帰り道
住宅街、入り組んだ小道を歩く二人。その間に会話はなく、お互いに言葉を発しようとはしない。
しかし、二人が気まずさを感じることはなかった。陸人が大学生だった頃から、帰りはずっとこの調子。そのため、この時間も二人にとっては日常の一コマ、なんてことはないいつものこと。二人にはこの距離感が心地いいのだ。
とある小さな分かれ道で二人は立ち止まった。家自体は二人とも右の道を行った先にあるのだが、陸人の職場に行くには左の道を通らなければならない。
「じゃあ、今日は俺こっちだから」
陸人は別れの挨拶代わりか、軽く右手を上げそう言った。
「今日は、というか最近はいつもそうですよね。定職にもつかず怪しげな骨董屋に勤めるのも大概にしたほうがいいと思いますよ。特に役にも立ってないみたいですし」
「なんだ、一緒に帰れなくて寂しいのか?」
無愛想に憎まれ口を叩く静流に、ニヤリと笑って煽るように言う陸人。
「寝言を寝ずに言うとはさすが先輩感服します」
それに静流はさらなる悪態で返す。
二人の会話はいつもこんな調子だ。近くもなく、遠くもない。そんな距離間で行われる言葉のキャッチボール。そしてその球はいつも軽い。
まるで、中身などないかのように。
静流の態度に陸人は肩をすくめ、左の道へと進もうとした。その時、
「どうせ明日も来るんですよね」
陸人に声がかかった。声の主は勿論静流だ。陸人はその問いかけに、まるでわかりきっていたかのように返答する。
「残念ながら」
振り向き、微笑とともにそう言う陸人に、静流はため息をつき、
「そうですか」
簡潔に、ただそれだけを言葉にした。
そして静流の顔に、今日一度も無表情を崩さなかったその顔に、一瞬どこか安心したような穏やかな微笑みが浮かぶ。
「それではまた」
しかし、次の拍子にまた感情を殺したような表情に戻り、肩ほどまでの黒髪を風になびかせながら身を翻すと、右の道へと進んで行った。
「……」
そして陸人は去り行く静流の後ろ姿を見つめていた。小柄な身体、綺麗な黒髪、華奢な手足、凛とした雰囲気。
陸人には何故か、そんな彼女が強がっているように見えていた。
陸人は彼女のことをあまり知らない。大学の後輩、家が近い、本が好き、口が悪い。それ以上のことは、何も……。
太陽は西の空へと吸い込まれ、橙の余韻が辺りを包む。弱光の中迷いなく進む静流の姿に、陸人はどこか儚さを覚えた。
「……よし」
しばらくの後、陸人は気合いを入れるようにそう呟くと、左の道へと足を向けた。街路樹と家の塀に挟まれ、地面に散った花びらを踏みながら一歩一歩進んでいく。
一人で歩くその道に、陸人は道幅の割にどこか窮屈さを感じていた。先ほどまで静流と歩いていた道と変わらない。寧ろ一人になった分道幅は広がっていると考えてもいい。
なのに何故か、広漠ではなく窮屈と思う。
「……なんてね」
そんな思考に、自虐的な笑みを浮かべ思わず一人言をこぼす陸人。よほど自分の考えが意味不明で馬鹿馬鹿しかったのだろう。
陸人はなおも進む。どんどん道も細くなってきた。それまでは割と新しい西洋風のデザインの家が多かったのだが、次第に純和風の瓦屋根の家と竹でできた柵がが目立つようになってきた。
そして、成人二人がギリギリ並んで通れる程度の細い路地を曲がり少し進むと、開けた場所が現れた。
目の前には周りのものと比べても一際古そうな建物。それでいて掃除が行き届いているようで、薄汚さは感じない。建物自体は少し奥に長い印象を受けるが、基本的にはよくある和風の二階建てだ。
陸人は何気なく、正面の建物を見上げてみた。引き戸の上に掲げられた木製の板に、筆記体のような文字が書かれている。
『骨董 牡丹』
ここが陸人の勤めている骨董屋。就職先が決まらなかった陸人のとりあえずの勤め口だ。
「ただいま帰りました」
陸人は戸を開き、店内へと足を踏み入れる。薄暗くひんやりとした店内には、壺やら絵やら掛軸やら刀やらが綺麗に陳列されていた。
重厚な雰囲気を醸し出すそれらだが、その雰囲気に溶け込まない、溶け込もうとしない者が一人、陸人に背を向ける形で立っていた。
「やあ、早かったじゃないか陸人よ」
若い長身の女性。成人男性の平均ほどの身長の陸人を見下ろす、百八十センチはあろう体躯、それを包む漆黒のスーツは、骨董屋の店主とは思えない物々しさを放っていた。
顔立ちは整っているが、つり目気味な双眸がまた黒スーツと悪い方向でマッチしている。振り向きざまに紫がかった黒髪が踊る。その顔にはニヒルな笑み。その姿はまるでマフィアの女幹部。
彼女こそが、『骨董 牡丹』の店主にして陸人の雇い主、矢野藤花である。