麗が本気で椅子取りゲームなんてしないっ!
目を閉じて深呼吸。目前にある椅子の数を確かめる。園児と私達美人部の椅子が用意されている筈なのに、円形に並べられた椅子は少ない。
外も真っ暗になり、涼しさが増してきた保育園の一室。園児達が美樹や優香、美羽などと楽しげに会話している音が私の鼓膜を突き破る。その声はどれも、今から行われようとしている椅子取りゲームの話に無我夢中になっている。子供からは「僕がお姉ちゃんに椅子を譲るんだ」とか「あたしもお姉ちゃんと一緒に座りたい」だのの声が響いている。そして、その子供達は私に寄り着こうとせずに、美樹達の手をまるでお守りを握るかのような受験生の如く、握りしめていた。
少々の苛立ちも隠せなかったが、子供相手にムキになる年でもない。そう考え、私は大人の余裕を子供たちに見せつけるかのように、腕組をしながら孤高の勇者を気取っていた。
保育士のお姉さんがピアノの席へ着いて、音楽を演奏し始める。その音に子供達は肩、足、膝など華奢な体躯を弾ませながら椅子の周りを歩く。
そして、勝負は一瞬にして始まる。
ピアノの音が止まった瞬間に、鞘から刀が抜かれるように、皆全力で円形の椅子に座りに行く。
駆け足が響く、この教室。幾分小さいこの場所にて、私は瞬間移動でもするかのように椅子へと座る。その後次々と座る園児や部員を見て、私は腕組をしながら微笑んだ。
「フン、いくらゲームといえど、私は手加減はせん」
「「「……」」」
美樹、優香、美羽などが黙り込んだ中で、席へ座れなかった者が発生した。それは女の子の園児だ。彼女は涙目になりながらも、王者の風格を匂わす麗を睨みつける。その小さな瞳孔には「お姉ちゃん椅子を譲ってよ」という少々文句めいたニュアンスが受け取れる。
――――バカを言うな。この世界は弱肉強食。強い者が椅子を取れて、弱い者が椅子を取られるのだ。弱者に座る椅子などこの世にはない。
そういった意味を強く含ませ、私はしゃがみこんだ女児を見下ろす。
「悔しいか?」
「……べ、別に悔しくないもんっ」
「そうか。悔しくないのなら、椅子を譲る必要もないな」
そこで唇をギュっと閉じる女児。潤んできた瞳からは、微かだが雫が零れ落ちそうだった。それを視界に入れ、私は更に口元を綻ばせた。
「……悔しかったら、譲ってくれるの?」
「そのつもりだったのだが、悔しくないみたいだしな。もう、貴様に私は椅子を渡す必要はないわけだ。それ以上そこにいると迷惑だ。早く外野は退いてくれないか? 正直言って邪魔だ」
「……ふ、ふぐっ」
ついに涙腺が崩壊したのか、涙がポロポロと流れる女児。その双眸をすぐに隠したが、小さな手では涙を拾うことができずに溢れていく。私はその子を見下しながら――――
「アンタ、性格悪過ぎよッ!」
そこで私の頭は叩かれた。叩いたのは優香だった。彼女は目を吊り上げながら、女児をまるで虐めているようにも受け取れる私を睨みつける。しかし、私は虐めてもいないし、わざとその女児単体を狙ったわけではない。そもそも、この世界についての理を教えているだけなのだ。
何も悪くない。それだけが脳裏を過り、優香を睨みつける。
「何を言っている、私はあえてこの世界の暗黙のルールについて早い段階から彼女に教えていただけだ。よく言うだろ? 頭で覚えるよりも身体で覚えた方が良いとな。むしろ感謝していただきたいくらいだ」
私が熱弁を繰り広げると、優香は溜息を深く吐いてから美樹と美羽の元に行き、耳元で何かを話しこんでいた。無論、私は地獄耳なので何を話しているのかしっかりと聞き取れている。誰がいじけているだって? 優香には水着コンテストの件も含めてしっかりとお灸をすえてやらねばならない。
次なる音楽が放たれ、私達は席から立ち上がり再びテンポに合わせながら歩く。
また突拍子もなく打ち切られる音楽。私はすぐに全速力で、ある女子が座ろうとする席へと駆ける。彼女をまるで車で轢くかの如く、退けさせた。
席へと座る事ができなかった金色のツインテールをした少女は私を睨みつける。
「アンタ、どういう神経してるのよッ! 普通に仲間を攻撃するなんて卑怯じゃない!」
「卑怯? 貴様誰に向かって言っているのだ。私がどういう人間かは分かっているつもりだろう?」
「ええ、性格がこの上なく悪いって事実は知っているつもりよ」
「フン、それはつまり、『アタシは悪くない。席を横取りしたアンタが悪い』とでも言うつもりなのだろう。全く、これだから運動神経の鈍い奴は困る」
「あ、アンタねぇッ!」
「私が狡賢く、ただ横取りしたいだけの人間ではない。ただ、貴様が遅かった。それだけだ」
腕と足を組み、小さな椅子に座る私を両肩を上げて睨みつける優香。その姿は、いつもの美人部にいる優香と同じ姿だ。子供たちは優香を見て「何で怒ってるんだろう、この人が遅いだけなのに」とか思っている筈だ。
だが、優香は肩の力を抜いてから私をまるで小馬鹿にするように横目で見てきた。
「はぁー、アタシ。胸があるからまな板よりも動くのが遅いんだよねぇ~! ま、仕方ないよね! まな板にはアタシの気持ちが分からないからね。それにまな板の唯一の特徴はそれくらいしかないし、ここはアタシが大人だから、わざと負けてあげたのもまな板だから、気付かないんでしょうけどね!」
詭弁を次々と語り続ける優香。彼女はまるで自らの胸を見せつけるように腕組をしながら男児達の視線を釘つけにする。子供たちは「マシュマロみたい……」などと言いながら、優香の胸を眺めている。
私は軽く鼻息で優香の言葉を吹き飛ばし、席を立ち上がる。
「それだと、何故貴様よりも胸がデカイ美樹が早い動きをできる事になるのだ? デカイだけが取り柄の牛女」
「それは美樹ちゃんは、たまたま席が空いてたから座れたのよ。まぁ、どっかの極悪ブラック部長とは違って、横取りとかはしないわよ」
「ほう、貴様。つまみだされたいのか!」
「やってみなさいよッ! このまな板が!」
「まな板をバカにするんじゃないぞ! この牛女ッ! まな板がなければ貴様を捌く事もできないんだぞ!」
「アタシは牛じゃないって言ってるでしょ! この性格ドス黒人間!」
「貴様よりかはマシだ! 牛丼にしてやるッ!」
「アンタは売れ残りのまな板でしょうが! 百円ショップの隅の方で売られてるのが似合ってるわ! ぷっ、そもそも百円で売られなかったりして」
ヒートアップしていく私と優香の喧騒に、園児達が心配しながら私達を止めようとしている。しかし、最早引き金を引かれた拳銃を止める事が叶わないように、私と優香の喧嘩もまた、誰にも止められなかった。いつしか、先生すらも苦悶の表情を浮かべていた。それもその筈で、園児達を楽しませに来た私達が喧嘩をしだせば話は別だろう。
そうした要因もあってか、私と優香は周囲を気にする事なくお互いに罵詈雑言を浴びせ続けた。それはもう延々と繰り返せる気がしたのだが。
「はい、二人とも。仲良く外でお話しましょうね!」
笑顔を浮かべた美樹がいつの間にか、私と優香の間に入っていた。その美しい筈の笑顔からは得体の知れない感情が香っている。私は鼻息を鳴らし、美樹から遠ざかる。
「わ、私は悪くない」
「あ、アタシだって――――」
「いいから、二人共。仲良くお話しましょうね! ゆっくり、たっぷりとお話しましょうね?」
「うぐっ」
「ひぃっ」
美樹に腕を掴まれた私と優香は、保育園の外に摘み出され、かれこれと説教を受ける事になった。
◆
完全に夕闇に染まった空。
椅子取りゲームも終盤を迎え、私達が戻ってきた頃には既に美羽が外野へと放り出されていた。しかし、子供たちと笑顔で会話を交わしている美羽も見ていると、このまま教室に入ることを躊躇わせた。
それからたっぷりとしごいた麗と優香を、再度見つめた。
「二人の仲の悪さは筋がね入りだというのは知っています。ですが、時と場所を選びましょう。でなければ、今度はバシンバシンハンマーを正男さん辺りに振らせますよ?」
「「ご、ごめんなさい……」」
麗と優香は、先ほど麗が虐めるように言葉を放った女児のように頬を膨らませて涙目になっていた。この数分の間に、私はかつてない程の怒りを彼女らの心に染み込ませた。結果、彼女達の心の中では私が怒ったら怖いのだというトラウマが生まれたに違いなかった。
二人を先に教室に入らせ、私だけは別の延長保育を実行している教室へと向かう。
そこでは清楚会が延長保育をしているので、様子を見ておこうと思った。だが、教室を探す必要はなく、すぐ隣に清楚会は存在していた。その中には一見地味に見える少女達が子供達と和気藹々としながら遊んでいた。その様は、私達の部活を潰そうだなんて思っているようには見えなかった。
近くに職員室があるのか、先生達の声が小耳に届く。
「ホント、松丘総合高等学校の白海さん?」
「ああ、あの子ね」
私は内心で、悪い噂でもあるのかと予感した。
「良い子よね! 今時の女子高生って……とか思ってたけど、あの子は違うわ!」
「そうよね! 可愛いし、おしとやかで誰にも優しくて。子供たちは皆白海さんの事が大好きでべったりだから助かるわ」
笑顔で告げられる言葉に私は息を詰まらせる。これも、白海自身の器量の良さなのだろうか。学校で出会えば、彼女は麗の事を罵るし、明らかに口調などは今時の女子高生――――つまり、ギャル系でしかない。なのに清楚を名乗っているって微妙だとは思うが。
だが、ここでは良い子として扱われている。これが本当の姿なのだろうか。いや、麗に向かっている時の顔を見ていると、とてもじゃないがそんな性格が良さそうには見えない。そもそも、麗と話しているときの白海は、まるで獲物を見つけた百獣の王のように憤怒を露にしている。
それこそ、一緒に延長保育をしなくて良かったのは白海の方なのかもしれない。
考えこんでいた私に、突然声がかけられた。
「あのー……谷中さん?」
「え? あ、はい」
振りかえると、そこには清楚会のメンバーの一人がいた。突然の敵とも呼べる清楚会の来訪に私は若干の警戒心を纏わせ、身体に緊張感を持たせた。
しかし、次なる言葉はそんな警戒心を打ち壊すものだった。
「……ここに白海さんはいません。ですので言わせてもらいます。私達は全員白海さんに脅されて部活を乗っ取られただけなんです……」
その表情は、ストーカーに悩まされているかの如く、頭を抱え込んだ少女だった。私は何かあるとは思っていたが、まさか白海に脅されているとは思っていなかった。
少女は瞳から涙をこぼし呟いた。
「……私達を……助けてくださいっ」




