朝から先生弄りなんてしないっ!
五月も過ぎ、暑さを感じ始める六月。
今日は生憎の雨天である。雨が降れば本が濡れてしまう為、読書をしながら登校ができなくなってしまう。俺は雨が嫌いだ。特に何もすることがないまま、学校へと続く道を歩く。灰色の空模様を眺めながら進む。
そう言えば、六月に結婚するのってジューンブライドなんだよな。
俺もいつかは結婚するのだろうか。
最初はこの姿で人生を乗り切るのかと思ったら自殺ものだったけど、最近では悪くないと思い始めている。
元々俺がBLだったのかどうかは別として、正男の男意気に惚れつつあったというのも事実だ。だが、対して正男本人は俺の行為が正男だけにいっているとは気付いていないようだ。
それもどうなんだろうな……。結局は恋なんて一時の気の迷いだと確信している俺には、正男の頬にキスは早過ぎた結論だろうか。
男と女。俺はどちらを選ぶのかは、これからの人生に委ねるとしよう。
変な思考をしていた俺は、背後から走ってきた何者かに抱きつかれた。
振り返ると、金髪碧眼の美少女。
我が校に転校してきた坂本 優香だ。
いきなり抱きつくのは心臓に悪いので、やめて欲しい。
「おはよう! 美樹ちゃんっ!」
「おはようございます。優香」
俺と優香は、雨の中でも晴れた笑顔をお互いに向ける。誰かに提示してるつもりはないんだが、何故か男子生徒が俺と優香をジロジロと見ている。
わいは太陽のような美少女だから、しょうがないんやけどな!
そんな事を思いつつ、俺は優香の顔を直視していた。
優香は照れて、両手をクネクネと交差させていた。
「なんだか、慣れないなー! 美樹ちゃんは雲の上のような存在だと思ってたからさ!」
「いつも言ってますね? そんな事ないですよ。優香は今日も可愛いですよ」
「あ、ありがとう……」
急に顔を真っ赤にする優香に、俺は首を傾げながら微笑んだ。
優香は照れて、髪の毛をクリクリと回しながら弄っている。
優香は結局、前の桜ケ丘高校は辞めて、我が校に編入してきた。
理由は至極簡単で、俺と仲良くしたかったからそうだ。その背景には桜ケ丘高校の女子生徒の陰湿な虐めもあった。それは解決したから今のところ問題はない。
現在は一年C組で、美人部の仲間でもある。俺や麗の一年B組によく遊びに来る。
そんなわけで、今は優香ともだいぶ仲良くしている。
「朝から通行の邪魔だから、死んでくれないか?」
麗が俺と優香の後から、間を裂くように歩いて来た。その顔はぶっちょう面で、傘を持っている。意外にも、傘のデザインが小学生が好きそうなウサギさんで可愛い。
俺のなんて、ピンキーダイアンの傘だぜ? 傘に気を使う意味が分からない。
「ちょっと。朝から死ねとか、あたしに超失礼じゃない!?」
「うるさい。黙れ。死ね。私の美樹に触れるな」
朝から優香と麗が火花を散らす。
毎回顔を合わせれば喧嘩で、俺も結構困っている。いつも麗から喧嘩を吹っかけるのは変わらないんだが、優香は優香で気にくわない様子。
俺がいつも喧嘩の仲裁に入るってどうなのだろうか。
「麗? 朝から人に失礼な事を言ってはダメですよ? 朝は気持ち良く挨拶して、一日を楽しく始めませんと、今日という日がつまらなくなりますよ?」
「むぅ……美樹って最近気付いたんだが、お母さんみたいだな」
「何か言いましたか?」
「い、いや、なんでもない」
麗をいつも叱るのは俺の役目。
そのせいでお母さんみたいとか言われても、ちっとも嬉しくなんてないんだからね! 嘘、まったく嬉しくない。
そもそも、麗は子供過ぎるんだよな。
「それから優香」
「何? 美樹ちゃん」
「優香も一々麗の挑発に乗らないでください。麗の思うツボですよ?」
「それは嫌だわ……」
優香は唇をかみしめ、麗を睨んだ。
その麗は俺の腕をいきなり掴み、俺の肩に自分の頭を乗せてきた。
これでは恋人っぽい。というか、GL?
最早何でもいい。
「美樹……。今日もいい匂いがする……。私に美樹の身体の匂いで作った香水をくれないか?」
「麗の時々言う事は、訳が分かりませんね」
麗の顔が蕩けている。その顔はまるで温泉やアロマセラピーなどに行って疲れをほぐしているようだ。朝からそんな締まらない顔をする麗はレアだ。
それを見た優香も、俺の腕をしっかりと掴み、麗と同じように俺の肩に頭を預ける。
「ほぇえええ~いい匂い~何か……興奮してくるっ!」
「な、何言ってるんですか!? 優香は前科があるので、極力触らないでほしいんですが」
「み、美樹ちゃん!?」
優香は涙目で、俺に抗議の瞳を向けた。
それで男も落とせばいいのに。いや、優香は簡単か。
抗議の目を向けられても、実際は逆の腕には麗が纏わりついてるわけで、優香を拒否することができない。
それを理解した優香は、俺の腕を握る力を強くする。
「……おはようございます。部長と坂本さん」
「スリートップだとっ!?」
「美樹さんに朝からベタベタしていいのは僕だけだぞ!!」
校門をくぐると、三人の部員たちが出迎えてくれた。といっても単なる偶然だが。三人というのは、正男、鷹詩、直弘だ。相も変わらず、三人は仲良く一緒にいることが多い。
ちなみに拓夫と久光は、最近は一緒にいない事が多い。五人の不仲が、幹がいなくなった事に関係してるのなら申し訳ない事この上ない。
それは置いておいて、現在周りからの視線が痛い。
俺の右腕には優香が、左腕には麗が巻きついている。勘弁してほしい。
三角関係バカップルしかもGLなんて滅多に見れたもんじゃない。しかも、中心人物はついに都内でも噂の美少女である俺だ。
あちこちから俺は脚光を浴びる。
「麗? もう学校ですよ?」
「美樹の香り……すは~すは~」
「優香? 皆が見てますよ?」
「美樹ちゃんの匂い……すは~すは~」
二人とも薬物中毒にでもなったのかと思いたくなるほど、俺の匂いを嗅いでいる。それこそ犬みたいだし、離れない所はもうペットだ。
ここまで来るのも大変だった。二人とも本気で俺に体重をかけてくるから重いし、歩く速度は落ちるしでもう嫌になる。
昇降口に入っても、まだやってる。
「部長? 靴履き替えないんですか?」
「いや~これが良い匂いでな~靴なんてどうでもいいかな~」
「坂本様? 上履き左右逆ですけど」
「左右逆~? どうでもいい~美樹ちゃんの匂いが嗅げれば何だっていいわ~」
正男と鷹詩の呼びかけにも答えずに、麗と優香は頬を緩ませている。
いい加減にしてほしい。
これは谷中 美樹として一つ言っておこう!
俺は麗と優香は無理矢理、押し離した。
「ぐへっ!? 美樹?」
「どはっ!? 美樹ちゃん?」
二人は尻もちを着きながら俺を見上げる。
三人の男達も黙って傍で見守る。
俺は笑顔を二人に向けて、口を開いた。
「部活で覚えててください」
俺が階段に向けて足を出すと、腰に誰かが巻きついてきた。
後を振りかえると麗だった。
「れ、麗? まだするんですか? 子供じゃなんですよ!?」
「美樹の匂いが鼻から離れな~い! 私は美樹の香りを一日中嗅いでないと死んでしまう~!」
「いい加減に――」
今度は優香まで俺の腰周りに腕を巻いて、寝転がってきた。
今の状態は、俺が麗と優香を引きずっている状態だ。まるでタイヤを腰に巻いて走る選手のような格好だ。巻いてるのはタイヤではなく残念な美少女達だけど。
それを見かねた男三人も、溜息を吐きながら近づいてきた。
「あ、正男さん鷹詩さん直弘さん! 助けてください!!」
「美樹さんの為にも、ここは一つ頑張りますか!」
「後でご褒美に踏んでください!」
「僕はご褒美キスがいいかな!」
三人は麗と優香を引き剥がそうと近づく。
これでやっと俺が解放され……ってもっと重くなってるんだけど。
振り返ると、ミイラ取りがミイラになっていた。つまり、三人の男子も俺の匂いにやられ、麗と優香同様の姿になってしまった。
俺の匂いって中毒性凄まじいの? 美人で匂いまで良いってもはや、リアルチートだわ。
「いい加減にしてくださいっ!」
「無理~美樹は私の物~」
「美樹ちゃん~すは~すは~」
「美樹さんの香り……半端ねぇえええ!!」
「こ、この香り! 美樹様の香りを嗅ぎながら、鞭で叩かれる……最高のシチュエーションだ!」
「ぼ、僕はべ、別に良い匂いだと思ってなんかないんだからねっ!」
登校中の生徒全員誰しもが、今の俺の置かれた光景を目にする。
校内でも噂の美少女に、三人の男と二人の女子が転がりながら俺の腰に掴んでいるのだ。誰がどう見ても異常だ。
というか、スカート掴んでるの誰だ!
そこにヒーローというべきか、救いの手というべきか。まぁ現れたわけだ。
モデルみたいな高身長。俺と同じくらい。
キレのある顔立ち。まぁ俺の可愛さには負ける。
そして、良い香り。中毒性が無く、飽きられる匂い。
の我が一年B組担任、杉本 綾子だ。
「朝から何してるんだ。谷中、黒樹、坂本、田村、野村、荒田」
「先生。おはようございます」
『あ~ひぇんひぇ~おはひょ~う』
俺だけが真面目に挨拶できるってどういう事?
皆、呂律回ってないんだけど。
綾子は腕を組んで、俺に取り憑いてる美人部の連中を睨んだ。
そして、誰彼かまわずに、脇腹に蹴りを数十回ぶち込んだ。
教師にあるまじき行動だ。さすがの俺も引いた。
「なっ!? 貴様!! 朝から何をする!」
「そうよ! いきなり蹴るなんて、なんて非常識なの!」
「いくらモテないからって腹いせは良くないですよ! 先生!」
「その蹴りに愛を感じないぞ!!」
「僕まで蹴る必要は、ないじゃないですか!」
麗、優香、正男、鷹詩、直弘がようやく起き上がり抗議の声を上げる。
もう小学校の遠足バス並みにうるさい。
やっと解放された俺はスカートの位置を、整える。
綾子は腕組をして、瞳を閉じたまま抗議を聞く。さすが大人の余裕だ。こんな抗議なんて無視していいんだ。
「お前らの言う事は分かった。とりあえず、朝から下品な行動は慎みたまえ」
綾子の言う事はもっともだった。
麗達も抗議の声を止め、一瞬静寂が周りを包む。
ようやく登校中の生徒も足を動かし始めた。
麗達は綾子を正面から睨み、口を開いた。
「朝から下品な行動って、そういうのに先生はだいぶご無沙汰っぽいですもんね」
「あたしたちは純粋に、自分の本能に従ってるだけ! まぁ枯れた先生じゃ、本能なんてないんでしょうね」
「先生にとって、リア嬢王である美樹さんは羨ましい存在ですもんね」
「一つサディスティックな行動を取るだけでも、麗様の方が愛を感じた。先生のような作り物の笑顔じゃ誰も落ちませんよ」
「僕って年上の友達いっぱいいるけど、先生みたいに疲れた顔する年上はいなかったかな」
全員の強調する部分に耳を傾ける綾子。
腕組している手が震えている。
「な、何で貴様ら毛も生えてないようなガキにそんなにボロクソ言われなきゃいけないんだ!! 黒樹! お前はいつも私を小馬鹿にしたような顔で見やがって!! 坂本はどんだけ自分がお嬢様だと思ってるんだ! 田村はいい加減に目を覚ませ! 野村は変な趣向過ぎるんだ! 自覚しろおお!! 荒田! お前の事を皆が好きだと思うなよ! 私はお前が嫌いだ!! 最後に谷中!! リア充死ね!!」
『……』
涙目の早口で語る綾子に、皆呆然と突っ立っていた。
その時予鈴が鳴る。
「さ、皆さん行きましょうか」
「美樹、一時間目って何だっけ?」
「待ってよ~美樹ちゃ~ん!」
「俺らもB組までお供します!」
「そうだな」
「僕もついてく~!」
俺達は教室に向かって足を進ませた。
昇降口の方から、「リア充ファアアアアアアアアアアアアアアアアアッック!」という声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。