第4話 義妹との仲が少し縮まった気がした件
「失礼しました」
衝撃的な同居生活が始まってから約二週間、義理の妹には暴言を言われたり無視されたりなど厳しい環境の中、久人は生活していた。もちろん朝早く登校する日常も変わってはいない。そして今は職員室に提出し忘れたプリントを届けたところ。久人はそのまま下駄箱に向かう、そこに着いたところでよく見知った少女を見つける。
「なにしてるの?」
よく無視されるがこちらから無視するわけにもいかず一応声を掛ける。
「別に、なんでもないわよ」
こちらに気づいた少女、凛はツンとして答える。
「もしかして傘、忘れたの?」
そこそこ勘の良い久人は外は結構雨が降っているのに対して少女の手に傘がないことに気が付いた。
「!!」
(図星か・・・仕方ない)
「水原さん」
凛は返事をせずに久人の方を向く。
「これ、使っていいよ」
目は合わせずに自分の手に持っていた傘を差し出す。
取りやすいように持ち手を凛の方に向けている。
「別にいいわよ」
「俺のことは気にしなくていいよ、教室にいつも置いてある折り畳み傘を使うから」
傘をさらに凛の方へ近付ける。
「・・・」
なにかと葛藤しているのか、ぎこちない動きでそれを受け取る。
「じゃあ、俺は一度教室に戻るから。先に帰ってて」
久人は踵を返して校舎の中に戻っていく。凛は先程受け取った傘を広げて久人とは逆の方向に走っていった。
※
先に家に帰っていた凛は部屋で宿題をしていた。ちなみに凛は成績は良くもなく悪くもない。つまりは普通というところだった。少なくとも平均よりは上の順位でありたいために、宿題などはもちろん、自習も少しは取り組んでいる。
今回の宿題は授業中で終わらなかった人は家でやってくるというタイプのものだった。科目は数学。凛は数学はあまり得意な方ではなかった。その証拠に今現在も宿題に手こずっていた。
(あいつは終わってるのかな?)
同じクラスの同居人に聞こうかと思ったが、すぐにその考えを止める。
(あいつに教えられるくらいなら一人でやった方がマシよ。傘のことはまぁ、少しは感謝してるけど・・・)
外は先程より雨が激しくなっている。久人に傘を借りなければこの豪雨の中を歩かなければならなかったと思うと、少しゾッとする。その時、玄関から物音が聞こえた。
キイィィィ、バタン
ドアが開いて閉じた音。つまり、義兄が帰ってきたのだろう。凛はそう思いながら悪戦苦闘している宿題にもう一度向き直った。
久人は家に着いてすぐに脱衣室に行きタオルで濡れた髪と身体を拭いていた。
「着替えは・・・とそっか、忘れてた」
この頃、忙しかったために洗濯物を溜め込んでしまっていて久人の着替えがなかったことを思い出し、脱衣室を出て濡れた服のままキッチンに向かう。もう夜の五時、おそらく義妹もお腹を空かしてるだろうと思いすぐに料理に取り掛かる。
しかし、久人の体に少し異変が起こっていた。
(あれ、少し目眩がするな、いや気のせいだ)
久人は自分に暗示を聞かせながらおぼつかない手を動かして、なんとか一人分の料理を作り終えた。自分は食べれないと判断し、とりあえず凛の部屋に向かう。
コンコンコン
「水原さん?いる?」
ノックを3回して、部屋の中に向かって呼び掛ける。すると部屋の中から返事が返ってきた。
「なに?」
「夕飯が出来たから食べて良いよ」
久人はそれだけ告げるとリビングに戻りソファーに座りながら頭を押さえてうつむく。
(なんだ、さっきから頭がズキズキする)
「なにしてんの?あんた?」
「あっ!」
そんな様子を見た凛が目を細くながら声をかけてきた。いつもなら無視するのに傘を貸したお礼なのか、そんなことを考えたが頭痛がまた襲ってきたので思考が止まる。とりあえずこの事を凛に悟られないように平然を装うことにした。
「いや、なんでもないよ、夕飯、そこにあるから。」
「・・・あれ?あんたの分は?」
朝は凛一人での食事だが、夜は毎日義兄妹二人で食事をしていたので一人分の品物しかテーブルに並んでいないのを見た凛は疑問に感じた。
「ん?なに、俺と一緒に食べたいの?」
「な!?誰があんたなんかと!!」
「冗談だよ、俺は先に食べたからさ、水原さんはゆっくり食べて良いよ。洗い物も俺がやるから」
「ふん!」
久人は嘘をついて凛に悟られないように話題を反らした。凛が黙々と食事を始めたのを少し見て久人はすぐに先程と同じソファーに座る。
すると、また頭痛が襲ってくる。
「うっ!」
頭の中からなにかに叩かれているかのような感覚になる。先程まではズキズキするような感じだったが、今はズキン、ズキン、痛みが増している。同時に目眩も襲ってくる。
(ヤバい、水でも飲もう)
喉の渇きを潤す為にキッチンに行こうと立ち上がった瞬間、
グラ・・・
「え?」
久人自身も驚くくらい部屋中の風景が回り出した。久人は立っていることが出来ずに尻餅をついてしまった。
「ちょっと!大丈夫!?」
床に倒れた音を聞いた凛は食事を止めて久人の前に行きしゃがみこんだ。
「いや・・・大・・丈夫・・・だよ」
「全然、大丈夫そうじゃないじゃない!」
「大丈夫・・・だから・・・あっ!!」
凛の方を向こうと顔を上げるとしゃがんでいる凛のスカートの中が見えていて、久人はすこし目を奪われたが頭痛がひどくすぐに顔を下げて左手でこめかみを押さえる。
(スカートが短いんだよ・・・)
久人は心の中で突っ込みをいれた。
「ほら、早く部屋に行って横になりなさいよ!」
口調は強気でもうまく歩けない久人の腕を優しく引いて部屋まで連れていった。
「ごめん、水原さん」
部屋のベッドに横になった久人は凛に対して感謝の意味を込めた謝罪の言葉を呟いた。
「別に・・・うつされたら困るからよ」
「食器とか洗濯物とかは、ほっといて良いから。2.3日くらいなら大丈夫だし」
「あんた・・・いつから具合悪かったのよ?」
「うーん、やっぱり高校からの帰りかな?」
「帰り?」
凛はある疑問が浮かんだ。雨が降っているとは言え今は6月、寒さはないし久人は折り畳み傘を持っていたはず。
「あんた、傘持ってたんでしょ?」
直接聞いてみることにした。すると、
「え!?あ~、いや、まぁ」
煮え切らない返事が返ってきた。それを聞いた凛は玄関に走っていった。
自分のではない靴が濡れている。他にも玄関の床も濡れていた。
(あいつ・・・傘、なかったんだ。あたしに貸して、自分の分はあるって嘘までついて・・・)
今考えれば普通学校に折り畳み傘をストックしておくなんてあり得なかった。凛たちの学校は授業道具などを学校に置いておくことは禁止されている。
(まさか、あたしの・・・ために・・・・・・?)
「いーえ!!そんなわけ・・・ないわよ!!」
湧き上がる可能性をかぶりを振って追い払う。一度優しくされたから気持ちが揺らいでいるに違いない。
そう決めつけるや凛はコップに水を入れて久人の部屋に戻った。
「あ、水原さん」
「はい、水」
「あ、ありがとう!」
初めて見た凛の優しさに久人は身体中のだるさを感じながらも笑顔で返した。
コップにはストローも刺さっていて寝ている体勢でも水を飲めるように配慮がされていた。
「ね、ねぇ・・・」
「うん?」
「なんで、あたしに、傘貸してくれたの?」
「あ、ばれちゃった?」
「あんたの傘、なかったんでしょ?なのに、どうして?」
「理由なんてないよ、一応俺は兄だから、それだけ。あっ、強いて言うなら、可愛い妹を濡らすわけにはいかないからかな」
いつもはクールな久人が名一杯の明るさで冗談を言う。しかし凛は、
「な!?可愛くなんかなわよ!!」
本気で受け止めてしまった。
「あ、いや今のは・・・」
すぐに撤回しようとする久人だったが、凛は久人が飲み終えたコップを持って部屋のドアに向かって歩いていたので出来なかった。
「良いから寝てなさいよ!あたしが今なにか作ってきてあげるから」
「え?」
「何も食べてないんでしょ」
凛はそう言うとドアを閉めてキッチンへ向かった。
部屋に取り残された久人は瞬きを忘れるくらい驚いていた。
「少しは・・・認めてくれたのかな・・・」
認めてもらおうとは思っていない、久人は凛にそう言っていたが心のどこかではそれと真逆のことを思っていたのかもしれない。現に久人は今安心して眠りにつこうとしていた。だがその数秒後に、
どんがらがっしゃああんっっ!!!
「きゃーっ、ちょっと落としたぐらいで割れるんじゃないわよこの馬鹿コップっ!!」
キッチンのほうからガラスが盛大に割れる音と凛の悲鳴が立て続けにあがる。
「大丈夫・・・・・・なのか?」
※
「なによ、あいつが毎日楽勝でやってることがどうしてあたしにできないの!?」
久人が懸念していた通り、凛はキッチンで四苦八苦していた。
作ろうとしているのはお粥、ただのお粥だ。
しかし、ケータイで参照するレシピの内容は正直、ちんぷんかんぷんだったりする。
そもそも小さじ一杯だの大さじ三分の二だの言われてもどれが大さじでどれが小さじかもわからない。それでも「だいたいこのくらいかな?」を繰り返しなんとか完成にまでこぎつけたのだが--。
「これ、お粥・・・なのよね?」
いざ完成した料理を前にして、作った本人である凛自身が思わず疑問を口にする。
だがその気持ちもわからないではない。彼女の目の前の器に盛られた物体は、写真にある見本とはかけ離れたまさに"異物"であった。
ナマモノなんて入れてないのに、なぜか漂う魚介類的な生臭さ。
白米使用にも関わらずまるで黒米の如き漆黒の米粒と灰色の煮汁。
表面などぼこぼこと地獄の釜のように大きなあぶくが絶えず沸いている。
昔読んだ絵本に描かれていた、悪い魔女の煮込んでいた釜。目の前にあるのはまさしくそれの見事な再現だった。
「さすがにこれは食べさせちゃダメよね、ヒトとして」
とはいえ再チャレンジするにはもう夜も遅い。悔しいが自炊は断念し、コンビニで即席お粥でも買ってこようか--などと思案していると。
「あ・・・ごはん、できたんだ?」
いつの間にか起きていた久人がキッチンに顔を出した。
「やっ、こ、これはその・・・なによ、起きたなら起きたって言いなさいよ!」
慌てて異物兵器を隠す凛だが、彼女が隠さなくてはいけないのはそれだけではなかった。
「あ~・・・やっぱりなんか、すごいことになってるね」
キッチンを見回した久人が苦笑する。
無理もない。床には割れたコップにお皿、鍋は吹きこぼれ、レンジは焦げ付いている。
「色々にぎやかそうな音がしてたものね・・・と。とりあえず料理するときは換気扇回したほうがいいよ」
言いながら久人は換気扇の紐を引っ張る。旋回音がキッチンに響き、辺りに立ち込めていた不快臭が瞬く間に薄らいだ。
「で。ごはん作ってくれたんでしょ?」
久人は凛の脇を回って彼女が隠そうとしていた(自称)お粥を覗き見ていた。
「いや違うのよそれはっ、あのその・・・・・・」
あたふたしながら誤魔化そうとする凛だが、うまい言い訳が思い浮かばない。
「なにこれ、おこげ?」
おこげというかむしろコゲそのものよ、見りゃわかるでしょ!
・・・と逆ギレするわけにもいかず。さりとて、「いいえ、お粥です」と胸を張って言い切れるほど彼女も厚顔無恥ではない。
凛が口ごもっている間にも、久人は毒皿の前の椅子へと腰掛けてしまう。
「さて、もう食べてもいいのかな?」
「・・・味は、保証しないわよ」
味どころか命も保証できないのだが・・・しかし義兄は妹の許しに慣れない笑顔を向けて、
「それじゃ、いただきます」
小さく手を合わせてそう言うと、添えられたれんげを手に取り口へと運び始めた。
もぐもぐと咀嚼する青年は無言だった。それでも二さじ、三さじと食べること自体は中断しない。
「味は、どうなのよ?」
凛がたまりかねて聞いてみる。おいしいよ、そんな返事をちょっぴりだけ期待して。
「うん、正直まずい。米研いでないし、ビックリするほど焦げてるし。その上これ、おこげとは思えないぐらい味が違うし。もしかしてお粥?だったら塩と砂糖間違えてるよ、昭和のギャグみたい」
だが返ってきたのはびっくりするほどこっぴどいダメ出し。
「なっ・・じ、じゃあなんでたべてんのよっこのばかぁっ!!」
努力を馬鹿にされた凛は張り手の一つでも食らわせてやろうかと詰め寄るが。
「でも、料理作ってもらったのはすごく嬉しかった。ありがとう」
などと言われては、凛も握った拳をほどかざるを得ない。
「まあ、このあたしのお手製料理が食べれるなんて幸福以外の何物でもないわよね」
コイツに彼女なんてできたことなさそうだし、女の子の手料理なんて初めてに違いない。男なんて単純ね、と鼻で笑おうとした凛だったが、
「まぁね、誰かが自分のためにって料理してくれたことなんてなかったしね」
そんな彼女の目の前で、久人は口元にれんげを運びながらぽつりと呟く。
「あ・・・」
その何気ない一言に凛は返す言葉を失った。
(そうだ、こいつには母親が・・・)
「あ、今のなし!えっと、洗濯物溜まってるよね、俺が今片付けちゃうよ!」
口ごもる凛の反応を見た久人は、重い空気を払うように話題を変える。
「あ、あたしだって家事くらい、慣れさえすれば楽勝なんだから・・・そうよ、風邪が治ったらそーゆーの、あたしにちゃんと教えなさいよね」
「ああ、もちろん。手伝ってもらえると俺も助かるしね」
久人からの歓迎の意を示す言葉に凛は、
「だ、誰があんたを助けるなんて言ったのよ。早くこの家を出て一人暮らしするための練習なんだから!」
照れ隠しにそんな言葉を放つ。
「そう・・・出ていく、か・・・」
久人は少し表情を暗くさせた。
(そういえば、水原さんはどうして俺をそんなに毛嫌いしてるのかが、まだわからないんだよな)
親二人の紹介で会った時から少し気になっていた疑問。その前までは頻繁ではないが、普通に会話は出来ていたのだが、義兄妹になってからはなにかと久人に対して強く当たって来たり、無視したりなどという仕打ちをしていた。
「あのさ、水原さん」
その疑問を本人に聞いてみようと久人が口を開いたが。
「あ、あれ、また、景色が・・・回って・・・」
椅子から転げ落ちてしまった。
「ってきゃーっ!?ちゃんと休まないからよこのバカ!!」
久人は凛の言葉を最後に意識が遠のいていった...