俺が革命を起こしたりなんてしないっ! にっ
デスクにて仕事をこなしていく俺――――中谷 満。この日の作業は、今まで放置していた所得などに関する書類の処理である。先日までの作業のせいで、ここの所サークル運営に関する事の仕事をこなすのを忘れていた。しかも、昨日やろうと思っていた事も、姉貴のせいで俺は気を失って朝になってしまったわけだ。この分の仕事も今日終わらせなければいけない。
富士山の如く溜まった書類を片っ端から片付けていく。俺はそこら辺の処理は、元々のIQが高いからか、すぐに終わらせる事なんてできる。恐らく就活において、かなりのプラス評価に繋がる頭脳だろう。
しかし、俺ごときのIQでは姉貴には到底勝てない。あの人は尋常じゃないほどの頭の回転力を持っているし、それだけではなく全てにおいてセンスを持っている。この世で秀でているモノが二つあれば、億万長者になれると言われているのに、彼女は三つも四つも――――多くの秀でたモノを持っている。その気になれば億万長者どころか兆万長者になれるだろう。
そんな事はどうでもいい。俺のデスクが綺麗になった事で、露わになったモノがいくつかある。
それはネームだ。ネームとは、主に漫画を作成する為に下書き・ラフ画で構成される、話の構成や展開などを簡単な絵で記されたものだ。今あるネームの数はざっと百種類以上。どちらかというと書類の処理よりも、こういった事の確認・アドバイスを書き込む事の方が疲れる。
全てを見終わってから、俺はネームを全て持って漫画部屋に持っていく。
「えーっと、このド恋愛モノを書いた奴は誰だ?」
多くの作業をしている人物達が、俺に視線を向ける。大体こういった事に関して、皆敏感になっているので、怒られるとでも思っているのだろう。大概そうなのだが、今日だけは違う。
恋愛モノというのは、オタクには受けづらいのだ。普通の純愛ができれば、オタクだって苦労しないのだ。皆、人の目などを避けるようにして育った人間なのだ。それを批判するような漫画――――リア充モノの作品は完全に喧嘩を売るモノだと俺は判断した。
いくら、血会が多くのオタクに認められているサークルだとしても、決して手抜きは許されないし、期待にもこたえなければならない。
今、漫画家の卵達が仲間同士で視線を合わせている。そんな中、今朝会った南波が片手を高々と上げて席を立った。
「多分、私です」
「藤本さんか……って、これで三作品めじゃないか!?」
「はい。どうしても、私はそれも書きたいんです」
「そうはいってもな……」
事実今朝のも恋愛モノだった。今朝のは弟系の主人公に恋をするお姉ちゃん系ヒロインという、ちょっとした異色な恋愛コメディだった。それがまた新鮮で俺からしたら面白かった。だが、次なる作品は、ただの漫画家の女の子が主人公で、仕事ができるイケメンに恋をするという話だった。
俺としては捻りを入れて欲しいのだが、なんの変哲もないただの恋愛漫画だった。それだと、夏コミなどのイベントで売る必要があるのだろうかという意見を貰う可能性がある。それにイベントは完全に男性のオタクが多いから売れる可能性など低いだろう。売れるのは女子だけ――――それも普通の。
それだと趣向が違うと言われる。
「却下だ」
「え……」
「そもそも藤本さんには既にニ作をお願いしている。そっちの方の原稿の完成が優先だし、君にはそういう作品を書く力は、ないと俺は思ってる」
「…………」
「それに、こういった恋愛は、自分がキチンとした恋愛をしてからじゃないと書けない。恋への発展も葛藤もその辛さすらも、作者本人が味わなければ、その先なんて絶対に書けない。藤本さん自体の経験にならないと思うぞ」
「で、でも…………」
「ちゃんとした恋愛をしてからの話だ。それができたら、また書いてみても良いんじゃないか」
「…………」
南波は視線を足元に向けたまま、首を一回だけ頷けた。その姿は完全に親に怒られた子供みたいだった。けれど、言う事はハッキリ言っておかないと、夏コミに来てくれるお客さんに「つまらない」と言われてサークル自体の信頼を失う危険性もある。俺らは事実、姉貴という敵がいなければ天下を取るサークルなのだ。そこら辺の弱小なサークルじゃない。
それをキチンと肝に命じてもらわないと困るのだ。でなければ、やめて他のサークルに行ってもらっても構わない。
やりたい仕事があるのなら、そこですればいい。俺らのサークルは楽しむだけにあるのではない。皆と協力して、いつも大ヒットを作る気持ちで一丸となって完成させ、完売させるのが教訓のようなものなのだ。
それに書きたいモノが書かせてもらえない、というのは、とても愚かな事なのだ。自分が無力だというのを照明しているようなモノなのだ。書きたいモノが書かせてもらえない――――それは、作者のエゴでしかない。読者にしてみれば、駄作を自分では名作だと思い込んでいるだけだ。
俺は漫画家の部屋を出ようとすると、腕を掴まれた。いきなり手錠にでも掛けられたかのような力に背中を少しピクっと動かしてしまった。それを隠すように、すぐに振り向くと、そこには俺の腕を掴んだ南波がいた。俺の事をしっかり余すことなく凝視し、睨んでいるようにも見えるし、泣きそうにも見えた。何が言いたいのか分かった。
溜息を吐いて、南波に笑顔を向けた。
「……悔しかったら、現実にも目を向けるんだ」
「違います! 私だって……私だってちゃんと恋ぐらいしてますっ!」
叫んだ南波。その声が漫画家室に広がり皆の耳に届いた。今まで集中していたメンバー達も、普段大声を出さない南波のボリュームの高い声を聞いて驚いてしまったようだ。
南波はすぐにハッと我に返り、あたりにいる人達に頭を下げ始めた。サークル創設者の俺には、そこまで強気に出るのに仲間には下手なんだなと心の隅っこで思った。
それからすぐに俺に向き直った。
「……なら、ちゃんと漫画に描いて見せろ。別に藤本がどういう恋愛をしてるのか興味なんて微塵もない。けれど、してると証明する為にも俺を納得させるモノを提示するんだな。話はそれからだ」
「はい。分かりました。では、ネームを改良しますので出来上がったら、拝見の方をお願いします」
「ああ、だが、それを書く条件として――――」
「先に二作品の原稿を上げる事くらいわかってます」
「ならいい。頑張れ」
それだけ告げて、俺は部屋を出た。扉を閉めてから俺は背中を扉にゆっくりと預け、安堵の溜息を漏らした。
こういった争いは本来、このサークルには少ない。というのも和気藹々がモットーであるのが、このサークルの良いところでもあるからだ。もちろん、俺も言動は厳しいかもしれないけど、サークル外では基本的に口調は厳しくない。というか、ユルイかもしれない。
このサークルは俺の夢でもあるんだ。だから、アイデアは遊びかもしれないが、作業は本気だ。売れる売れないも本気だ。このサークルはビジネスなのだ。大学生の俺らにしたら、ちょっとした就職活動でもある。
それに、夏コミの締切まで時間がないせいもあるかもしれない。
「……さて、藤本は完成させられるのかな……」
俺は呟きながら、自分の部屋に入ってデスクにあるネームなどを確認する作業に入った。
◇
「お疲れさん」
明日は俺も大学に行かなければいけない日なので、今日は終電には乗らなくてはならない。作業をしている人達に挨拶し、俺は自宅へと帰ろうとする。基本的に作業をする人間もいるので、ビルは出入り自由である。ちゃんと警備員がいるから、盗作などのセキュリティは万全である。
ずっと作業していたからか、小腹が妙に空いたのだが、帰ったら美樹もいるし、どうせ母さんが飯を作ってくれているだろうと思い、飲食店を素通りしていく。
駅のホームにて電車を待つと、液晶テレビが丸々入りそうな紙袋を下げた南波が、同じ方向へと行く電車を待っていた。
「お疲れさん、藤本さん」
「あ、お疲れ様です。中谷さん」
「さっきはゴメンね。あんなキツイ事言っちゃってさ。さすがにこの年だし恋愛したことがないってのは、ないよね」
「いえ……別に気にしていませんよ」
と言いつつも、彼女の顔は明らかにさっき怒られたからか、気まずそうである。俺が撒いたタネが進行しているようだ。
自分で恋愛したことがないよねって言っておきながら、俺は恋愛なんて今までしたことがなかった。ここ最近までは。
今までモテなかったわけじゃない。それこそバレンタインデーには、紙袋を用意しなければ帰れなかったくらいだ。だけど、不思議と性には興味がなかったのだ。可愛いと思う芸能人もいるし、同級生もいる。だが、恋人にしてエッチな事をしたり、どこかに行きたいか問われれば、別にと答えると思う。それが俺――――――満なのだ。
それを全て覆す女の子。その子を俺は今求めてる。もちろん、一つ屋根の下に住んでいる美樹の事だけど。彼女は最強だ。全てを持っているし、俺の扱いも分かっている。まさに天使――――いや女神か。
「中谷さん? 顔が凄いだらしない事になっていますよ?」
「え? あ、ああ。すまない。ちょっと、今日の夜ご飯楽しみだなって思って」
「まだご飯食べてないんですね」
「まぁな。俺も藤本さんと同じくらいは忙しいしな」
「じゃ、じゃあ、どこかで食べていきませんか?」
恥ずかしそうに、ご飯の誘いをする南波。しかし、俺は帰ったら、食卓のテーブルについて、母と話しているであろう美樹を見ながら白米を三倍食べるという楽しみがあるんだ。
「いや、今も言ったけど、家で食べたいから」
「そ、そうですよね! わ、私も楽しみだって中谷さんが言ってるのにバカだな~……」
「まぁ、気遣いだけは、貰っとくよ」
それから電車が来る。俺は山手線で、彼女は京浜東北線のようだ。という事は必然的に田端駅にて別れるのだ。
別々の電車に俺たちは乗った。
そこで、俺はまた腕を掴まれた。
「何?」
「あ、あの……も、もし、私の原稿が完成したら、一番に見てもらいたいんです」
「俺が委託したのは、そうする予定だ」
「違います! 今回、書くほうです」
「あー、分かったよ。じゃあ、一番に見せてよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
そういって彼女は京浜東北線の電車に乗った。
俺はなんで、却下した相手に却下されそうになった漫画を見せたいのか疑問に思いながら、家路に着いた。




