テスト勉強をし過ぎたりなんてしないっ!
俺の声は部室によく響いた。
静寂。その後、五人組は静かにゾンビのように這い起きた。
「美樹さんが勉強を……保健体育かな?」
「勉強という名の罵倒大会ですか?」
「僕を残して勉強かぁ……」
「美樹殿も勉強なら俺が教えてあげるのに……手取り足とり」
「ミッキーと一緒に勉強か……他にも何か遭ったんじゃない?」
今日は逃げない。それを決めてきたのだ。
俺は大人しく麗の隣に座り、こちらに向かってくる五人組を静かに見据えた。
「ええ、そうです。勉強を二人っきりでしてました。何か意見はありますか?」
笑顔。それがコイツらに一番効くのだと、俺はこの数ヶ月で勉強したのだ。奴らは俺の天使のような笑顔を見て、ゾンビのような動きから一転。いつも通りの所作で、動揺しているのが分かった。
「で、でも、なんで逃げたんですか?」
「普通に追いかけられれば逃げたくなるのが普通じゃないでしょうか?」
正男はうろたえながら、俺に質問を投げかけてくる。しかし、その表情は俺を疑っていたという罪悪感が働いているのか、顔が引き攣っている。
このままジワジワ攻めれば、俺は安泰だな。
「で、でも逃げたのは美樹殿の方では?」
「本当に用事があったんですけど?」
「う、うぅうううむ」
「心配いらないですよ?」
拓夫も俺の笑顔を見て、正男と同じような気持ちになってるのだろう。少々喉を詰まらせている。すると、他の三人も顔を合わせて、これ以上俺に何かを聞くのは止めようと、目線で会話していた。何故、俺がそんな事分かるって? 当り前だろう。俺は三年間親友やってたんだぞ。舐めてもらっては困る。
「へぇ。じゃあ、あの人は誰なの?」
「あの人は、図書室で勉強してたら知り合った人です。親密な関係などではないです」
「ふぅ~ん、のわりには結構男の方が食い込み気味だったけど」
「何の事ですか」
「美樹ちゃんの事好きなんじゃない? あの超イケメン」
優香が俺の中にある真意を引っ張りだすために、あの手この手で攻め込む。俺は予感していたのだ。一番めんどくさいのは恐らく優香だと。彼女は何かしらと俺に攻撃をしてくるからな。別に、避けられない俺じゃないけど。
「優香はあの人の事をカッコいいって思うんですね」
「え、い、いや、べ、別にカッコよくなんて……」
「私はまだ部活の人達の方が、カッコいいと思いますよ?」
『……』
男子五人組は感動した面持ちで、俺を女神の如く見つめる。さぁ、優香。俺はお前をこのまま無事に帰すとでも思ってるのか?
俺は優香を逆に仕留める手段を脳内シュミレーションする。しかし、そのとき大人しかった麗が口を開く。
「皆、明日はテストだろ? とりあえず、勉強したらどうだ?」
「……麗の言うとおりですね」
「う、うん。悔しいけど、その通りかもね」
「麗様がまともな事を言ったぞ?」
「僕の中では一番まともじゃない人が、まともな事を言った気がするんだけど……」
「何か言ったか愚民」
「い、いや言ってないです!」
麗がまともな事を言うもんだから、皆が固まってしまった。
確かに、その通りなんだけど、一番勉強しなさそうな人が言うと、妙に説得力があるんだよね。男子達も慌てて自分の席に着いた。ちなみに暗い空気は無くなった。
俺らはそれから勉強に数時間使いこみ、誰も口を開く事はなかった。
もちろん、俺も勉強に集中していたけど、五人衆は知っての通り、普段は頭悪い発言が横行するけど、脳は基本ハイスペックなのだ。もちろん、優香もここに編入できるくらいの実力がある。という事は必然的に入試よりも高いレベルの試験を受けて、合格している事になる。
だけど、麗ってどうなんだろう……。
俺は手を休めて、麗のノートを見てみる。いつもは俺の視線になら意の一番に気付く麗だが、今はノートに瞳孔を奪われている。しかも、シャープペンシルの動きが尋常じゃなく速い。ノートもびっしりと埋まっているので、最初見たときは、何かの魔法書かと思ってしまった。
生唾を飲み込み、麗のノートを眺めながら思う。
――――もしかして、美人部で一番頭良いのって麗なんじゃない?
手を止めて、麗のノートを眺めていた俺に、急に危機感が迫る。このままだと、麗に負けてしまう。俺は目の色を変えて、自分の勉強に戻った。
◇
「美樹?」
「は、はい?」
「もう最終下校時刻なんだが……」
顔を上げると、麗と優香達が心配そうに俺の事を見ていた。どうやら、勉強に集中し過ぎていたせいで、声が聞こえなくなっていたのかもしれない。カルティエの腕時計を見てみると、確かに下校時刻を過ぎている。このままだと、警備員さんに怒られそうである。
「ごめんなさい。今片付けますね」
俺は立ち上がるが、長い事座っていた為に、バランスを崩す。足を縺れさせ、倒れそうになった。しかし、そのとき俺の身体を皆が支えてくれた。
「あ、その……ありがとうございます」
「少し頑張り過ぎだぞ美樹」
「美樹ちゃん休息も必要だよ」
「俺らも美樹さんに負けてられないですね」
「うん。俺もご褒美に踏んでくれるなら頑張るかな!」
「僕も負けないようにしなくちゃ!」
「分からない所があるなら、いつでも俺が教えてあげるからな」
「ミッキー糖分は摂取しないとダメだよ?」
皆がそれぞれ言葉を暖かくかけてくれた。
「ありがとうございます」
「いいんだ。ただ、あまり詰め込み過ぎても、よくない。美樹、今日はこの辺にしておいたらどうだ?」
「この辺といいますと?」
「今日は明日に備えて、休息したほうがいいという事だ」
「はぁ……」
「その方が、美樹ちゃんも集中できるかもしれないしね!」
「わかりました」
俺は素直に頷いておく。彼女らが言うのだから、確信的でもある。
誰からともなく、歩きだし学校から帰路に着く。女子寮は俺や親友達の家とは逆なので、すぐに麗や優香とはお別れになってしまう。
そして、俺は元親友達と帰り道を共にしていた。
今の光景が、本来なら幹が味わっていたものなのかもしれない。だけど、俺は女体化して良かったと思う。
「じゃあここらで失礼します美樹さん」
「美樹様、ここらで失礼します」
「僕もじゃあね!」
「俺達はライバルですよ! 美樹殿!」
「ミッキーじゃあね! 夏休みは沢山ゲームしようね!」
皆が帰って行くのを一人で見届ける。
俺は全員が見えなくなってから、後に声をかけた。
「何の用ですか」
すると背後にいた人物は、溜息を吐いた。
俺は振り向き、背後に現れた不審者を眺める。
「……やっぱばれてたか」
ポニーテールを揺らしながら、彼女は若干苦笑いする。
夜風に揺られ、俺の長い髪と彼女のポニーテールが靡く。彼女は一度瞳を閉じて、深呼吸をする。一拍置いてから、言葉を告げた。
「……あなたにお願いがあるの」
「……」
俺は糾弾する事もせずに、彼女を下から上まで目線で追う。初夏に入りそうなこの時期。震える寒さはない。なのに、彼女は震える。
きっと、胸の奥に眠らせていた何かを今、吐くのかもしれない。俺も彼女の言葉を待った。
「あ、あたし……ま、雅史の事が好きだから、あ、諦めてくれない?」
「……諦める。とは何をですか?」
彼女にもう一度背を向ける。
「ま、雅史への想いを諦めてほしいの」
「……仮に、私が雅史さんを好きだとして、どうして諦めなきゃいけないんですか」
近くの公園で木々達が風に吹かれる音が響く。
「それは……それは、あたしが雅史の事を誰よりも、分かってるから!」
俺は振り返り、言葉を放つ彼女の頬に、右手で叩いた。
静かな住宅地には、渇いた音だけが通る。
「いい加減にしてください。あなたは何様のつもりなんですか?」
「……何様? それはこっちが聞きたいよ。雅史に近寄らないでよ。あんたとあたしじゃ、あたしに勝てるわけ……ないじゃん……」
彼女は瞳から涙を流す。
だけど、俺はその涙を見て同情はしない。
恋愛も弱肉強食だ。可愛ければ可愛い者が勝つし、綺麗であれば綺麗な者が勝つ。それが、この世のルールでもあり、人間という種族の絶対的掟だ。
だから、俺は彼女――大船 瑠花という一人の女の子に勝負を挑む。
「なら、同時に雅史さんに告白すれば分かりますよ」
「え……」
瑠花は俺を見上げる。
俺も彼女の頬にハンカチを添えた。
「はい。だから、テストが終わったら、一緒に告白しに行きましょう?」
俺の意図が分かったのか、彼女は首を縦に振った。
「分かった。あたしも告白する。……そうだね。確かに恋人を選ぶのに優劣なんてないもんね。それだったら、あたしは幼馴染っていうステータスもあるし」
「ふふふ。負けませんよ? 私が雅史さんを恋人にするんですから」
「あたしだって負けないわ! あなたに何一つ勝てないかもしれないけど、雅史を思う気持ちだけは誰にも負けないから!」
笑顔になった瑠花に俺は、ハンカチは不要だったと思い、自分のポケットにしまった。
◇
家に帰ると、珍しく姉や兄の声が聞こえなかった。
しかし、リビングなどには照明がちゃんと点けられていた。誰かが消し忘れたのか? と思いながら、部屋に入ると、母だけが台所にいた。
「あれ、お母さん?」
俺が呼ぶと、いつもコチラを見向きもしない母が、今日は微笑みながら顔を向けてきた。長い時間ずっと俺を眺める母。そして、一息吐き、嬉しそうでもあり、寂しそうな顔をして俯いた。
気味が悪いなと思った俺は、母の肩を叩きながら、顔色を伺おうとした。
「どうしたの? 変な顔をして」
「ううん。美樹も恋をするんだなって……」
「え!? そ、そんな事なんてしないよ!」
「そう? 勘違いかしら? 顔には好きな人がいるって書いてあるわよ」
「え、えーっと……」
いきなり繰り出される母の言葉に俺は冷や汗を流す。いつも俺にハリウッドスターと結婚しろとか言う人が、恋してる顔をしてるねと言ったら怖いものである。何しろ唐突だ。
ここで、好きな人がいるっと言えば、怒られるかもしれない。ショックを受けるかもしれない。悲しむかもしれない。だが全ての予想を越える程、俺は雅史が好きという気持ちがあった。
「……ごめん。お母さん。俺――いや私、好きな人できたの」
すると、母は俺の予想を一歩越えた行動に出た。
それは抱擁だった。母は俺の身体を抱きしめながら、言葉を添えた。
「おめでとう。私はね、美樹。あなたが性転換したから、もしかしたら恋なんてできないのかもしれないって思ってたの。それで、結婚するならハリウッドスターと、って言ってたの。でも、良かった。本当に好きな人が出来たのね」
「う、うん……」
いつもとは違った反応で少々驚いた。
けれど、俺に好きな人が出来て嬉しいと言ってくれた母に、感動した。
母の抱擁は暖かかった。




