美人部の真の活動開始なんてしないっ!
俺らは綾子がいなくなった後で、溜息を吐く。
明るくなった部室がまた暗くなった気がした。
「顧問がいないって……」
正男が小さな声音で呟く。その表情には驚きが隠せていなかった。他の男子達も同じような物で、表情は硬い。
俺は随分前から気付いていたのだ。綾子が美人部を廃部に追い込むのなら、まずそこを突いてくると。もっと早く顧問を見つければ良かったのだろうが、何分俺は女の教師からは嫌われていて、話すことすら許されていない。男の教師達は鼻の下を伸ばすばかりで、話なんて出来たものじゃない。
だが、逆に考えれば、これは好機なのだ。お見合いを成功させれば、必ず奴は美人部の顧問になると約束した。ならば、そのお見合いとやらを成功させればいいだけだ。
「皆さん。溜息を吐く前に、やるべきことは沢山ありますよ」
俺がソファに腰掛けながら、四人の男達を見つめる。男達は顔を上げて、俺の方へと視線を集める。
俺は首を縦に頷かせる。
『やるべきこと……?』
男達は全員で同じ事を口にした。ダメだ。最近のコイツら頭悪過ぎだろう。今何をすべきかくらいすぐに分かる筈だ。
すると、俺を膝枕にして寝ていた麗が起き上がる。眠たそうに目を擦り、欠伸と背伸びを同時に実行し、立ちあがる。
「……ようは、奴のお見合いを成功させてやれば良いだけの事だ」
麗がそれだけを寝起きとは思えないほど、ハッキリと告げる。男共は考え込んでしまった。他に何かやることでもあるのだろうか。
すると、鷹詩が手を上げた。
「あの、今やるべき事って言ったら、俺を踏むことじゃないでしょうか!」
「黙りなさいっ!」
今度は優香が俺の膝枕から起き上がりながら、口にした。
ソファに腰掛けたまま、優香は口端を吊り上げた。その微笑みは何か、面白そうな事でも考えていそうだ。
「あたしたちって何部だっけ?」
「……美樹さん部?」
「死ねゴリ男」
優香の問いかけに正男が反応し、麗に罵られる。毎回のスタンスが戻ってきた。先ほどまでの壊滅的な空気がなくなり、今はいつものような活気にあふれた美人部の姿がそこにはあった。
そして、麗は黒板まで歩き、チョークを握った。そして、端から端まで。上から下まで、大きく文字を書いた。
相変わらず、椅子を使わないと上には届かないようだった。
書き終えた麗は、手に付着したチョークの粉を落として、仁王立ちで腰に片手を当て、空いた手で、黒板を思いっきり叩いた。
「これぞ! 我が美人部の日頃の成果の出番ではないだろうか!!」
『おお~!』
黒板には大きな字で『杉本を美人に磨きあげ、相手を魅力で落として、メロメロにさせる大作戦!』と書かれている。略して『杉メロ大作戦!』。
男共は感激の声を上げる。
優香も腕組をして、鼻で笑っていた。
そう。今こそ、美人部の力を見せつける時が来たのだ。俺もそう思う。美人部とは、もともと綺麗になりたい人の為に設立した部活だ。麗の意図はそうだった筈。それに則れば、今回は間違いなく、成果を発揮する場であるのは間違いない。綾子を綺麗に仕立て上げ、男をメロメロにするのだ。
まぁ廃部が出てくるのは予想外だったけど。
「では、早速明日から、お見合いの雑誌を放課後持ってくる事だ! 良いな!」
『はいっ!』
そこで今日の部活は終わった。
男共は、颯爽と帰った。後でメールが来て分かったのだが、資料を端から端まで集めるつもりらしい。彼らも俺に呆けてばかりいるのではなく、ちゃんと活動する意欲があるようだ。
麗と優香も、俺が機嫌悪かった事など忘れて、お見合いの資料を探しに本屋などを歩き回りに行ったようだ。俺だけ何もしないのはマズイので、とりあえず、姉の美鈴に連絡する。
「もしもし。お姉さん? 今どこにいます?」
『美樹たん!? 嬉しいな~! 今? 今は授業中だよぉ!』
「……大丈夫なんですか?」
『美樹たんの為ならば例え、何処だって行くよ!!』
姉のテンションは相変わらず高い。
俺は、校門前で皆と別れてすぐだったので一人だ。学校前に姉がすぐに迎えに行くと言うので、俺は一人で待っていた。
俺は一人の時間など、家でも外でも皆無に等しかったので、少し風に当たって何も考えずにいた。だが、すぐに一人ではなくなった。
そこに現れたのは、帰る時にいなかった井草 拓夫だ。
彼はトイレに行くと言ったきり、戻ってこなかったのだ。
「今お帰りですか?」
「ああ。美樹さんこそ誰か待っているんですか?」
「まぁ、そんなところですかね?」
俺は口元を抑え、いつものように微笑む。
すると、拓夫の目つきが変わり、俺が知っている拓夫とは違う笑い方をした。どこか邪悪な笑みに俺は感じたのだ。
「……どうかしたんですか?」
「いや、ただ、杉本先生を待っているのなら、無駄ですよ。先生は帰りましたからね」
「そうですか。でも、私が待ってるのは姉なので」
「じゃあ、余計なお世話でしたね。では俺はこれで」
片手を上げて、帰ろうとする拓夫。
俺は何かが引っ掛かり、拓夫の帰ろうとする右腕を掴んでいた。振りかえる拓夫の顔は、驚いているようだ。だが、俺は決して見逃さない。
「何で、杉本先生が帰った事を知ってるんですか?」
「たまたま、さっき帰りの先生にあっただけです」
「そうなんですか? でも、何で私が杉本先生に用事があると思ったんですか?」 「……それは……」
そこで拓夫は口を塞いでしまった。俺は拓夫は黒だと感じた。もしかしたら、コイツは美人部を廃部にしようとでもしてるのか? それで綾子に相談したとか……。いや気のせいか?
俺は拓夫をじーっと睨みつけると、目を合わせようとはしなかった。一体何を企んでるのか、まったく分からない。
夕闇に染まる、校門で拓夫は呟いた。
「……今は美樹さんも美人部という檻の中で、高校生活を楽しんでると思いますが、もっと楽しい事は沢山あります」
「いきなりどうしたんですか?」
変な事を言い始める拓夫に、俺はわけが分からなくなり、首を傾げた。当の本人である拓夫は、先ほどまで目を泳がせていたのに、今は違う。
拓夫の目からは、何かの決意を感じた。
「俺は必ず、美樹さんを救いだします」
「……救い出すって言っても、私は今何にも掴まってませんよ?」
そう返事をすると、拓夫の両手が俺の肩をガシッと強く掴む。結構痛い。何、拓夫ってドメスティックバイオレンス? もし、そうならば、俺の強化された護身術でボコボコにしてやるぞ?
拓夫の顔と距離が近くなる。それはもう、間にハンドボールが入るか入らないかくらいだ。拓夫の荒い息が聞こえてくる。
どうして、そんなに必死な瞳をするのだ?
「俺は必ず、美樹さんを――」
そこで、車のクラクションが聞こえた。
音のする方へと視線を向けると、そこには姉の乗っているベンツのSL65 AMGの高級オープンカーが停まっていた。姉がサングラスをかけて、チンピラみたいに眉間にしわを作って、拓夫を睨む。
その姉に怯えたように、拓夫は俺の肩から手を離した。
「何やってんじゃああああああああ! どこの馬の骨だか知らんが、轢き殺したろかぁああああ?」
「ひぃ!?」
姉は恐らくギアをニュートラルに入れて、アクセルを踏んだ。激しいエンジン音を噴かし、拓夫の恐怖心を煽っている。
拓夫の顔色は見る見る青くなっていき、後ずさり始めた。
俺は溜息を吐いて、車の助手席へと乗り込む。
「では、お迎えが来たみたいなので、これで失礼しますね。それではまた学校で」
「あ、ああ……」
拓夫の顔が完全に引き攣っている。完璧に逃げ腰だ。前から、神社とかでチンピラに囲まれると一番に逃げだそうとするのは拓夫なんだよな。
ま、俺も喧嘩弱いくせに買うから、同罪みたいなもんだけど。
「チッ! 今度あたしの美樹たんに指一本触れてみろ! お前の指の爪を剥いで、指切断して、ライターで燃やして、プレス機で潰して、皮を剥いで、骨を叩き割って、神経ごとぶち抜いてやるっ!」
「指に何の恨みがあるんですか!?」
「じゃあ、お前の穴蹴って、爪全部剥いで、穴蹴って、腕引きちぎって、穴蹴って穴蹴ってやる!!」
「お尻にも恨みがあるんですか!?」
姉があまりにもチンピラなので、拓夫が頭を下げて帰ってしまった。最後何を言いたかったのだろうか。
この姉のせいで聞きそびれたではないか。
しかし、姉はいつの間にこんな車を買ったのだろうか。そもそも学生の車じゃない。
「お姉さん。この車どうしたんですか?」
「ん? あたしの論文が評価されたから、外国に売ったら、簡単にコレ買えるくらいのお金が手に入った」
「いくらですか!?」
「億単位? でも、あたしはお金じゃなくて美樹たんのほうが心配だよ!」
「金銭感覚どうにかしてください!!」
「大丈夫! 美樹たんの為なら、いくらでも貢いじゃうよー!!」
姉の金銭感覚は可笑しい。だから、俺にしこたまブランド物の洋服を買ってくれたのか。バイトもしてないのに、可笑しいな~と思ったんだ。
それよりも、今の姉厳ついぞ? 女子力の塊どうした?
「で、美樹たん。あたしを呼んでどうしたの? もしかして足に使ったの? それなら、帰ったら美樹たんの足舐めていい?」
「嫌です。少し行きたいところがあって呼んだんです」
「あ~なるほど。で、どこどこ?」
「お見合いに詳しい料亭の女将さんに話を聞きたくて」
「お、お見合いぃいいいいいいいい!? 美樹たんが!? 誰と!? どこで!? 何時何分!? 相手は!? 年収五十億以上!? 見た目ハリウッド!? じゃなきゃ許さない!! いや、男はダメダメダメダメダメダメダメダメ!!!」
姉が壊れた機械のように暴走し始めた。というか、ハードル高過ぎ。可笑しいでしょ。俺ってそんなに価値高いの? もはや国宝レベル。
「落ち着いてください。杉本先生のお見合いを成功させる為の情報収集です」
「……良かったぁあああああああああ! 美樹たんが家からいなくなったら、美樹たんを誑かした相手を殺して、美樹たんも殺して、あたしも切腹で死ぬとこだったよ~!」
「……冗談ですよね?」
「本当だよ! 美樹たん! あたしは美樹たんと結婚するんだよ!」
可笑し過ぎだろう。こんな姉に俺のさっきの姿とか見せられない。というか満面の笑みで俺を見るなよ。ヤンデレもほどほどにしてよ。
「ま、美樹たん殺すのは冗談だけど、後は本当だよ!」
「お姉さんは自殺願望者ですか!?」
「違うよ! 強いて言うのなら、美樹たんのお婿さん! ん、お嫁さんかな!?」
「どっちもないです! お姉さんは姉妹ですし、そもそも、私達は女同士ですよ!?」
「妹で同性だけど、愛さえあれば関係ないよねっ!」
「関係オオアリですっ!」
「それじゃあレッツラゴー!」
「お姉さん! 話を聞いてください!!」
姉は車のギアをDに入れて、発進させた。
俺らは、都内の料亭へと向かう事にした。