姉と情報収集なんてしないっ!
車を走らせる事、一時間。心地よい風に揺られて俺達は都内の料亭へと到着する。雲が既に晴れて、夜空には綺麗な星々が煌めいている。
姉の車であるベンツのSL65 AMGを、料亭の敷地内である駐車場に停める。俺と姉が車から降りて、料亭へと足を進める。南風が、もうすぐ夏になるのを告げている。
「いらっしゃいませ」
料亭へと入ると、女将さんらしき人物が正座でお辞儀する。俺と姉も女将さんに習って、立ったままお辞儀をした。
女将さんは顔を上げて、姉を確認すると驚いた表情をする。
「あら、美鈴ちゃんじゃない!」
「こんばんわ~! 今日はお客さんじゃないんだけど、いいかな?」
姉が満面の笑みで首を傾げる。姉のこういう所作には本当に勝てない。俺がどれだけ美少女と言われようとも、姉には一生勝てない気がする。その前に、俺がずっと美樹のままなのかも不明ではあるが。
女将さんは立ち上がり、再びお辞儀をした。
「はじめまして。私は谷中 美樹と申します」
「あらあら。美鈴ちゃんの妹さん?」
女将さんが俺を見て、片方の掌で自らの頬を当てている。俺と姉はよく似てると言われるので、この反応は普通だ。
姉は照れ隠しに、後髪を弄りながら微笑む。
「従妹なんですけど、もう妹みたいな? もぅ、本当に可愛いでしょ!」
「そうねぇ! 本当に参ります~」
仲良く会話を繰り広げる姉と女将さん。俺だけ取り残されてる感が半端ない。
「それじゃあ、立ち話もなんだし、上がってって」
「はい。じゃあ、美樹たんも」
「はい、お姉さん。お邪魔します」
俺と姉は靴を脱いで、料亭内へと上がる。靴は、他の従業員がしまってくれたので、俺らがしまわずに済んだ。掃除が行き届いていて、床は木製の筈なのに、しっかりとした光沢がある。さすがは料亭だ。
女将さんが、俺と姉の靴を片付ける従業員に、一度首を縦に振ると、他の従業員達は颯爽と退散した。
「それでは、私の部屋へと案内しますね」
「はいは~い! ほら美樹たんも行こ!」
女将さんが先導して、部屋へと連れられる。廊下を歩いてる際に、よく従業員とすれ違う。恐らく、お客様と直接関わるのは女性だけなのだろうか、男の姿が見えない。そういう物なのだろうか?
やがて、庭が見えてきた。丁寧にメンテナンスを行っていると思われる芝生に、岩で囲まれた池。その中には赤と白のぶち模様の魚である鯉が、伸び伸びと泳いでいる。
そのすぐ近くには、ここのオーナーなのだろうか。年をかなりとった老人の姿があった。
彼は鯉に餌をあげることに夢中だ。
そんな光景も見えなくなり、やがて、俺の身長の約一・五倍はある扉に辿り着いた。
「ここが私の部屋です」
「ほぇ~」
姉が感激の声をもらす。確かに扉は豪勢だった。まず扉自体が、金色だ。ドアのノブなんかも、タッチ式のようでハイテクである。
女将さんは、そのタッチパネル式のドアノブに触れると、勝手に扉が開いた。重い音を鳴らしながら開かれる。恐らく、女一人でこの扉を持てないだろう。
「さ、どうぞ」
女将さんの手に案内されて、俺達は部屋の中へと入る。中には写真立てが沢山置かれていた。そのどれもが、男と女のツーショットのみ。皆、違う人達の写真だ。
「この写真は……」
俺が呟くと、反応したのは女将さんではなく姉だった。姉は飾ってあるうちの一つの写真を手に取り、眺めている。
そして、その写真を見て満面な笑みをもらしながら、俺に渡してきた。
「これはね、ここでお見合いが成功した人たちの写真だよ。それで、これは私達が成立させたカップルだよ」
「え、姉さんは、既に何組かお見合いを立ち会ってるんですか?」
「そうですよ。美鈴ちゃんは過去に何人も結婚を成立させてる、いわば、恋のキューピットとうちでは呼ばれてるんですよ」
姉が見せてくれたのは、幸せそうに微笑む一組の夫婦の写真。男の方も、女の方も、きちんとした正装で写真に写っている。その背景は、俺が先ほど見た庭の物だった。
俺の問いには女将さんが答えてくれた。姉は照れ笑いを浮かべながら、「その呼び名はないですよ~」と言っていた。
恋のキューピットとか、変な二つ名だな。
俺はそれから、数々の写真に視線を走らせる。どれも、基本的には皆、男女の写真で正装だ。これを見るに、お見合いを成立させた人達はかなり多い。
「お姉さんはこの中から、どれくらいの人達の仲を取持ったんですか?」
「う~ん、どうだったけな~」
「八割、美鈴ちゃんですよ」
姉は顎に手を当てながら、うーんと唸り、素で悩んでいる様子だった。基本的に姉は自分の好意は忘れる人間だ。以前も、俺が姉に好きなお菓子を貰ったときも、お礼に好きな料理を作った事があった。そのときも、「何かしたっけ?」と本気で忘れていた。それが素だから、姉は怖い。だからか、俺は昔から、イケメンでオタク趣味で高めのコミュ力を持ってる兄よりも、今隣にいる、女子力の塊である姉のほうが仲が良かった。
まぁ、今の方が確実に仲は良いけど。そういう点を考えれば、俺は美樹になって正解だったのかもしれない。
というか、八割もお見合いを成立させてるって、何をやってるの? 姉はお見合いを成立させてるとか将来何の仕事するんだか。
他の物を眺めてると、一枚の写真が目に止まった。それは、かなりのイケメンでモデル体系で長身の男と、女性の方も絶対的なモデル体型で、綺麗めの顔だった。そして、女性の方は俺達に勝負(?)を挑んできた教師――杉本 綾子の姿だった。
俺は驚愕しながら、その写真に瞳を奪われていた。そんな俺に気付いた姉は、写真を手に取った。
「これ懐かしいな~」
「美鈴ちゃんは覚えてるの?」
姉は懐かしみながら、写真の綾子を見つめる。驚ろく事に、その写真の綾子は今と全然変わっていない。女将さんも、綾子を知っているのか?
というか、その隣の男はどうしたのだろうか。
「あの……女将さんは、その人を知ってるんですか?」
「女将さんだなんて! 私の事はお母様でいいんですよ?」
「それはダメ! 美樹たんは家の子だから、誰にもあげないよ!」
俺の質問を遮るように、女将さんはお茶を濁した。そんな茶々に姉は一瞬で反応して、俺を抱きしめて女将さんを軽く睨んでいた。
女将さんは軽く笑いながら、姉に口を開いた。
「ふふふ、冗談ですよ美鈴ちゃん」
「本気だったら怖いよ!」
姉が女将さんの軽いジョークに過敏に反応した。ここ最近では、姉はよく俺が絡む事になると、いつも敏感なのだ。それは兄も同様で、どうにかしてほしい。
しかし、綾子の写真がここにあるってことは、お見合いを成功させて一度結婚したのではないのだろうか?
「で、この写真の方は」
「美樹たん。その写真の事は聞かないで上げて」
「え……」
姉は顔を真剣にさせ、首を横に振っていた。その動作から、聞いてはいけないのだと直感した。女将さんの方へと視線を移しても、なんだか申し訳なさそうな顔をしていた。
空気が一瞬重くなったので、俺はそれ以上の綾子に関しての詮索は止めることにした。
「それで、今日は美鈴ちゃん達は何をしに来たの?」
重くなった空気を女将さんが破った。
「今日は、美樹たんがお見合いについて聞きたい事があるんだって!」
「すいません、ちょっと知り合いがお見合いをするもので、お話を聞かせてもらってもいいでしょうか?」
「もちろんですよ」
それから、俺と姉は女将さんに、お見合いについての詳しい話を聞かせてもらった。主に、成功したお見合いの例を上げてもらい、大体成功するイメージが固まってきた。後は、本人の意思次第という事になるだろう。
綾子の事をこれ以上聞かなかったのは、重い空気になってしまうからだ。恐らく、ここに写真があることから、一度結婚して離婚してしまったのだろう。なるべく、そういう話は女将さんも話たくないのだろう。
何時間か経った頃、俺の携帯が鳴った。
着信は母親からだった。
「ごめんなさい、女将さん。少し電話に出ますね」
「はい、どうぞ」
俺は部屋から出て、電話に出る。
「はい、美樹で――」
『遅いっ! 何やってんの!? こんな遅くまで誰と遊んでるの! 私は年収五十億以上でハリウッドセレブじゃなきゃ認めないわよ!』
「何を言ってるんですか」
『お母さんは、そこら辺の男と遊ぶなんて許しませんからねっ!』
「違います。今日はお姉さんと一緒です」
『あ、そうなの? なら夜ご飯が出来てるから、そろそろ帰ってきなさいね』
「あ、はい」
あ、姉ならいいんだと俺は思った。だけど、ある意味、姉と兄の方が危険人物に限りなく近い気がするんだけど。
俺は母親からの電話を切って、女将さんの部屋に戻る。
二人は談笑してるみたいだった。姉が俺に振りかえる。
「誰? 男? 男だったら、連絡先を今すぐ提示して! 殺しに行くよ!」
「怖いです! そもそも男じゃなくてお母さんです」
「あ……もうこんな時間か!」
姉は腕時計を確認すると、今が何時だか分かったようだ。
まだ急ぐ時間ではない筈だ。
「た、大変だ!! これ以上遅くなったらお母さんに怒られるっ!!」
「え、お姉さんもそうなんですか!?」
「……うん。美樹たんを夜八時以降、外に連れて行くなって……」
「そっちで怒られるんですね!」
女将さんは口元に手を当てて、微笑んでいた。
「仲が良い姉妹さんのようですね」
「そうですね。私はお姉さんの事を、良い姉として、良き人生の先輩として両方の意味でも、私は尊敬しています」
俺は少し、姉の株を上げておいた。これは普段からのお礼も含めて、顔を立てておく。実際に、姉の女子力などにはもう頭が上がらない。
姉は感動して、瞳を潤わせていた。
「み、美樹た~ん!!」
俺は姉にがっしりと抱きつかれてしまった。普通に痛い。
女将さんは、ニッコリと微笑んでいた。だけど、その微笑みには少し影が出来ていた。
「……女将さん?」
俺が声をかけると、ハッと我に返って、首を横に振っていた。
「何でもないから大丈夫よ!」
「ならいいんですが」
焦って否定する女将さんを怪訝に思いながらも、俺と姉は急いで家へと戻ったのだった。




