先生に俺が何者なのかを教えたりなんてしないっ!
雨が打ちつける校舎。
俺は個別スクールカウンセラー室に、綾子と二人でいる。しばらく、泣いてしまったので、俺は今さらながら恥ずかしくなり、綾子に言葉をかけることすらできない。
「ん」
綾子はどこから取り出したのか分からないが、缶コーヒーをくれた。俺は受け取って、ちょびちょびと少しずつ飲んでいく。綾子は頬を緩め、俺に柔らかい視線を向ける。俺も恥ずかしさが抜けて来て、綾子に微笑む。
「……ありがとう先生」
「いいさ。元々は美鈴に聞いていた事だしな」
綾子は腕組をしながら、首を縦に頷かせていた。
俺は少なからず、綾子に謝らなければと思った。彼女は俺が幹だというのを知っていて尚、誰にも言おうとしなかった。その気になれば、俺を従者として使うこともできたのだろうが、それもしなかった。
頭を下げて、まず綾子に俺は謝った。
「すいません。先生。俺は……」
「いいんだ幹。私は大人だからな」
「でも、俺、先生に酷い事ばっかり……」
「まぁそうだな。酷い仕打ちをされたな。だがな――」
綾子は一度、話を止めて、身を乗り出して俺の瞳を凝視する。泣きはらした目なので恥ずかしい。
そして、綾子は真顔になる。
「幹。お前は私の生徒だ。もちろん、美樹も。だから、関係ない。人は誰しも、友人にも言えない秘密ごとなんて沢山ある。だが、幹。お前は、美鈴をはじめ家族に相談したんだ。それはとても勇気のいる行動だったと思う。その点に関しては偉いと思うぞ」
「……そうですかね。でも、家族には言わないと生活出来なくないですか?」
「それもそうだが、お前の今の見た目だったら、どこででも生活できそうだよな」
「これでも苦労したんです。姉貴に色々と叩きこまれて……それはもう大変でしたよ」
「まぁ美鈴はずっと可愛い妹が欲しいって言ってたからな……。それがお前だったから、余計嬉しかったんじゃないのか?」
「俺だから……?」
「おっと。これは言わない方が良かったかな?」
綾子は机に身を乗り出していたが、下がって椅子に座った。
今、綾子は腕を組みながら、片目を閉じたウィンクをした。妹が欲しくて、それが俺だったから嬉しい? 意味が分からなかった。
綾子は軽く息を吹いてから、笑って再び口を開いた。
「まぁ、結局美鈴は本当はどっちが良かったんだろうな」
「何の事ですか?」
「……私から言っていいのか、分からないからな……」
綾子は両目を閉じて唸る。それほど言いにくい事なのだろうか。
「ま、いいか。今でも言えてないみたいだしな」
「今でも?」
「ああ。美鈴はな、お前の事を中学生のときから――」
そこで、携帯電話が鳴る。ピコーンという一昔前のシューティングゲームのモンスターを倒したときの音のようだ。随分レトロな着信音が好きらしい。
綾子は「ちょっと失礼」とだけ言って、電話に出る。携帯の向こう側から声が聞こえるのだが、何を言ってるのかは聞き取れなかった。
「もしもし――。ああ、分かってるって……え!? それはないでしょう……キャンセルはできないって言われてもな……美鈴に頼まれた!? それはもうしょうがないよな……。もっと早い段階で決めとくべきだったわ……」
盛大な溜息を吐いた綾子。相手は女性のようだったが、姉ではない事は確かだ。電話を切った綾子は携帯をしまい、雰囲気が暗くなる。
先ほどの話など聞ける空気じゃなくなった。
「何かあったんですか?」
「まぁ、色々とな……。お見合いが憂鬱になる事情が出来たよ……。美鈴の奴にしてやられたな」
「そうなんですか?」
「あ、お前らは知らなくてもいい事だ。だから、気にするな。精一杯私をフォローしてくれればいい」
「……わかりました」
それでも綾子は溜息を連続して吐いていた。こっちまで憂鬱になってしまいそうだった。俺には何もすることができないので、何とも言えない。
だが、姉はまた何かをやらかしたって事だな。
「じゃあ、お見合いの件については頼むぞ。これから用事ができてしまったので、帰らなければならない」
「そうですか……」
俺はもう少し綾子と話していたかった。正直、家で最近は素に戻れてないし、何より本音が言えなかったのである。そんな中での綾子という存在は嬉しかった。何故泣いていたのかも聞かずに、慰めてくれた。以外に紳士である。
そもそも俺が泣いた理由ってのは、嬉し泣きだしな。
「先生」
「なんだ」
「俺は先生と話せて良かったです。また、何かあったときは相談に乗ってくれませんか?」
「ああいいぞ。ただ私はリア充が嫌いでな。幹ならばいいぞ」
「わかりました。じゃあ、二人きりのときは素でいます!」
「ああ、そうしろ。何でも相談に乗ってやる! 大船に乗ったつもりでいろ!」
「はいっ! ありがとうございます!」
そう言って綾子は部屋を出た。
俺は一人でカウンセラー室に座る。二人しか入れない個室に座って、何をするわけでもなく、ただ茫然としていた。
◇
迎えたお見合い当日。
この日だけは、梅雨である今の時期でも、心地よい空に太陽が堂々と存在する晴れとなった。こんな日は昼寝でもしたいなと思うのが普通である。
だが、そんな暇などなく、俺ら美人部の面子は既に料亭に到着していた。
現在時刻は午前9時。
お見合い開始はお昼前の11時半となっている。それまでに、こちら側の準備を終えねばならない。
各々の交通手段で来た美人部は、料亭の裏口にいる。
「さて、これで全員か?」
「先生っ! A君がいません!」
「朝から何の茶番だ! M男!」
朝から麗と鷹詩がコントでもしてるようだ。
麗はいつも通りの感じだが、優香は眠そうだ。意外と朝は弱いのかもしれない。それとは対照的に拓夫を欠いた男性陣は麗よりも元気だった。
「また美樹さんの私服を見られるとは!」
「溜まらんな! そのハイヒールで、俺を踏んでください!」
「僕の彼女はぬかりがないね!」
「マジでギャルゲーにいそうだ……まさに天使!」
正男、鷹詩、直弘、久光が、俺をべた褒めする。
まったく、調子に乗ったらどうすんだか。仕方がないから、モデルみたいに一回転してやるか。どやああああああああ!
そんな元気な男性陣を目に入れた優香は、半目で呟いた。
「朝からムサイ」
それを耳に入れた正男達は、一斉に優香に視線を向ける。途轍もない威圧と共に皆、優香に歩み寄る。
優香はいきなり、近寄ってくる男達が若干怖くなり、引いている。俺だって正男達にそんな風に近寄られたら怖い。
そして、正男は優香の事を凝視して、口を開いた。
「うん、六十点くらかな」
「……何の採点よ」
「オフの時の格好」
「死になさい!」
正男は優香に蹴られていた。優香の蹴りは、どうやら弁慶の泣き所である脛に当たったらしく、物凄く痛そうにしている。それはもう、片足を持って跳びはねるくらい。
いつもの美人部らしく、少し騒いでいたら、裏口が開いてお世話になった女将さんが現れた。女将さんは俺達を目で確認すると、驚いた顔をしてそれぞれを見つめた。
「……これはこれは、昼前から皆さんお揃いで」
「この前は、ありがとうございました」
「美鈴ちゃんの妹の美樹ちゃんだったわよね? こちらこそ、もう私もおしゃべりな年ですから。相手をしていただいて嬉しかったですよ」
「お孫さん達とはお話されないんですか?」
「……そうですねぇ……生きてる間に孫の顔が拝めるか怪しいですよ」
女将さんは疲れたように笑った。なるほど。女将さんの子供はまだ結婚していないのか。それはそれで、親としては苦いものがあるのだろう。
俺と女将さんが雑談をしているところを割って、麗が入ってきた。
「はじめまして。この度はお見合いを成功させる為に、我々の介入を快く受け入れて頂き、誠にありがとうございます。私が美人部部長の黒樹 麗です」
何故か丁寧に挨拶する麗を見て、俺を欠いた全員が歓喜の声を漏らす。忘れがちだけど、麗って本当は礼儀正しいんだぞ? お前らが好かれてないだけだ。
誰にでも威嚇をする猛犬のような麗だが、今回ばかりはちゃんとしている。
女将さんもほころんで、麗を見つめる。
「いいんですよ。まさか、こんなに可愛い子がいるなんてねぇ……。後の男の子達も凄いイケメンだし、美男美女揃いだね」
すると、麗が真顔でキッパリと言った。
「失礼ですが、女将さん。うちに部活は私と美樹以外は、全然カッコ良くないし、可愛くありません。不細工です」
『ちょっと待って!』
後の人達がうるさい。一般的な意見としたら、女将さんが正しい。ただ、麗の場合は乙女ゲーや百合ゲー、ホモゲーなどの数々のゲームをこなしている為、目が肥えている可能性が高い。その目で後の連中を見たら、確かにブサイク(?)なのかもしれない。
「麗は言い過ぎです。大丈夫ですよ。優香はちゃんと可愛いですし、正男さん達もカッコいいですよ」
俺は気を使って後の連中をフォローしてあげた。
「美樹ちゃ~ん!」
「お、俺がカッコいい!? 美樹さんから見て!? 悪いなお前ら、結婚式は呼んでやる」
「い、一生俺を踏んでくれるかもしれないのか? し、幸せ過ぎる……」
「僕をカッコいいって……いつも可愛いとしか言われなかった僕を……やっぱり美樹さんは他の女性とは違うな!」
「お、俺の事をお兄ちゃんと呼んでくれー!」
優香は俺に抱きついてきた。正男は頭を打ったのか、おかしな事を言ってるし、鷹詩はいつも通りだ。直弘も普段通りで理解してるのか分からない。一人家の兄と同じ事を言ってる奴がいるんだけど。
女将さんは口元を手で押さえながら、笑っていた。
「仲が良いんですね」
「ふふ。そうですね」
女将さんの呟きに俺が答える。
だが、他の連中は違うみたいだ。
「私は美樹以外とは仲良くなんてない!」
「あたしだって、美樹ちゃん以外のアンタ達と仲良くするなんてゴメンよ!」
「まぁまぁ、部長さんも優香さんも落ち着いて」
「俺はお前らとなんて仲良くないし! 美樹様達に踏まれれば本望だし!」
「僕だって? 美樹さんと恋仲になればすぐに抜けるし」
「俺はなんだっていいや」
全員のコメントに俺は肩を落として、深い溜息を吐いた。男達もいつの間にか、仲が悪くなったらしい。いい加減にしてくれよ……。
そんな中、女将さんの背後から別の人物が現れた。
今回のお見合いの主役でもないのに、妙にそういった袴が似合う男。
「皆早いね」
そこには、今回美人部を廃部に追い込もうとして、綾子を利用した男であり、かつての親友――井草 拓夫が立っていた。
俺以外の面子は拓夫を睨んでいた。