007
「あら、こんなところで冒険者に出会うなんて珍しいわね」
声に釣られて振り向くと、長い黒髪の少女が立っていた。
赤と黒で彩られた軍服のような上着に黒のキュロット、絶対領域の下はサイドを編み込んだロングブーツ、深窓の令嬢を連想させるような白い肌を露出している。自然律に従い大きな胸と生太股に視線が向かってしまう。ただこういう美少女系の女子は、姉貴を連想させるから実は苦手だ。
「いやらしい」
第一声で唾棄された。
しかし吐き捨てられた言葉とは裏腹に、少女は胸を隠すような素振りを見せない。加害者の勝手な思い込みかもしれないが、本気で怒っているわけではなさそうだった。
「悪かったな」
「気にしないで……ただの八つ当たりだもの」
「それはそれで気になるぞ? こんな場所を選ぶくらいだからな」
どうしても一人になりたいとか、そういう理由がなければ、坑道内を歩いたりしないだろう。俺の突っ込みに少女は表情を曇らせる。どうやら嫌な予感は的中していたらしい。とはいえ見ず知らずの少女を励ますなんて俺には不可能だ。
「予想していた以上にVRMMOは居心地が悪いわ」
「そうなのか? 妹や後輩は気に入ってるみたいだぞ」
「中身が女子高生というだけで変な気を起こす人がいて大変なのよ。下心から生まれた善意なんて私はいらないわ。妹さんや後輩さんは大丈夫なのかしら?」
「ああ――そういうことなら俺も心配はしてるんだよ。昨日の夕食でも話しかけてくる男に対して無警戒だったからな」
「あらあら……ひょっとしてツアー参加者?」
「まあな」
返事をしながらも俺は採掘の手を休めない。
少女は近場の岩に腰を下ろして次の質問を投げかけてくる。
「妹さんや後輩さんとギルドを作ったりしないの?」
「俺は攻略に無頓着で他人と話したのも今日で二人目だからな」
「そうなの? MMOの醍醐味を見失ってるわね」
「ほっとけ。それにソロも立派な楽しみ方の一つだろ?」
「そういう『俺はどこにも属さない』的な発想は中学二年生までにしておきなさい。親しい友人や頼れる仲間がいない人の常套句に過ぎないわ」
ぐうの音も出ない。
確かに孤独が好きという言葉は、どこか自己防衛の手段と化している。
とりあえず次善策を講じておこう。口論になったら勝てる気がしないからな。
「落ち着いたら考えてみるよ。妹も後輩も今はレベリングに追われてるからな」
「あらそう。ところで多額の借金を抱えて地下に落とされた労働者の如く働いているのはどうしてかしら?」
もっともな疑問だ。
下手に隠しても話が拗れるだけだろう。
「彫金スキルを上げてるんだよ。ここは立地的には最高の場所だからな」
「あら、意外だわ。間抜け面のくせに生産職として成り上がるつもりだったのね」
「生産職で成り上がる予定はない。それと間抜け面も余計だ」
「それにしては随分と熱心じゃない?」
説明に納得がいかないのか少女は口を尖らせた。
よくよく観察すると眼鏡をかけたら三倍は可愛くなりそうな顔立ちをしている。
気位の高そうな女子に眼鏡をかけて舐め回し――俺は溢れ出そうな衝動を抑えて話を進めることにした。
「眼鏡を『ヴァルハラ』全土に広めたいんだよ」
「えーっと……眼鏡って……あの眼鏡?」
眼鏡をかけるような仕種を見せる少女に俺は肯定の意を示した。
「そうそう。あの華麗な造形美で鼻先に鎮座している至高の装飾品のことだ」
「その説明を聞くと……認識に齟齬がないか心配になるわ」
「なんでだよ?」
「うーん……困ったわね。そこに疑問を抱かれるなんて想定もしていなかったわ」
「要するに眼鏡がどういうものかわかればいいんだろ?」
「え?」
「俺が教えてやるよ」
「どうしてそんなに瞳が輝いているの?」
会話は噛み合わなかったが、どういうわけか舌がよく回る。
切々と眼鏡の歴史から有用性まで語る俺を、黒髪の少女は死んだ魚のような目で見ていた。虚ろな瞳が半端なく怖い。どうしてこんな状況に陥っているのだろうか?
「拳闘士Lv6なのね」
「まあな。そういうお前はどうなんだよ?」
「お前ですって?」
「悪かった。名前を教えてもらっていいか?」
怜悧な視線を向けられると思わず萎縮してしまう。
姉貴の所為で綺麗系の女に対する苦手意識が刷り込まれていた。
早めに克服しないと将来困るんだろうな。
「チグリスよ」
「それでチグリスはどうなんだ?」
「扇舞士Lv1」
「初期状態じゃねえか!」
「仕方ないでしょう? ギルドの方針で帝都を目指していたんだもの」
「ふーん。それはLv1でも可能なことなのか?」
「まあ、大変だけど不可能じゃないわね」
なにか含みのある言い方だが、余計な詮索はしないでおこう。
藪を突いて蛇が出てきたら嫌だからな。
「今コークスの街にいるということは……帝都から帰ってきたところなのか?」
「違うわよ。三度目の全滅を機にルートを変更することになったの」
「なんか……ぐでぐでだな」
「同感だわ。そもそも私は普通にレベル上げをしたかったのよ」
「じゃあ、なんでまた?」
「ギルドの団長に誘われたら断れないでしょう? いえ、違うわね。結局のところ私がファザコンなだけだわ。いい雰囲気の中年男性に迫られると滅法弱いのよね」
さらっと性癖を暴露しやがった。
ファーザーコンプレックスね。
確か父親が人生初期に死んだり不在であった場合に、父親が理想化されることで形成されるんだっけ? というかファザコンってマザコンに比べて市民権を得てるよな。若い女性が極端に中年男性を嫌うこともあって、父親が好きというだけで希少価値を生み出している。
「父子家庭だからかもしれないけど、お父さんのことが大好きなのよ」
「娘が父親を慕うなんていいことじゃないか? 俺ん家は妹が中学に上がってから微妙な距離感が生まれてるからな。露骨に避けているわけじゃないし、嫌悪感丸出しでもないんだけど、親父からしたら寂しいんじゃないかな」
「そう言ってもらえると助かるわ。お父さんのおかげで私は素直に『ごめんなさい』の言える子供に育ったのよ」
「…………」
「なによ? 私の言葉を信じていないわね」
「まあ……そのなんだ……あんまり謝罪しそうな性格に見えないからさ」
「失礼ね。むしろ私は謝りたがりよ?」
その発言がすでに嘘臭いんだよな。
謝りたがり属性なんて聞いたことがない。
「全裸で土下座しているところをさらに怒られたいわ」
「ただの変態じゃねえか! 和やかな家族を想像していた俺の優しさを返せ!」
「冗談よ。私の妄想で現実の出来事じゃないわ」
「妄想はしてるのかよ」
「あなただって妄想はするでしょう?」
嗜虐的な笑みを向けられる。
否定できないところが悔しい。
しかも十数分前の出来事だ。もちろん眼鏡をかけて舐め回そうとしていたなんて、口が裂けても言えないし、墓の下まで持ち込むべき秘密なのだろうと自覚している。
「ところで『ヴァルハラ』には今のところ眼鏡が出回っていないわよね?」
「だな」
「大丈夫なの?」
「いや、あまり大丈夫じゃないな」
いくらなんでも眼鏡成分が足りなさ過ぎる。
俺は後輩女子の眼鏡姿を想像しながら話を進めた。
「この世界に舞い降りて眼鏡の重要性を再確認させられたよ。現実なら街を歩けば眼鏡をかけた女の子を見かけるけど、ここでは『眼鏡』の『め』の字も見つからない」
「どうしてそこまで眼鏡に思い入れがあるの?」
「理由を求めてる時点で本物じゃないだろ? どうしようもない感情を好きって呼ぶんじゃないのか?」
「要約すると『眼鏡っ娘萌え~』ということね」
「なんだその悪意のある改竄は!」
「改竄? 失礼ね。本当のことを言っただけじゃない?」
「眼鏡っ娘だから萌えるじゃない! 女子に眼鏡をかけるから萌えるんだ!」
「ほとんど意味がわからないわ」
「女子が先か眼鏡が先かの話をしているんだ! そこを履き違えたら目も当てられないだろうが! 眼鏡があるから女子は眼鏡をかけることができるんだぞ!」
「…………」
「取り乱して悪かったな」
「気にしないで頂戴。そろそろ時間だから待ち合わせ場所へ向かうわね」
言いながら扇舞士の少女は腰を上げた。長い黒髪が揺れて毛先が跳ねる。
相当なポジティブ思考の持ち主でもない限り、体よく逃げるための口実だと判断するだろう。しかしその思惑は――どうやら外れらしい。くるりとこちらを振り返った少女の表情は、嫌悪感を示したものではなかったからだ。
八月九日。
日課の採掘作業を八時間、その後の生産に一時間、競売確認に二時間使う。
長期的な視野で鍛冶と錬金術のスキルも上げておく。
八月十日。
頃合いなので『鉱石<亜鉛>』から『鉱石<銀>』の処理へ移行する。
完成品の『シルバーインゴット』は、今後のスキル上げに備えて保存しておく。
八月十一日。
衝動的に数種類ある竿と疑似餌を全部購入してしまう。
しかし糸切れで疑似餌を二つロストする。
泣きたい。
八月十二日。
日課の採掘作業を四時間、その後の生産に四時間、競売確認に二時間使う。
亜人系や獣人系魔物の装備品が競売に出回るようになった。これを窯で溶解させて各種インゴットにする。失敗の危険性がそこそこ高いので、利益を生み出すことは難しいが、極稀に『玉鋼』を得られるみたいだ。
八月十三日。
いろいろな竿を試しながら釣り三昧な一日を送る。
随分と久しぶりに掲示板を覗くと、とある話題で持ち切りになっていた。
あの日の出来事を振り返りながら「おめでとう」と呟いておく。
目的を達成することは、なんであれ価値がある。
俺も眼鏡の生産に向けて頑張らないとな。