僕は美樹さんに恋なんてしないっ!
僕は岸本 雅史。成績普通、運動神経普通、見た目普通のごくありふれた凡人だ。そんな僕は、この松丘総合高等学校に入学出来たのは、奇跡のようなものだった。
松丘総合高等学校とは、去年まで女子校だった高校を近くの私立と合併した高校なのだ。そして、その松丘総合高等学校は、入学試験の入試倍率が今年、十五倍だったのだ。何でも平凡極まる僕は、一生分の運を使い果たしたかもしれなかった。
そんな僕は、もしいるのなら、神様に感謝しなければいけない。
なんと、学校――いや、今や都内で全員が認める美人で有名の谷中美樹さんと食事しに行けることになったのだ。
以前、文芸部に入ろうとしていた僕は、谷中さんを入学初日に、一緒に文芸部に入ろうと、勇気を出して言ったのだ。そのときは断られて、結構なショックを受けたのだが、今日という日が、未来に予想されていたのなら、ショックなんて受けなかった。
そして、僕はこんなチャンスに巡り会えたのだ。だからこそ、さっき出来なかった愛の告白を絶対にしてみせるっ!
「岸本さん? どうしたんですか?」
「あ、気にしないでください」
僕はいつの間にかガッツポーズを取っていた。慌てて、握った拳を解いて、大好きな谷中さんに笑顔を向ける。
彼女も、僕の突発的な行動に対して、ただ笑顔を向けるだけだった。
(やっぱり、凄く可愛いな……)
僕は谷中さんの横顔に見入っていた。美人なんだけど、可憐さをどこか残す顔立ちは、もはや世の男性で惚れない人間は、いないだろう。クラスの噂では、女子も谷中さんと付き合いたいと思っている人もいるだとか……。さすがに、それはどうなのかと思ったけど、同性も惚れさせる谷中さんは凄いと思った。
谷中さんは、不意に僕に笑顔を向けた。
「では、岸本さんのオススメの店に連れてってくださいね?」
突然の笑顔に胸が高鳴る。鼓動もさっきから、やけに速い。さっきの告白で、よくオーバーヒートしなかったなと自分を褒めた。杉本先生に邪魔されたおかげで、さっきは大恥をかいたな……。
僕も、緊張で強張った笑顔を、彼女に向けた。
「じゃ、じゃあ、いつも、僕が家族で行くところでもいいですか?」
「全然大丈夫ですよ。むしろ、普段どんなところでご飯を食べてるのか気になりますしね」
谷中さんは、笑顔で僕が普段何を食べてるのか、気になると言ってくれた。これは、完全に脈ありなんじゃないでしょうか? ……それはないか。
僕は自分を上げて、下げていた。これじゃあ、自暴自棄である。
ちなみに、僕が行こうとしているのは、家族でよくご飯を食べに行く、昼は喫茶店で夜はステーキ屋の個人経営飲食店だ。ここの店員さんと親は、僕が赤ん坊の頃からかの付き合いらしい。
先月行ったばかりだったが、谷中さんを誘うのなら、ここしかないと決めていた。
ぎこちない会話をしてるうちに、目的の場所には着いた。
「ここですか?」
谷中さんは、建物を見上げている。そりゃあそうだ。見た目は完全にラ◯ホと変わらない程、派手だ。親は、「最初入るのは勇気が必要だった」とまで言っていた。改めて見つめるとチョイスをしくじったかな……と思えてくる。だが、ここまで来たら、行くとこまで行くしかないっ!
「そうだよ、ちょっと見た目はあれだけど、味は僕が保証する!」
僕はドアのとってを掴む。
その俺の後ろから、微かに漏れる可愛い笑い声が耳に入る。後ろを振り返ると、笑っている谷中さんの姿があった。
「岸本さんは、可愛いですね。そんなに緊張しますか?」
「そ、そりゃあ……」
そりゃあ、憧れの谷中美樹と食事するのだ。緊張しないわけがない。多分、クラスメイト達だって谷中さんと食事をすることになったら、ガチガチに緊張するに決まっている。
しかし、谷中さんは予想外の行動に出た。
「これなら、緊張はほどけるんじゃないんですか?」
なんと、谷中さんの手が僕の手と重なっている! しかも、これは恋人繋ぎっ! 僕の脳内では、雅史の姿をした天使と悪魔が現れていた。
『雅史君のこと、きっと好きなのよっ! 安心して、そのまま店に入っても大丈夫よ!』
天使が囁く。
『なに言ってんだよっ! 天使の言うことを信じるのか? お前はいつだって、弱気で本読んでるだけのモブ男だぞ? 相手にされるわけねーだろ!』
悪魔がケケケと笑ながら、僕の脳内に声を響かせる。
僕は迷いながらも、決断を下した。
「あ、あのー谷中さん? さ、さすがに恋人繋ぎは――」
「入りましょうか」
谷中さんは、僕の意見を聞かず扉を開いた。中は、白のテーブルとイス。壁は白と黒が交互に塗られている。そして、店内では静かめのジャズが流れている。いつも通りだ。
だが、一緒に来る人は全然いつも通りじゃない。
「いらっしゃいませーっ!」
明るい店員の声がする。よく聞き慣れた声である。執事服を着こなす、茶髪の長いポニーテール。一般女性的な胸。そして、幼さだけを残した女の子。
「二人なんですけど、大丈夫ですか?」
谷中さんは、俺の手を握ったまま、空いた手で、人差し指と中指を立てる。
すると、店員の女性は口に手を当てて、驚いた顔をする。
「も、もしかして、リア嬢王の谷中美樹さんっ!?」
「はい、そうですが、どこかでお会いしましたっけ?」
谷中さんは真剣に、店員の女性を思い出してるようだ。失礼のないように店員に接する姿は、好きという感情に拍車をかける。
やはり、谷中さんは素敵だなー。ステーキ屋でも素敵……ごめんなさい。
「あ、違うよ! 直接は話したの今日が初めてだもん! あたしは、松丘総合高等学校二年A組の大船 瑠花っていうんだよ」
「大変失礼しました。先輩だったんですね。初めまして。私は同じく一年B組の谷中美樹です」
そこで、店員は顎に手を当てて、何やら考えているようだった。そして、人差し指を立てて、思い出したようだ。
「一年B組ってことはさ、もしかして、岸本 雅史ってヒョロイ奴知ってる?」
完全に黙秘を続けていた僕だけど、そろそろ我慢の限界だった。谷中さんの手を名残惜しいが離して、店員の前に出る。
「それは僕の事かな? 瑠花ちゃん」
「あ、雅史……って、えええええええ!? なんで、雅史がリア嬢王と一緒にいるの!?」
「な、なんでって…………」
そこで、谷中さんは笑顔で話に割って入って来た。
「私が誘ったんです。岸本さんには、色々とお世話になるので」
「…………」
瑠花は口を開けて、ポカーンとしていた。まぁ、平凡を極めた僕が、都内一美人と一緒に食事しに来てるのだ。誰でも、こういう顔になるはずだ。
「それでは、大船先輩。お席へ案内してもらってもいいでしょうか?」
「あ…………はい」
それから、僕と谷中さんは夜景が凄く綺麗に見える席へと通される。さすがは知人である。いい席に通してくれる配慮は流石だ。
ちなみに瑠花は幼馴染だ。彼女とは、小さい頃からよく遊んでいる。というのも、この店の一人娘で、僕らの年が近かったから幼馴染になったのだ。
谷中さんと来るのに、完全に瑠花の存在を忘れていた。そもそも、瑠花の存在を思い出している余裕すらなかった。
「…………さん? 岸本さん?」
僕は目の前の谷中さんの声に、我に返った。あやうく、彼女に迷惑をかけるところだった。僕は首を横に振った。
「ご、ごめん。ちょっと考え事してて……」
「そうなんですか? 悩み事なら、相談に乗りますよ?」
「そ、そんな! 悪いから出来ないよ!」
悩み事と言ったら、二つある。目の前の超絶美少女。谷中美樹さんを大好き過ぎることと、もう一つは強いてあげるのなら、体がヒョロヒョロのもやしである事くらいだ。
どちらの悩みも、谷中さんに相談するわけにはいかない。特に一つめは、今日既に不発に終わってるし。
僕は溜息を吐いて、谷中さんを、見つめた。
「……本当に大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫だよ !全然元――――」
全然元気と言おうとしたら、脛を机の足にぶつけた。正直めちゃくちゃ痛い。だてに弁慶の泣き所と呼ばれていない。
僕は声にならない叫びをあげた。すると、谷中さんは凄まじい速度で、僕の足の裾を捲り上げて、脛の状態を確認する。そして、僕のもやしのように白くて細い足に、優しく手を添える。
「ッ!?」
「……痛いのなら、無理しなくてもいいんですよ。ちょっと待っててください」
軽く机の足に脛をぶつけただけで、僕の足は鮮血が垂れていた。なんとも情けない話だ。僕は自分という存在そのものに落胆した。
そんな僕の血が出てる脛に、ハンカチを取り出して、止血してくれた。
「こ、これじゃあ、谷中さんのハンカチが汚れちゃ――――」
「岸本さんの足のが、ハンカチよりも大事に決まってるじゃないですか!」
止血する谷中さんの顔は、普段は見せない真剣さが混じっていた。僕はすぐに生唾を飲み込み、口を開くのをやめた。
彼女の手当てをする速度は保健室の先生かと思えるほど早い。やはり、何でもできる人は違うなと思った。でも、勉強を教えてくれって、苦手なのかな。
「も、もう大丈夫です!」
「まだ完全に止血できてないですよ?」
谷中さんの顔が近くにある。それだけで、ドキドキする。今日はなんて幸せな一日なのだろうか。このまま昇天してしまいそうだ。
そんな中、店員で幼馴染の瑠花がサービスウォーターを持ってきた。
「はい、お水……って雅史どうしたの!!」
「ちょ、ちょっと脛を打っちゃって……」
僕は瑠花に苦笑いをしながら、答える。彼女もバカだろうと笑ってくれるのではないだろうかと思っていた。しかし、瑠花も血相を変えて、すぐにハンカチを取り出した。
何で、折角谷中さんがハンカチをくれているのに、瑠花まで出すのか分からない。幼馴染として心配してくれてるのだろうか。
「雅史っていつも、ドジよねぇ。何歳になっても変わらないというか……」
「そ、それは別にどうでもいいだろ!」
「岸本さん、今動かれると困ります」
「あ、すいません……」
瑠花と谷中さんの両方に脛の止血をしてもらっている。瑠花はどうでもいいとして、谷中さんに止血とか夢のシチュエーションだなと思った。
そんな中、テーブルに新たな人が現れた。
「雅史君。脛を怪我したのかい?」
「あ、はい……」
目線を上げると、そこに立っていたのは瑠花の御父さんである大船 瑠偉だ。筋肉質の体で、とても、僕の父さんたちと年が近いようには見えない程の偉丈夫な男だ。
彼は両腰に手を当てて、豪快に笑った。
「怪我をして手当てしてもらってるのか? そこの美人な彼女に」
僕は瑠偉の言葉を聞いて、とんでもないと思った。谷中さんを彼女とか言ったら、一体どれほどのブーイングを都内の人間から受けるのだろう。もはや死ぬかもしれない。
しかし、谷中さんは気にした様子もなく、瑠偉を見つめる。
「どうも、初めまして。谷中 美樹です。岸本さんのお知り合いですか?」
やはり、丁寧な対応だ。
僕は脛の止血を確認して、立ち上がった。




