お見合いを開始したりなんてしないっ!
料亭の二階。そこにはB5式ノートパソコンが一台机の上にある。液晶モニターは大きく、二人見る分には丁度いい。まだモニターには無人の部屋しか映し出されていない。良い個所に監視カメラを配置してくれたおかげで、部屋の様子全体が隅々まで確認できる。女将さんには、後にもう一度、頭を下げる事になりそうだ。
「もうすぐね」
「ええ、そろそろ入る頃合いだと思いますよ」
優香は落ち着いてるようで、緊張気味だ。顔は平静を装うとしているが、口端辺りがピクピクとしている。正座している足は落ち着きがない。そんな優香を眺めていると、右耳にはめているインカムから、麗の声がする。
『貴様はダメだ! ここに用などないだろうが!』
麗の怒り声がする。というのも相手が誰だかすぐに分かる。恐らく拓夫だろう。奴は今美人部の極秘作戦には邪魔な人物だ。元親友として、裏切る行為は心が痛むが、奴は奴で俺を狡賢く狙う狼という名の男なのだ。正男達にしてみたら、面白くなくて当然だろう。
監視カメラはお見合いを実行する部屋一台のみなので、麗の姿を確認することはできない。こちらからは、ただ落ち着いてとしか言うしかない。
「麗。落ち着いてください。対処は鷹詩さんや近藤さんに任せてください」
『そうは言ってもな……』
口を濁す麗。どんな表情をしているか分かる俺は、麗の飼い主になれそうだ。そんな事は置いておくとして、何故拓夫が麗の前にいるのか疑問だ。麗達電話役は、お見合いの部屋近くに準備をしているのだ。部屋を出る綾子に、直接アドバイスをするため、近隣にいた方が便利だからだ。
まぁ、隣の部屋だから気になって調べてるのか? 相変わらず確認したがりの堅物だ。どんだけお見合いを成功させたいんだよ。
『美樹さぁあああん……今日どんなパンツ履いてるん?』
この声は鷹詩だ。麗が一生懸命拓夫を退治してるときに何を言ってるんだか。コイツ真面目にやる気あるの?
このまま無視しても良かったのだが、極力インカムは必要最低限は使いたくないので、瞬時に鷹詩との会話を終わらせる方法を思いついた。
「今日は、光沢のある黒い下着です。そういうの鷹詩さんは好きですか?」
わざと嘘の情報を伝えた。大体ドSの人ってそういうイメージがあるから、それを伝えただけだ。ちなみに、俺のとは言ってないので万が一、パンツを見られても気にしない。
パンツの色を聞いた途端に、鷹詩の荒い息がインカム越しに伝わってくる。イケメンって言われてるのに、かなり残念だ。カッコいいって噂してる女子達に謝れ。
『こ、光沢のある黒っ!? ぜ、是非見せてください!』
「何で田村が反応するのよっ!?」
返ってきたのは正男の声だった。全員聞いてるから、誰が返事をしても変じゃない。というか、正男まで変態という称号を与えられたいのか?
『わ、私も見てみたい!』
「あんたもかいっ!」
今度返事が来たのは麗だ。拓夫を追い払えたのか、いつも通り(?)の麗だった。本当に百合ゲーに目覚めたのかしら。それはそれで、これから先、俺が麗の家に行きづらくなるじゃん。
優香は二人にツッコミを入れて、溜息を吐いてる。そのおかげで緊張が取れたのか、いつもの堂々とした態度の優香が戻ってきた。パソコンの前で堂々としても、俺しか見てないので、どうなんだろうかと思う。
そんな会話をしてるうちに、モニターには動きがあった。
俺と優香がモニターに瞳を奪われる中、部屋に入ったのは拓夫だった。先頭を歩いて、後の人物に先に座るのを促す。
部屋は和室八畳ほどの畳み。古風ではあるが、こういった部屋はわりと好きな部類だ。
男三人と女一人が部屋に入る。一人はしっかりとセットされた今時風の髪型の好青年が入る。彼はスーツで拓夫と同じく眼鏡を使用している。キッチリとした格好は、IT企業に勤めていそうだった。拓夫の知人らしく、超がつくほどの真面目っぽい。年齢は二十後半くらいだろうか。
もう一人は白髪のオールバックの六十代ぐらいの御爺ちゃん。拓夫と同じく袴姿で、物凄い貫禄を感じる。もはやヤクザみたいだ。
最後に女性。彼女も六十代くらいだ。だが、見た目が年に似合わず派手だ。オバサンも派手に遊びたい年頃なのだろうか。
そして、最後に拓夫だ。
全員が座布団の上に座る。拓夫は三人の方向へと身体の向きを変えて、深々と頭を下げた。三人も拓夫に視線を向ける。
「この度は、私の勝手な都合に付き合せてしまい、申し訳ありませんでした」
いきなり何を言うのかと思えば、拓夫は謝った。意味が分からない。もう拓夫の考えてる事は滅茶苦茶過ぎて、理解の範疇を越えている。
すると、今回の綾子の御相手らしき二十代後半の男が笑いながら、拓夫に頭を上げるようにジェスチャーする。
「大丈夫だよ拓夫。むしろ、ありがたい話だよ。僕は結婚に関心がない人間だからね。そろそろこの年だし考えないといけないって思い始めてた頃だったから」
「そうだぞ拓夫君。仕事だけが恋人の拓路に言ってやってくれ。もっと女に興味を持てって」
「御父さんは興味あり過ぎですけどね。そろそろキャバクラも控えてくれると嬉しいんですけど」
「な、なんでその事を!?」
「この前スーツのポケットから、クラブパーリィの美鈴さんって書いてある名刺見たからよ」
「わ、忘れてた……」
「お小遣い半減か、一ヶ月の食事なしどっちがいいか考えておいてくださいね」
どうやら、相手は拓路という名前らしい。拓夫の従兄なのだろうか。どこか拓夫と似てる部分がある気がする。しかし、これで恋人がいないとか嘘だろう。見た目は拓夫と同等かそれ以上のイケメンだぞ? それに金も持っていそうだ。腕時計を見れば分かる。しかも性格も良いし、俺に紹介してくれよ。いや、冗談です。
それから、拓路親子+拓夫で雑談をしている。何やら、和気藹々としていてムカついてくる。こっちは拓夫のせいで休日出勤のボランティアだぞ? さっきの優香の緊張を返してやれ。
文句を心の中でグチグチと言ってた俺の耳に、凛とした声が過る。
『待たせたな皆。今日はよろしく頼むぞ』
『『はい』』
綾子の声に、俺らは全員返事をした。
折角パンツの色を教えてあげたのに、反応がなかった鷹詩の声も聞きとれた。直弘や久光の声もあったので安心した。
俺は優香に視線を向けると、彼女も首を縦に頷かせた。
『準備は万全です先生。後は当たって砕けてください』
『砕けたら、谷中んとこにいる満君を貰うからな』
『お好きにどうぞ』
『OK! むしろ砕かれてくるわ!』
『一応聞きますけど、成功させる気ありますか?』
『……満君が結婚してくれるなら、もはや砕けてもいいのではないかと今思った所だ』
『なら兄の件は御断りします』
『ちょっと待ってよ美樹えも~ん!』
綾子と冗談を交わした俺は思った。まったく緊張してないっ! それどころか、いつも以上にリラックスしてる気がする。やる気あんのかよおい! というか、それが原因で振られっぱなしだったんじゃないのか?
そして、麗から声がかかる。
『今、奴が部屋へと侵入した』
『誰がスパイだ!』
『スパイだなんて誰が言った! 貴様などただのドブネズミだ!』
『黒樹後で覚えてろよ……』
麗と綾子も相変わらず仲が悪いようだ。
モニターに新たに女性が入る。俺は目を疑ったのだ。一瞬誰だと思ったのだ。まとめられた美しい黒髪。完璧に施された化粧。着物がよく似合うスタイル。そして、気品。全てが常時の綾子とは全然違ったのだ。
優香も口元を抑えて、目を見開いて「誰ッ?」と言っているほどだ。
拓夫サイドの人間も、驚いている。目を見張るほどの美人が現れたら、まず人は絶句するのだと学んだ。
「この度は、このような機会を設けていただき、誠にありがとうございます」
「は、はい……」
好感触として捉えられる反応である拓路。すっかり綾子に見入ってしまって、呆然とした状態である。綾子のこの姿を見るのは始めてだったが、それなりに準備してくるのは姉から聞いていた。なんでも、姉が綾子の化粧や着付けをしたらしい。その後、ここまで綾子を送ったらしい。なんだかんだ言っても、優しい自慢の姉である。
綾子の背後に両親はいない。以前、参加しないのかを聞いたところ、忙しくて来れないそうだ。娘の晴れ姿を見に来ないのはどうだろうか?
「初めまして。杉本 綾子です。よろしくお願いします」
頭を下げる綾子。お辞儀が洗練されていて、綺麗な角度であるのが分かる。これは、姉から教わったのだろう。という事は、俺が綾子の兄弟子って事になるのか。
綾子のお辞儀を見て、慌てて拓夫達も腰を浮かす。
「は、初めまして。私は拓路の父の井草 拓郎です。まさか、これほどの別品さんとは……拓路が羨ましいです」
照れ隠しに頭の後をかく拓郎。その頬は赤い。綾子の美しさは拓郎にも通用するのが確認できた。そんな拓郎の姿を見ても、綾子は表情を変えることはない。こういう場でコロコロと感情を表に出すのはNGだと姉が言っていたのを、俺は思い出した。
「初めまして。私は母の希衣子です。よろしくお願いします」
希衣子は慌てて立ちあがったものの、そこまで緊張している様子はない。それどころか、綾子をまずは外見から品定めしているようだった。さすがに息子の嫁候補である人を適当に選びたくないのだろう。親心って素晴らしい。うちの母親も見習って貰いたい。
「は、はひへまひへっ! ほ、ほくがほんひふのあいへのはふひへふ!」
何を言ってるの? 隣にいる優香は首を傾げている。俺と同じ感想のようだ。強いて解読するならば、『は、初めましてっ! ぼ、僕が本日の相手の拓路です!』だろうか。こういう場に慣れてないのがバレバレである。少しは綾子を見習ったらどうだ。
「すいません先生。この人は拓路です。今回ご紹介させてもらう従兄です」
「まったく拓路は、女性に対して上がり症で困る」
「本当よね……恥ずかしい」
「……」
可哀相な事に拓路は、両親に怒られている。一理あるのだが、この場で怒るのはどうだろうか。少し空気を読んでもらいたい。
「緊張なされているのですね。まずはお茶でもいかがですか?」
「は、はい……」
拓路はまだ緊張した面持ちのままで、座布団に座った。綾子も同じく席に座る。そして、机にあらかじめ用意されていた急須で、湯呑にお茶を注ごうと綾子は腰を若干浮かせる。
しかし、急須からはいきなりお茶が飛沫し、拓郎の袴に熱々のお茶がかかってしまった。
「アッつ!?」
「御父さん!?」
現場が騒然する中、今まで待機していた麗が慌てて声をかける。
『美樹! 何か遭ったのか!?』
『……早速麗達の出番が来そうですよ……』
俺と優香は溜息を吐きながら、ノートパソコンのモニターに映ってる綾子の所作を見ていた。




