幸せの定規
エッセイ寄りの「詩」のつもり。
幸せの定規は誰もが違う長さ。
水を飲めることを幸せに感じる。
生きることを幸せに感じる。
それがあたりまえの私たちには分からない幸せの定義
私たちの幸せの定規は常に伸び続けている。
誰かに愛されたいとか、もっと上の地位に立ちたいとか。
集団での自分の存在意義をそのまま幸せと直結させる。
だけど、どうなろう。
アレが無ければ幸せじゃないって本当なの?
コレさえあれば本当に幸せなの?
幸せの定規でもっとも丁度良い長さは
曖昧な「なんとなく」の長さが一番なのかもしれない。
昔授業で聞いた先生の言葉が元ねた。
結構マジメ