俺が革命を起こしたりなんてしないっ! よんっ
都内の病院に運ばれた南波は、ベットで眠っていた。医者から話を聞いたところ、彼女は軽い過労らしく、すぐにでも帰れる状態のようだ。何でも、何日間も睡眠を取らなかったのが原因となったらしい。俺としても、今回は南波に依頼をし過ぎたかもしれないな、と思いつつも南波がどうしても書きたかったモノとは一体何なのかが気になり始めた。
医者に俺がサークル長を務めていると話したところ、怒られてしまった。医者いわく、女の子に過労させるまで働かせるのは、男としてもリーダーとしても失格らしい。そんな糾弾を受けた俺は、医者から逃げるように南波の眠るベットへと足を進ませた。
ベットに辿り着くと、先ほど睡眠不足・過労で倒れた南波だが、すぐに起き上がり漫画をひたすら書いていた。俺の存在に気付いた南波は、ネームを書く手を止めてニコッといつもの笑顔を放った。
「お疲れ様です、中谷さん」
「お疲れって……お前なぁ……」
どっちがお疲れ様だよ。と思いながら、俺は後頭部の髪の毛を弄った。
倒れてから、ここまで来るのに数時間。恐らくそんなに眠っていないのに、南波の目元からはクマが抜けて、すっかり元気に見えた。しかし、それは単なるやせ我慢なのかもしれない。俺や姉のような常人を越えて怪人とまで言われている人間ならともかく、南波のような普通の女の子は、再び倒れてしまうかもしれない。今日だけは、漫画を取り上げた方がいいかもしれないと思った。
いや、今日だけじゃない。普段大人しい南波がここまで真剣になっている事が珍しい。今書いてるモノが毒ならば抜いてあげるのが、俺の本当の意味での仕事なのかもしれない。
「ん? どうかしましたか?」
「いや、ネームは完成したのか?」
「あ、はい」
そう言って、俺にネームを提出する南波。ちょうど書き終わったのか、手元にあったモノを手渡される。
鉛筆で熱心に書きあげられたネームは既にネームの域を超えていた。絵の丁寧さはさることながら、このネームは通常提出される原稿よりも熱がこもっている気がした。
このサークルを運営してから数年。ここまで鬼気迫るようなネームを見たのは初めてだろう。なおかつ、会話のテンポ、表現、主人公の片想いの描写などが鮮明に描かれている。文句などある筈がなく、この俺ですら息を飲まされた。
軽く読んでから数分が経過し、俺はネームを綺麗にまとめて南波に返す。
「……どうでしたか?」
ここまでのネームを書きあげて何を不安がっているのだろうか。そんな疑問が喉まで出かかったが、俺は口を開いた。
「良かった。恋愛を経験してないくせにって言ったが、しっかりと構成されていた。なんと言っても、藤本自身が伝えたい事がハッキリと読みとれたよ」
「あ、ありがとうございます!」
「だがな、今からじゃ原稿を書くなんて無理だ。諦めろ」
俺は背を向けながら、南波に言い放った。きっとショックを受けた顔をしてるのだろう。しかし、俺からすれば、どんなに素晴らしいモノを書こうとも時間を守れないのならボツだ。それは俺自身のモットーでもあるし、サークル全体のルールのようなモノでもある。
これを聞いた南波は泣いてるだろう。そう思いながら、俺は部屋から出る扉に手をかけた。しかし。
「私は諦めません!」
「ふざけるな。この血会のルールを忘れたのか!」
「忘れてません! それに、今日倒れてさえいなければ、しっかり書けてた自信があります! だから、お願いします!」
熱意に満ちた叫びを上げた南波。こんな彼女に俺はサークル長として言葉をかけるべきなのか。それとも一個人――――中谷 満という一人の読者としての意見を言うべきなのか迷った。
だから、逃げるようにドアノブを捻りながら、扉を開けた。
「……一個人――――藤本 南波のファンとしては……それを読みたいかな」
それだけ言って俺は部屋から退出した。締めたばかりの扉に背を預けながら、俺はサークル長としてダメな意見だったな、と思いながら目元を片手で覆った。
◇
夏のコミックマーケット当日。
南波は万全の体調だった。というのも、本当に締めきりまでにキッチリ原稿を上げて、持ってきたのだ。俺としては見事だと褒めてやりたかったが、既に仕事スイッチが入ってた為、南波を叱るハメになった。
それから、南波の漫画を読ませてもらった。感想は面白かった。しかし、ネームから原稿になるにあたり、アシスタントが手を加えたせいなのか、南波自身が何を伝えたいのか、ネームの時よりも落ちた気がする。
「いよいよですね! 中谷さん!」
「ああ、オタク共はすぐそこに構えている。今年も俺らの作品を全部売りさばくぞ!」
『おー!』
血会は今日も一致団結していた。総勢五百名のスタッフは全員お揃いのTシャツを着て、販売ブースに各自準備する。
そして、開幕となり、大勢のオタク達が一斉に走りながら俺らのブースへとやってきた。もちろん、俺らのだけでなく他のブースへと走る者もいるが、俺らの元へ来るのが半分くらいだろう。
しかし、油断は許されない。俺らの元へ来た半分のオタク以外の者はどこへと向かうのか。それは姉が従える会社のブースだ。あそこが俺――――いや、俺達のライバルなのだ。目標は姉に勝つ事。例年二回ずつあるこの大会にて、俺は過去全敗だ。もちろん、全ての商品を売っているのだが、どうしても売り上げが姉には勝てないのだ。
だからといって、値段を引き上げるわけにはいかないし、これ以上在庫を増やしても仕方がなかった。それ故に、俺らは必然的に売る作品を増やさなければいけなかった。今回は、南波が頑張ってくれた分、少し売るモノがまだ多いと思う。
開幕十分。
俺の考案した作品は完売となった。
「本日の血会のゲームは売り切れとなりました! 明日また御来店ください!」
スタッフの声が響く。俺達は固い握手を交わして、盛大に雄たけびを上げた。何回この感触を味わっても慣れるものではなく、毎年少しずつ嬉しさが増すものだった。
ゲームのメディアミックスは完売。俺達は目玉商品をすぐに売り払った。
そこに、姉から連絡が来る。
『もしもし? 満?』
「おう、姉貴か! 俺らのゲームは完売だぜ!」
『は? 何言ってんの? 遅過ぎでしょ。あたしんとこは五分よ』
「……五分だと!? 待て! メディアミックスはどうなったんだよ!」
『同時購入されるから、当然五分よ』
「な、なん……だとっ!?」
姉の方も凄まじい人気のようだった。今回のコミケ。早くも敗退の匂いが漂ってきた。肩をガックリと落とした俺の姿を目に入れた仲間達は、様子から察したのか、「相変わらず、中谷さんのお姉さんは強敵のようだな……」と生唾を飲み込みながら、呟いていた。
そんな中、俺はふと南波の方へと視線を変えた。
俺は目を見開いた。それだけ驚いたのだ。
――――藤本の書いた漫画がまだ一冊も売れてないだと!?
過去、俺が依頼した作品を全て秒で売った、もう一人の伝説。それが藤本 南波の異名だった。それこそ、今回依頼した作品の二つは既に煙のように消えてしまっている。それ故に、山積みになった南波オリジナル作品に目を惹かれてしまった。
だが、南波からは俯くも、落ち込んでいる様子は微塵も感じられなかった。それは自信や意地などの類ではない。何かを達成しきったかのような顔だった。その様子を察するに、南波は既に俺の依頼した作品を完成させる事に満足したのだろうかと思いたくなる。
――――いや、書ききっただけで満足なのかもしれないな。
結局その日は、南波のオリジナル作品は十冊しか売れず、血会初の売れ残りが発生した。その事を叱る事もできず、ただ同輩達が南波を心配していたところ、彼女は「全然大丈夫だよ」と言っていた。
そんな次の日。
南波の作品はバカ売れ状態になった。俺らの作成したゲームよりもだ。
昨日買った読者がツイッターなどで呟いた効果でもあったのかと考えたくなった。後日調べたところ、南波の作品を読んだ十人のオタク(女性)が、有名人で、その方々がブログなどで紹介し、巷で名前を知らしめたのだ。
一日にして、南波はその伝説を磨いたのだ。俺らメンバーも大変驚いた。
恐らく南波には、この結果が見えていたのだろうか。
いや、違う。きっと南波は書いた事自体に満足していた筈だ。そんな南波の熱意がオタク達にも伝わったのかもしれなかった。
◇
コミケは終了し、後一歩で俺は姉に勝てなかった。やはり、俺の姉は最強なのだ。というよりも最早名前だけで売れている節がある。なのに彼女の作品は叩かれない。完全無欠の天才美少女っとまで言われ始めた。
なんてことない。完全無欠の天才美少女は俺の妹だけどな。
飲み会にて、お疲れ会をする血会メンバー。
事務所にて、大勢のメンバー達が酒盛りをする中、俺の隣に南波が座ってきた。
「売れて良かったな」
「はい、本当は売れなくてちょっと落ち込みましたよ~」
そう言う南波の顔は笑っていた。あの時、落ち込んでいる風には見えなかった。多分、冗談みたいなものなのだろうと俺は思った。あれから、南波の書いた漫画はネットで大ブームを起こし、俺らのサークルにアニメ化や出版社からのお誘いが来ていたのはまた別の話だ。
いくらか南波が近くに寄りそっている気がしていたが、多分酔っぱらっているせいだろうと俺は思った。そんな中、幹部の君島が俺に向けてマイクを手渡してきた。
「なんだよ」
「いや~今回もお疲れ様でしたね! 中谷さん!」
「まぁな」
「で、少し聞きたいんですが、今回の作品のヒロインは一体どこの誰をモデルにしたんですか? 我がサークルではその話に関してで持ち切りですよ? 何でも、そのヒロインに対する熱の入り具合が、普段の中谷さんっぽくないって言う話なんですけど」
熱が入り具合と言われて思い出すと、今回のゲームに関して確かに俺は指摘した事が多かった気がする。まぁそれも当然、俺の妹をモチーフにしているのだから、ちょっとでも誤差があったら指摘するだろう。これをシュミレーションにして、本人を落とすのだから。
君島の茶々に俺は笑ってごまかす事にした。
「企業秘密だ」
それだけ言うと、君島は「え~」と言いながら、今度は別の人にインタビューし始めた。彼はジャーナリストにでもなるつもりなのだろうか。
皆の注目が逸れた所で、南波は俺の肩を軽くつついた。
「どうした?」
「あ、あの。中谷さんってその人の事が、そ、その……好きなんですか?」
南波が遠慮しながら聞いてきた。もっともその人とは企業秘密だと言った美樹の事だ。南波には、この夏コミが終わったら俺の好きな人の事を教える事になっていた。なので、俺は躊躇わずに言った。
「ああ、好きだよ」
そう言うと、南波は「そうなんですね……ちょっと、トイレに行ってきます」と言って、俺の前から去っていった。
これにて、中谷 満の妹への愛を語るは、終わりです。
次は、黒樹 麗の『私が海でコンテストを飾ったりしないっ!』を掲載予定です。




