第7話 義妹と初めてまともに同居した件
「今日は・・すごい疲れた・・」
痴漢を解決した日の夜、久人は眠る前に一人で今日を振り返っていた。
右手がまだ痺れてる。骨を骨で打つ感触がまだ残っている。
久人は今までまともなケンカしたことなんてなかったので、人を殴るなんて今回が初めてのことだった。
「これからは、まともな生活ができる気がする・・・」
そう呟き瞼を閉じて夢の世界に入っていった。
朝の五時半、いつも通りに目を覚ました久人は朝食を作り終えていつも通り六時半に家を出ようとする。
凜との仲は改善されたので、別に早く学校に行く必要はないのだが、なんだかんだでこの早めの登校を久人は気に入っていた。
「ちょっとお兄ちゃん!」
久人が玄関を開けて外に出ようとすると、起きたばかりのパジャマ姿の義妹が呼び止めた。
「なに?」
「なに、じゃないわよ! なんでそんな早く学校に行くのよ?」
「いや、まぁ、することもないから、もう行こうかなと思って」
凜は外に出ていこうとする久人の腕を掴み、
「お兄ちゃん、あたし、一人で電車に乗るの・・・怖いな・・」
涙目の上目遣いをお見舞いする。
「う!?」
久人はそんな義妹のおねだりに少し怯む。
(まぁ、また痴漢に遭ったら大変だしな)
「わかった、じゃあ一緒に登校しよ」
「やった!」
久人は玄関を閉めてもう一度家の中に戻る。
表情では冷静を装っているが内心はとても緊張していた。
年の近い女の子にこんな近くから見つめられることや、”お兄ちゃん”と呼ばれることなど初めての経験。
今目の前で食事している女の子が自分の妹だなんて、今考えれば信じられないことだった。
しかもこんなに可愛い女の子なのだ。一見すると黒髪のロングなこともあって久人と同じくクールだが、こうして一緒に生活してみると凜の色んなところが見えてくる。
無意識に久人は凜の顔を見つめていた。
「? なに、お兄ちゃん?」
「あ、いや、なんでもないよ」
見つめられていた凜はちょうど朝食を食べ終えた。
「あ、俺が洗うよ」
久人は椅子から立ち上がりながら、凜が食べ終えた食器を手に取る。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
屈託のない笑顔でお礼を言われると、久人は少し顔を赤らめた。
「学校の準備、してきなよ」
「うん!」
それを悟られないように久人は凜を彼女の部屋へ促す。
(今までツンとした顔しか見てなかったから、あんな笑顔を見せられると調子狂うな、なんか)
久人は食器を洗いながらそんなことを思う。
今まで久人は女の子の笑顔を見ることはあっても、笑顔を向けられたことはない。そのため、女の子の純粋な笑顔には弱い。
「ふぅー・・・」
食器を洗い終えた久人は小さく深呼吸して自分を落ち着かせた。すると、そこに。
「お待たせお兄ちゃん、行こう」
制服に着替えてきた凜がしっかりと髪の毛をセットして久人の前に現れる。
「ああ、行こうか」
玄関を開けたときに入ってきた風が凜と久人の髪をなびいていく。
(今日もまた、一日が始まるな)
青年はそんなことを思いつつドアに鍵をかけて、学校までの道を義妹と一緒に歩いて行った。
※
学校に着いて四限目の授業。
四限目の授業というのは色々と憂鬱だ。
現に今久人は数学の授業にはまったく集中できずにいた。
久人は数学は得意な方。だからと言って好きというわけではなかった。
学校では凜とのことは秘密にしてるため、会話はあまりしない。
それでもやはり、席が隣なので授業中何回か目が合うことがある。目が合うと凜は微笑みを久人に向けている。
その度に久人は少しむずがゆい感じになっていた。
キーンコーンカーンコーン
「はい、じゃあ今日はここまで」
チャイムが鳴り、教師が終了の合図を出すとともに生徒たちは思い思いに昼食を食べ始める。
久人も同じく席を立ち、購買に昼食を買いに行く。ちなみに、凜の分は久人が毎日作っている。今日はたまたま家に食材が少なく一人分の弁当しか作れなかったのだ。
「あっ、」
「りーん! 一緒に食べよ」
教室を出ていく久人を呼び止めようとした凜だったが、逆に仲の良い女子グループの生徒たちに呼び止められる。
「あ、う、うん」
横目で教室を出ていく久人を見つつ友人たちに返事をした。
売店で昼食を確保した久人はそのまま屋上に行く。
久人は大抵屋上で昼食を食べる。青年は案外その空間を気に入っていた。
人はあまりいなく静かで今も久人一人しかいない。
「今日は少し風が強いな」
口ではそんな他愛ないことを呟きながら、頭の中は困惑状態だった。
女性の笑顔をあんな間近で見ることなんて今までなかったので緊張が半端なかった。
朝から思っていたが、凜がまるで別人になったかのように感じていた。
そんなこんなで午後の授業も終わり帰宅の時間に。
なにも部活に入っていない久人はこれからいきいきする体育会系生徒達とは違ってすぐに帰宅を開始する。
学校を出て駅に向かっていると、後ろから声を掛けられる。
「お兄ちゃん」
その人物は久人の困惑原因である義理の妹だった。
「一緒にかえろ!」
「え!?」
凜の提案に久人はある問題が思い付き、返答するのに躊躇が発生する。
「ダメ?」
そんな久人の反応に凜は悲しそうな顔をして青年の目を覗き込む。
「い、いや」
青年はすぐに首を横に振って否定する。しかし、それでもある問題が頭から離れたわけではなかった。
「でも、誰かに見られたらまずいんじゃないの?」
そんな疑問に凜は、
「見つからなきゃ大丈夫よ」
即答で返す。
「でも--」
「いいから帰ろ」
煮え切らない久人を凜が腕を引いて急かしていく。
「あ、ああ」
そんな義妹の行動に久人はただ従うことしかできなかった。
※
兄妹二人は電車から降りて自宅へと向かっていた。
久人は電車内で同級の生徒や同じ高校の人に見られていないかを気にしていてとても気が気でなかった。
さすがに電車を降りた後は少し冷静を取り戻していた。駅を出るとき同じ制服を着た人はいなかったと久人は認識していた。そのため今は落ち着いて帰宅している。
けど自宅に帰る前に久人には足さなければならない用事があった。
「凜さん、俺寄るところあるから・・・」
その用事を凜に告げようとしたが、
「・・・」
凜は久人の方を見向きもしない。
その理由は久人はよく分かっていた。
「凜・・俺寄るところがあるんだけど」
もう一度話しかける。今度は名前を呼び捨てにして。
「え、どこに寄るの?」
今度は久人に振り返り返事をしてくれる。
「スーパー。 ほら、食材切れてたからさ」
「じゃあ、あたしも行くわよ」
「別に先に帰ってて良いよ」
久人は親切心でそう提案する。
「お兄ちゃん」
だが凜は目を細めて久人を見つめる。
それに久人は少し怯む。
「あたしが手伝ってあげるって言ってるのに、断るの?」
「いや、そういうわけじゃ・・」
久人は否定をしようとする。
「じゃあ、行くよお兄ちゃん」
すると半ば強制に二人で行くことになった。
スーパーでも久人は少し緊張していた。さすがに電車内ほどの緊張感はなかったが、それでも少し警戒をしていた。
早足に買い物を済ませるために久人は考えていた一週間分の食材をかごに入れていく。
その食材を見て凜はあることに気が付いた。
(あれ? あたしの好きなものばっかりだ)
久人が手に取ってる食材のほとんどが凜の好物だった。
凜がいつものお返しに買い物を手伝おうと思ったが、義兄の優しさをこんなところでも感じる。
「か、かごくらい持たせなさいよ!」
なんだか居ても立っても居られなくなり、凜は久人が持っていたかごを奪い取る。
「あ、」
(普通、立場が逆だと思うけど・・)
そんなことを思いながら、何事もなく買い物を終わらした。
家に帰ってからも今までとは違う生活が待っていた。
「お兄ちゃん、手伝おうか?」
久人が夕飯を作っていると少女がひょっこりと現れた。
「! いや、凜さ、じゃなくて凜は休んでて良いよ」
「そう? じゃあ、リビングでテレビ見てるね」
「ああ」
冷静に返した久人だったが、実際はとても驚いていた。
今までは凜からそんな気を使われたことはなかったので少なからず動揺をしてしまった。
まだ名前を呼び捨てで呼ぶことにも久人は慣れていない。
ていうか一生慣れないのではないだろうか。という考えすら久人の中にはあった。
夕飯を食べるときも前までは静かな食事だったが、今日は違った。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「! なに?」
凜から話しかけられる。正直言えば、”お兄ちゃん”と呼ばれることもまだ慣れていない。
そのため、久人の返事が少しぎこちなくなる。
「高校でさぁ、いつも一人だよねぇ」
「まぁ、そうだね」
久人は冷静を取り戻し、いつもの感じで質問に答える。
「友達とかいないの?」
「・・・」
久人は箸を止めて一瞬考える。
「・・いないよ」
頭の中に一人の男の顔が浮かんだが、認めたくないのでいないことにした。
「でもお兄ちゃん、あたしの友達とかからけっこう人気高いんだよ」
実際そうだった。今日の昼、弁当を食べているときも義兄の話が浮上した。いつも凜を合わせて四人のグループで昼食を取っていて、その内の二人が久人のことをとても評価していた。
その二人が言うには”冷静でかっこいい”や”クールな感じが素敵”らしい。
「そんな人気必要ないよ」
久人はどうでもよかった。
話したことも一回か二回でそんなに仲良くもなく、ただの第一印象での人気。意外に人気がある、ということは優理から嫌というほど聴かされたことがある。
前にも説明したが、久人は周りからは好感を持たれているほうだ。
だがそんなことは久人にとっては関係のないこと。自分のことを知ってもいないのに勝手な評価を付けられただけ。まぁ、知ってもらおうとする気はないが。
「ふーん・・」
「ていうか凜のほうが人気者じゃないか」
このまま自分の話題が続かれるのはなんとなく気まずいので、久人は話題を逸らすことにした。
「えっ! そんなことないわよ!」
凜はその話題にがっつり食いついた。
「ミスコン優勝者が人気ないわけないじゃん」
凜は昨年のミスコンテストで、三年生を差し置いて有終の美を飾ったことがある。それくらい人気が高いというわけだ。
「関係ないわよ、そんなこと」
恥ずかしいのか、味噌汁を飲みながら茶碗で顔を隠す。
「付き合ってる人とかいないの?」
なんとなく久人が聞いた質問に凜は、
「いないわよ、そんな人」
とくになにも反応せずに返答する。そういうことに興味がないのか、もしくは好きな人を悟られないように平然を装っているだけのようにも見える。
「・・・」
そこで会話は途切れてしまう。
そのまま食事が終わり、食器を洗おうと水道の蛇口を捻ろうとすると、凜も自分の食器を持ってくる。それを久人は受け取りシンクの中に置く。
いつもならすぐにリビングに戻る凜だったが、
「でもさぁ、お兄ちゃん」
今回はすぐにリビングに戻らずに久人に話しかける。
呼ばれた久人はすこし”ビクッ”としながらも少女のほうに体を向ける。
すると凜は、
「友達はいないかもしれないけどぉ、今はあたしっていう妹がいるんだから、なにかあったらあたしを頼っていいんだからね」
久人にそう微笑みかける。
「あ・・・」
久人はとても驚いた、今度は隠し切れずに。今までそんなことを言われたことなかった。久人はいつも一人でなんでもこなしてきた。なにかに困っても一人でどうにかするしかなかった。
でも、
(そうか、俺はもう一人じゃないんだ)
家族がいる。大事な妹がいるんだ。
久人は心の中が温かくなっていくのを感じながら、
「ああ! ありがとう、凜」
目の前にいる大事な義妹に微笑み返した。
※
夜、久人は自分の部屋で今日のことを振り返っていた。
今日は色々ありすぎた。
「はぁー、疲れた。なんか昨日の夜も同じことを思ってた気がするな・・・」
昨日は義妹の痴漢事件、そして今日は義妹に何回も驚かされた。
「それに今日は、驚くことが多かったな・・・」
表情では隠していたが、内心ではすごい動揺していた。
義妹の今までとのギャップに久人は驚きっぱなしだった。
ツンとしていて、笑うことなんてほぼなかった凜が、今日は何回も微笑みかけてきた。久人はそれをとても嬉しく思いつつ、凜の馴れない笑顔に何度も緊張した。
「頼っていい、か・・」
家族が、義妹が、凜が言ってくれた一言を頭の中で思い出す。
それを思い出すたびに心の底から安心できる。
「今日はよく眠れそうだ」
久人はそんなことを口に出しながら瞼を閉じる。
自分も凜をきちんと支えてあげようと思いつつ。
同じ”家族”として...