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ラグビーはじめました


 「タッチ!!」


 夕暮れ時の市立愛之路高校のグラウンドに高い声と共に手の平で背中を叩く乾いた音が響いた。


 正確には腰の辺りを叩かなければならないのだけれども、まだまだそこまでを望む事はできない。


 背中を叩かれた少女は、悔しそうな顔をしながら手に持っていた楕円形のボールを地面に置いた。



 「いヤーん、まいっちんぐ!!」



 楕円のボールは他の少女が持ち去り、元ネタなんて同年代ならわからないような事を呟くと、自らも追いかけていく。


 北国であるこの辺りには四月になったというのにまだ雪が残っており、夕方ともなればまだまだ氷点下まで下がる。


 グランドに残っている雪の上を、紺色のジャージ姿の少女達が口から白い息を吐き、体からは某はた迷惑な兄妹喧嘩漫画に出てくる闘気の様な、白い湯気を立ち上らせせて走り回っている。


 いま現在、カラーコーンが二本置かれ、相手のゴールラインとされているエリアに向かって楕円のボールを持って走っているのは今年入学したばかりの新入生、渡会さくらだった。



 「さすが渡会ちゃん、経験者は違うよね」



 「ですが、会長。他がひどずぎです」



 向かってくる相手チームの少女達を、直進してはフェイントで左右に交わし、急加速と減速の緩急付けた走りで抜かし、追いすがる少女達を引き離す渡会さくらの勇姿。


 しかも、まだ踝まで雪が残ったグラウンドの上を、足を取られながらである。


 素人目には予測の付かないステップで、姿さえ見失う華麗なものだった。


 そもそもどんな挙動をすれば、そんな動きができるのか理解できない。


 嬉しそうに言う愛之路高校三年生・生徒会会長でもある近藤マリを、書記をしている同学年の土方リコは、廻りに拡がる死屍累々の惨状を見渡しながら進言した。


 ただでさえ走りづらい雪の上を、全力で走り回っていれば普通に運動経験者でもすぐに息を切らす。


 そんな過酷な運動をもう小一時間ほど続けていたので、息を切らせ酸素不足に陥った少女達が青い顔をして、何人も雪の上に寝そべり茜色に染まった空を仰いでいるのである。


 中には泣きながら嘔吐している少女もいる。



 「仕方ないよ。新入生ばかりだし。ついこないだまで受験勉強で運動どころじゃ無かっただろうから」



 最期の一人を抜き去った渡会さくらが、オレンジのコーンで示されているゴールラインを越えると、抱えていた楕円のボールを雪の上に置いた。


 「トライですーぅ」


 審判をしていた生徒会書記でもある沖田宝樹がトライの成立を宣言した。



 「凄いよ、さくらちゃん!! わたしなんて、ボールにさわれなかったよ!! ラグビー、キツイよ!!」



 息も切れ切れにさくらの前にやってきたのは同じクラスの西宮茜であった。



 「たいしたこと無いよ。西宮さんもちょっと練習すればすぐにできるようになるって。ちなみに今やっているのはタッチラグビーだから」



 「なんか違うの?」



 「タッチラグビーはタックルの変わりに、相手の腰を両手で叩くとか、スクラムがないとか。モールも無いし、ラックもないもの」



 さくらが何を言っているのかさっぱり理解していないということが解る西宮を見て、さくらはとりあえず、とりあえず前にボールを落とさないと言う事を始めての練習である今日は覚えて帰ってくれれば良いからと伝えたのだった。


 ルールの細かいところは解っていなくても、中学時代にバレーボールをしていたという西宮はまだ走れる方だった。


 ほかのメンバーでいま現在立っているのは生徒会の三人とさくら、西宮の他にサッカーとソフトボールの経験のある二人だけだった。


 「貴様ら、根性が足りないぞ!! こんなので我が愛之路高校女子ラグビー部が、全国に行けると思っているのか!!」


 書記・土方が不甲斐ない下級生達に声を上げる。


 しかし、ほとんどの部員達は全国という言葉に引いていた。


 全国を目指すという練習が、今日一日の演習だけでどれほど過酷なものになるのか想像できないくらいに恐ろしく感じられたというのが共通認識だった。



 「沖田!!」



 「はい」



 会長の指示によって書記・沖田に両手で口を塞がれた土方は少し離れた所に連れて行かれて、小さな声を上げて動かなくなった。



 「あぁ、そんな怖い事無いから。大丈夫。二回勝てば全国だし」



 会長はそう言って改心の笑みを浮かべる。


 しかし、その笑みは146センチしかない会長の体を異様に大きく見せる笑みだった。


 早い話が、辞めるなよと言っているようなものである。


 「女子は競技人口が少ないから、地区予選が無いに等しいの。だからちょっと頑張れば、全国大会、もしくはオリンピックの日本代表に選ばれる事も不可能じゃないわよ。ねぇ、渡会ちゃん?」



 「そうかもしれませんね」



 返事に困りながらもさくらはそう答えていた。



 そもそもあまり厳しい事を初心者に言わないようにと生徒会の三人に進言したのはラグビー経験者であるさくらだった。


 そもそもラグビーは練習が厳しい。


 他の競技ももちろん厳しいのであろうが、愛之路高校女子ラグビー部に入った部員の中に確実に自分の意志で入部した生徒はほとんどいないのである。


 付き合いだったり、頼まれたり、懇願されたり、泣き落としに、褒め殺しされて入部した生徒がほとんどであった。


 何故なら女子ラグビーというものがそもそもそれほどメジャーな競技と言えない事や、危ない、痛い、怖い、臭いと言うイメージがあり、実際にそれらは事実だったりするからである。


 そんな中、部員の確保が難しいと言う状況を打破するためにはどうしたら良いのかというと、最初は騙し騙し、アメをあげ、ムチを使わずに褒めちぎって気分を乗せてやるのが最高の策であると、今は亡き父にさくらは教わったのであった。


 時が経てばラグビーの良さを知り、ラグビー自体が生活の一部になっていくと。


 生かさず、殺さずの精神である。


 まともにやれば一月後には部員がいないと言う事も有り得ない話ではなかった。


 そもそも渡会さくらは考える。


 元ラグビー日本代表でもあった父親の死によって、所属していたチームのあった内地から両親の地元であるこの街に引っ越してきてから二年。


 幼い頃から父親の影響を受けて自分も男の子に混ざってラグビーをしていたが、引っ越しと共にラグビーを辞めていた。


 なぜなら父親の所属していたチームのあった地域は、ラグビー自体が盛んであって、自分と同じ女の子がラグビーをする環境があったのだけれども、引っ越してきたこの街には無かったのである。


 さくらの両親がつき合い始めた高校生の頃にはこの街の高校にもラグビー部はたくさん存在していたのだけれども、いまでは強豪校だった私立にいくつか残っているだけになっている。


 少子化による生徒の減少でどの部活も部員の確保が難しくなっているのではあるが、ラグビーは怪我が柔道と共に重傷化しやすいと言う事や、国際的に柔道のような強さを持っていないと言う事もあり、サッカーのプロ化という事も手伝って、プロがほとんどいなかったラグビーはさらに競技人口を減少させた。

 そんな中でまた自分がラグビーをする事になろうとは夢にも思っていなかった。


 さくらがラグビーを再びする事になった理由。


 それは、少し時間を遡った話となる。

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