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高熱の彼氏を放っておいたりなんてしないっ!

 人が行き交う神社近くの公道を抜け、何度目か分からない信号待ちをしている中。顔色の悪い雅史は、後部座席にて私の膝枕を使用して横たわっている。普段されれば歓喜のあまり笑顔になってしまうのだが、そういうわけにもいかない。何せ雅史は恐らくだが夏風邪なのかもしれないのだ。そんな中、無理して私と二人っきりデートをしてくれたのだ。嬉しくないわけがない。だけど、もうちょっと自分の事を考えて欲しかった。

 だけど、きっとデート自体を無碍にする事は雅史の中で無理だったのだろう。私がこの前のデートの際は怒ってしまったのが起因した筈だ。人一倍気を使う雅史にまた余計な事をしてしまった。ワガママだと言われても仕方がない。誰にも言い返せはしなかった。

 雅史が体調を崩したのは、私のせいじゃないかもしれない。けれど、夏風邪だという事実に気付けなかった自分が恨めしいし、何よりも不甲斐なさを感じる。私が風邪を引いたなら、雅史はすぐに気付いてくれるのに私は直前まで分からなかったのだ。

 ――――自分の彼氏一人守れなくて、何が美少女なのだろう。

 自分の中で、その言葉を咀嚼し続けるうちに、タクシーは岸本邸へと近づく。神社から離れると、人の往来はなく。むしろ、時間が時間だからか、静まり返っている。

 時間は二十一時。お祭りも本番を迎えた所だろう。

 私と雅史を乗せたタクシーの運転手さんも時間を見つつ、バックミラーに映る私と雅史を視界に入れる。チラチラと十分に一回は見てるかもしれない。後部座席にて普段、膝枕をしてるカップルなど見ないから珍しいのだろう。

 火照った雅史の手が私の華奢な腰を抱きしめる。余程辛いのだろうか、ぎゅっと握る力が愛用のぬいぐるみを抱くかのように強い。少しばかり痛さがあるが、彼の身体の状態に比べたら幾分マシな筈だ。

 

「雅史さん……。もうすぐ着きますからね」

「あ、うん…………」


 赤ん坊にでも話しかけるような声音で雅史に声をかける。いつもの調子だと何も心配されてないと思われそうなのが嫌だった。彼に本当に私は心配してるんだよと伝えたかったのかもしれない。

 額から頬にかけて汗という名の水滴を垂らす雅史。彼女である私の声に機敏には反応せずに、今も唸っているような声を呻き出させる。吐く息は熱く、瞳は半開きできっと全開にする事が困難なのであろう。それが今、私から見る雅史の実態である。正直このまま病院に連れて行きたいのだが、雅史は頑なに拒んでいる。

 先ほどから、タクシーの運転手さんに何度も『行先は病院でお願いします』という視線を送っているのだが、そのたびに雅史は私の気を引いて首を横に振った。病院が嫌いなのか。それとも、家で休めば治ると思っているのか。どちらなのかは知らないけど、雅史の言う事に従うしかなかった。

 やがて、タクシーは岸本邸にまで到着し、私は財布の中から料金を支払う。神社からここまでの距離は短いものの、人群れによる混雑で通常の二倍は高く支払ったと思う。だが、御金なんて彼氏の健康に比べたら大変安い物だ。

 グッタリとゾンビのようにうな垂れる雅史の肩を担いで、階段をゆっくりと一段一段昇っていく。雅史は一段昇るごとに「はぁはぁ」と息を切らす。

 ようやく玄関まで辿り着き、インターホンを鳴らす。だが、数秒、数分経ってもインターホンから声はせず、扉が開錠する音も聞こえなかった。その為、死に物狂いの雅史には申し訳ないと思いつつも、彼に鍵を持ってないか聞く事にした。


「すいません。雅史さん、鍵は持ってますか?」

「……こ、ここに……あるよ……」


 いつの間にか握っていた鍵を受け取り、代わりに私が家の鍵を解除して重い扉をゆっくりと開ける。その間、雅史は家に到着した事による安堵からなのか、今にも倒れてしまいそうなほどの汗は消え、表情も死にそうな程苦しがっていたのが、今は涼しい風にでも当てられたかのように若干楽になったようだ。

 玄関に入り、下駄を脱いで雅史をなんとか家の中まで、老人を介護するかのような手際で手つきで家に上がらせる。中はインターホンを押しても誰もいなかった事から、電気は完全に消えていて中は真夏の静けさが岸本邸を漂っていた。その中でも特に聞こえる音は雅史の吐息だけ。ようやく家まで辿り着いたのだから、後は部屋まで付き添うだけだ。これ以上彼を苦しませたりなんてしない。

 うな垂れる雅史に私は優しく微笑み、頭を撫でながら肩を担ぐ。


「大丈夫ですか? 後もう少しの辛抱ですよ」

「ん……あり……がとう」


 どんなに辛くても、私には笑顔を向けてくる。晴れた夏空に堂々と位置し続ける太陽のような微笑み。それが私にとってはここ最近で生きる原動力ともなっていた。いつ、どんな時でも見せるその笑顔は今だけは胸をチクチクと細針で何度も刺すような痛みが襲う。今だけは笑って欲しくない。そんな事をされても私は嬉しくない。――――いや、嬉しいんだけど、そこまで無茶をしないで欲しいのだ。

 そんな私の気持ちを感じ取ったのか、彼は視線を逸らして自室がある二階へと視線を向けた。何十段もある階段を眺めて、自分の部屋へと辿り着く事の難しさを表情が醸し出していた。しかし、ここまで来たら、とことん私を使って欲しい。

 私は階段を見据えながら、短めの深呼吸をして雅史の肩を掴む腕に力を込めた。それを驚いたように見た雅史はもう何も言わなかった。

 階段へと一歩一歩足を進めて行き、白いクロスが張られている壁に手を添えた雅史。私はそんな彼の肩を担いだまま階段の一段一段をゆっくりと上昇していき、そのままリズムとペースを崩さないようにする。

 だが、途中で雅史の左足が悲鳴を上げ、ガクンっと体重が傾く。しかし、すぐに私の身体を支えている方の手を雅史の救護へと走らせ、階段から落ちそうになるのをなんとか死守する。

 こんな状況で落ちてしまえば、それこそ命取りになるかもしれない。そう考えた私は階段から落ちないようにするという選択肢を新たに脳内に追加させて、雅史を丁重に自室まで案内する務めを果す。

 ようやく到着した二階も、雅紀の部屋なのだろうか。他は戸が閉まっている為、様子を伺う事も叶わない。

 以前、一度だけ来た事があるからか、三つある扉のうち雅史の部屋がどこなのかは把握していた。扉を開けると、中は前に来た時よりも物がだいぶ片付いていた。それも大きい物以外は殆どない。テレビや勉強机はなくベットと洋服の箪笥だけが部屋の面積を奪っていた。しかし、たかがそれだけの話で、必要最低限の物以外は消失している。前回来訪した時はここまで、もぬけの殻ではなかった筈だ。

 そんな疑問は喉の奥に留めてい置いて、雅史の身体をゆっくりとベットに倒す。ようやく目的の地に到着した事による安らぎが私にも訪れる。しかし、まだ私も帰るわけにはいかない。父である重蔵と兄の雅紀が帰ってくるまでは、ここにいなければ心配で仕方がない。母親の事は雅史から何も聞いていないので、私は知らない。

 仰向けに寝かせた雅史は瞳を閉じて呼吸をゆっくりとする。棘があった苦痛の表情が今は、身体をベットに預けた事によって更に楽になったに違いない。

 数分すると、雅史から「すぅーすぅー」という気持ちのよさそうな寝息が聞こえてきた。ようやく眠れたのだろう。私自身の警戒レベルもこれでだいぶ下がった。

 特にする事がない私は、部屋の中を調べるが本当に何もなかった。飾ってあった写真も何も。それこそ幼馴染の瑠花との写真は消えててもよかったのだけど、私との思い出も一つもない。質素な部屋。というしかなさそうではある。

 結構ぬいぐるみや本、漫画が人並みに好きな雅史には到底生活できなさそうな部屋だ。何故こんな状況になってるのか知りたいのだが、寝ている雅史に質問をするわけにはいかない。今、私にできるのは極力静かに眠る雅史を見守って、家族が帰ってくるのを待つだけなのだ。

 雅史が眠るベットの近くにしゃがみこみ、雅史の前髪を弄る。すると、起こしてしまったのか、雅史は瞳を開けて私を視界に入れると微笑む。


「……どうしたの?」

「あ、いえ……その、起こしてゴメンなさい……」

「別に大丈夫だよ……」


 辛そうに笑う雅史はなんだか見てるこっちの胸が痛くなってきそうだった。それほど痛々しいのに何故、彼は今も私をずっと暖かく見つめてくれるのか疑問でしかなかった。私はその笑顔に、風邪だと分かってはいたが、キスをした。

 突然キスされた事による驚きで雅史は、ほんの一ミリだけ眉を動かすけど、すぐにいつものように受け入れてくれた。唇は重なりあい、私と雅史の温度が多少なりとも誤差がある事を感じる。だけど、それが今までのキス以上に何かを繋げてくれている気がしたのだ。唇をほんの少し離しながら、何度も同じフレンチキスを交わす。雅史の腕が私の首後に回されて、ギュっと力が込められる。それを拒否する事もなく、むしろ雅史のしたい通りに流される事にした。

 雅史にベットへと誘われた私は、更にキスを加速させる。濡れた唇と唇が触れ合う音が、広くて静かな雅史の部屋に響き渡る。そして電気も消えてるせいか、このままアレな流れにでも行ってしまうのだろうと感じ取った。

 ――――でも、それでも良い。雅史となら。きっと、ずっと一緒にいられる。これからも、この先も。

 熱を発する雅史は私の首元に唇と舌を這わせて、滑らかかつ透明感のある私の首筋をなぞるように舐めていく。そのたびにとても自分の声とは思えない程の高く、淫らな声が出てしまう。

 首後に回されていた手は、私の胸へと伸びて、Gカップの胸を抑え切れんばかりに支えている浴衣の上から揉まれる。胸が弱いからか、頭に熱が昇り、やがて身体が小刻みに痙攣してしまうのではないだろうかというほど、ピクンっと跳ねあがる。雅史は揉んでいた胸に顔を埋めた。

 

「ま……ま、雅史さん……?」

「ごめん……自分の理性が抑えられなくて……」

「ふふ……いいんですよ。私は雅史さんの彼女ですから」


 一拍置いて雅史は私の胸から顔を離して、首を横に振った。

 そして、いつもの笑顔で言った。


「僕、もうダメなんだ……」

「え?」


 その一言を発したっきり、熱に再びうなされ始めた雅史はベットへと倒れ込み、私は雅史に馬乗りになった状態のまま、呆然としてしまった。

 ――――何がダメなの? エッチな事? それともこれ以上付き合う事?

 脳内がネガティブな思考に染まる中、一階の玄関が激しく開かれ、ドタドタと階段を激しく昇り詰める鈍い音が近づいてくる。その音は私と雅史がいる部屋で止まり、この部屋の扉は容赦なく開かれる。

 その人物は――――雅史の父の重蔵だった。背後には憎き幼馴染である瑠花がいる。

 今の私と雅史は、夏風邪で雅史がベットに倒れている所に私が馬乗りで呆然としているという状況だ。それを見て怒鳴らない父はいない。

 しかし、重蔵はゆっくりとコチラに近づき、微笑んだ。


「……ごめんね」


 それだけ言われて、すぐに私はベットから退いた。そのまま、立ち尽くしてしまう。

 重蔵は雅史の額に手を当てて、熱を感じると溜息を深く吐いた。その長さと質は、この世の淵にでも立たされたかのような絶望の匂いを感じさせる。

 その様子が気になって仕方がなかった私は重蔵に問う。


「ま、雅史さんはた、ただの夏風邪……ですよね?」


 重蔵は何も言わない。

 しかし、背後からいきなり肩を掴まれて、私はいきなり頬を叩かれた。叩いたのは言うまでもなく、大船 瑠花。彼女はキツく目を細めて眉間にしわを寄せている。そして、そんな瞳からは涙が零れ落ちていた。

 私は何で叩かれたという疑問が頭の宙を舞っていた。

 だが、叩かれた理由・部屋がやけに片付いてる理由・雅史がここまでの高熱を出した理由が全て、瑠花の言葉で繋がった。

 

「雅史は……雅史は、もうすぐ死ぬのよッ!」

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