手紙
俺は膝立ちになって病室に呆然とする。目前には大泣き状態の瑠花。唖然としている雅紀。そして重蔵。皆、言葉が出ない。もちろん、俺も声なんて出なかった。
――――そう。雅史は死んだ。
不意に涙が出そうになるが、必死に堪える。今は幹なのだ。男の俺が泣いたら不自然……じゃないかもしれないが、だが、大声をあげて泣くような真似はしたくなかった。これ以上堪えられない。そう思ったときは涙が片目から流れていた。
俺は膝を床に着けていた状態から、立ちあがり雅史の顔を伺う為に仕切りになっていたカーテンをめくった。
安らかに、気持ち良さそうに眠っていた。それも静かに。今にでも起きてきそうだった。それこそ、目が覚めてから俺に「どうしたの?」と声をかけてほしかった。
そんな中、瑠花と雅紀が俺へと視線を向ける。
「君は……?」
「……俺は中谷 幹です。この人の彼女だった谷中 美樹の従兄です」
そう言うと、瑠花と雅紀は「ああ」とだけ呟いて視線を雅史に戻した。俺がまさか美樹だとは微塵も思ってないだろう。その証拠に、瑠花は雅史に抱きついている。その様子を複雑な心境で見つめながら、俺は踵を返そうとした。
だが、肩をいきなり掴まれる。
もうダメなのだ。俺はこれ以上、ここにいたら泣いてしまう。
振り向けば、俺を引きとめたのは重蔵だという事に気付いた。白髪頭の色素は雅史の事があったからか、更に抜け落ちて疲れ果てている。
彼は俺を見て、目を細めながら溜息を吐いた。
「君が、君が幹君なんだね……」
「はい」
「そうか……悪い。君には話したい事が沢山あるんだが……済まない……」
「…………」
重蔵の瞳からも涙が流れていた。こんな光景を俺は見たかったんじゃない。まだ元気な雅史が見たかったんだ。彼に俺は何も言えてない。何もしてあげられてない。なのに、雅史は俺に沢山の事を教えてくれた。なのになのに……。
こんな事を考えてたら、見っともなく泣いてしまう。すぐに帰ろうとした時に、再び重蔵に呼び止められる。
「待ってくれ。実は、君にお願いしたい事があるんだ」
「……はい」
「これを……雅史の彼女に渡してはくれないか?」
それは手紙だった。白い封筒に入った一通の手紙。何の変哲もない所が雅史らしい。俺はその手紙を見て、目を見開いてしまった。まさか、ずっと拒み続けてきた俺に手紙をくれるだなんて思ってもいなかった。
俺は首を頷けさせた。
「分かりました」
「……ごめんよ。頼む」
白髪の重蔵は頭を下げた。俺はそんな重蔵を見てるのが辛くて、病室を出た。早く出たかった。でなければ涙腺は崩壊する。
俺は早速神社へと戻り、神社の美樹にお願いして姿を戻してもらった。
それから何時間経ったのだろう。
気づけば私は眠っていた。
きっと自宅に知らない間に帰っていたのだろう。
手元には重蔵に貰った手紙。これはきっと雅史が私に宛てて書いた物に違いなかった。最後まで拒み続けたわりには、手紙を書いててくれていた。一体、彼が何を思って私を拒み、手紙を書いたのかが理解できない。
それでも、綺麗に封筒を破いて、中から現れた手紙を見つける。私はそれを見る事にした。
『美樹さんへ。
最初に謝っておきます。ごめんなさい。僕は僕による勝手な事情だけで美樹さんを遠ざけていました。僕の病名は急性白血病。不治の病だったんです。本当は薬を飲めば何ヶ月かは生きられました。だけど、僕は薬を飲む事を嫌がって早く死にました。だって、長く生きればもっと死ぬのが怖くなると思ったからです。今思えば、それは本当に愚かな事だったなと感じています。申告されたのはちょうど一ヶ月くらい前。学校の帰りのHRで美樹さんに告白しようとした前日でした。あの時、僕は医者に抗がん剤を飲めば何ヶ月かは生きられると言われ断りました。そして、残りの人生で大好きで憧れだった美樹さんに告白すると決めたんです。
もちろん、先生に流された事は心が折れそうになりました。でも、その後美樹さんは図書室に来て勉強するようになりました。あの時間を忘れても勉強する美樹さんの姿は今も忘れられません。強く心に残っています。だって、大好きな人が僕の目の前で必死に何かに打ち込んでるんですから。初めて図書室に来たあの日。僕は美樹さんの胸を触って、お詫びに食事を御馳走する事になって本当に嬉しかった。本当に夢のような時間だったんです。それから美樹さんは毎日僕と話をしてくれて……お弁当まで作ってくれて本当に幸せだった。家に遊びに来てくれた時なんて、もう死ぬんじゃないかなって思ったくらいでした。
それから、瑠花と美樹さんの両方の告白を受けて、僕は瑠花に君は幼馴染としてしか好きじゃない。本当にそう答えたんです。瑠花には悪いと思っていました。けど、これは本当に自分の気持ちだったから、そう言ったんです。それに、僕は大好きな美樹さんを泣かせてしまった。だから、どうしても泣き止んでいつもの笑顔に戻って欲しくて、それで思い切って告白したら、美樹さんも僕の事好きで――――本当に死ぬほど嬉しかった。キスをした時はもう死んでいいとさえ思いました。
付き合ってからは検査で中々会えなくて、メールもできなくて僕は本当に美樹さんからの返事を楽しみにしていました。だって本当に大好きだったから。美樹さんも逆にメールは毎日してくれて、彼女も僕の事を愛してくれてるっていう自信が持てて、それだけでも生きてる毎日が楽しかった。
デートでは、プールに行って、美樹さんのお姉さんと黒樹さんと遊んだりして本当に楽しかった。チンピラに絡まれたときは、ちょっとびっくりしたけど、美樹さんを守る為にはちゃんと男らしくしなきゃって思いました。
後は動物園デート。あの時は本当にゴメンなさい。僕もちょっぴり美樹さんと一緒で、なんで瑠花がついてくるのか分からなくてイライラしてたんです。それを美樹さんに当てちゃって……。本当は僕も二人っきりが良かった。だって折角のデートだったし、僕の余命もあと少しだってそのとき知っていたんだ。
医者に僕は聞いたんだ。今からでも薬飲んだら、延命できますか? って。そしたら、もうダメって言われて僕はやっぱり後悔しました。僕の人生は美樹さん恋人になった事で劇的に変わって、全てが綺麗な色に染まったかのようだった。だから、名残惜しくなった。
最後の夏祭りデート。あれも楽しかった。美樹さんのチョコバナナの食べ方と言ったらエロかった。皆釘つけだったけど、こんな綺麗で可愛い人が僕の彼女なんだなって思ったら、なんだか胸があったまりました。
その時に気付いたんです。あ、もうすぐ、御迎えが来るなって。その時までには美樹さんと別れようって思ってたんです。だけど、結局言いだせなくて。好き過ぎる気持ちは次第に人の思いを変えていくんだなって感じました。それだけの魅力が美樹さんにはあるんです。急熱を出して美樹さんは看病してくれたね。少しエッチな事もしちゃったけど、あの時の美樹さんの顔は忘れられない。本気で心配してくれた美樹さんは何でも任せられた。僕の事をこのまま見送ってくれるのかもしれないとも思ったよ。
それから会う事はなく。僕はひたすらベットの上でこれを書いています。もう、ペンが握れないので、兄に書いてもらってたんです。これを書きながら兄は「雅史泣いてるぞ」と何回もおちょくってきます。良い兄貴を持って幸せです。
会うのを拒んだ理由ですが、それは美樹さんに悪いからです。最後に会ってしまえば、お互いに行く人送る人で苦しくなると分かったのです。僕も出来る事なら美樹さんの前で泣きたくないし、美樹さんも僕の前では泣きたくなかったと思います。
でも、最後に写真だけっていうのは寂しいものだね。
最後に、最愛の人――谷中 美樹さん。僕と付き合ってくれて、ありがとうございました。僕は本当に世界一の幸せ者で天国へ旅立ちます。
岸本 雅史』
全てを読み終えると、手紙は水滴に濡れて読みにくくなっていた。最後の行だけ雅史が書いたのだろう。病気で手の神経がなくなりながらも、必死に書いた文字だった。
思えば雅史とは入学式のときからはじまっていた。彼に文芸部に入らないかと誘われていた。それを断った事を今さらのように深く反省している。
私は枕に顔を埋めて、瞳から止まらぬ涙を染み込ませる。
「雅史さん……ッ! 雅史さん……。何で……何で最後でも、最後でもこんな事……言葉で伝えてくれればいいのにッ!」
私は自分自身の力で会いに行けなかった事を呪った。
何が美少女だ!
何が彼女だ!
こんな事になるんだったら、最初から恋なんてしなければ良かったんだ!
私は手紙を床へと放り投げる。すると、瞳に「最愛の人――――谷中 美樹さん」と書かれた文面が入った。
――――無理。恋しないなんて無理に決まってる。だって好きになってしまったんだもん。
顔を上げて、窓を開け、空を見つめる。
窓の外は曇りから雨に変わっていた。
私は空の向こうにもしかしたら雅史がいるのかもしれないと思い、窓に足をかけようとした。しかし、背後から何者かが現れて私を抱きしめた。
「ダメだ! 美樹ッ! 死んでどうするだ!」
「麗……? ……私が死んだら雅史さんと一緒に――――」
「なれると思うな! 美樹。そんな事をしたら、私は絶対に許さない」
「……じゃあ、麗が雅史さんの代わりになれるんですか!? あなたが私の雅史さんになってくれるんですか!?」
もう、雅史を失った事による心の崩壊で誰に何を当てればいいのか分からなくなっていた。
だが、麗は静かに瞳を閉じて、私から離れる。
「……岸本の代わりになる事はできない――――」
「ですよね? ならそんな上から言わないでくださ――――」
「でも、美樹の隣にいる事はできる」
麗は真剣な瞳で私を貫く。
「私はいなくなったりしないし、ずっと美樹の隣にもいれる。私は美樹が望むのなら死ぬ事もできるし、なんなら誰かを殺す事もできる。だから……」
麗の瞳から涙が零れる。
「死ぬなんて軽々しく言うなぁぁぁ……私達も辛いんだ……」
私は泣いてる麗を抱きしめる。自分の愚かさを感じた。
――――そうだ。麗だって雅史とは友人だったんだ。友人が死んで辛くない者なんていないんだ。
「……もう……誰かを失うのは嫌だよぉ……」
「……麗……」
母を亡くした麗は、人が死ぬ事に敏感なのだろう。
私はギュッと力強く麗を抱きしめた。
それから、一度顔を離し、麗と私はキスをした。




