らかいオレンジ色の光を放つ電灯を見つめながら陸人は続ける。


「あるんじゃないかな? 俺はそういうオカルト系はあまり知らないけど、俺は幽霊も宇宙人もいるんじゃないかなーって思ってるし。どうせ静流のことだからそういう本にでも影響されたんでしょ」


 陸人のその答えに、スピーカーの奥は一瞬静かになる。そして一秒も経たないうちに静流からさらなる質問が飛んできた。


『私のことを本に影響されやすいミーハー人間だと思っていることは解せませんが、もう一つ質問です。もし私が超能力者だと言ったら、先輩はどうしますか?』

「どうするも何も、特に何もしないんじゃないかな?」

『……何故疑問型に疑問型で返すのかが疑問に残るところですが、もういいです。軽い世間話のつもりだったのですが疲れました。それではおやすみなさい』

「ちょ、扱い雑すぎない!?」


 抵抗する間もなく、その電話は切られてしまった。後に残ったのは、ツーツーというどこか虚しい単調な機械音だけ……。


「結局何だったんだ……」


 陸人は携帯を握ったまま独り言つ。実際、何が何だかよくわかっていないのだ。


「まあ、いいか。いつものことだし」


 少しの思考の後、陸人は考えることを放棄する選択をとった。電灯を消し、スマホを充電器に差し込んでベッドに身を投げ出すと、陸人の意識はすぐに闇の中へと吸い込まれていった。

 上下左右すらわからない、完全な暗闇へと。

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