牧に困ったりなんてしないっ!
頭を下げるイケメン副担任・代永 牧。もちろん、クラスは騒然とする。女子はお祭り騒ぎで、男子は妬みの視線が牧に向けられる。俺の言葉を待っているのか、ずっと頭を下げたまま、一向に上げる気が無い。これはいわゆる最敬礼って奴だ。そんな物を女子高生に向けて何になるのだろうか。そもそも、生徒と教師で恋愛とか犯罪なんですけど、大丈夫ですか?
「……私としては、先生に犯罪者になってもらいたくないのですが」
「何を言っている。私は、君と付き合えるのなら教員生活に終止符を打つつもりだ。そして、君が高校を卒業するのを待つつもりだ」
「……良い覚悟ですね」
困ったな。こうまで真剣に考えられていたのでは、斬りにくい。クラス全員がいる中での告白とか勇気がどれだけ必要だったのだろうか。いや、もしかしたら、これで俺の集中力を削ってテストに支障を起こさせるのが狙いなのか? だとしたら、そうとうな策士だぞ?
俺は溜息を吐いて、麗を見る。麗は牧の身体が若干邪魔して姿が精密に伺えないものの、彼女が結構怒っているのは目に見えて分かる。さっきから、シャープペンシルを机の上でガリガリと音を立てながら、ストレスを発散している。
我慢の限界か、麗は椅子から腰を浮かせる。
「おい、貴様。どういう神経で朝っぱらから、告白する奴がいる」
「ここにいる」
「そうか、まともに応える気はないのか? ならば今すぐ、ここで散ってもらおう」
「それはできないよ、麗君。君と杉本先生には散々邪魔されたからね。ようやくこの私は解放されたのだよ!」
「死ね」
麗が間髪入れずに、シャープペンシルを牧に刺そうとする。いや、これって怪我させるんじゃないの? だが、麗のシャーペンは牧には突き刺さらず、牧の手中にシャーペンは握られてしまった。
「だいぶ攻撃が鈍ってるね、麗君」
「貴様に名前を呼ばれると寒気がしてくる。離せ外道」
「外道とは酷いな。まだ、何もしてないじゃないか」
「美樹に何かしてみろ。一瞬でお前の遺伝子を全滅させてやる」
麗と牧が激しく睨む。そんな中、席を立ち上がり、こちらに向かってくる一人の男子生徒がいた。無論、それは俺の好きな雅史だ。雅史はゆっくりと、真顔を保ったまま、牧の腕を掴んだ。
牧は邪魔な虫が手にくっついたくらいにしか思っていない。
「……なんだね、君は。私の恋路を邪魔するつもりか?」
「いいえ。美樹さんが迷惑そうな顔をしてたので、止めに来ました」
「なんだと? 迷惑そうだと? 今の彼女はとても嬉しそうじゃないか!」
「え? あ……」
牧と雅史が俺の顔を見る。もしかしたら、雅史が助けに来た事が嬉しくて顔に出てしまったのかもしれない。だけど、それ以前に俺は、迷惑そうな顔をしてたんだね。それは完璧な女子である谷中 美樹として失格だ。
麗と牧と雅史。三人が俺の机の前で争っている所に、終了の鐘の音が鳴る。いや、正確にはテスト開始の合図の筈だ。
それを耳に入れた牧は、教壇に戻り、テスト用紙を手に取る。慌てて麗と雅史も席に着く。この切り替えの早さは一体なんなのだろうか。
牧は先ほどの事を一切気にせずに、プリントを回す。
「じゃあ、今からテストを開始するぞ。カンニング行為、及びテスト中の教室退出・入室は評価がゼロになる可能性がある。では皆気をつけてテストに望め。はじめ」
俺だけが流れについて行けなかった。まったく牧のせいで、勉強した事が忘れ……てないな。うん。テストに出てくる問題がすらすらと分かる。もしかして、美樹になって脳の方も進化したのかもしれない。
何で俺って頭悪かったんだろう……。
◇
「いやー疲れたなー!」
「麗は寝てる時の方が目立ちましたけどね」
「テストが簡単だったからな!」
「まぁそうでしたけど、寝言を言ってる時はビックリしましたよ?」
「む……なんて言ってたのだ」
「それは……」
前期の中間テストが全て終わり、帰りのHRの時間だ。今日から美人部は活動を再開させるみたいなので、家に直帰というわけにもいかない。まぁ家に帰ってもゲームくらいしかすることがないし、部活に行くほうがいいだろうと思った。
そんなわけで、今日は綾子が来ていたので、帰りのHRは綾子だ。正直な話、あれから牧には毎日告白されて、そのたびに麗が絡んで、テストの時間になって流れる。という一連の動作――作業的な物に変わっていた。
テスト中は早く帰れるので、雅史に勉強を教えてもらおうと思ったのだけど、毎回予定があるらしく、一緒に勉強ができなかった。まぁテスト週間のときに沢山勉強したから、良いけど。でも、やっぱりモヤモヤした。もしかしたら、幼馴染の瑠花と勉強と称した、関係に発展したら……と思うと教科書を破きたい衝動にかられたものだ。そんな彼は今日も用事らしい。本当に瑠花と何かあるんじゃないかと疑いたくなる。
「黒樹さんは、寝言で『美樹大好き~』って言ってたんだよ」
「む? そうだったのか。本音ならば平気だ」
「本音って……」
麗と俺の会話に雅史が割り込んできた。最近では、雅史と麗と俺で絡む事が多くなってきた。近頃遊びに行きたいなと思う。男一人、女二人。雅史ハーレムじゃないか。ま、麗は雅史に大して興味がないから安心なわけだけど。
それから綾子が教室に入ってきて、帰りのHRをする。いつも通りの簡潔なものの、綾子は凄く晴々とした雰囲気だった。
「……というわけで、私は夏休みに海に行こうと思うのだ!」
「まぁ、先生はナンパされても、中身知っちゃったら逃げられるパターンだよね」
「中身だと? 私は中身も完璧じゃないか! 何故嫁に貰ってくれないのか分からないんだよな~」
「それは先生の中身が残念だから……」
「私の中身は決して残念ではない! むしろ、良い方だと思うんだが……」
「貴様の脳が腐ってるから、まずは交換作業をしてもらったほうが良い。大丈夫だ、貴様の脳などチンパンジーと入れ替えても大して変わらない」
「なんだと黒樹? 表出ろやあああああああああああああああああああ!」
毎回毎回、麗が綾子に口を出すと喧嘩になる。それが一年B組の流れだ。その夏休み前の学校も、もうじき終わるのだと実感させられる。
そんな中、流れにあるまじき人間が、再び降臨した。
「杉本先生? そろそろいいですか?」
「あ? ああ、皆知ってるとは思うけど、こいつは代永 牧。一応うちのクラスの副担任なんだ。よろしく頼む」
綾子が牧を紹介するも、皆が渋い顔をしていた。それもそうだ。綾子は知らないだろうけど、コイツは色々と問題があるのだ。今では男子・女子共に嫌われている。それはしょうがない事であって、当然でもある。
頭を下げた牧。キリッと引き締めた顔で、クラス全員に聞こえるようなボリュームで、叫びにも似た言葉を発する。
「美樹さん、付き合ってください!」
牧と言えば、告白。そんな流れになってしまってきている。もちろん、そんな流れを許さない者が今日はここにいる。
綾子はステップを刻み、左足を軸に、右足で牧の尻めがけてバレリーナのような蹴りを放つ。瞬間。牧は、教壇から吹き飛ばされ、床に顔をぶつける。
「牧。谷中は皆の物だ。牧だけのものではない。そして、何よりも、お前は教師だ。生徒との恋愛行為は禁止されている。法律的にな」
「そ、そんなの――――」
「関係あるぞ。ゴミ。貴様は法を犯してでも美樹を自分の物にしたいらしいが、知った事ではない。そもそも、お前なんかが美樹と釣り合うとでも思っているのか?」
「ぐっ……」
麗と綾子のダブル睨みを受けている牧。さすがに心が折れるんじゃないかな? 俺はただ苦笑いをして、牧を眺めることしかできない。こんな俺を許して欲しいな。まぁ許さなくても関係ないけど。
牧は歯軋りをして、尻に付着した埃をぽんぽんと落とした。
「私は諦めない。谷中 美樹が私の嫁になるまで!」
『その前に私が貴様を刑務所にぶちこんでやる』
麗と綾子の声が見事にハモった。普段は仲が悪いのに、こういうときだけ、連携が出来てて凄いと思った。
言葉責めを喰らった牧は別段、ダメージを感じてる風でもなく、気にせずに俺の前までやってきた。
「どうですか? あなたの為ならば、仕事をも捨てる覚悟があります」
「そうですか。それは残念ですが、仕事を大事にしない人は私は好きではありません」
俺は微笑みながら、告げる。俺の言葉を正面から受け取った牧は、目を覆い隠し、仰け反っている。オーバーリアクションだけど、それだけショックっていう事なのかもしれない。俺も、雅史に振られたら、こんなふうになるのだろうか。
そんな中、雅史が席を立ち、牧の元へと近寄る。
「先生。いい加減にしてくれませんか? 毎回冗談を聞かされる身にもなってください」
「雅史さん……」
俺の事は見ないで、牧にしっかりと伝える雅史。その瞳は真剣かつ、攻撃的である。そんな雅史の瞳を受け、牧は溜息を吐いた。
それから、牧は雅史の肩に手を置く。
「……たびたび君も失礼だね。えーっと岸本君といったか。人の恋を邪魔しないでくれないか?」
「恋とか好き勝手言ってますけど、僕から見て、代永先生がしてる事は完全に迷惑行為になると思います」
「そう見えるのは、君の嫉妬心も入ってるからじゃないかい? 君のような凡人には一生手が届かない人。それがこの女神と比喩されてもおかしくない、谷中 美樹。彼女にふさわしいこの私に嫉妬しているのではないか?」
「…………」
「返す言葉もないか。そうだろうな。凡人は凡人なりに恋愛でもなんなりしたらいいさ! 私のような選ばれた人間にこそ、谷中 美樹は相応しいのだ! 分かったら、さっさと席に着――――」
そこで、牧の顔に誰かの拳がヒットした。殴ったのは雅史でも俺でもなく、麗と綾子だった。彼女たちの拳が牧の顔を挟む。牧を殴る麗は、歯を食いしばり、瞳をまるで羊を狩る狼のようなものに変貌していた。綾子は歯を食いしばってはいないものの、眉毛が逆ハの字になっていて、かつてない程の怒りに包まれていた。
両方の拳を喰らった牧は、白目になり、その場に倒れる。
教室には大の男が倒れた音が鳴り響く。
「貴様みたいな男にこそ、美樹は相応しくない。むしろ貴様など豚小屋がお似合いではないのか」
「いい加減にしろ、牧。私が少しは気持ちを汲んでやろうと思って副担任にしたのに、これでは逆戻りだぞ」
麗と綾子が意識のない牧に告げる。
クラスの皆はそんな麗と綾子を感動して見つめていた。そして、皆は二人をヒーローが勝利したかの如く、歓声を上げた。二人は照れながら、皆にペコペコと軽く頭を下げていた。
「でも殴ったのが他の先生にバレたら、どうなるんでしょうね?」
俺が呟いた一言によって、クラスの歓声は止み。麗と綾子は二人して、冷や汗を浮かべていた。
それから、帰りのHRは一時中断し、牧を貧血という事で保健室へと運ぶ事にした。そのとき、俺は雅史に牧の告白を止めてくれたお礼をしようと思い、声をかけた。
「あの、さっきはありがとうございます」
「ううん。別に全然大丈夫だよ。結局、黒樹さんと先生が、なんとかしたからね」
そう言う雅史の顔は暗い。何かを諦めたような、そんな表情だった。そんな顔をされると、俺の胸が痛む。頼むから、そんな顔をしないでほしかった。
「それに、代永先生の言った事は、本当だと思うし……」
「そ、そんな事ありませんッ! 例え、雅史さんが凡人だったとしても、私にとっては―――――」
「もういいよ。谷中さん」
気づけば、クラスの皆は先に保健室へ行ってて、廊下には俺と雅史の二人だけだった。
雅史の暗い顔を見て、俺の胸は痛みを刻み始め、遂には、今の雅史の言葉でその傷は深い物となる。雅史は俺の事を――美樹と呼ぶのではなく、名字である谷中と呼んだ。
俺は無意識に瞳を揺らしながら、聞きたくないのに、雅史の続きの言葉が耳から離れなかった。
「友達ごっこは終わりにしよう」
雅史はその言葉を俺に告げ、俺の視界から消えた。




