第2話 義妹と暮らすことになった件
「いや~、そんなに驚いてくれるとは、隠しておいた甲斐があったというものだ。久人は相変わらず、冷静だがな」
満足気に笑っている父。
「本当にそうねぇ」
同じく満足気に微笑んでいる喜美子。いや、新しい母、と言うべきか。
「・・・・・・」
当の子どもたちは、親二人のむかいのソファーに隣り合って座っていた。久人は、目の前でイチャついてる両親から目を逸らしながら、凛との距離をできるだけとっていた。
さっきは、驚きで気が付かなかったが、私服の彼女を見たのはこれが初めてだった。だが、ジロジロ見るわけにもいかず、ただ無言でお茶を飲んでいた。
「なあに、久人は内心嬉しいだろ、こんな可愛い妹が出来たんだからな?」
息子の気も知らずに、ビール缶を片手に余計な質問をしてきた。
「いや、別に・・・」
「凛は、どう?こんな格好いいお兄ちゃんが出来て、嬉しいでしょ?」
久人が曖昧な返事をしたと見るや、今度は喜美子が実の娘に質問をする。
「うん!久人君とは、学校の席も隣同士だし。あたしたち、元々仲良いから、ね♪」
「は?いや、別に仲良くは・・・」
凛のよく分からない主張に反論しようと久人が口を開いた瞬間、久人の足の甲に重りが来る。
「ぐっ・・・!?」
何かと思い、足を見てみると、凛の足が自分の足の上に乗っていて、踵に体重をかけ、グリグリとドリルのようにえぐっていた。
「ん?そうだったのか?」
浩二は、久人からあまり学校のことは聞かないので、物珍しい様子で凛に聞き直した。
「そうなんですよ!休み時間になったら、よく二人で話したりしているんですよ!」
「違・・!?」
否定しようとした久人の足にまた、痛みが走る。
「なんだよ、久人、友達いるじゃないか!前に友人なんていらない、みたいなことを言ってたから心配してたんだぞ」
「だから、違っ・・・うぅ!?」
3度目の痛み。大体分かってきた。
(恐らく親に心配掛けたくないんだろうな・・・)
「ん?違うのか?」
浩二は久人が、言い淀んだことを、確認するかのように聞いてきた。
「いや、とっても・・・仲が・・良いよ・・・」
久人も、とりあえずは、凛に合わせておいた。
「これからもよろしくね、久人君!」
隣の少女は足を退けて、柔らかな笑みのまま、スッと手を差し出してきた。掌は小さく、健康的なピンク色の爪がとても美しい。
「あ、ああ・・・よろしく」
足の痛みから解放されて、ほっと胸を撫で下ろしつつ、その小さな掌を握る久人。
しかし、少女と手と手を繋いだその瞬間。
ぎゅうううううぅぅっっっ!!
「!?」
凛は、握手すると見せかけて、渾身の力で久人の手の甲に爪を突き立ててきた。
久人は、一瞬だけ痛みを表情に出したが、すぐに元に戻した。
大体の予想はついていた。彼女は、さっきから笑顔ではあるものの、目が全く笑っていなかった。
痛みに耐えている久人を前に両親は、
「いやあ、子どもたちが仲良くやっていけるか心配だったが、こりゃ一安心だな」
「ええ。これからは、四人家族で楽しくやっていきましょうね」
握手している息子たちを前にはしゃいでいた。
※
「ちょっと、待ちなさいよ!」
今夜から同居することになり、ただ、痛い目を見ただけの最悪の夕食の後。酔っぱらって寝室へと引き上げていった両親を見送り、自分も部屋に戻るかと廊下に出ようとしたところで久人は凛に呼び止められた。
「なに、水原さん?」
妹になったとはいえ、いきなり名前で呼ぶのも気まずいので、普段通り名字で呼びかけた。
「あたし、あなたが兄だなんて絶対認めないから」
「そう、じゃあ、お休み」
久人はまるで、闘牛士のように凛の否定発言をいなして、リビングから出ていこうとする。
「大体、なんであたしたち同級生なのに、あんたがお兄ちゃんで、あたしが妹なのよ!」
それを制止するように久人の前に立ち、めげずに食らいつく凛。
「それは、俺が6月25日生まれで、水原さんが次の年の3月2日生まれだからじゃない?」
久人は、冷静に正論を述べる。それが気に入らなかったのか、凛はさらに感情を表に出してきた。
「それでも、あたしは認めないから!ーーいい?ママには幸せになってほしいし、あんたのパパもいい人みたいだからこの結婚自体は認める。でも、久人、あんたがあたしの兄だなんて、あたしと家族だなんて、ぜぇぇったいに、み・と・め・ないんだからぁぁーーーーーッッッ!!」
酔って寝ている両親が起きてしまうのではというぐらいの大声で叫ぶ凛。
しかし、それに対して久人は、
「別に認めてもらおうと思ってないよ」
あくまで冷静に、そう返した。
※
翌朝、そんな二人の子どもに更なる苦難が待っていた。
「ちょっと、起きなさいよ!!」
どんどんどんっ!!
部屋のドアを激しく打つ音が、家中に響き渡る。
今日は、土曜日で今は7時。勿論、高校は休みである。
しかし、久人は平日も休日もいつも5時半には起きているので、
「なに?」
部屋の中から、普通にドアを開けて返事をした。パジャマ姿の凛は、まだ眠いらしく少し髪に若干の寝癖がついていた。
「なにじゃないわよっ・・・ちょっと来なさいよ!」
冷静な久人をよそに、凛は彼の手を握るのを一瞬、躊躇ったが、すぐに久人の手をしっかりと握り、引っ張っていった。
連れていかれた先はリビングだった。
「これ見なさいよ、これ!!」
そう言って凛はテーブルの上にあった一枚の紙を久人へと突きつける。
「『父さんと母さんは海外に出張してくるよ。夏休み明け前には帰って来るからそれまで二人仲良くやっていてくれ』・・・・・・これがどうかした?」
手紙をテーブルに戻しつつ、凛の方を見た。
「どうかしたって、あんた知ってたの!!」
普通に手紙を読んだ久人に対して、凛が驚きつつ質問する。
「まぁね」
これまた冷静に返される。
「まぁねって、てことは・・・約3ヵ月間もあんたと二人きりで生活しなきゃいけないの!?」
「しょうがないだろ、うちの稼ぎ手は父さんしかいないんだから」
そんな久人の言葉を無視して、凛は自分の部屋へと歩き出す。
「どこ行くの?」
「前の家に帰る!」
「あっ!まだ、前の家に住めるんだ」
「・・・・・・」
青年の指摘に凛の動きが止まる。
「?」
久人は疑問に感じた直後、凛がある事実を言う。
「明日には・・・新しい人が住む・・・」
その作戦は良いな、と久人は思ったものの、その考えは見事に打ち破られた。
少しの沈黙の後、久人が提案した。
「とりあえず、朝ごはん・・・食べる?」
久人の提案に賛成した少女をリビングに待たせ、久人はキッチンへ向かうと手早く朝食の用意をする。
「どうぞ」
十分足らずの間にテーブルには、白米、ウインナーにスクランブルエッグ、コーヒーが並んでいた。
「あんたの分は?」
テーブルにある料理は一人分の量しか並ばさっていなった。
それに疑問を持った凛が久人に聞くと?
「俺は朝ごはんを食べない派だから」
「え!? なんで自分は食べないのに作ったの?」
「水原さんも食べない派だった?」
「いや、そうじゃないけど・・・」
「じゃあ、作る理由は十分だよ」
凛の疑問に当たり前のように答える久人。それを聞いた凛は、少し驚いた。が、それを隠すように朝食を食べ始める。
「ふ、ふうん、味はまぁまぁね」
「それは良かった」
久人は朝食を食べている凛をぼんやりと見つめながら、このあとなにしようかなど他愛のないことを考えていると、
「今、変なこと想像してたでしょ・・・」
「は?」
いきなり、なんのことか分からない凛の一言に久人が聞き返した。
すると、
「だからぁ、あたしがウインナーを食べるのを見て、変な想像してたんでしょ!?」
顔を赤らめつつ語気を荒げて凛が吠える。
中学生か!?というのが久人の率直な感想だった。仮にも女子高生が朝からそんなことを口走るなんて。
「はぁ・・・」
久人は溜め息を盛大に漏らした。
「な、なによ!!」
「水原さん・・・」
「だから、なによ!!」
「そんなことを考えていないし、朝からそんなことを言うもんじゃないよ」
「う、うるさーいっっ!!」
久人の正論に凛は大喝で反論した。
「男なんて、みんな・・・ブツブツ・・・」
ブツブツとなにかを言いながら、凛は食器をキッチンに下げる。
「洗い物は俺がやっておくよ」
面白いな、と思いつつ義妹の機嫌を少しでもなおそうと、気を使った。
「ふん!」
それが肯定の返事なのか凛はすたすたと自分の部屋に戻っていった。
(なんで、あんなに嫌われてるんだ?全く身に覚えがないが、何かしたか俺?)
久人は、渇いた喉を潤そうとコーヒーを一口飲んで、あることに気づく。
凛に出したコーヒーが少しも減っていない。
「だから、中学生かって」
静かに突っ込みをいれた。
※
昼過ぎになって、久人は読書の途中で少し催しが込み上げてきたので、トイレに向かった。
(さっさと、スッキリして読書の続きをしよ)
――などと考えながらトイレのドアを開けると、可愛らしい先客がそこにいた。
「あ・・・・・・」
先客、そう、そこにいたのは洋式便座に腰掛けていた凛だった。
久人と凛は目が合うと、お互いに一時停止したように口を半開きにしたまま硬直した。
二人の距離はわずか50センチ程度。
この硬直を最初に破ったのは久人だった。
バァァァン!!
いち早く冷静を取り戻した久人はトイレのドアを物凄い勢いで閉めた。
「やらかしたな・・・」
リビングのソファーに座りながら、片手で頭を抱えていた。他の人よりクールとはいえ、彼も一人の一般男子高校生だ。
さすがに女子の素足を目撃したらそれなりに動揺する。
先程生まれて始めて生で見た女の子の脚の付け根が久人の頭のなかでフラッシュバックされる。
「て、何を考えてるんだ俺は!!」
彼は無理やり頭の思考を止めた。
と、そこに、
「何考えてんのよあんた!!」
どごっ!!
一応被害者である少女が渾身の蹴りを久人の背中にお見舞いする。
「ぐはっ!」
さすがの久人もこればかりは効いた。
「ちょっと待て!俺だけのせいではないだろ!」
長い間、男二人で生活してきた久人はトイレに入るのにノックをすることはほとんど無かった。
だが、それは凛も同じで女二人で過ごしてきたため、トイレで鍵を掛けるという行為はしたことはなかった。
「こぉの、ど変態っっ!!」
久人の弁解には耳を貸す様子もなく、ただ一方的に言い放った…。
※
トイレでの一件があったその日の夜、久人が作った夕飯を食べながら重苦しい空気が漂っていた。
(やっぱり、まだ気にしてんのかな?)
ちらっと凛の方に少し目を向ける。
久人はテレビはあまり見ない方なので普段の食事中はテレビの電源を消しているのだが今はつけている。理由としては気まずいからだ。
全く興味がないバラエティー番組も今はとても頼もしく感じる。さすがに食事中ずっと静かでいるのは耐えられない。
(て言っても、なにも話すこともないし、話す必要もないしな)
先に食事を終えた久人は、とりあえず自分の食器だけ洗うことにした。
そこに、凛がやって来た。それを認識した久人は、
「ありがとう、洗っておくから先にお風呂に入ってきていいよ」
当たり前のように凛から食器を受け取った。
「・・・」
凛は無言で風呂場の方に歩いていく。久人はそれを見送って洗い物を再開する。
--洗い物が終わり、リビングのソファーに座りながら読書をして凛が風呂からあがるのを待っていた。
少しして風呂場から人が出てくる音がして、それはリビングまで現れた。
「ねぇ」
「なに?」
凛の問いかけに久人は本を読みながら返事をする。
「・・・なんでもない」
「そう?じゃあ俺は風呂に入って寝るから」
(なんなんだ?)
よくわからない凛の態度に疑問を抱きつつも久人はリビングを後にした。
--久人がいなくなったリビングに一人残った凛は、ソファーに寝そべりながら義理の兄、久人のことを考えていた。
(あいつを認めるわけにはいかない、あいつは、あいつは、あたしを見捨てた人だ)
電車の中で初めて痴漢にあった凛はただ恐怖に怯えることしかできなかった。そこに自分の知っている人を見つけ、その人に対して全力でアイコンタクトを送った。たすけて、と。しかし希望はすぐに壊れた。目を逸らされた挙げ句に、明らかに凛が痴漢されていることに気付いてもなにもしてくれなかった。見捨てられたのだ。と凛は思った。久人のことは学校で話してみて結構優しい人だと凛は思っていた。言動は冷たいし、感情をあまり表に出す方でもない。でもよく人を見ていて気の利く人だと思った。
テストの日に筆記用具を忘れた凛はとても困っていた。そんなときに隣の席の久人はシャープペンシルと消ゴムを貸してくれた。凛はそれ以来久人と休み時間などで話すようになった。
(でも、あいつはあたしを見捨てたんだ。気付いていながらも・・・見捨てたんだ・・・)
少女は毎週欠かさず見ていたテレビドラマを途中で消して自分の部屋に戻っていった。テレビドラマの内容は全く頭に入っていなかった...