白海が退学になったりなんてしないっ! よんっ
コンクリートの床に赤い雫が、垂れる。ポタポタと垂れる血液に、私と牧は動きを止めて赤い雫を見つめた。ただ呆然としている事しかできない。最悪の事態に陥った、ただそう思って動けないのだ。
まるで砂漠にいるかのように喉が渇き、冷や汗は変質者と出会った並みに溢れる。体温は極寒の地にでもいるかのように低下し始めた。
私はただ、震えた声で音を発する事しかできない。
「れ、麗……?」
その声に応える者はいない。静寂の中、響いたのは私の声だけ。空間に響いた私の声を誰もが無視する。あの牧ですら、私から視線を逸らして麗に――――いや麗と白海を凝視しているのだ。
誰も口を開かないし、誰もアクションを起こさない。それが一体どれくらい続いたのだろう。牧もそうだと思うけど、私は麗が刺されていない事をただ祈った。
しかし、その想いとは裏腹に、ドサっという音が響く。
「あ、あははは……」
狂ったかのように呟いたのは白海だ。彼女の顔は返り血で染まっている。
麗は、倒れていた。いや、厳密には床に尻を着いている。
「麗ッ!」
今まで動かなかった足が急に動き出し、私は麗の元へと近寄った。同じく、牧も麗に向かって走り出す。だが、途中で足を止めたのだ。
さらに、何かに怯えるような表情をした牧は、顔を真っ青にさせて口に手を当てる。その様子が最悪のシナリオを歩いていると語るのには充分過ぎた。私は涙目になりながら、麗へと更に近づく。
「あ、あああ…………」
麗の顔を覗くと、そこには白海と同じように返り血に染まった麗の怯えた顔。瞳はまるで携帯のように震え、顔は深海のような青色に染まり、唇は紫に変色している。肩も瞳と同じように震え、息も荒い。
見たくはなかったが、私は麗の顔から視線を降ろす。
「れ、麗……!?」
だが、そこには予期していた物はなかった。
腹部は血に染められた制服のまま。破られたり、ナイフが突き刺さった様子はない。言うなれば、麗の顔に血がかかっているだけ。
私は息をするのも忘れて、白海に視線を投げた。
「ふ……ふ……ふ……」
それだけ呟くと、白海は仰向けになって倒れる。
腹部に、ナイフを残して。
「白海さんッ!」
牧が急いで白海の身体を支える。
虫の息の白海。彼女は麗にナイフを突き刺していなかったのだ。それどころか、彼女は自分の腹部にナイフを刺した。いわば、自殺を図ったのだ。
麗の無事は嬉しかった。嬉しかったけれど、どうして彼女は自殺をしようとしたのか、謎で仕方がない。
その疑問に応えるように、白海は小さく口を動かした。
「……み、んな……、あ、あた……し……を、き、きらいに……なる……な、ら…………あた、しが……死ねば……い、い……」
狂って可笑しくなった筈の白海の瞳から、小さく透明な雫が零れた。
多分、白海は色々と変になって、自分が死ねば良いと思ったに違いない。
そして、その言葉は白海の孤独を私達の胸に響かせた。
――――皆、あたしを嫌いになるなら、あたしが死ねばいい。
嫌われ者を演じていたわけではない。だけど、白海はどこかで、まだ悪に染まりきれていなかったのかもしれない。
消えた神が言っていた。白海にも純粋かつ乙女な時期もあったのだと。今流れているのは、今まで私達が見てきた白海とは違う。多分、涙を流している白海は、私達の知らない――――白海 麗香なのだ。
「喋るな、白海」
「牧、先生……」
白海は瞳を閉じて笑い、最後にもう一度、言葉を発した。
それは、私や牧にではなく、麗に向けられたものだ。
「くろ、き…………。あた、しが……何、で……あんた、を……いじめ、たか、わかる、か……?」
必死に最後の言葉を発する白海。
私と牧は震える麗に視線を移した。だが、麗は震えたまま、白海の言葉も入らない様子だ。
しかし、白海は言葉を続ける。
「あれ、は…………あんた、と、なまえが……ちかかった、から…………。それ、だけ……な、んだ……」
遺言を告げるかのように言葉を囁いた白海は、意識を消した。
◇
あれから、一週間が経った。
結論から言うと、白海の命は助かったのだ。あの後、牧が救急車を呼んで一命は取り留めた。三日間くらいは眠り続けていたのだが、牧が毎日お見舞いに行ったようだ。その間に白海の親とも会ったらしく、白海の仕業をただ頭を下げて謝られたらしい。
震えた麗だが、麗は以前話していた母親の事件以来、血というのが怖くて仕方がなかったのだと言う。そのせいで震えていた。
しかし、今はこの通りだ。
「……セカンド・キッスも、美樹に奪われた」
「はぁ……」
「ちょっと! あんたキスなんて欧米じゃ挨拶なんだからね! 調子になんか乗らないでよ!」
「うるさいぞ、牛女。一回目は私からだったが、二回目は美樹からなのだ。これは、もう恋人って事でいいんじゃないか?」
「麗、しばらく黙りましょうか」
「ん? 美樹、顔が怖いが」
私達は下校中だった。
学校側で、私の休学は取り消しになり、美人部も元に戻る。だけど、しばらくは取り押さえになった備品を生徒会が再引っ越しする手間となり、まだ美人部は活動できそうにないのだ。
白海は数々の素行により、退学となった。腹部を自殺しようとナイフで刺したのだが、学校側は全面的に虐めを否定し、私をレイプしようと逆に虐めていた者だとマスコミに発表したのだ。一応私の名前を伏せている。
それもあってか、白海グループの株は急落中だ。しかし、家族は誰も白海を責めなかったし、学校側も責めていない。悪いのは自分達だと、言っていたようだ。
それと、白海が下僕として扱っていた不良達。実は、私と牧が白海を説得している中、どこかで待機していたようで何かあったら私を襲う予定だったらしい。
だけど、綾子が正男達に指示して不良達を捕まえる事に成功したのだ。結果、今回の事件で不良達の中に、犯罪者も多くいたらしく一網打尽となった。
正男達は警察から何かの賞を貰っていたのだ。
実を言うと、美羽もあれから引きこもりになりそうだった。白海の自殺未遂を見た事により、心に相当な負荷を与えてしまったみたいで、ずっと気に病んでいたのだ。
そこで、私は麗と同じく、美羽にもある事をしたら元気になった。色々、私の中で守ってきた何かが崩れた瞬間ではあったけれど、でも美羽も麗も元気になって良かったと私は思っている。
ただ、心残りがあるとすれば、白海自身だ。
彼女のお見舞いに私達は怯えながらも一応行った。けれど、そこで目にしたのは白海ではあったけど、白海じゃなかったのだ。厳密に言うと、彼女の形をした別物。そう言うのが正しいのかもしれない。
何せ、白海は記憶喪失になっていたのだ。しかも、小学校六年生くらいから記憶がないらしく、とてもじゃないが犯罪をするような人間には見えなかった。
話しかけても、私達を初見の相手だと思い、御丁寧に挨拶をされたくらいだ。これが、もしかしたら神が言っていた『元に戻る』という事なのかもしれない。
原因は今一つ分からないままだけど。
「それじゃあ、今日は美樹の家で部活でもするか」
「アタシ賛成!」
「来るな、牛女」
「あたしはどうせ家だから、参加で良いんだよね? お姉ちゃん?」
麗、優香、美羽の三人が首を傾げながら、私を見つめる。
だけど、私は首を横に振った。
「ごめんなさい、今日は用事があるんです」
「用事? まさか、彼氏か!?」
「ち、違います!」
「美樹ちゃん、今日という今日は許さないわよッ!」
「ゆ、優香まで……」
「お姉ちゃん、あたしを置いてどこにいくの!」
「美羽、何で麗達に感化されているんですか」
しつこい三人は私に問いただしてくる。
だけど、今日という今日は行くと決めていたのだ。
このまま口で逃げ切るのが得意だったら、私は今頃、麗や優香、姉に振りまわされていないだろう。
よって、私は逃げる!
「ちょ、美樹!」
「待ちなさい! 美樹ちゃん!」
「今日という今日こそは、全て吐いてもらうよ、お姉ちゃん!」
三人共、私を追いかけてきた。
だが、忘れていないだろうか。
――――私は、何でもできる、美少女なのだ!
◇
「はぁ……はぁ……。もう、追ってこないですよね……」
息を切らして振り返るも、そこには美人部の三人の姿はない。走る事三十分、ようやく三人を撒く事に成功したようだ。
改めて、私は目の前の光景を見つめる。
そこは、私を救ってくれた神社だ。
広大な敷地面積を誇るこの土地で、私は今までの過去を振り返る。
ここには、お世話になってばかりた。
今日は幹にお礼を言いにやってきた。それが私の用事だ。この一週間、色々な事があり過ぎて、来る暇がなかったのだ。
だけど、今日こそは素直に頭を下げようと決意しで来た。
一歩一歩、確かめるように参道の階段を昇る。
緑が徐々に赤く染まり始めていた。
――――もうすぐ、秋、かぁ。
風景を眺めながら歩くと、賽銭箱の前に誰かがいる事に気が付いた。
そこにいるのは、幹。つまり、この神社の神だ。だけど、その神が誰かと話している。それは途轍もなくレアな光景だ。
私はなんとなく隠れてしまい、幹と誰かの会話に耳を澄ます。
「白海の件について、感謝しているわ」
「ああ。記憶を消してしまえば、あいつの言っていた通りの性格に戻る筈だ。それにもう二度とあの白海は現れない筈だ」
「ありがと」
白海の名前が出てきたので、私はじーっと目を凝らす。どうやら、幹と話しているのは姉の美鈴のようだ。
幹が白海の記憶を削除したらしい。その件も含めて私からもお礼を言った方が良いなと思った。
そんな中、幹は再び口を動かす。
「それより、開始は松丘総合高等学校の文化祭――――松総祭。そこでアンタの願いを叶えよう」
松総会。それは私達の通う高校の文化祭の略称だ。何で、そんな事を言っているのだろう、と私は思った。
「ありがと。ちょうど、あたしもそこら辺の日が当たりみたいだから良かったわ」
「そうかい」
幹は嬉しそうに笑い、姉はお腹をさすっていた。
何のことだろうと思いながら、私は二人を眺める。
私はこの時、何の話をしているのか分からなった。だけど、美鈴は白海よりも身勝手で、恐ろしい事を考えていたのだ。
2月から続いていた、だい⑥わ。これにて終了です。
次回はだい⑦わ。を開始予定です。文化祭を軸に書いていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
更新が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。




