第四話 ロボ子の外出作戦
第四話 ロボ子の外出作戦
「ワタルさん。はい、あ~~~ん」
口を開けるように強要されたワタルは、仕方なく口を開くことにした。開いた瞬間、カレーをすくったスプーンを入れられる。
「……んふぅ、んふぅ」
「熱いので、気を付けてくださいね」
口に入れられてからでは気を付けようがないが、そこまで熱くないのでホッとしたワタルだった。ちなみに、今は夕食時でメニューはカレーとなっている。
ワタルが“男のロマン”について語った日以降、ロボ子のAIは何を学習したのか、食事は食べさせてあげるものだと認識している。ワタルも忙しい朝は別として、夜はそれに付き合うようになっていた。
「ねぇ、あなた、おいしい?」
「うん、美味しいよ」
これが人間同士の会話であっても恥ずかしいものがあるが、四角い顔のロボットと人間の会話なので、恥ずかしいというよりは滑稽な何かを見る人に与える気がする、そう思いながらカレーを食べるワタルがいた。
「ところで、前に話したメールアドレスの件は?」
「ちゃんと取得しておきましたよ」
携帯電話を持たず、家の固定電話にも出るわけにはいかないロボ子に、ワタルはフリーメールでいいので、メールアドレスを取得するように頼んでいた。そうしておかないと、離れているときの連絡手段がないためだ。
「アドレスを教えて」
「は~い。え~っと、ワタルさんに薦められたところで取ったので、@の後は固定のものです。@の前はダブリュー、エー、ティー、エー、アール、ユー、アンダーライン、エル、オー、ブイ、イーになります」
言われたアルファベットと記号を自分の携帯に打ち込み、ワタルはその文字を口にする。
「WATARU_LOVE……ワタル_ラブ、か…………ん?」
自分への愛しか感じられないメールアドレスを、送信するたびに見るのかと思うと複雑な心境だった。それでも、とりあえずはテストメールをロボ子に送る。
件名はテスト、本文はテストメールです、である。ロボ子の瞳に手紙のイラストが表示される。どうやら、受信できたらしい。
「メール、届きました。件名はテスト、本文はテストメールです……このテンプレ的テストメールで内容はあっていますか?」
「うん」
「じゃ、このアドレスをワタルさんとして登録しておきますね。ふふっ」
なんだろう、最後の笑いは……と疑問に思いつつも、怖くて聞けないワタルだった。
「ロボ子は、脳内でウェブ検索できるから、メールも打てるんだよね?」
「もちろんです。今、一通書いて送りましたよ」
「あっ、ホントだ」
携帯を見るとメールの受信マークが付いていた。さっそく、開いて見てみると『これでいつでも連絡ができますね、ダーリン。面と向かっては言えないことも、メールだと書いちゃいそう。キャッ(ハート)』とある。
背筋がゾワゾワするワタルだった。
「え~っとまぁ、今のメールの中身はおいておいて。何か、必要なものとかあったら、メールで書いてね。買ってくるからさ」
ロボ子はワタルの家に来てから今まで、外出したことはなかった。夕食の食材はワタルが適当に買ってきたものを使っていた。
「そのことなんですけど、やっぱり外に出ちゃダメですかぁ?」
「う~ん、ダメかな。一応、破棄されたことにしてるから、マコトの会社の部長さんに見つかるとマズいし……」
「そのことなら平気ですよ。会社に関する情報はだいぶ失いましたけど、部長さんは私を見たのが一度きりなのは確かです。それも開発初期段階なので、今の私を見ても同一個体とは思わないでしょう」
「なら、いいんだけど……。でも、やっぱり目立っちゃうと思うんだよね。それで、何かのトラブルに巻き込まれたらアレだし」
「とか言って、他に男ができないか、心配なんじゃないですか?」
「そんなことはないよ」
ワタルはキッパリと言い切った。
「私のこと、すご~く信じているんですね」
そういう訳ではなかったが、違うとは言えなかった。信じているというよりは、寄ってくる男がいないと思っているなど、口が裂けても言えなかった。
「えっとまぁ……。とにかく、できれば外出は控えてほしいかな。君が外に出たら間違いなく目立つし、なんていうか、その……」
「目立たなければ、いいんですか?」
「……まぁ、そうなるけども。まさか、光学迷彩機能があるとか?」
光学迷彩とは視覚的に透明化する技術のことで、幾つかの原理はあるが、わかりやすいのは周囲と同色化するカメレオンだろうか。
「ありませんよ、そんな便利な機能は」
「そ、そうだよね」
ちょっと期待していた分、少しガッカリしたワタルだった。近未来的な技術への憧れは人一倍強いからだ。
「何も姿を隠さなくても、目立たなくなる方法はあると思うんですよね」
「良いアイディアでも?」
「そ・れ・は……」
「それは?」
「考え中です」
ガクッとなるワタル。
「まぁ、僕も外に出してあげたいから、何か良い方法が見つかるといいよね」
「はい」
といってニコッと笑うロボ子だった。
翌日、あちこちの現場を巡って一日の仕事を終えたワタルが、玄関のドアを開けようとすると鍵がかかっていた。おかしいなと思いながら鍵を開けて中に入ると、いつも通りロボ子が迎えて……くれなかった。
「ただいま……」
久しぶりに暗い部屋に向かって帰宅の挨拶を口にする。
「ロボ子?」
軽く呼びかけてみるが反応はない。仕方がないので、部屋の電気をつけて中へと入っていく。やはり、ロボ子の姿は見当たらない。
「お~い」
頼りなげな声で呼びかけつつ、家のあちこちを探してみるが、やはりロボ子の姿が見当たらなかった。
「いない……」
破棄していないことがマコトの上司に知られ、ここに誰かが来たのではないかという可能性が頭をよぎる。もし、彼女が破棄されることになったら……。そんな嫌な想像をしないよう、必死に思考を切り替えようとした。
ふと、昨日の夜に交換したメールアドレスのことを思い出し、携帯電話を手に取ってみる。仕事現場では着信時の音が録音されないよう、常に電源をオフにしているのだが、今日はずっと電源を入れていなかった。
「うわっ、電源を切ったままだった」
慌てて電源を入れてみると、何通かメールが届いていた。その差出人はすべてロボ子で、内容は他愛もないことばかりだった。
ワタルが好きそうな都市伝説の特集がお昼にあったから録画しただの、海外ニュースのインタビューの吹き替えでワタルの声を聴いただの、部屋にあったワタルのBLCDのシリーズをひとつ聞き終えただの、そんなことが書かれていた。
「……寂しいのかな」
ちょっと切なくなった後に、最後のメールで外出していることを知った。
「そっか、それでいないのか」
いない理由を知ってホッとすると、体から一気に力が抜けた。今さらながら、彼女の存在の大きさを感じたとき、ガシーン、ガシーンという足音が近づくのが聞こえてきた。
玄関のドアを開けてロボ子が入って来る。その体には“罰ゲーム中”と書かれたタスキが掛けられていた。
「ただいまです、ワタルさん」
「おかえり。どうしたの、そのタスキ?」
「ネットで買ったんですよ。昨日の夜に注文したのに、今日の夕方にはメール便で届いたんです」
「へぇ~、早いね……。じゃなくて、何かの“罰ゲーム中”なの?」
「いいえ」
ロボ子はあっさりと否定した。
「だったら、なんで掛けてるの?」
「目立たないようにするためです」
「はい?」
ワタルにはチンプンカンプンだった。
「まぁ、ワタルさんは私がこのタスキをしていても、そういう反応になりますよね。でも、私のことを知らない人が見たらどうでしょう?」
「ロボ子を知らない人が見たら? そりゃ、ロボットが街を歩いているなんて思わないから、中に誰かが入っているんじゃないかと思うし、“罰ゲーム中”ってタスキがあるから……あっ、そうか。何かの罰ゲームで、ロボットのコスプレをしていると思う」
「そうです。これなら、私をロボットではなく、罰ゲームでコスプレしている可哀想な人に思ってくれます」
「……でも、目立つよね?」
「はい、目立ちました。着ぐるみが街をうろついている程度に。けど、それだけですし、中には『何の罰ゲーム?』と聞いてくる人もいました」
その様子を想像してワタルは少し笑った。
「これなら、夕飯の買い出しに出かけられそうです」
「そっかぁ……。じゃ、頼もうかな」
「はい!」
できることが増えてロボ子は嬉しそうに見えた。
「じゃ、さっそく買い出し用のお金を……って、ネットで買ったときの支払いはどうしたの?」
「ワタルさんのクレジットカードで」
「そっか、僕のクレジットカードか……。って、おい!?」
「すみません、勝手に使って。お金は、あとで返しますから」
「そうじゃなくて、カード番号とか、どうやって知ったの?」
「アップデート時に、マコトさんが入れたデータにありましたよ」
何故、弟が自分のクレジットカードの番号を知っているのか、怖くて仕方がないワタルだった。あとで利用明細を確認する必要があると、心のメモに記録しておく。
「本当に後で返しますから」
「タスキのひとつくらい、いいよ」
「それだけじゃないんです」
「えっ?」
「ちょっと、衝動買いをしてしまいまして」
「……な、何を買ったの?」
高いブランド品にでも手を出したのではないかと、ワタルは気が気でなくなっていた。あまりの動揺に「AI制御なのに衝動買いってなんだよ」という突っ込みを忘れるほどだった。
「Tシャツを買いました」
「ブランド物の?」
「いえ、オリジナルプリントのです」
「オリジナル?」
「はい。ワタルさんのお顔がプリントとされているTシャツです」
ワタルは出来上がったTシャツを想像してみた。よくある有名人をモノクロで、しかも絵画タッチにプリントされたものをイメージし、そんなに悪くないなと思ってしまった。
「いいよ、Tシャツ1枚くらい」
「……すみません」
「なんで、謝るの?」
「1枚じゃないからです」
「へっ?」
「100枚セットを注文してしまったんです。だから、近いうちに大量のTシャツがここに……」
入りきるかなと、そっちを先に心配したワタルだった。次に、そのTシャツをどう処理するかに頭がいった。オリジナルTシャツ100枚くらい、高校の学祭で作ったときの価格からすれば、負担が大きいとは思えないからだ。もちろん、痛手ではあるが。
「100枚くらい、別にいいよ。それに、返すっていったって、働き先を見つけるのは大変だと思うよ」
「実はですね、既に動画サイトでの広告収入や、記事作成の収入があるんです」
「動画って、どんな?」
「○○を歌ってみた、という動画の数が多かったので、私もいろいろと歌ってみたんですよ。そうしたら、声が人気ボーカロイドに似ていると評判になって。お蔭でアクセスが伸びて、そこそこの収入になりそうです」
「へぇ~。記事の方は?」
「クラウドソーシングで、特定のテーマで文章を書いてほしいというのがあって、その依頼を受けて書いています。主に“萌え”関連の記事を」
「AI的にも得意そうだよね」
「はい。ただ、今回はそのAIが悪さを……」
今回、というのは衝動買いでTシャツ100枚に他ならない。
「私の中の“ドジっ子萌え回路”が、間違って100枚のTシャツを購入して、『てへっ、間違えちゃった』をやるようにと囁きかけたんです! その悪魔の囁きが最優先されてしまいました」
「それはまた……恐ろしいね……。でも、せっかくだからさ」
「はい?」
「せっかくだから、Tシャツが届いたら、その『てへっ、間違えちゃった』をやってね」
ちょっと見てみたかったワタルだった。実は、ドジっ子も嫌いではなかったりする。ロボ子は不思議そうに、その頼みごとを聞き入れたのだった。
数日後、ワタルの家に届いたのは、表面に“ほほ笑むワタル”がカラーで大きくプリントされたTシャツだった。『てへっ、間違えちゃった』をやってもらった後、ワタルはTシャツをどうするか考えた末、ライブ会場で無料配布することにしたのだった。
そのライブ当日、「欲しい人がいたら渡してあげて」と、物販スタッフにTシャツを託し、ワタルは楽屋で練習をしながら出番を待っていた。
歌う曲を一通り練習し終えたあと、部屋のドアを誰かがノックした。
「どうぞ」
入ってきたのはマネージャーのミエコだった。ミエコはいつになくご機嫌に見えた。
「ワタル君が用意したグッズ、好評みたいよ」
「え? あのTシャツですか?」
「もちろんよ。ファンから物販スタッフに、次は無料配布じゃなくていいから、たくさん用意してほしいって要望があったくらいよ」
「ほ、本当ですか……」
ライブグッズの目玉がないと言われていただけに、喜んでもらえるグッズが出来て嬉しいような、それが自分の顔Tシャツで恥ずかしいような、複雑な心境のワタルだった。
「これでライブグッズの目玉はできたわ。あとは、君が最高のパフォーマンスを見せるだけ。そろそろ出番だから、ステージに向かって」
「はい」
ワタルは楽屋を出てステージへと続く廊下を進んだ。途中、何人かのスタッフが自分の顔を見て、「あっ」という表情をしているのが気になった。
ステージ裏につき、前の出演者の歌を聴きながら、精神を集中してモチベーションを上げていく。心地よい緊張感と不安が胸の中で入り交じり、いよいよ始まるんだなという気にさせてくれる。
「ワタルさん、行きますよ」
スタッフの誰かが声をかけてくれた。前の出演者がステージ裏に入り、ワタルの目の前にあった幕が開いた。
踏み出したステージの先には大勢の観客がいた。ドッという歓声がワタルを迎え入れ、圧倒されそうになったとき、ワタルの目に“あのTシャツ”が飛び込んできた。
あっちでもこっちでも、自分の顔が揺れたり跳ねたりしていた。デカデカとプリントされた自分の顔が、着る人によっては横に膨張したり、げっそり痩せたように萎んだりしていた。
「キャーッ、ワタルぅ~♪」
遠くから黄色い歓声が届く。会場の奥の方で、ぴょんぴょん跳ねる自分の顔が見える。手前でも、大きな胸によって目が飛び出しているように見える自分の顔がある。そこらじゅう、ワタルの顔でいっぱいだった。
「どうも、ワタルでーす!」
取り敢えずの第一声に会場が湧く。
「会場中に自分の顔があるのは……複雑な気分ですね……」
「自分で用意したくせにーーっ!」
「よっ、ナルシスト!」
容赦のない突っ込みが入る。もう、心地の良い緊張はどこかに行ってしまっていた。そんな本人の想いを知ってか知らずか、ワタルTシャツを着ている人たちは一斉に、Tシャツの顔をワタルに見せつけるようにアピールする。そして、気づけばワタルコールが起こっていた。ワタルのボルテージが妙な方向に向かってあがっていく。
「今日は何だか、とっても! 歌いにくいぞーーっ!」
ヤケになって叫ぶと、ワーッという歓声が起こり、それが合図でもないのに演奏が始まってしまった。仕方ないので、ワタルは一曲目のタイトルを叫び、歌うことにしたのだった。