姉が迫ってきたりなんてしないっ!
俺は背後の声に振り向く。そこには、両腰に手を当てている姉がいた。
「見てたって何をですか」
「男の子と仲良く歩いてた所。ちなみに録音もしてあるけど聞く?」
姉はボイスレコーダーを俺にチラチラと見せてきた。だから、何だと言うのだろうか。別にやましい会話などしてないし、隠す事もない。
俺は姉にいつものように凛として、身体全体を振りかえらせる。
「別にやましい事などないので、別にいいですよ」
「そ。じゃあさ。お母さんにコレ聞かせてもいいかな?」
姉は不敵に微笑む。その表情は完璧に、俺を脅している表情だ。一体何が目的なのかさっぱり分からない。しかし、母に公開したら凄く厄介だ。それこそ、また怒られかねない。何故、ああまでして俺を叱るのか理解不明だが。
一応、めんどくさい事にはしたくないので、止めて頂こう。
「ダメです」
「やましい事ないんでしょ?」
「……一体何が目的なんですか」
「ふふ。とりあえず、家に入ろうか?」
俺の傍を通り、家に先に入って行く姉。玄関の扉を開けると、いつものテンションで「ただいま~」と言っている。俺も姉に続き、家に入る。
すると、家にはまだ誰もいなかった。それもその筈で、まだ夕方の十七時であった。雅史の家にいたのも、そんなに長くなかったのだ。
玄関で靴を脱ぎ、自分の靴箱にしまう。
「美樹た~ん! あたしの部屋に来て~」
「……はい」
俺は生唾を飲み込んで、警戒しながら姉の部屋まで足を進める。そして、部屋の扉を開ける。
「な、何してるんですか!」
「ん~? 別に変じゃないでしょ? 裸でいるのなんて、普通でしょ? 女同士なんだからさ」
姉はバスローブを羽織っているだけの格好だ。それこそ、よく手入れされている肌などがチラリと見える。だが、不思議な事に興奮はしなかった。
だが、姉は違うようで、頬が若干の桜色に染まっている。彼女はゆっくりと俺に近づいてきた。このままでは、完全にヤバい気がしたので、すぐに俺は美樹モードを解除して、幹モードに変換させる。
「ちょっと待て!」
「待たないよ」
「いくら女同士っていうか、中身俺だって知ってるんだろ!? なんでそういう事をしようとするんだ!」
「何言ってるの? 幹、アンタずっと気付いてなかったの?」
「は?」
いつもなら、モード変更した瞬間に扱い方がガラッと変わるのに、今日はそうでもなかった。むしろ、若干興奮してるような……。そして、姉は俺の首筋に手を添えてくる。
「あたしが……あんたの事をずっと好きだった事」
「寝言は寝てから言え。第一、俺は姉貴の弟だし、今は妹で女同士だ。ふざけた事するな」
「……ふざけた事? 本気で言ってるの?」
「あ? 本気も本気だ。姉貴こそ頭可笑しいんじゃないのか?」
「…………」
姉は俯いた。俺は何も間違っている事は言っていない。俺と姉貴は実の姉弟で、今は姉妹である。バスローブ姿で迫ってする行為自体、姉妹では許されない。
「可笑しくなんてないッ! あたしはいつもいつもいつもいつも! ずっとずっとずっとずっと、美樹――いや幹の事が――――」
姉は顔を上げている。その瞳は潤んでいる。今にも涙がこぼれそうだった。
「大好きだったの!」
遂に、瞳から涙がこぼれる。
その雫が俺の制服に落ちた。
「……それは姉弟として? それとも姉妹としてか?」
「言ったじゃない! あたしは『みき』が好きなの! 愛してる! 結婚してほしいの!」
「それは無理だな!」
「無理じゃないッ! だってあたしたちは……」
「え……」
俺は固まる。
姉も口走って余計な事を言ってしまったのか、口元を抑えていた。
ちょっと待てよ。
「それってどういう――――」
その瞬間。
俺の目の前には、姉の瞳を閉じている顔があった。瞳だけがくっきりと見える。綺麗で長い睫毛には涙の粒がついている。スーッと下鼻筋は途中までしか見えない。姉の顔をここまで近くで見たのは初めてだ。
そして、俺の唇は何かで塞がれている。少しだけ動かすと、とても柔らかい物が触れていた。柔らかい物が姉の唇だと気付くのは時間がかからなかった。彼女の腕が俺の背中に回される。
俺はファーストキスを姉に奪われた。
どれくらい経ったのかは分からない。でも、体感時間は長かった。
ゆっくりと俺の身体は姉から離される。姉の瞳からは大量に涙があふれ出す。
俺は思い出したのだ。姉が普段から仲の良い母親に、数少ない歯向かったときの事を。
そのときは大して気にも留めてなかったけど、姉は俺が初めてバレンタインでチョコレートを貰ったとき、凄く不機嫌になって母に怒られてた。そのとき、姉は一度言っていたのだ『あたしは、幹のお嫁さんになるのッ!』と。
「ま、まさか……本当に……?」
「うん。あたしは、幹の事が大好きです」
姉は泣きながら、笑顔で言った。
固まる俺に、もう一度キスして、何度も何度も唇を重ねてきた。
俺はただ石像のように固まる事しかできなかった。
◇
「……ねぇ」
「何だ」
「お姉ちゃんの事好き?」
「感謝はしてるかな」
「ふーん。それだけなんだ」
「それ以上もそれ以下もないだろ。姉貴は姉貴なんだからさ」
「そ。でも、少しくらいは感謝の証が欲しいよね!」
「はいはい。姉貴は何でも手に入るんだからさ、自分で買えばいいじゃねーか」
「むー! 本当に幹はつれないね。……あたしだって手に入らない物くらいあるもんッ!」
「何か言ったか?」
「何でもないッ!」
「何で怒ってるんだよ……」
桜舞う季節。この日は弟である幹の入学式。
当時、あたしは高校二年生だった。
まだ着慣れない学ランにおどける幹が可愛かった。
あたしは、高校の春休みだった為、幹の入学式の保護者として参列しに来たのだ。普通は実の姉がこんな所に来るのは変だろう。思春期真っ盛りな時期でもあるし、何より、女子高生は暇がないのだ。
だけど、あたしはここにいる。
それは、あたしが根っからのブラコンだからだ。弟の事が大好きで大好きでしょうがないのだ。ただ可愛いとかじゃない。異性として見てる。
もう一人弟がいるけど、何でか満には異性としての興味が湧かないのだ。というか、もうどうでもいい感じ? これが本当の姉弟っていう事なんだろう。
じゃあ、幹は?
本当に異性的魅力を感じる。女性顔の幹。時にはしっかり者で、家族の一大事のときは真っ先にかけつける。あたしが迷子になれば一番に見つけてくれるし、何よりも一番頼ってくれるのだ。
頼れる所も、甘えてくれる所もある幹。本当に好きでたまらない。
「じゃあ、幹。頑張ってね!」
「おう。姉貴、来てくれてありがとな!」
「う、ううん! 別に平気だよ!」
「よし、行ってくる!」
幹は手を振りながら、自分の教室へと走って行った。きっと中学生活が楽しみでしょうがないんだろう。姉としては若干寂しいけど、お互いの世界があるのでこればっかりは、しょうがない。
やがて、入学式が終わり、自宅へ帰る。
あたしは一人でテレビを見て時間を消費してた。幹は帰ってこなかった。
最初は焦ったものの、母に電話をかけたところ『新しい友達と遊んでるんでしょ』と冷静に返されてしまった。
帰ってきたら、一緒にゲームしようと思ってたのに、残念だ。
幹は結構な遊び人で、友人としょっちゅう出掛けるのだ。たまには姉の相手をしてもいいんじゃないかと思う。
なんて一人で考えながら、ただテレビを見ててもしょうがないので、幹の部屋にでも行って物色しようと企んだ。
部屋に入ると、男の子の匂いがする。
やっぱり幹も男の子なんだなーと感じるくらいには散らかっていた。ここを片付けるのは、最近ではあたしの役目なのだ。
色々と漫画が散らばっている。その中に気になるタイトルを見つけた。
『姉に凌辱』
手にとって見ると、中身はあたしにはまだ早い十八禁の漫画だった。何故こんな所にあるかは疑問だったけど、題名が題名だけに、ちょっと嬉しかった。
(……幹も、あたしの事好きなのかな?)
心でそんな事を思いながら片付けを進めた。
掃除機もかけて完璧だ。
持つべき物はしっかりとした姉と言ってもらえるくらいには、綺麗になったと思う。本当にいつお嫁に出しても恥ずかしくないよ。幹のお嫁さん以外は嫌だけど。
そんな中、家のインターホンが鳴った。
「は~い!」
あたしは幹の部屋から出て、玄関まで足を運ぶ。
宅配便かな? と最初は思っていた。だけど、扉を開けるとそこにいたのは、眼鏡をかけていた初老のおじいちゃんが立っていた。道でも尋ねに来たのだろうか。
「どうかしたんですか?」
「あ、これはこれは、失礼しました。……私、岸本 重蔵と申します」
「はぁ……」
あたしは初老のおじいちゃんを眺めた。すると、彼はそのまま名刺のような物を渡してきた。そこにはとある大企業の名前で代表取締役とも書いてある。
一体そんな人物が、この家に何の用だろうと思った。
「私の子供はいらっしゃいますか?」
「はいっ?」
おじいちゃんは、普通にハッキリとした口調であたしに尋ねてきた。正直、一瞬尋ねる家を間違えてるんじゃないかと思ったが、どうもそういう感じじゃない。
「ここに、私の子供が住んでいると聞いたものですから」
「この家に住んでるのは、あたし達本当の家族だけです」
「ん……そうですか では、御両親は……」
「外出中です」
「そうですか……これは失礼しました」
「……」
あたしは何が何だかわけがわからなかった。嘘を吐いてるようには見えないし、何より、まだボケるような見た目でもない。彼は一体何をしに来たのか。それを知りたかった。
「あの。本当に何しに来たんですか?」
「……あなたの御両親に聞かれたほうが早いと思いますよ」
「いや、でも、今家にいないし」
「そうでしょうな。ここに道夫さんや未麗さんがいらしたら、絶対にあなたには、応対させなかったでしょうし」
「……」
間違いなく父と母の名前だった。
彼は振り返り、帰ろうとする。
「ちょっと、最後にあなたが何者なのか教えてください」
「私が何者? 決まってるじゃないですか。ここに住んでいる子供の父です。それ以外でもそれ以上でもありません」
「だから、あなたの子供なんていな――――」
「幹によろしくお願いします」
「え……」
突然の言葉に、喉を詰まらせた。
あたしは、その日以降、彼の姿を見る事はなかった。




