副担任が今頃登場したりなんてしないっ!
俺が母の抱擁を味わっていると、次々と家族達が帰って来た。その足音は辿々しい。どうやら、全員が揃っての帰宅らしい。兄貴の満も、姉の美鈴も、親父である道夫も、リビングに集結する。
皆が皆、俺と母の抱き合ってる姿を眺め、絶句する。母は俺の事を抱き枕のように隙間なく抱き締めている為か、皆の顔を見なかった。
この、俺と母の状態を見て、まず姉からコメントがあるようです。
「お母さん……。油断したよ、真の敵がまさか、家にいるとはねッ! さっさとあたしの美樹たんから離れてッ!」
「姉貴。少し黙ってろ」
「な、満!? 最近よく邪魔するわね!」
「ああ、だって姉貴は、俺にとって一番の敵だからな」
「ま、まさか、あんたも美樹たんを……?」
「もちろん本気だ。姉貴に譲る気はない」
「……まさか、既に包囲されていたとは……」
顎に手を宛てて、ぶつぶつと呟いている。兄貴も姉を睨みつけている。この年にまでなって兄弟喧嘩とはどうなのだろうか。
母は抱擁を解いて、俺の顔をまじまじと見つめた。
「うん。美樹なら大丈夫よ」
「え、あ……うん」
「なんたって、こんなに美人だし、綺麗だからね!」
「お母さん……今ここで言うのはちょっと……」
何の話をしてるのか、感づいた姉と兄貴が鬼のような形相で、黒々とした雰囲気を醸し出している。今にも俺を質問責めにしてきそうである。
姉と兄貴と一緒に帰宅した父は、荷物を置きに行った。
「美樹たん。明日テストでしょ? あたしが勉強教えてあげようか?」
「いいや。美樹たんの勉強は俺が教える。姉貴はテレビでも見てな」
「満? 死にたいの?」
「姉貴こそ、俺の真なる力を喰らいたいのか?」
バカな姉と兄貴は、犬のようにガルルルと歯を食いしばっている。この二人には本当にいい加減にしてほしいものだ。最近、俺を原因に事あるごとに喧嘩している気がする。
母は一度キッチンへと戻り、夕食の準備を開始した。父もリビングに戻り、夕刊を読みながらビールを進めている。姉と兄貴は未だ喧嘩中だ。
俺は夕食までの間、少しでも勉強しておこうと思った。だが、その前に食事の準備をしてる母の所まで出向いた。
「お母さん」
「ん? どうしたの? まだお母さんの愛が足らないの?」
一度作った物を温め直して、ニッコリとこちらに微笑む。俺は首を横に振って、真面目な顔を作る。
「私、頑張るよ!」
「そうね、私も美樹の恋が実るように祈っているわ」
「ありがとう」
「いいえ」
それから、俺は勉強をする為に自分の部屋へと戻った。
◇
テスト初日。
こんな時期にテストをするのは、どうなのだろうと思うほどの晴天。それこそ、海日和なのかもしれない。けれど、俺達は勉強をする。学生だからしょうがないっちゃあしょうがない。
今日のテストは英語と現国と数学だ。この三つの科目は、重点的に勉強したので、問題はないと思う。後は、俺の腕次第。
変わった事と言えば、テストのときは基本、朝が遅い事くらいだ。何でかは知らないけど、あれって理由でもあるのかな?
学校に到着し、教室へと入る。
すると、まだ麗は来ていないようで、俺が鞄を机の横にかけると、沢渡さんがこちらにやってきた。
「谷中さん、おはよう!」
「おはようございます」
「あのさー、聞いても良い?」
「何をですか?」
「谷中さんって、岸本君と付き合ってるの?」
朝から唐突過ぎると思った。クラスメイトを見渡せば、皆がコチラを見てる気がした。別に気にする事はない。俺は首を横に振った。
それを見て、沢渡さんがホッと胸をなでおろした。
「いやぁ~谷中さんと岸本君って妙に仲が良いから、そうなのかなって」
「そんな事はありませんよ」
タイミング良く、というのか。丁度そのとき、雅史と麗が教室に入って来た。二人は仲が良さそうに、じゃれ合っているようにも見える。雅史が適当な事を言って、麗に叩かれる。たったそれだけなのに、俺の心の中はドス黒い何かで埋め尽くされそうになっていた。
麗は俺の前の席に座ると、雅史とは会話を終えて、俺に振りかえってくる。
「おはよう美樹」
「おはようございます」
「ん? 何かいつもと違くないか? 何かあったのか?」
「何がですか?」
「機嫌が悪いというか、腹を立ててるというか、朝何かあったのか?」
「そうですね。ありましたよ朝から」
「そうか? まぁ、あんまりイライラが収まらないようなら、わ、私に相談してくれてもいいんだぞ?」
原因は麗なんだけどな。
俺は機嫌が悪いのが顔に出てると言われ、とりあえず顔の運動をする。頬を上下にさせて、強張っていないかをチェックして、手鏡で顔を見る。別段、いつもと変わらないし、目の下にあるクマだって綺麗に隠せていた。
まさか、麗は遂に俺の心を読む力を……? それは恐ろしいな。
色々とチェックし終え、俺は麗に向き直る。
「どうして、私の機嫌が悪いと思ったのですか?」
「なんとなく?」
「エスパーか何かですか?」
「む、私は美樹のスペシャリストになりたいと思っているからな! なんて言ったって私は美樹を愛してるからな!」
相変わらずの麗の妄言に、何者かから声が届く。それは、席に鞄を置いてから、こちらに近づいてきた雅史だ。昨日徹夜でもしたのか、俺と同じように眼の下が黒い。俺は化粧で隠せてるからいいものの、雅史は隠せないので露出したまま来たようだ。
そんな雅史は麗に溜息を吐き、諭すように口を開いた。
「だから、女同士は無理だって言ってるでしょ?」
「む? まだ言うか!」
「もう、美樹さんが困っちゃうでしょ?」
「貴様にそんな事を言われる筋合いはない! 説教をまだ続けるのなら、私の怒りの鉄槌を喰らわせてやろうじゃないか!」
「あ、あれは本当に痛いから、止めてほしいな……」
バシンバシンハンマーの事を思い出したのだろう。あれは美人部の連中にも評判だった。あれはかなり痛いとの事。通常のピコピコハンマーを、何でかは知らないけど、使い古した後に麗によって加工されたらしい。それ以降のピコピコハンマー事バシンバシンハンマーはただのバラエティに使われるような品ではなくなった。
雅史は苦笑いして、俺の方へと向き直る。
「おはよう美樹さん」
「おはようございます、雅史さん」
「……うん、今日も可愛いね!」
「へ!? え、あ、あの……そ、それをここで言うのはどうかと……」
「ん? え、あ、そ、そのー……じ、実は昨日徹夜で勉強してたからさ、ちょっと本音が出ちゃったというか、なんというか……」
後髪を弄りながら、雅史は耳まで真っ赤にさせていた。ド直球の褒め言葉を喰らった気がする。それも本音だと言うのだから、嬉しくないわけがない。今日はこれだけを糧に、テストだって頑張れる気がした。
そんな俺と雅史のオロオロとした会話を聞いていた麗が、つまらなそうに溜息を吐いた。犬の尻尾が付属されていたら、多分上がっていた尻尾が下がった事だろう。
「はぁ……」
「れ、麗?」
「美樹は変わったな……」
「何でそうなるんですか」
「私も徹夜したというのに、何もしてくれないからな~」
「……では聞きますけど、麗は徹夜してまで何をしてたのですか?」
「べ、勉強だ! それ以上でもそれ以下でもないぞ!」
「……では何の科目を勉強してました?」
「え、えーっと……あれは……ジャンル的には純愛? じゃなくて文学だ!」
「純愛? っていうとゲームですかね?」
「ち、ち、違う……と思う」
「麗」
「はい!」
「テストで悪い点数でも、私は知りませんよ?」
俺の鋭い視線を受け、麗は俯き、笑いだす。その怪しげな微笑みは、ゲームで出てくる悪役みたいだった。
麗は視線を俺に瞳に向ける。
「美樹、私を誰だと思っている。私はちゃんと勉強も普段からしているのだ! だから問題は――――」
「いいから席に着け」
高らかに叫んでいた麗の頭にポスっとクラス名簿が当てられる。それを宛てたのは我が担任の綾子――――ではなく、別の教師だった。
「……誰だ貴様」
「私はスクールカウンセラーの代永 牧だ。今日は杉本先生の代わりに君たちのテストを監視する。よろしく頼むぞ」
彼がそう言うと、女子生徒が黄色い声援を送る。なにせ、彼はカッコいい。オールバックにされた前髪。若干普通よりも焼けた肌。白い歯。そして、かなりの長身で、スーツの上からでも分かる肉体美。
まぁ一般論からすると、カッコいいよね。興味ないけど。
麗はかなり邪険な顔を作って、舌打ちをした。
「チッ、貴様か。毎回毎回良くやるな」
「何の事かな? 麗君」
「名前を呼ぶなクズ」
「ふふ、相変わらず釣れないね」
俺は思う。この代永 牧とかいう男ってもしかして、ロリコンなわけ? 麗に猛烈なアプローチでも仕掛けてるのだろうか? そういった解釈しかできない俺は恋愛脳なのだろうか。
そのまま、牧は麗の横をすり抜け教壇に立つ。
それに合わせて、雅史も自分の席へと帰ってしまった。テストが終わったら、こっちから話しかけに行こうと思った。
牧は教壇の上に名簿を乗せて開く。次々と呼ばれるクラスメイトの名前。彼のようなスクールカウンセラーが一体何故、この教室にいるのか謎だった。
全員の名前が呼び終わる。本日の欠席・遅刻者はゼロ。大変素晴らしい。
「あの~杉本先生はどうしたんですか?」
男子生徒が、牧を邪険に睨みながら手を上げながら、聞いている。
牧は名簿を閉じて、その男子生徒を優しく見つめる。
「杉本先生は風邪だ。主に追い込みをかけ過ぎたとか。それで、副担任である私が今日は君たちの担任――もとい、カンニングを防止する為の教師だ。よろしく頼む」
牧の言葉を耳に入れた女子達は「カッコいい!」とか色々言っている。もちろん、その中に俺は入っていない。そもそもこんな、ゴリゴリした男は好みじゃない。
ちなみに男子生徒は分かりやすいもので、凄くイライラした生徒が目立つ。青筋を浮かべている男子が過半数以上――いや、九割いる。雅史だけが、窓の外を眺めて物思いに耽っているようだった。そんな姿も情緒的で、見てる俺が癒されそうだ。
そして、牧はテスト前の注意事項を読みあげる。
「さて、そろそろテストの時間になるが、その前に、君たちに言いたい事がある」
牧は静まり返る教室で、一度小さな深呼吸をする。
「私はある事情で、この教室に副担任として来られなかった。それは本当に申し訳ないと思う。しかし、私は遂にこの教室に足を踏み入れる事ができたのだ」
皆は何を言っているの? という顔だ。クエスチョンマークが全員の頭から浮かんでいる。
そして、牧はクラスの中を歩く。
「つまるところ、とある者達に邪魔されていたわけだ。しかし、今その障害はなくなった! 私は、このチャンスを無駄にはしない」
そして、牧は俺の机の前で止まった。
「谷中 美樹さん。俺と結婚を前提にお付き合いしてください」




