不在
「ただいま戻りました……って、藤花さんいないし」
陸人は牡丹の扉を開け、中を覗くとそう呟いた。店に入ると一番に目に飛び込んでくるカウンターには、人の姿が見当たらなかったのだ。
「藤花さーん。居ませんかー」
陸人はカウンターまで近寄ると、その先の階段に向かって気の抜けた声を発する。しかし、それに答える声はない。店内に陸人の声だけが虚しく響く。
「外出中かな……それにしても鍵をかけずにとは無用心な」
陸人は呆れ混じりにため息をつくと、カウンターの椅子に腰掛ける。特に何をするでもなく、物思いに耽るわけでもなく、瞳の焦点すら合わせずに、ただただそこに座っている。
「……」
二、三十分はそうしていただろう。日は沈み、燻んだ橙の光が民家の合間から淡く覗いている。陸人がふと左手の腕時計を見ると、短針は七、長針は綺麗に零を指していた。
「藤花さん遅いな……」
椅子の背もたれに体重をかけ、のけぞるように天井を見上げる陸人。目線の先には木製の無機質な板があるだけだったが、手持ち無沙汰な陸人は、その何も語らない天井の板をじっと見つめていた。
「……ん?」
そんな折、突如としてカウンターに置いてある黒電話が甲高い音を発し始めた。日頃滅多に仕事を与えられることがないその黒電話は、その分張り切っているのか店中に大きな呼び出し音を響かせる。陸人は怪訝そうにしながらも受話器を手に取ると、それを耳元に近づける。
「お電話ありがとうございます。骨董 牡丹です」
陸人はよくある定型文を告げた。藤花に教わったというわけではないが、電話に出るときの店側の対応として無難な言葉をチョイスする。
『陸人よ。私だ』
受話器の向こうの人物は、芯の通った凛とした声でそう言う。その声で、陸人はすぐに相手が誰であるかを悟った。
「って藤花さん!? もう、心配させないでくださいよ。鍵もかけずに店を放置なんてするからどうしたのかと……」
『自己を無理やり正当化するな。どうせお前はカウンターの椅子に座りただ時間を浪費していただけなのだろう。私のことは思考の片隅に追いやっていたのではないかね?』
「くっ……何故それを……で、でも、藤花さんがこんな時間まで戻らないとは珍しいですね。何かあったんですか?」
話題をそらすように問いかける陸人。
『いや、なんということはない。今日はそちらに帰ることができないから、渡しておいた合鍵で施錠の後、帰路についてもらいたい』
「ということは、今日はもう帰っていい、と」
『そう言うことだ。気をつけて帰りたまえ』
「わかりました。お疲れ様です」
陸人はそう言って受話器を黒い筐体に戻す。
「……さて」
陸人は荷物を持って椅子から立ち上がる。店内の電気を消し、ポケットから鍵の束を取り出した。三つある鍵から一つを選び、店の外に出るとそれを鍵穴に差し込んで右に回す。ガチャリと音がしたが、念のため扉を引いて施錠の確認をする。
「……よし」
そして、陸人は店の横に停めてあった自転車に跨り、淡い光の残る夜道を駆けて行った。




