美人部を気まずくなんてしないっ!
俺は久光に、真実を告げられた。
麗と久光が付き合ってたというのはただの俺の勘違いだった。それについては、申し訳ないとしか言いようがない。
そんなわけで、俺と久光は再び部室を目指す。
「美樹さんもそういう勘違い、あるんだね」
「……恥ずかしながら」
「それで機嫌悪かったの?」
「……まぁ、そうなるんですかね」
久光は笑いながら、俺の肩をポンっと叩いた。
久光には申し訳ない気持ちで、いっぱいだ。
「それより、美樹さんって妬いたりするんだね」
「そう……なんですか?」
自分でもよく分からなかった。俺の心は、森が風に揺られるようにざわついたのだ。この感情が誰に向けられているのか。麗なのか久光なのか。
これが俺は恋心から来る物だと知るのは、そうとう後になる。
話していた俺と久光は、四階の多目的室――美人部の部室に辿り着く。
部屋からは、黒々とした空気が漂っている。扉は完全に閉まっているはずなのだが、僅かな隙間から黒々とした何かが流れ込んでくる。
この空気は、故意でないとはいえ、俺が作り出してしまった物だ。若干――いや、かなり入りにくい。
俺はチラっと横目で、久光を見る。久光も同感らしく、首を縦に振った。
「……入りにくいね」
「……ですね」
俺達は短くやりとりをして、扉にゆっくりと向かう。
久光が扉を掴み、そろ~っと小さくスライドさせると、部活の様子が見える。
全員俯いて、溜息を何度も吐いている。これは重症以外の何物でもない。最早、病院で意識不明の重体の友人を待っているレベル。
そして、部室の中にいる麗が口を開いた。
「……なんでこうなったんだ……」
麗はソファに寝転がって、顔を埋め尽くしてる。
一瞬顔を上げると、涙と鼻水で酷い顔に仕上がっていた。それからまた、すぐに顔を埋めた。
「……」
「……」
記憶が正しければ、優香は雑誌を読んでいた筈なのだが、現在は両手を硬く握って、俯いてる。まるで、父親が我が子の山場を乗り越えるのを祈ってるようだ。
雑誌は床にぶちまけられてる。
「……あんた身に覚えがないの……?」
優香が小さく麗に呟いた。
しかし、誰も反応はない。
すると、優香と同じ格好をした正男が口だけを器用に動かした。
「……坂本さんが何かしたんじゃないんすか……」
他の鷹詩、直弘、拓夫も優香・正男と同じ格好。
皆で俺をドッキリしようとしてるのかと問いたくなってくる。だが、明らかに素である。
「美樹ちゃんが部活にいなくなったら……あたし、どうしよう……」
「……貴様などいなくても変わらん」
「……そうよね……」
麗は顔を埋めたまま、優香の言葉に返した。
部室内の黒々とした空気は時間を増せば増すほど、濃くなる。霧とかそういう感じ。誰が黒い息を吐いてるかって? 皆だ。
俺が部室に入ろうとすると、久光の右手に遮られた。
人差し指を唇の前で立てる久光。まだ様子を見たいのだろうか。タイミングを計ってるのだろうか。後者である事を願う。
そして、黙っていた鷹詩がついに席を立ちあがった。
「なぁ皆! こんなに暗い空気じゃ美樹様は帰ってこないよ!」
「黙れドM」
「黙りなさい。今はあんたを踏む気分じゃないの」
「やめろ鷹詩」
「……惨めだぞ」
「……」
直弘以外がやっと喋った。この部活っていつからネガティ部になったの?
正男が鷹詩の洋服を掴んで、座らせようとしていた。だが、鷹詩は止まらなかった。
「さぁ! 僕を踏んで心を晴らそうよ!」
「誰もお前の欲求を満たす気分じゃねーんだよ!」
ついに直弘がキレて、席を立ちあがった。椅子は勢いよく立ちあがったせいで床に叩きつけられる。
直弘は鷹詩の近くにまで、両肩を上げて向かい、そして、胸倉を掴んだ。
かと思うと、直弘が鷹詩を背負い投げして、床に叩きつけた。
「んがっ!」
「俺も混ざろうか」
拓夫はゆっくりと立ち上がり、倒れている鷹詩の元へと近づく。
そして、拓夫と直弘が鷹詩をリンチするような光景になる。このままでは一発触発は間逃れない。そろそろ止めたほうがいいんじゃないか?
しかし、久光の手は退かない。
「やめろ! 直弘、拓夫!!」
「なんだ、やっぱり怖くなったのか?」
「鷹詩はドMの筈だよな?」
二人が鷹詩の胸倉を掴む。
やめろって、鷹詩ってドMじゃないの!?
すると、鷹詩が大きく息を吸い、叫んだ。
「お、俺はーー女の子に踏まれるのが好きなんだーー!!」
胸倉を掴んだままの拓夫と直弘は固まった。
正男や麗達は耳を塞いでいた。
「うるさいぞ! 鷹詩!」
「貴様……死を与えてやろうか!」
「あんたの首引きちぎるわよ!」
「麗様と優香様なら喜んで!」
鷹詩の顔が一瞬笑顔になった。
直弘と拓夫は胸倉から手を離して、鷹詩に手を差し伸べた。
「……悪かった」
「僕も、勘違いしてたよ」
二人の手を掴み、鷹詩は立ちあがった。
そして、再び自分の椅子に三人は座った。
再び黒々とした溜息が吐かれる。
「……なんでこうなった……」
まさかのリピート!?
この後、また同じやりとりが繰り返された。
鷹詩が椅子に座った後、久光が溜息を吐いて、ようやく美人部部室の扉を勢いよく開けた。開かれた扉の方を全員が目にする。
俺はまだ扉の影に隠れているので皆には見えない。
仁王立ちになる久光に、全員視線を送る。
そして、俯いた。
「……何だ、ただの嘘吐きか」
「……ただのオタクね」
「……久光か……」
「男は帰れよ……」
「久光いい加減にしろよ……」
「僕もう疲れた……」
麗、優香、正男、鷹詩、拓夫、直弘が再び俯いて、溜息を吐く。
久光は俺に向かって振りかえる。
顔が、俺もう帰っていい? と涙目で問いかけてきた。俺は首を横に振って、ダメという意見を下した。
そのまま、久光は部室に入って、両手膝着いて、溜息を吐いた。
何やってんの。
俺は美人部の連中よりも、濃度が薄い溜息を吐いて、立ちあがった。
そのまま凛とした態度で、部室に入る。
「皆さん、私がいないとこんなに暗くなるんですか?」
俺が声を上げると、全員一斉に顔を上げる。
麗は酷い顔のまま。
優香は瞳を輝かせる。
正男は娘の手術が終わったときの父親のような笑顔を。
鷹詩は女神でも見るような顔。
直弘は恋人が浮気から帰って来たような顔。
拓夫は嫁を迎える顔で。
皆それぞれの顔で俺を見つめる。
何で久光は、逃げられた嫁が帰って来たような顔で見てるの? さっきまで俺と一緒にいたよね?
「美樹ぃぃいいいいいいいいいい!!」
がしっと涙と鼻水で酷くなった麗が俺を抱擁する。めちゃくちゃ力が入っているせいか、かなり痛い。けれど、俺が今回は悪いので仕方がない。
俺は麗の頭を撫でてあげる。
麗が顔を俺から離す。
「……もう、怒ってないか?」
涙がぽろぽろとまだ溢れだしている麗の顔は、もうグシャグシャだ。それが堪らなく可愛かった。
麗は、本当の所で俺を必要としてくれてるのが分かる。
俺も笑顔を作って、微笑む。
「怒ってないですよ。ごめんなさい」
「うぅぅぅぅぅぅぅ~!!」
麗はわけの分からない声を上げて、また抱きついた。俺はゆっくりと何度も、麗の頭を撫でる。
そして、今度は優香が抱きついてくる。
優香は少し涙を浮かべてた。
「美樹ちゃん! 少し気の強い事いって、ごめんなさいっ!」
「大丈夫ですよ。私も悪かったですから」
優香の頭も空いてる手で撫でた。
すると、優香は我慢していた涙が溢れ出す。それが恥ずかしかったのか、俺の制服に顔を埋め、静かに泣いていた。
今度は男連中が近づいてきた。
皆、各々微笑んでいた。
久光は「俺も悲しんだんだぜ?」的な空気を出すのは、止めてほしい。さっきまで、俺と一緒にいただろうが!!
麗と優香が泣きやむと、俺はソファに座った。
いつも端なのだが、麗が自分の居場所である真ん中に指を向けてきた。どうやら、そこに座れって意味らしい。
俺は真ん中に腰掛けると、麗と優香が俺の膝に頭を預けてきた。
二人とも普段は仲が悪いのに、仲良く俺の膝を半分にして使っていた。二人は一瞬で寝落ちした。
男共は席に着く。久光だけ指を咥えて、立っている。お前は正男達に便乗した罰だ。
「ふふ。二人とも可愛いですね」
「寝てればな」
正男が苦笑いして、一言付けたす。
俺も正男に、ニッコリと微笑み、「そうですね」と顔で伝える。
元気が戻ったのか、正男は再び雑誌を手にした。
鷹詩が涎を垂らしながら、俺達を見てくる。
「美樹様! 俺を踏んで――」
「そんな事しませんよ」
鷹詩は肩をガックリと落とした。そして、机の上で突っ伏した。鷹詩だけは一体何を考えてたのか分からん。というか、何で同じ事を二回やってたのか分からん。もっと別の励まし方があるだろうが。
今度は直弘が恥ずかしそうに、俺を見てくる。
「どうしたんですか?」
「い、いや~……」
「言わないと分からないですよ?」
「僕も膝枕してほしいな! って」
「ダメです」
直弘は残念そうに「ですよね」と答え、溜息を吐いた。麗と優香は女同士だからいいのだ。俺は麗と優香の頭を撫でる。二人とも気持ち良さそうに眠っている。
それを見た拓夫は、眼鏡をくいっと片手で調整して、俺らを一瞥した。
「……まったくだらしない。こんな所で寝ると風邪を引いてしまうのに」
「ふふ。井草さんは優しいんですね」
俺が拓夫に微笑むと、拓夫の顔色が急激に真っ赤に変貌する。照れ隠しなのか、眼鏡を何度も調整している。
「ふ、ふん! お、俺は女子だからと思って気を使ってみただけなんだからなっ!」
「なんだか、優香みたいですね」
「ふぐっ!」
言葉に詰まった拓夫は、席を立ちあがり「トイレに行ってくる」とだけ残し、部室を出た。久光が手の平を振っていた事には、気付いてないだろう。
最後に久光が微笑む。
「美樹さん良かったね」
「ええ。後で事情は説明しなければいけませんがね」
俺が嫉妬を起こして、美人部を崩壊寸前にまで追い込んでしまった。今回は、その事について、深く反省しなければならない。
そして、俺の気持ちの問題も、整理をつけなければならないと感じた。
そんな中、美人部の部室の扉が開いた。
「よーし! お前らぁ、そこを動くなよ?」
入ってきたのは、担任、杉本 綾子だ。
男四人は、微妙な顔で見てる。やっぱり他クラスでも、痛い先生なのだろうか。
「何の用ですか」
「これだ!」
綾子が俺に向けて、とある一枚の紙を提示してきた。
それは、廃部届と書かれている。しかも、しっかりと美人部と書かれていて、綾子の署名までされている。
まさか、ここにきて廃部とは……。
「それで、廃部させに来たんですか?」
「ふふふ、それだけではない。実は頼みがあるのだ!」
偉そうに笑う綾子。男達は黙って、綾子の言葉を待つ。
俺も麗と優香の頭を撫でるのを止め、綾子を凝視する。
「今週の日曜日に、私のお見合いがあるのだ! そこで、お前達にはサポートしてほしいのだ! 相手は年収一億のご子息で、時期社長と来た! これを逃す手はない! だから、協力してくれ! 頼む!」
両手を合わせて頼みこむ、綾子。
だが、今部長は睡眠中である。ここは副部長である俺が何か言うしかない。
俺が口を開こうとした瞬間に、綾子が先に喋り始めた。
「お前達美人部には、顧問がいない。そこで、廃部理由については顧問不在と書いておいた。もし、今回のお見合いが成功すれば、私が顧問になってやろう! だが、もし失敗したり、いい加減な事をしたら……分かるよな? ちなみに、お前らに拒否権はない。拒否しようものなら、即刻廃部届を生徒会に受理させてやる」
何とも自分本位な教師だ。
つまり、俺らは美人部を存続させたいのなら、綾子のお見合いのサポートをしなければならないと。メンドクサイ事、この上ない。
これは、従うしかないか。
俺は諦めの溜息を吐いた。
「仕方ないですね。分かりました。では、私がサポートしましょう」
「何を言っている。そこにいる男共全員で協力してもらうに決まっているだろう!」
『お、俺達も!?』
男共は驚いている。
この先生は、どこまで自己中心的なのだろうか。
こんなんだから、結婚はおろか、恋人すら出来ないんだよ!!
「では、また明日」
微笑みながら、綾子は教室を出た。