私達の家に麗が泊まったりなんてしないっ!
「美樹さん? 美樹さん、着いたよ」
雅史が助手席から、私の肩を揺らす。どうやら、私は眠りに落ちていたようだ。私も十代でピチピチの女子高生ではあるけど、さすがに本気を出した野生の姉には勝てなかったようだ。
しかし、今は疲労感などは問題ではない。一番の問題は雅史の父が私の事を知っている事だ。会った事すらない私の事を何故知っていたのか。そして、私達の父や母の事も知っていた。雅史とは子供の頃に会った事があるのだろうか。いや考え過ぎかもしれない。
心配そうに見つめてくる雅史に、私は微笑む。
「ありがとうございます。雅史さん御父様」
「いや、僕は全然構わないけど、風邪とか引いてないよね?」
「はい。大丈夫ですよ」
「ならいいんだけど……」
雅史は私が考え事をしているのを風邪と勘違いしているようだ。雅史の優しさは天井知らずで、とても私の事を大事にしてくれる。それが分かってとても嬉しい。
付き合って初めてのデートも、姉と麗に邪魔されて、最後は二人っきりになれなかったけど、楽しかった。
私は重蔵に頭を下げた。
「わざわざ送ってくれて、ありがとうございます」
「いいんだ。雅史の彼女だからね。これからも雅史をよろしく頼むよ」
「はい」
そう言って、重蔵は私達の家を眺める。その瞳の先は遠くの何かを見つめているような気がした。
私は車から出る。すると、雅史も一緒に降りた。
「どうしたんですか?」
「う、ううん。ちょっと心配だったから」
「でも、家は目の前ですよ」
「そ、そうだね」
私は軽く笑った。どこまでも心配屋さんの彼氏。私の事を気遣ってくれる優しさ。今日は、私の彼への気持ちを再認識させるのには充分だった。
雅史の手を握り、私は上目使いで雅史を見つめる。きっと、今雅史は父親である重蔵の前だけど、ある事をしようとしたに違いない。私も当然、雅史と同じ事を考えている。
「雅史さん」
雅史の両頬に手を当てて、私は瞳を閉じる。それに合わせて雅史も瞳を閉じたと思う。私は雅史の顔を引きよせて、唇と唇を重ねた。
私達はキスをした。それも三十秒くらい。
唇を離し、私はとびっきりの満面の笑顔で雅史を見つめる。
「今日はありがとうございました! 雅史さん!」
それだけ言って私は家に入ろうとする。
「ぼ、僕も! 美樹といて楽しかったよ! 本当に好きだよ」
雅史が顔を真っ赤に染めながら、一生懸命に私に愛を叫ぶ。
自然と笑顔がこぼれてしまう。それを抑える事はせずに私はもう一度言葉を残す。
「私も雅史さんの事が大好きですっ!」
私達はまたも見つめ合う時間だけが続いた。
だが、数秒間だけしかそれは続かなかった。
突然、車のクラクションが鳴り、そちらの方へと視線を移す。
「ちょっと? あたしの前でイチャイチャするとは良い度胸してるじゃない」
「御姉様の言う通りだ。貴様死にたいのか。ならば、今すぐここで轢き殺して見せようか」
ベンツから姉と麗が、雅史をギロリと睨みつけている。車が故障してるわけでもないのに、黒いオーラが出てるのは気のせいでしょうか?
すると、雅史は苦笑いしながら、両手を合わせて姉達に頭を下げた。
「じゃあね美樹さん! 帰ったらメールするね!」
「はいっ!」
それから雅史は、重蔵の車に乗って帰って行った。
私の心には若干の寂しさが残ったけど、でも、また会ったときに雅史にぶつけて包んでもらえればいいと思った。
◇
「ただいま帰ったぞ母上!」
「ただいまです」
「お、お邪魔します……」
私と麗と姉で家に帰宅する。すると、家族は全員帰宅済みだったのか、皆の靴が並んでいた。姉を先頭にリビングへと足を進める。
現在、麗が一緒にいるのは、姉が泊まりにくれば? と言った事から始まったらしい。
「い、いきなり、家にお邪魔して、すまないな」
「いえ、いつかは麗も来ると思ってたので」
「む。それは私が恋人としてか?」
「違いますけど。友人としてです」
「くっ……まだ友人止まりか! 美樹を攻略するのは難しいな」
色々と呟きながら、麗と私はリビングへと到着する。今日の晩御飯はそうめんらしく、テーブルには、そうめんとその具達が並んでいる。いつも、思うけど、そうめんに何で、みかんの缶詰があるのか謎だ。
そんな我が家の食卓に、麗という極めて異質な存在が入るわけだ。当然、家族の視線を集める事になる。
驚いた様子もなく、麗は頭を下げる。
「初めまして。私は美樹と同じクラスの黒樹 麗と申します。今夜はお世話になります」
「へぇ~麗ちゃんね。美樹のお友達かー。ゆっくりしていってね」
「美樹の友達か。美人は美人を呼ぶもんだな」
母と父が麗を見て、笑顔を振りまく。ここら辺はいつも通りだ。しかし、いつも通りではない変態が一人。食卓には存在していた。
「ぐひひひひっ! 美樹たんの友達だとぅ!? …………貧乳か」
「……御姉様。美樹。このお方は?」
麗の笑顔が限りなく引き攣っている。麗にしては珍しく怒るのを我慢しているようだ。拳がぷるぷると震えているし、これが、鷹詩とかだったりしたら、バシンバシンハンマーで叩かれているであろう。
麗をバカにした兄は何事もなかったかのように箸を進めようとしていた。
先に食べようとする兄の手を姉はガッシリと掴む。
「……なんだよ姉貴」
「満。麗ちゃんになんて言ったの?」
「貧乳って言ったん――――――」
その瞬間、姉の右平手が兄の頬を盛大に叩く。食卓の場には渇いた音が響き、兄は座っていた椅子と一緒にコケる。
「痛いっ! 美樹たんにもぶたれた事ないのに!」
「じゃあ、私も叩きましょうか?」
「え!? 姉貴だけじゃなく美樹たんのビンタも喰らうの!? そ、そんなの全然嬉しくなんかないんだからねっ!」
「じゃあ叩かれろ満」
「待って姉貴! 俺はお前の需要だけは絶対にない――――ってまた叩いた!?」
姉による往復ビンタを喰らう兄。私と姉の友人を、貧乳呼ばわりした罪はデカイ。だが、罰を与える姉の顔は、なんだか水を得た魚のようで、とても生き生きしていた。ストレス発散みたいだ。何か悩みでもあるのだろうか。
兄の頬が林檎みたいに膨れ上がり、真っ赤に染まった頃。私達も食卓に加わる事にした。
麗は人見知りせずに、私の話や、美人部の話を母や父にしていた。それを語る麗はとても嬉しそうだったので、見てるこっちまで笑顔になってきた。このまま大切な事まで忘れそうだった。
食事が終わり、先に麗にお風呂を譲った。その後、母は洗い物を、父はテレビを見ながらビールを飲んでいた。私は姉の部屋にいた。
姉は私が部屋に入るのを確認すると、部屋の扉を閉める。
「……お姉さん。色々聞きたいんですが」
「うん、だろうなと思ったよ。もう、バレちゃったからしょうがないね。全部話すよ」
姉は机の中にしまっていた一枚の写真を取り出す。それを眺める姉はなんだか、少し嬉しそうだった。その写真をゆっくりと眺めた後、私に手渡す。
「これ、なんだか覚えてる?」
「これは……何ですか?」
「それはね、幹がまだ三歳の頃の写真だよ。って言っても、あたし達とまだ知り合う前のね」
「…………」
薄々感じていた。以前、姉に迫られた時に何かを言いそうになっていた。それがずっと魚の小骨のように引っ掛かっていた。つまり、私は元から、姉や兄と兄妹ではなく、更に言ってしまえば、父と母とも血の繋がりがないのかもしれない。
これだけでも、分かっていたとはいえショックだ。
「幹は孤児院で途中まで育ったんだよ。もう覚えてないだろうけど」
「……はい」
「それは、あたしがお母さんから聞いた話。で、美樹たんが今知りたいのは、岸本 重蔵――――美樹たんの彼氏のお父さんの事でしょ?」
「はい。何で私の元の名前を知ってて、尚且つお姉さんを知ってるんですか」
私の疑問は終始そこに尽きる。姉と知り合いだった重蔵。そして、同時に幹という名前を知っていた。かと言って、私は以前に重蔵に会っている記憶なんてない。だから、この繋がりは何かがおかしい。
姉は深呼吸をしてから、私の瞳を真剣に捕える。そして、口を開いた。
「幹が中学校の入学式のとき。あの重蔵って人が家に直接訪ねてきたの。そのときにね、『私の子供の幹によろしく』って言ったの」
「…………そ、それは…………」
一番最悪の展開だった。私は全てが壊れていくような感覚に晒される。姉の言葉、全てが嘘だと思いたくなる。
しかし、姉は言葉を続ける。
「お母さんに聞いたの。美樹たんは不幸な生い立ちなんだよ。普通に考えれば、それは当然なの。だって重蔵さんの奥さんは、そのとき雅史君を妊娠してたんだから。つまりね。美樹たんは重蔵さんの不倫相手の子供で、存在を認知されるわけにはいかず、捨てられた子供だったって事だと思うの」
「す、すて……られ…………た?」
私はもう耳を塞ぎたかった。家族が本当の家族ではない。しかも、もしかしたら、私は、私の愛してる雅史と異母兄弟かもしれないのだ。
でも、性転換した私なら、きっとDNAが変わってるはずだ。
「で、でも、私は性転換してるんですよ? DNAだって変わってる筈ですよ!」
「ううん、美樹たん。勝手にやらせてもらって悪いけど、美樹たんのDNAは変わってないよ。もちろん、男性から女性には完全になってたけど、基本的なDNAは変わらない」
「な、何で、そんな事分かるんですか!」
「……この前、あたしが美樹たんと一緒にお風呂に入ったでしょ? そのときにね、美樹たんの髪の毛を一本だけ貰ったの」
「…………そんな……」
私は両膝を床に着けた。
私個人にとって初めての恋。それが、まさか血が繋がってて終わりだなんて、思ってもいなかった。やっとの思いで告白して、付き合って、デートして、まだまだしたい事が沢山あるのに、何で、今さらになってDNAが関係するの?
いつの間にか、私の双眸からは涙が流れていた。
「美樹たん……」
「……ふふ、お姉さんは悪くありません。教えてくれて、ありがとうございます」
床から立ち上がり、私は姉の部屋を出る。
丁度よくお風呂から上がった麗とはち合わせる。
「……美樹? どうしたのだ?」
「……何でもありません……」
それ以上麗は追求せず、ただ涙を流す私を見ているだけだった。
そして、私は自分の部屋に閉じこもった。




