私が落ち込んだりなんてしないっ!
私は自室の部屋で、体育座りをする。顔を膝に埋もらせて、姉の話を思い返す。高い確率で、私は岸本家の子供なのかもしれない。同時にそれは、私と雅史との恋愛を阻む確かなものである。
瞳を閉じると、雅史の笑顔が浮かんでくる。図書室で勉強を始めた時から向けられる笑顔。その微笑みを思い浮かべれば元気になるのに、今は違って胸を締め付けるばかりだ。
幹にしても、私にしても、今回が初めての恋で、お互い愛し合っているのに、何故別れなければいけないのか。それを考えると、今も涙が流れてくる。
一人で考え込んでいると、不意に携帯が鳴りだす。それを手に取ってみると、雅史からメールが来ていた。内容は今帰ったよという他愛のないものだ。私は、平常心を装って、いつも通りにメールする。
『お帰りなさい。今日はありがとうございました』
そう送ると、私の事を見てるのかという程、早くメールが来た。
『こちらこそ、ありがとう。美樹の事が大好きだよ』
早々に来たメールを見ると、また涙が頬を伝っていく。彼は何も知らない。それ故に、私はまた気持ちが落ちていく。
今までは雅史のメールが凄く嬉しかったのに、今はメールが来るたびに苦しませられる。まるで、紐で心臓を結ばれたかのような痛み。それが止む事はない。
いくつか泣きながら、メールをしていると、雅史からの着信が入る。私は三コールくらい鳴り響いてる間、どうするか迷った。けれど、この痛みを抑えるためには雅史の力が必要だと、思ってしまった。私は反射的に電話に出た。
『もしもし』
「……はい」
『僕だけど、大丈夫?』
「……何がですか?」
『メール。いつもとなんとなく違った雰囲気だったから……何かあったかなって』
素直に嬉しかった。心配はさせたくないけど、私の今の状況を気にしてほしかった。だけど、相談はできなかった。雅史に実は兄妹だと告げる事は、イコールで私が幹だった可能性がバレる危険性が伴う。
私はいつも通りを装う事にした。
「平気ですよ」
『ううん。全然平気じゃない。僕の知ってる美樹さんはもっと明るい』
彼の声が低く、まるで私を否定してるかのように、信じてはくれなかった。
「……さすが、彼氏。ですね」
『そりゃあ、僕が一番美樹さんを愛してるからね』
「恥ずかしくないんですか?」
『ちょっとは恥ずかしいよ? けどさ、自分の彼女が落ち込んでるときに、そんな言葉もかけられないような男だと思われたくないんだよ』
「……カッコいいですね」
『へへへ。そう言ってもらえると、嬉しいな』
きっと電話の向こうでは笑顔なのだろう。照れながらも、優しく微笑む姿が目に浮かんでくる。
彼の声を聞いてると、なんだか心が休まってくる。
ネガティブな私は私じゃないと思い、涙を拭く。
「そんな所も好きですよ」
『あ、ありがとう……』
「ふふ。なんだか、雅史さんの声を聞いたら元気になりました」
『それは良かった。美樹さんが元気になるのが一番だからね!』
私は決心した。
まだ、私と雅史が本当に血が繋がっているという事が百パーセントの事実ではない。彼の笑顔を見続ける為に、私はまだある微かな可能性を信じる!
その為には重蔵に会わなければいけない。私は意志を固める。
「明日。雅史さんの家に行っても良いですか?」
『僕の家? 別に明日なら構わないけど……』
「雅史さんのお父さんに聞きたい事があるんです」
『親父に? ……僕の親父が何かした?』
「そういうわけじゃないです。私の友人で……その同じ名前の幹っていう人について聞きたいだけなんです」
『あ、そうなんだ……』
重蔵に聞けば分かる話だ。
きっと雅史は私が男の人の話をするもんだから、ヤキモチでも焼いてるのだろう。私は軽く笑った。
「ふふ、心配いりません。ただの従兄ですよ」
『そ、それならいいんだけど……そ、その美樹さんはモテるから……』
「可愛いですね。私は雅史さんだけの彼女ですよ」
『うん、そうだよ……ね? う、浮気しないでね?』
「雅史さんが言うなら、私は男友達の連絡先を全部捨てられますよ?」
『そ、そこまではしなくていいや』
「そうですか? ふふ、これで、私の本気度が伝わってくれてると嬉しいです」
『う、うん。心配いらなくて良かったよ』
「はい!」
明日は休日なので、きっとお昼から重蔵もいるだろう。それを見越して、明日何時に行くかを伝えた。
雅史も了承してくれたので、明日重蔵に真実を聞きに行くだけだ。
電話を切り、私はお風呂に入り、布団に入り込む。
彼氏の声を聞いただけで、元気になれた。そうだ。谷中 美樹はポジティブじゃなければ、いけない。皆の花であるべきなのだ。
私は、僅かな可能性ではあるが、雅史と兄妹ではないのだと信じ、眠りに着いた。
◇
「お邪魔します。昨日はお世話になりました」
「いやいや、雅史の初めての彼女だからね。たまには雅史にも良い所を見させてあげないと罰が当たるよ」
「親父は余計な事言わなくていいよ!」
午後十三時を回った岸本家。最近、よく家に遊びに来るので、道も覚えてしまった。今日は、重蔵に話があって、ここまで来たのだ。
「それよりも、私に話があるそうじゃないか。とりあえず、雅史、お茶でもいれてくれるか?」
「ああ、わかった」
私達は家のリビングへと足を運ぶ。現在、母親と雅紀は不在らしく、家には雅史と私と重蔵だけだ。
重蔵はソファに腰をかけて、両膝を腿に置いて、両手を合わせて固めている。
「それで、息子のお父さんに話とは何かね?」
話の意図が分かったのか。重蔵は険しい面持ちで、私を見つめる。しかし、私は臆する事なく、重蔵の眼光に真っ向から見つめ返す。
「昨日、幹という人を知っているようでしたので、その事に関して聞きに来ました」
「ふむ。幹とは、あなたと同じ名前の子の事だよね?」
「はい。その子は私の従兄ですので、よろしければお話を伺いたいのですが」
「ふぅ。その事か」
重蔵は大きな溜息を吐いた。その姿は安堵したと言ってもいい。中谷家の血筋の者から、他に何を聞かれると思ったのだろうか。鋭かった眼光も、今は緩いものになった。
何故緊張を緩めたのかを知りたかったが、今はそんな些細な事など、どうでもいい。私は自分が本当に雅史と兄妹なのかを知りたいだけなのだ。
「……幹とは会った事があるかね?」
「いえ。彼は今、海外に行ってるので」
そういう設定なので、そう話すしかない。
「……そうか。じゃあ会う事は難しいか……」
「……」
我が子を見守るような目つきで、天井を眺める重蔵。私はそんな重蔵の姿を見るために来たのではない。
「幹とは一体どういう関係なんですか?」
「簡単に言えば、子供……かな」
「…………」
信じていた可能性が切り捨てられる。私は表情に出ないように、ショックを受けた。やはり、雅史との恋は許されないのかもしれない。
私は涙が出ないように堪えながら、神を呪った。
しかし、重蔵からの言葉は終わらなかった。
「けれど、血は繋がってないよ」
「……え?」
「幹はね、私がたまたま通りがかった神社で、拾った子供なんだよ」
「拾っ……た?」
「ああ」
再び遠くを見つめる重蔵。恐らく過去を思い出しているに違いない。
しばらく天井を眺めてから、重蔵は口を開く。
「あれは、雅史が生まれる少し前の話だったかな。当時、会社勤めだった私は、無事、雅史を出産できますようにと、毎日神社に通っていたんだよ。そのときに、赤ん坊の鳴き声を聞いたんだ」
「……」
「あの時はビックリしたよ。で、その子を見捨てるわけにもいかなかったから、連れ帰ったんだけど、家に三人も養う余裕は当時なかったんだ。で、そのときに、君が今お世話になってる中谷さんが引き取ったんだ」
「お父さんとお母さんが……」
私は呆然としながら、口から言葉が出る。
父や母は私を容易に受け入れたのか?
「君は従兄をお父さんやお母さんと呼んでるのか?」
「あ、えーっと」
「良い事だと私は思うよ。従兄だろうが、なんだろうが、君もきっと道夫さんや未麗さんからしたら、子供と大差はない。その子に愛称で呼ばれるほど嬉しい事はない筈だ」
「……」
「だけどね。時々思うんだ。私が幹を引き取ってやればよかったと……彼は真実を知れば、傷ついたかもしれない。神社に捨てられてて、尚且つ拾った張本人は幹を育てられなかったんだぞ? 可愛そうだろ」
重蔵は同意を求める視線で私を見つめる。首を傾げる彼に私は同意はできなかった。
私は美樹として、幹の言葉を伝える事にした。
「そんな事、ないと思いますよ。きっと、あなたに感謝してると思います。だってあれだけの暖かい家庭に出会えたんですから。お父さんもお母さんも、お姉さんやお兄さんと変わらず愛情を注いだわけですから。岸本さんの家に住んでいたら、別の結果になったかもしれませんが、それでも、この結果にもちゃんと満足してると思いますよ。幹は」
伝え終えると、重蔵は小さく笑い、私を見つめる。
「ふふ……そうだと良いな」
「きっとそうです」
「君からの言葉の筈なのに、本人から言われてるようだったよ。名前が同じだからかな?」
「そうであってほしいですね」
私と重蔵は笑った。
何はともあれ、私は神社に捨てられていた子供だった。重蔵の子供ではないというのなら、それで今のところはいい。だって雅史と何をしても、法律を犯す事にはならないからだ。
それに、重蔵を恨んでもいない。彼も雅紀や雅史を育てる為に苦労をしたのだ。大人になった今、重蔵を恨むのは子供の間違いだし、それに今の家庭にも満足はしてる。だから、ここで言うべき言葉は。
「ありがとう」
だと思う。
いきなり言われた重蔵は首を傾げるが、今はそれでいい。
丁度よく雅史が現れ、お茶を出す。
「ごめんね、ちょっとお茶の場所が分からなくて、遅くなっちゃった」
「全然大丈夫ですよ」
私は笑顔で、好きでいても大丈夫な雅史を見つめた。
彼も私の視線を受けると、優しく微笑み返してくれた。
「まったく、雅史は良い彼女を持ったな」
「ああ、本当にその通りだよ」
「……こんな彼女がいると、辛いな」
重蔵はいきなり、俯きながら溜息を吐いた。
雅史は顔を左右に振って答えた。
「ううん、僕は満足してるよ」
「……そうか」
「うん」
「最後まで離すなよ」
「当然だよ」
それから、私達は岸本家での談笑を交わし、雅史との兄妹説も消え去り心が晴れた。昨日の私の落ち込みっぷりを返して欲しいくらい、今は清々しかった。
会話に花を咲かせていると、外は既に夕日を迎えた。時間というものは過ぎるのが早い。
「もう、こんな時間か」
「あ、じゃあ、私はこの辺で失礼しますね」
「ああ、いつでも来なさい。雅史。ちゃんとゴムは持っとけよ」
「う、うるさいなっ!」
雅史は顔を真っ赤にしながら、重蔵に叫んだ。
それから、重蔵に見送られて、私と雅史は玄関を出た。
「良いお父さんですね」
「はは、そうかもしれないね」
夕日が沈む景色を見ながら、私は帰路についた。雅史も同行してくれている。そんな優しい雅史に私は唇を突きだす。
雅史はやや引き攣った笑みで、私を見つめる。
「……ダメですか?」
「いや、美樹さんって意外とキス好きなのかなって」
「違いますーっ」
頬を膨らませて、雅史を軽く睨む。
「私が好きなのは、キスじゃなくて、雅史さんとのキスです」
「……なんだか照れるな……」
「照れてないで、早くキス。してください」
もう一度仕切り直して、唇を突きだす。
雅史は私の肩を抱き寄せて、お互いの唇を接触させた。
今日も雅史と一緒にいれた事に歓喜を覚えた。私は雅史の背中に両腕を回す。
「これからも、私だけを見ててください」
「……うん。わかった。約束する」
もう一度、キスを交わそうとした。
「あらあら、こんな所でキスとは大胆ね」
「雅史、場所は選べ。一応キスも公然わいせつで捕まるんだからな」
そこには雅紀と瑠花が立って見ていた。雅紀の自転車の荷台に瑠花が乗っていたのだ。瑠花は機嫌が悪そうに、私を睨みつけた。
私と雅史は抱き合っていたのを、すぐに解く。
「ち、違うんだ!」
「そ、そうです! キスなんてしてませんっ!」
お互い真っ赤になりながら、一生懸命否定する。そんな私達を微笑ましい眼つきで見る雅紀と、それとは対照的に機嫌が絶好調で悪い瑠花。
私は気を取り直した。
――――まだ、瑠花は雅史を諦めていない。
女の勘というのが働いたのか、そう直感したのだ。
「そう。でも、あたしは諦めてないわよ。谷中 美樹。雅史に例え一万回フラれても、あたしは諦めない。あたしの告白を雅史が受け入れるまではね」
私は唾を飲み込みながらも、雅史を愛する気持ちは誰にも負けたくなかった。
「望むところです」
「わかったわ。とりあえず、あたし達はこの辺で失礼するわ」
応戦してあげたのに、案外呆気なく瑠花達は去って行った。方角的には雅史の家に向かっているようだ。なんだかんだと、突っ掛かってくるわりには、雅紀と一緒にいる事が多い瑠花。色々と謎は深まるばかりだ。
「ゴホっ!」
「雅史さん?」
「ああ、ごめん。ちょっと瑠花の宣言に驚いちゃって。今さらのように咳が出たよ」
苦笑いする雅史。一体何に驚いたのだろうか。瑠花の自己中心的発言だろうか。それならば納得はできる。
雅史は瑠花の行った方向に視線を送りながら、言葉を発した。
「あのさ、幹って人はどんな人なの?」
「うーん、まぁ、私と似たような性格の人。ですかね?」
「そっか。それなら、任せられるかもしれないね」
視線をずっと一定の方角に向けたまま、雅史は変な事を呟いた。
その時、私はきっと、瑠花の毒気に当てられただけだろうと考えていた。