美鈴が美樹を別れさせるために動き出したりなんてしないっ!
美樹が部屋を出た後。あたしは真剣にパソコンのモニターを見つめる。今ディスプレイに映ってるのは、あたし個人の仕事とはまったく関係のないものである。いや、正確に言うならば、モチベーション的な意味で言えば、関係があるかもしれない。
あたしのパソコンは現在松丘総合高等学校の生徒会による在籍生徒の個人情報のファイルをハッキングし、閲覧している。元々、このファイルを構築したのは、あたしなので卒業した今でもハッキングは容易だった。その名簿から、『岸本 雅史』という名前を探す。何しろ手掛かりは名前だけだから、探し出すのが大変だ。
あたしは今、美樹の彼氏となった人物の住所を知りたい。住所を知って、岸本 雅史という男に、美樹と別れなければ殺す。という脅しを手紙で送ろうと思っている。そうすれば、大半の男は美樹から去っていくだろうし、その際にあたしが優しくすれば、きっとあたしの事を大好きになってくれるに違いない。
矢印のマークは巡り巡って、美樹の所属するクラスまで来た。そこをクリックし、ファイルを閲覧しようとする。しかし、いきなりの警告ページが現れる。
「へぇ~このクラスだけロックが何重にもされてるんだ。もしかして、美樹たんの情報を狙う奴でもいたのかな。そんな奴は一人残らず社会的に殺してあげるけど」
あたしは独り言を呟きながら、一年B組の生徒個人情報のロックを解除する作業に入る。自作プログラミングの『スパイミキ』を起動させる。このプログラムは基本的に国家機密だろうが、何だろうが打ち破る最強のハッカーアイテムだ。そのメインメニューが開かれる。
『どうしたんだ姉貴』
「ちょっとこのロックを解除したいんだけどお願いしていい?」
『姉貴のお願いなら絶対に叶えなきゃな』
このプログラムは対話によって命令する形式のものだ。そして、もちろん声は幹のものだ。美樹になる前に作成したプログラムだから当然か。隠れて録音するのが大変だったな。
他のクラスのロックを解除するのは、自力で出来たけど、ここだけは時間がかかりそうだ。その為、スパイミキを使ったのだ。
その間、あたしは暇つぶしに美樹が初めて女になってショッピングモールに行った時の写真を眺める。まだ、女として右も左も分からなかった美樹が、今は恋をしている。こんな事になるなら、最初から女子力を上げるんじゃなかった。ましてや、東京都を占める美少女とまで言われているのだ。恐らくこの世で一番難しい攻略キャラだろう。
あたしは溜息を吐いて、写真を元の場所へと戻す。すると、ハッキングが完了したのかスパイミキが喋り出す。
『すまねぇ姉貴……このロックは俺じゃ無理だった……』
「え!? どういう事!? だって、スパイミキは国家機密も潜り込めたのに……!」
動揺してしまう。だって、先日も国家機密にアクセスできたこのプログラムが負けたのだ。つまり、美樹のクラス情報は国家機密以上のプロテクトがかかっている事になる。それはそれで嬉しいんだけど、複雑な心境である。
「分かったわ。ありがとうスパイミキ。今日も愛してるわ。お疲れ様」
『本当にすまねぇ姉貴』
そう言ってプログラムは自己シャットダウンした。
このプロテクトを考えたのは、恐らくあたしの先生にして下僕である綾子の仕業だと感づいた。既に岸本 雅史という名前を探る目的を忘れ、あたしはスパイミキすらも防ぐガーディアンに興味が沸いた。
手元にあったスマートフォンを操作して、電話をかける。まだ夜も耽っていないのだから、ワンコールで出るだろうと確信していた。
「もしもし。杉本です」
予感は的中した。綾子は売れ残り商品のような女だから、電話にはすぐ出てくれると信じていた。
「お疲れ。先生。あたしだよ~」
「うっ美鈴か……こんな時間に何の用だ」
「こんな時間? まだ夜の九時でしょ? 先生まさかもう寝ようとしてたの?」
「……い、いや、これから男友達と飲みに行こうかなと思っていたところだ」
「見栄張らなくても平気だよ先生。あたしに、そういうのが効かないって知ってるでしょ?」
「…………で要件は何だ」
綾子は図星のようで、言葉を濁した。
「もう学校は夏休みでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、明日ちょっと用事があるから、寄りたいけどいい?」
「……分かった。で、何の用事だ?」
「ちょこっとね!」
例え下僕と言っても、さすがに個人情報を調べに行くと言われたら、綾子もあたしの入校を拒むだろう。だから、ここでは一応誤魔化しておくことにした。
綾子はあたしの声を聞いて、「分かった。じゃあ明日待ってるぞ」とだけ言って電話は切れた。通話が終了した携帯をパソコンのキーボードの隅に置いてから、軽く背伸びをする。
明日は、朝から懐かしの母校へ行くとするか。
それから、あたしは美樹が着用していた洋服の匂いを嗅ぎながら、睡眠へと入った。
◇
今日も今日で真夏日の東京。あたしは自分の母校である、かつて女子高だった場所に愛車であるベンツのSL63AMGを停める。それから、昇降口に入る。
意外にも、夏休みは始まったばかりだというのに、校舎内やグランドなどでは生徒が部活動に励む姿が見受けられる。そんな光景に一般人は高校生に戻りたいとか思うんだろうなと感じた。あたしは美樹と一緒に姉妹登校してみたかった。いや、幹とあたしで恋人通学もよかったかもしれない。そんなあるわけもない妄想をして、早くも美樹エネルギー不足に陥っている事に気付いた。
まずは職員室に寄ろうと思ったとき、とある人物を見かける。
肩にかかるかかからないかくらいの長さの黒髪。まな板のような貧乳。そして、猫のようにキツめな瞳。それは以前、美樹と一緒にいた女子生徒だった。今は丁度登校してきた頃なのだろう。鞄を持ってひたすらどこかに向かっているようだ。
そんな彼女にあたしは声をかける。
「ねぇねぇ、もしかして、美樹たんの友達?」
ナンパみたいになった。すると、あたしの声を耳に入れると彼女は、険しい表情であたしを睨みつけるように見つめた。彼女の瞳孔は虎よりも鋭い。
「朝から何だ貴様は。美樹たんと言ったか。私の恋人に勝手にあだ名をつけるな」
「…………えっ!?」
あたしはビックリした。まさか、この子が美樹の彼女? と思ったし、まさか、美樹が彼氏出来たとは言わなかったのはこういう事だったのかと感じた。けれど、よくよく考えてみれば、彼氏は岸本 雅史だった。それを思い出し、彼女が嘘を真顔で言っている事に気づけた。
「それは嘘だね! だってうちの美樹たんには男の彼氏がいるもん!」
「……なんだと? 貴様――――いや、もしかして、あなたは美樹の御家族の方なのか!?」
「そうだよ! あたしは美樹たんの姉みたいなもんだよ!」
目を見開き、先ほどまで虎のような目だったのが嘘みたいに変貌した。今は驚愕という表現が、かなりしっくりとくる。
「し、失礼しました! 私は、黒樹 麗と言います! 御姉様!」
「気にしなくていいよ!」
いきなり頭を思いっきり下げる麗。なんだが、逆に悪い事をしてる気分になってしまった。あたしは、どのくらい美樹が付き合ったという噂が広まったのかを確かめる為に麗を試す事にした。
「じゃあさ、美樹たんに彼氏がいるって知ってる?」
「なん……だと……!? そ、それは本当なのですか!? 相手は!?」
真に迫っている麗。これはこれで、ホラー映画に出来そうだなと、思ってしまった。今は仕事じゃないのだから、それは置いておこう!
「そっか、知らないんだね。じゃあさ、岸本 雅史って人知ってる?」
「あ……はい。彼は私達と同じクラスです」
「私達?」
「はい。私も美樹と同じクラスで、最近では結構三人で昼ご飯を食べる事が多かったです。で、その岸本がどうかしたんですか?」
「え、えーっとね。それが美樹たんの今の彼氏みたいなの」
そう言うと、麗は石像のように固まった。効果音をつけるとしたら、ピシっという音がしそうだ。
たっぷりと時間を消費してから、麗は口を開く。
「あ、あのー……何て言いました?」
「岸本 雅史っていう人が美樹たんの彼氏みたいなの」
「…………」
二度聞いた麗は、いきなり倒れこんでしまう。
「え、麗ちゃん!? ちょっと麗ちゃん!」
麗は瞳を閉じたまま、動かなかった。彼女は意識を失っていた。
◇
さて、麗をなんとか保健室まで運んだはいいけど、今日はまさかの保健室の先生が有給を消化している日だとは、運が悪い。保健室は鍵が開いてたから良かったものの、どこに何があるのか、さすがのあたしにも分からなかった。何せ今もだが、学生生活中に保健室を訪れたのは過去片手の指でも余るくらいだ。
このまま、麗を寝かせるだけでは不安なあたしは、綾子に電話をかける。
「もしもし、先生? ちょっと黒樹っていう子が校舎で倒れちゃったから、保健室に来てくれない?」
「ああ、別に構わないが、もう美鈴が学校にいるとは思わなかったよ」
「はいはい。でさ、こっちにくるとき一年B組の生徒個人情報のファイル持ってきてね」
「はぁ!? そんな事できるわけないだろうが! 無理だ!」
会話の流れに乗ろうと思ったけど、失敗した。しかし、こうなってしまえば、仕方ない。あたしは出来れば使いたくなかった手を打つことにした。
「はぁ……持ってきてくれたら、先生にあたしの仕事先でハンサムで金持ちの友人を紹介しようと思ったのにな……」
「生徒個人情報だな? すぐに持っていく。美鈴。セッティング頼む!」
「あいあいー!」
すると、電話は切れた。
自分が良い男を捕まえる為には生徒の個人情報すら流す女教師、杉本 綾子。そりゃあ結婚できない筈だわ。と一人で笑った。
それからすぐに綾子は保健室に現れた。
「美鈴ッ! お待たせした」
「お疲れ先生。じゃあ早速見せてもらうね!」
綾子は何の悪びれもなく、そわそわしている。
「しゃ、写真とかはないのか!?」
「うーん、家に帰ればあるかもしれない」
「そ、そうか! それを私に送ってくれないか?」
「えー、まぁ分かったよ。覚えてたら送るね」
「た、頼むぞ」
あたしは綾子との会話を尻眼に、ファイルをペラペラとめくる。その中に当然ながら、谷中 美樹の個人データも見つけたし、黒樹 麗のデータもあった。まさか身体測定のデータまであるとは……美樹たんのB・W・Hの数値化された表がある。これはヤバいな。さすがあたしの妹だ。まさかあたしを越えるとは……それでこそ揉みがいがあるってもんだよね!
そんな中、ようやく岸本 雅史のデータへと辿り着いた。
いたって平凡な男だった。あたし的には何で美樹たんが惚れたのか分からなかった。これなら、女同士であたしとラブラブしたほうがいいのでは? と率直に思う。そこで、あたしの目には親の名前が引っ掛かった。
『岸本 重蔵』続柄:父。
「え……?」
岸本 重蔵は、幹が中学の入学式の日に尋ねてきた初老の男性の名前だ。それが彼の父のようだ。もしかすると、幹と雅史は本当は血の繋がった兄弟なのかもしれない。
あたしはファイルを持つ手が震えるのを感じた。
「くくく……突破口見つけた! これで美樹たんはあたしの彼女だぁあああああああああああ!」
嬉しくて叫んでしまった。プラン的には雅史と幹は兄弟だったフラグが立って、別れる⇒あたしに泣きつく⇒そのままセクロスッ! まさに愛の結晶の誕生だよね! 女同士だから子供は作れないけど。
あたしの狂気に満ちた笑みを見て、綾子は首を傾げるだけだった。あたしの事を知ってれば、このくらいの叫びには驚かないだろう。
けれど、意識を失っていた麗が目を覚ました。
「あ、私は……」
「眠ってたんだよ麗ちゃん」
「御姉様ッ! ……では、美樹が岸本と付き合ってたのは……夢ではなかったのですね」
今にも泣きそうな顔で呟く麗。
あたしはそんな麗の手を握り締め、彼女の眼を見つめる。
「夢じゃない現実だよ! だから、あたしと麗ちゃんで美樹たんの目を覚まさせよう?」
「美樹を……目覚めさせる?」
「そう。美樹たんは平凡な男子と付き合うべきじゃない。それをちゃんと分からせてあげよう?」
麗は一度瞳を閉じて、大きく首を縦に頷かせた。
「はい。私も御姉様がよろしければ一緒に美樹を別れさせたいです」
「おっけー! じゃあ、ここに美樹たんのフラグを折っちゃえ大作戦を決行しようじゃないか!」
「はいっ! 御姉様!」
あたしと麗は硬く握手を交わし、美樹と岸本 雅史を別れさせる計画を立てて、実行する事を誓った。