俺が岸本を助けたりなんてしないっ!
翌日。
今日も今日で、また日差しが照りつけるように暑い。これでは、オーブンの中に体ごと入れられてるかのようだ。そんな暑い中、教室に入れば、昨日食事をご馳走してもらった岸本が席に座っていた。俺は昨日の御礼をしようと思い、自ら岸本に近づいた。
「おはようございます。岸本さん」
「あ、お、おはよう谷中さん」
やや緊張した面持ちで、返事をする岸本。昨日は俺相手に緊張し、脛を怪我して出血させていたぐらいだったから、若干心配した。それよりも、俺と岸本を見る目が集まってきている。
「それで、足の方は大丈夫ですか?」
「あ、足なら、帰ってからまた新しい絆創膏をしたから、大丈夫。それで、ハンカチなんだけど……」
「ハンカチなら大丈夫ですよ。よろしければ、差し上げますよ」
昨日止血をする際に使用したハンカチ。だが、洗って返せとは言いにくい。何故なら、白だったからだ。わざわざ漂白しても、なかなか血というのは落ちないからな。
俺は口元に手を当てて、軽く微笑んだ。
「それとも、私のハンカチはいらないですか?」
「そ、そそそ、そんなことないよっ!むしろ、欲しいくらいだよっ!」
「本当ですか?」
「あ、え、えーと…………うん」
顔を真っ赤にさせて頷く岸本。普通はいらないっていうと思うんだが。こんなやりとりをしていると、教室に麗が入ってきた。なんだが、疲れた表情をしている。彼女は教室に入るなり、俺と岸本を視界に入れて驚愕する。
そして、そのまま岸本の前にまで寄ってきて、胸倉を掴む。
「貴様如きの男が、朝から美樹に話しかけるなッ! 図々しいぞ! というか、私と美樹との会話を邪魔したら、殺すぞッ!」
朝から痛い子全開の麗。岸本はかなりビビっている。麗の岸本を見る目が完全に、狩るものの目だ。正直、物凄く怖い。尋常じゃない。これではまるで、岸本が草食動物だ。
そして、散らばっていた女子共も、俺達の周りに集まる。恐らく、麗を止めに来たのだろう。
「岸本、あんたさー、調子に載ってない?」
「黒樹さんの言う通りだよ?」
「あんま美樹ちゃんに近づくようなら、始末しちゃうよ?」
麗を止めに来たと思ったら、まさかの逆で岸本を完全に悪とみなしていた。これはキツイ。岸本のような精神的な面が弱い男性は耐えられないだろう。その証拠に、彼は両手を拳にして、震わせていた。
岸本が何をするか、わからなかったので、俺は慌てて麗を含めた四人の女子に通せんぼをした。
「待っててくださいッ! 岸本さんに話しかけたのは、私です! 彼は何もしていませんよ?」
俺が正義のヒーロー(笑)をしていると、女子達の表情が凍る。麗に至っては、恐怖で染まっているといっても過言ではない。
「ま、まさか、美樹……その男と付き合――」
「付き合ってません! ですが、岸本さんも、皆と同じクラスメイトですよね? ですから、仲良くしましょ?」
麗は相変わらず恐怖に震えている。だが、他の三人は美樹ちゃんが言うなら……的な空気になって、各々席に戻った。
だが、麗は席に戻らず、岸本を睨む。
「私の美樹に何かしてみろ。必ず息の根を止めてやる」
「麗? そんな事言ってはダメですよ?」
「…………チッ」
麗は舌打ちをして、自分の席に戻った。
それから、綾子が入室してきて、授業が始まる。のだが、麗は結局、ずっと岸本を睨み続けていた。麗の睨み方が尋常でないと感じた俺は、このままでは岸本に何かしらのアクシデントが発生する危険性があると思った。
そして、四時間目が終了し、俺は岸本の席へと近づく。
「あの、もしよろしければ、食事を一緒にしませんか?」
「え、また、僕と!?」
驚き反面、嬉しさ反面の岸本。だが、またと言ってしまえば、ここで食いつく人間がいるのを忘れないでほしいな。
俺の予想通り、ずっと邪険に睨み続けていた麗が、岸本と俺に近寄る。そして、岸本の机を思いっきり叩き、岸本を殺すかのような強い視線を送る。距離は近い。これではまるで、チンピラがカツアゲしてるようだ。
「おい、貴様。またと言ったよな? 過去に私の美樹と食事したのか?」
「あ、あわわわわ……は、はい。昨日しまし――」
そこで再び机が、麗によって叩かれる。もはや机に亀裂が入るレベル。正直、俺も怖い。細い麗のどこに、そんな力が眠っているのだろうか。
麗の顔はチンピラを超えて、初心者がフルマラソンに挑んだ後のような、怒りの筋が浮かび上がる。
「美樹と食事いいいいいい! それは、私の特権なんだよおおおおおおおおおおお!」
麗の叫びで、クラスメイト全員の視線が集まる。岸本は超えて恐怖に顔を歪め、麗を完全に警戒していた。
これはもうダメだと思った俺は、岸本の手を掴み、颯爽と教室を出た。
「や、谷中さん?」
「今から逃げますよ!」
俺はそれだけ岸本に言って、屋上を目指した。
屋上へと足を運ぶと、そこには昼時だというのに、誰もいなかった。それはそれで好都合だ。他にも誰かに噂されれば、また麗にとやかく言われてしまう可能性がある。そこで、俺は岸本の手を離して、ベンチへと歩き出す。
しかし、岸本は立ち止まったまま、こちらに来ようとしなかった。
「どうかなされたんですか?」
俺は気になって、岸本へと視線を動かす。その岸本は俯いていて、表情が良く分からなかった。そんな彼は視線を地面へと下げたまま、口を開いた。
「ごめんなさい。僕なんかの為に……谷中さんの手を煩わせてしまって……」
弱々しく、また本当に申し訳ないと思っているという感情が伝わってくる。しかし、俺が岸本を助けたのは、麗が何をするか分からないからである。もしかしたら、殺人も……アリエル……。
何はともあれ、俺の善意なのだ。それについては頭を下げられる義理など俺にはないわけだ。
「何を言ってるんですか? 私が岸本さんと食事をしたいから誘ったまでですよ? だから、謝らないでください。むしろ謝るのは、私の方です。私が岸本さんと会話したばっかりに、皆からのブーイングを受けさせてしまって……本当に申し訳ないです」
俺は頭を四十五度下げた。いわゆる最敬礼だ。本当に申し訳ないと思っているのだ。彼にとってはいい迷惑だと思う。そこに申し訳なさを感じる。
だが、彼は顔を上げて、俺の方へと視線を向けた。
「そんな……谷中さんが謝ることじゃない。僕が弱いから……」
もやし発言を彼がしていると、誰かの声が屋上に響いた。
「そうね! 雅史がもやしだから、頭を下げるハメになるんだよね!」
その人物は、俺らがやってきた扉から現れた。ポニーテールの先輩。大船 瑠花だ。昨日の店の一人娘で、岸本の幼馴染である。そして、容姿は結構可愛い部類に入ると思う。
彼女はゆっくりと岸本へと近づく。そして、その岸本も瑠花へと視線を移動させた。そして、何を思ったのか、彼女は岸本の頬を思いっきり叩いた。その渇いた音は、空に響いた。
「本当っに情けない! 昔の雅史なら、そんな事でくよくよしなかったでしょ! 少なくともアタシのときは……」
幼馴染の瑠花は、岸本を涙目で睨んでいた。なんとなく分かっていた事だが、瑠花は岸本の事が昔は好きだったように思える。と、いうのも、俺は他校の生徒と下校している瑠花を結構目にする。それを昨日言わなかったのは、俺が瑠花のストーカーだと思われたくないからだ。こういう所は、まだ幹のままなのであろう。
話は置いておいて、岸本は打たれた頬を撫でる。そして、俯いた。
「お前はいつもいつも……どうして僕の邪魔をするんだぁあああああああああああ!」
いきなり叫び出す岸本。俺は黙り込んでしまうのかと思った。瑠花は驚き、後に半歩下がっている。岸本の怒りは爆発し、瑠花を思いっきり睨んでいる。もはや幼馴染同士なので、俺には何か言えるわけもなく、ただその場に取り残されている。
岸本は瑠花に、肩を上げて近づく。
「いい加減、僕の邪魔をするのは止めてよ! 瑠花に関係なんてないだろッ!」
「そ、そんなつもりは……」
「いいから、僕の目の前から消えてくれ!!」
「…………ッ!」
岸本の必死の叫びに、瑠花は肩を震わせて、後退を始めていた足を軸に、後方に振りかえり、校内へと走って行った。その目には微かに光る雫のような物があった。
それから、岸本は何分かぼーっとしてから、俺に向き直った。その顔はやや、疲れたように見える。
「ごめんなさい谷中さん。僕……ダメな男ですよね。幼馴染にすら優しくできない男なんて……」
「そんなにネガティブにならないでください。私には、瑠花さんが岸本さんを応援してるように見えましたよ?」
「……そうですかね……」
岸本は大きな溜息を吐いた。幼馴染には幼馴染同士の問題があるのだ。これはどうしようもない。なんせ、一度喧嘩してしまったら、仲の良い関係程修復するのは難しいのだ。それは、俺にも幼馴染がいるから分かるし、元親友達も修復が不可能になったから分かる。もやし系の岸本を推すわけではないが、彼も難しい人間関係を築いてしまったのだ。
俺はとりあえず、ベンチに座り、隣を手でポンポンと叩き、隣に座る事を強制する。岸本はそれに従うように、俺の隣へと座る。
「色々と、幼馴染同士で問題はあると思います。喧嘩してしまえば、仲直りするのは難しいですし、時間もかかると思います。ですが、ネガティブを捨てたいのなら、まずは幼馴染である先輩と、自分から素直に仲直りする所から始めてみませんか?」
「仲直りする所から……」
岸本は呟き、考えこんでいるようだった。俺は、彼に微笑んだ。
そして、岸本は頷いて、俺に笑顔を向けた。
「分かった。ありがとう谷中さん。僕頑張ってみるよ!」
「その意気です! 私もネガティブを頑張って捨てられるように応援しますから!」
俺は岸本のネガティブを捨てるというのを、美人部としてではなく、谷中 美樹個人で承った。
そして、弁当を屋上に持ってくるのを忘れた、俺と岸本のお腹からは、盛大にぐぅううううう~という音が漏れるのだった。俺と岸本は二人で視線を合わせて笑いあった。