家に先生が訪問なんてしないっ!
空は夕闇から夜空へと変わり始めた。
夏が近いのか、暖かい風が身体を包む。まるで、もう夏が始まりますよと宣告しているようだ。
この時間になると、各家庭も夕飯時のようだ。住宅街を通るたびに美味しそうな香りが俺の小さいお腹を刺激する。
先ほど、麗に食事を誘われたのだが、昨日の今日で泊まったり、遅くなったりはできず、早めに帰る事にしたのだ。
もう家までの推定残り時間は約五分だ。今日のご飯は何だろう。などと考えながら歩いてるとあっという間だ。
俺は自宅に到着し、ドアを開けると、見かけない靴が転がっていた。こういうときも、俺は美樹でいなきゃいけないから辛いのよね。小さく溜息を吐いてから、俺はリビングに向かう。
「ただいま、帰りました」
「おう、お帰り」
頭を下げて挨拶をする俺。
返事をしてきたのは、先ほど別れた筈の担任の教師である杉本 綾子だ。彼女は家のリビングで、缶ビール片手にテレビで野球を見ていた。その光景があまりにも、親父に酷似していてビックリした。
綾子は俺の姿を一瞬だけ確認してから、またテレビへと視線を戻した。俺は半目で綾子をじーっと見つめてみたが、気付きそうにないので諦めて、溜息を吐いた。
「先生? 何で家にいるんですか?」
「ん? お前の従妹に用があるんだ。お前に用はない」
「はぁ……」
忘れがちだけど、綾子は常日頃から「リア充なんて爆発して灰になって空気分解しろ」と言っているような残念系非リア充だった。正直、見た目は良いのだから、少しでもリア充の時期があったのではないだろうか。そういえば、料亭の写真はいつ頃の物なんだろうか。
誰かが、階段を下りてくる音が聞こえる。足音から推測するに、恐らく兄と姉の二人だ。母は台所で調理中である。母も綾子を知っているのだろうか。
やがて、姉と兄の両方がリビングに現れる。
「お帰り! 美樹たん! 今日も愛しのハグを!!」
「美樹たん! ハァハァ……今日のおパンツ何色なんだい!?」
相変わらず、妹に対して変態過ぎる姉と兄。俺は二人に、綾子に見えないように半目で睨む。だが、二人には左程効果もないので、すぐに止めた。最近、うちの家族に俺の拒否反応が効かなくなってきた気がする。
「ただいま帰りました。お姉さんお兄さん」
簡単にいつもの挨拶をすると、今日も俺が美樹モードだからなのか、二人とも涎を垂らしながら満足の様子。姉に至っては「今日一緒に寝ない?」などと聞いてくる。どんだけ俺の事好きなんだよ。
兄がリビングにいる綾子を視界に入れて、やっとお客さんがいる事に気づいたようだ。
「あー……もしかして綾子さん?」
「み、満君!? 会いたかったよー! 今から婚約届出しに行こ?」
「……毎回断ってる筈なんですけど」
「そんな釣れない事言わないでさ~。私は満君の事大好きなんだよ? いつになったら、告白の返事くれるの?」
「……なら今言いましょうか」
「うん!」
兄と綾子の間で謎のやり取りが行われる。兄はどうやら、昔から綾子を知っているようで、見た感じでは俺と正男達のような関係だろうか。
記憶が正しければ、綾子は姉の先生だった筈なので、兄とは面識がないのではないだろうか。
今現在、告白の返事を待っている綾子。その瞳は本当に恋をしてる乙女のようだ。……あれ、兄の事好きってガチ?
俺の思考回路を読んだであろう姉が耳打ちをしてきた。
(先生は、満に偶然遭遇した事があって、一目惚れしたらしいんだよ。それで、「それ、私の弟ですよ」って言ったら、好きになっちゃったらしくて、それ以来会うたびに告白してるんだよ)
(……それは、どうなんでしょうか)
俺と姉の秘密の会話も終わり、兄が綾子を見つめている。
そして、兄の口が開いた。
「毎回言ってますが、俺は綾子さんの気持ちに答える事はできません。まず内面的要素は嫌いな部分は、あまりありませんので、外見から入りますね。髪が長いのは良いでしょう俺好みです。ただ、目つきが悪いってのが気にくわないです。俺はわりと可愛めの目が好きなので。それと、化粧ですが、うちの姉妹のが上手にして見せますよ。先生は、かなりヘタクソです。巨乳とか要らないです。しかも形重視の俺にとって先生のは、悪そうで嫌です。美樹たんは別ですけど、基本的に俺は幼女が大好きですから。後身長高いってどうなんでしょうね。個人的には美樹たん程が丁度いい――いや、かなり最適ですね。あまり高過ぎると、疲れませんか? そもそも身長が高いからモテないっていう理由もありますね。あとモデル体型? 笑わせないでください。俺は前述通り、幼児体型フェチです。モデルがよく告白してくることは、ありますけど、もう疲れました。いい加減、体系に自身持ってるような奴とは話したくないです。あ、美樹たんだけは別です。モデル体型の中に、幼さを感じますからね。あとは年齢ですよね。俺よりだいぶ上なんですから、そもそも付き合う事自体不可能に近いですよね。最終的に言ってしまうと、美樹たんLOVEって事になりますね。ええ、美樹たんがいれば誰もいらないです」
『…………』
絶句。オタクの兄がまさか饒舌批判という高等テクニックを持っていたとは。ただ気持ち悪いだけだけど。
一回も間や呼吸する事もなく、綾子を否定した兄であったが、疲れてる様子はない。寧ろ、罵ってストレスを放ったかのようだ。
こんな事言われれば、綾子だってキレるんじゃないのか? そう思っていた俺だったが、綾子の今の顔を見て、一瞬息が出来なくなった。
なんと涙目の綾子がそこにはいた。
「な、何で……何で何で何で、どいつもこいつもそいつも美樹美樹美樹ってばっかり言うんだよ! 私の方がずっとお金だって持ってるのに!」
取り乱す綾子に、姉は半目で何かを訴えるように見つめる。
「……美樹たんと比べると先生とか完全にゴミクズでしょ」
満も呟く。
「……美樹たんと同じ土台に立てると思ってるのが間違ってる」
二人は呟いてから、綾子の顔を見ないようにしていた。なんだか、綾子が可哀相になってくる。俺の知らない間に、裏でこんな事があったとは思っていなかった。そもそも、先生って実は満だけが大好きなんじゃ――。
「はい、そこまで。もういいでしょ? 今日はハゲ加齢臭もいないんだし、皆で和気藹々とご飯食べましょ?」
母が笑顔で、姉と兄に話しかけた。どうやら夕飯を作り終えたらしく、準備をお願いという暗黙の命令が目線でされている。それを見た俺は、綾子は俺の客人ではない。と理解して、母を手伝う事にした。
食器を用意して、母の元へと向かう。今日は肉じゃがらしく、俺は個々にお皿を用意する。盛られた皿からダイニングテーブルへと運ぶ。
全て運び終えたら、いつの間にか姉と兄が椅子に座っていた。いつもの親父の席には綾子が座っている。
「じゃあ、先生。召し上がってください」
「毎度毎度、ありがとうございます」
毎度? 前にも来た事があるようだった。でも、よく考えれば当然ではあるか。さすがに初回訪問時にお酒を出されて飲む教師なんていない。多分、その頃俺は毎日のように夜遅くまで遊んでいたから面識がないのだろう。
豪快にご飯を頬張る綾子。ご飯の食べ方が最早男。大体ご飯を五分に一回ペースで、おかわりしている。
その光景を見慣れてるようで、姉と兄はいつも通り食べていた。
食事も終えた所で、綾子は口直しのお茶を飲んで、一息吐いた。
「で、今日は先生何しに来たの? 踏まれに来たの?」
「普通に谷中に用事があってきた」
冷めた表情で蔑む姉。だが、その瞳に射抜かれるのも大した事ではなさそうで、綾子は授業をするときのような真剣な顔をしていた。先ほどは姉に用事があるって言ってたよな。つか俺に用事って一体なんだろうか。
兄は食事を終えると、そのまま風呂に入ったようだ。母は、洗い物をしている。
「私に用事ですか」
「うん。君に教えてもらいたい事があるんだ」
そう言うと、綾子は席を立ち、俺の目の前に立つ。教えてもらう側の人間が普通、人の真ん前に立つのだろうか。
そして、綾子はいきなり床に座り、土下座を放った。
「……何の真似ですか?」
「先生って個人的にお願いするときっていつも決まって土下座だよね」
姉が頬杖をつきながら、つまらなそうに呟いた。これはこれで定番らしい。
「頼む! 私をリア充にしてくれ!!」
土下座をしながら、懇願する綾子。普通土下座というものは謝るためにするものであって、お願いするときの姿勢ではない。リア充にしてくれとか、ただのバカなの? 大人のリア充ほど痛いものはない。
俺は椅子から立ちあがり、腰をかがめて綾子を見る。
顔を上げる綾子に、俺は笑顔を向けた。
「谷中……」
「嫌です」
「ちょっと待てえええええええええええ!」
「待ちません。何で敵を助けてあげなければいけないんですか? それこそ、私が麗や優香達に怒られそうなんですが」
「敵? 何の事だ?」
「廃部にするって、言ってましたよね?」
「…………」
黙ってしまった綾子。もしかすると忘れてたのかもしれない。そもそも、綾子が廃部にするための条件として提示してきたのは、お見合いを成功させる事。それなのにリア充にしてくれとかわけがわからん。
俺は勝負事にはうるさい人間なのだ。
「お見合いをするんでしょう? それなのに、リア充にしてくれってお願いは美人部に対して失礼じゃないですか?」
「……真っ当な意見だな」
「ですから、教える事はありません」
「待ってくれよ美樹えもーん!」
誰が美樹えもんだ。四次元ポケットなんて俺にはないぞ。もっとも今四次元ポケットがあれば、男に戻る道具を出してる。
すがりつく綾子。まるで、の○太くんだ。
俺は溜息を吐く。
「そもそも、何で今日というタイミングで、私をリア充にしてくれってお願いしに来たんですか?」
「それには深い事情が……」
「話さないのなら、今すぐ家から追い出しますよ?」
「わかったから!」
俺の脅しを聞いて、少し姉が耳を傾けた。もしかして、姉自体もそこまで綾子の事が好きでないのだろうか。というか、M気質の先生を元から姉は好きじゃなかったのだろう。
とりあえず、この体勢のままだと足がキツイので立ちあがって、自分の席についた。綾子も俺に習って、椅子に座りなおした。
「じ、事情を話したら、お、教えてくれるか?」
頬をピンク色に染める綾子。絶対需要ない。
俺は首を縦に振った。姉もつまらなそうに綾子を眺めていた。
「頼むぞ。美樹えもん」
「誰が猫型ロボットですか」
こうして、綾子のお見合いと美人部とを巻き込んだ事情が語られる。




