神の姉妹
雲が漂う神社。前回来た時は、お正月だったからか。多くの参拝客達がいた事を覚えている。だが今は違って、あの日。私の願いを成就させた神が目の前にいる。その人は私の顎に手を添えながら、まるで美味しそうなトマトでも眺めるかのような目つきで私の反応を楽しもうとしていた。
けれど、過去の自分は捨てたのだ。私は、もう中谷 幹じゃない。松丘総合高等学校一年B組で美人部副部長で岸本 雅史という彼氏を持った谷中 美樹なのだ。それはもう紛れもない事実であり、私の人生なのだ。
表情を何一つ変えない私をつまらなく思ったのか。幹は顎から手を離して踵を返した。
「で、僕を追いかけてきて何か用でもあったの? まさか、今さら姿交換の事について聞きにきたわけじゃないよね?」
「もちろんです。私はあなたならできるんじゃないかと思っただけです」
「ほぅ……今度は何をお願いする気だ」
賽銭箱の上に、もう一度腰をかけた幹は不敵に微笑みながら私を見据える。恐らく私の心の中なんて筒抜けなのだろうけど、この際気にしない。彼女――いや彼は、神なのだ。つまるところ、人の生死にも携わる事ができるのではないかと考えたのだ。
私は財布を出して、千円札を抜き取った。それを賽銭箱の中に投じようとした時。幹の目の色が変わった。
「待て。早まるな」
「何でですか? 神様にお願いする時は御金を入れてからじゃないんですか?」
「いや、そうなのだが、実際は少し違う。だが、そうではないのだ。お前の願いは分かっている」
「……なら――――」
「だが、僕には無理だ」
なんて言ったか分からなかった。神様に無理はないでしょう。私は半笑いになって、彼を見つめた。
「なんて言ったんですか?」
「だから、僕には無理なんだ。君がどれほど何を願いたいのかはハッキリと分かっている。だけど、無理だ。人の生死を操るのは神でもできないんだ」
「で、でも、私と神様は身体を入れ替えたんですよね? そんな所業ができるのなら――――」
「それも正確には違う。君と僕は入れ替わったんじゃない」
「え? どういう事ですか……?」
はぁーっと深い溜息を吐いた幹は、こちらをジロッと睨んできた。だが、その瞳に悪意や敵意などは感じられない。真実を話そう。そう言ってるようにしか聞こえなかったのだ。
彼は頭をくしゃくしゃと掻き分けて、私に向けて口を開いた。
「僕が男になりたかったというのは本当さ。でも、君と入れ替わったわけじゃない。という事はどういう事か。それはね」
「…………」
幹は一拍置く。
私は生唾を飲んで彼の言葉を待つ。
「君は元々は女の子だったのさ。それも一歳児まではね」
「え…………」
絶句した。元から女の子? それってどういう意味なんだろうか。私は元は幹っていう名前で最初から男の子だったんじゃ……。
頭の中が混乱する中、幹は再び賽銭箱を降りて、私から視線を逸らして腕組をする。
「信じられないって顔だね」
「……はい」
「じゃあ、教えてあげるよ。君の過去を」
「私の……過去……?」
「うん。君は既に岸本 重蔵っていう人物とコンタクトがあるから、あらすじの中間は知ってるね」
「はい」
「その話にはもう少し前があって、君の両親――――つまり、本当の産みの親はこの世界にはいない」
「…………」
私が天涯孤独? そんなのは既に気付いている。なんとなくだけど、本当の親がどこかへ行って生きてればいいなんて思わなかった。むしろ、重蔵の話を聞いた時は、今の家庭に身を預けて貰って感謝したくらいだ。それに、私を捨てた親なんて生きてない方がいい。
そこら辺に不満はなかった。
「違う違う。勘違いしてるようだね」
「何をですか?」
「分からないのかい? 君の両親はここにはいない。それはね、人間じゃないからだよ」
「まさか、吸血鬼とかだったんですか?」
「ゲームのやり過ぎだね。美人部の男の子達が聞いたら、驚くよ」
「じゃあ、何者なんですか?」
「そんなの決まってるじゃないか。君は神の子。それも純潔の。つまりは――――」
神社内に風が吹き荒れる。枯れた葉っぱたちが参道を踊りながらどこかへと向かう。
「僕と君は本当の姉妹だったわけさ」
「…………そ、そう……ですか」
神の子供? この鬼畜女神と姉妹? 笑わせるわ。
そんな御伽話を簡単に信じるわけにはいかない。
私は幹を睨んだが、幹はまったく動じずに腕を組んだまま遠くの太陽を目を細めて見ていた。
「信じられないだろう? だけどな、僕と君には同じ所に痣がある。それが姉妹の証拠さ」
「…………」
「で、君が男になってしまったのは、君のお姉さん――――つまりは中谷 美鈴がこの神社で君が欲しいと願ってしまったが為に、彼女の強力な祈りにより全てを統べる神――――大神様によって男にさせられ、君は中谷家へと引き取られたって事になる」
「……そうだったんですね」
「まぁ、大半が信じられないような話だけどね。もちろん、僕だって普通に話されたら信じられないよ。まぁその中でも特に信じられないのは、君のお姉さんだけどね」
「私のお姉さんが信じられない?」
神社内を軽く散歩するかのように、私の周りを歩きながら幹は俯いた。その表情は誰かを恐れているとか、そういう類のものだ。
姉が何をしたのかは分からない。けれど、神をも恐れぬ何かをしたには違いない。
幹は軽く自嘲気味に笑いながら答えた。
「……ああ、彼女ほど大神様に愛されてる人間はいないね。それ故に願った事は何でも叶う。君への愛は大神様も君の事が大好きだからか、なんとか君の姉の願いを叶えまいとしているけど、正直君がお姉さんの性奴隷になるのは時間の問題だろうね」
「もっと他の言い方はないんですか」
「あ、ごめんごめん。まぁこれで分かったでしょ? 君は本当は女の子。そして、僕は君から性別をただ奪っただけなんだ。だから、大した事はしてない。君は元の姿に戻っただけだ」
それでも私は納得がいかなかった。決して女である事が嫌なわけじゃない。それなりに女の人生も楽しい。だけど、男の人生も楽しかったのだ。正男達と遊ぶ、あの中学時代は最高に輝いていたと思う。
私が男じゃなかったら、彼らとも本当の意味で楽しめなかったと思ってる。
「それでも、私は元は女の子だった事に関しては信じられません」
「そこまで言うか。なら、一つ教えてやろう。君は中学時代、性的な事に興味は持っていたな」
「うぅっ……ま、まぁ……」
「だがな、好きになった女子は誰もいなかった」
「…………」
「そして、君は願った。彼達と同じ高校に行けるようにと。君のそのときの潜在意識間では今のように、恋をしていたのだ」
「だ、誰にですか!?」
「無論。全員にだ」
「…………」
私が全員に恋!? いや、それはないんじゃないでしょうか。だって、それなりに遊んでて楽しかったし、そりゃあナンパされればつまらなかったし、女の話をされても、参加しなかった。
特に正男には本当に困っていた。あれは中学時代はかなりの女ったらしだった。今の姿なんて、昔の私が見たら信じられないだろう。
「ま、そういうわけさ。で、色々と話が混乱してると思うから、とりあえずはこの話は置いておこう」
「は、はい……」
そうだ。今は正男達はどうでもいい。
大事なのは今、雅史だ。彼とどうしても一度会いたいんだ。会って伝えたい事が沢山ある。だけど、病院には入れないので、どうにかして入らなければいけない。それをお願いする為に、私は幹を追いかけたんだ。
幹は首を縦に振って、手を差し出した。
「君の願いは一応叶えてやろう。ペロペロしたいくらい可愛い妹だ」
「助けて……くれるんですか?」
「ああ、さっきも言ったが命を救済する事は無理だ。だが、君にあの病院を突破する力をやろう。僕の手を握れ」
「はい」
私は瞳を閉じて、幹の手を握った。すると、突然眩い光が視界を染めて、意識が遠のくような感覚にさらされる。だけど、女神=幹との手のぬくもりだけは消えなかった。
光は徐々に強さを失っていき、完全に消えた頃には繋いでいた手が外れていた。
「もういいぞ。目を開けてみろ」
さっきとは違う声。それは美樹の声。自分の声とは若干違うように聞こえた。
目を開けると、目前に今朝鏡の前で見た自分が立っていた。しかし、ここ最近大量の涙を流したせいか、目元が腫れていた。改めて見ると超絶美人とはこの人の事を言うんだなと思った。
そして、自分の手を見る。
「も、もしかして……」
「ああ、姿を貸してやる。後で必ず返しに来いよ。私はその姿が気に入ってるんだからな」
「あ、ありがとう!」
「さっさとお前の彼氏んとこに行ってやれ。男の姿だけどな!」
「あ、ああ!」
不思議と男口調に戻っていた。この姿で美樹言葉にならないように注意しなければならない。まぁ、注意する以前に男口調で自然に話してしまうわけだが。
久しぶりに男に戻った事による喜びと、雅史に会えるという期待で胸が膨らんだ。あ、Gカップがないだけでこんなに楽だとは! いや、ブラジャーもないし最高だ!
そして、俺は雅史が眠る病院へと到着した。
さきほどとは違った景色に見えるのは、心境の変化からか。もうすぐ、雅史の姿が見えると思ったら、緊張してきた。
受付に入ると、さきほど舌打ちした嬢が俺の事を見て驚く。
「あ、あのー……失礼ですが、彼女とかいますか?」
「さぁ? そんなことよりもさっさと業務してくれないか?」
「あ、す、すいません! 本日はどのような御予定で……」
「ああ、708号室に入院してる岸本 雅史という人の面会に来たのだが」
「あ、はい。すぐに手続きしますね!」
それから美樹の時とは違って、だいぶスムーズに事が運んだ。
俺はエレベータに乗り、ひたすら雅史の病室を目指した。廊下を歩く中、瑠花と雅紀が危機迫った顔で廊下を走るのが見えた。
その瞬間。いやな汗が頬を伝い、俺も病室への足を速めた。
708号室。そこに岸本 雅史様と書かれたプレートがかかっている。そこに瑠花達は入っていく。俺も後を追って入る。すると、その声は耳に届いた。
「岸本 雅史さん。午後13時48分23秒。御冥福をお祈りいたします」
俺は膝から床に垂れた。