006
夕食の提供時間が午後六時から午後九時と制限されている所為だろう。
食堂はVRMMO参加者だけで盛況を極めていた。言うまでもなく前日解禁となった『ArchAngel/harem night』の話題で持ち切りである。地下労働者並みの過酷な仕事を終えた俺は、ぐったりとボックス席のテーブルに突っ伏していた。
「なにをしたら仮想世界の疲労を現実に反映できるわけ?」
「ヴァーチャルリアリティにまだ慣れてないんだよ」
俺用の焼き魚定食を運んできてくれた妹は明らかに呆れている。
しかし隣席に腰を下ろした後輩女子は、にやにやと頬を緩めてこちらを見ていた。
「なにか言いたそうだな?」
「憔悴した男子の顔は萌えます」
「そういう感情は鎖で雁字搦めにして海底に沈めておけ」
「はーい」
沈める気なんてないくせに返事だけは一丁前だな。
まあ、今回は曇りのない眼鏡に免じて許してやろう。
そこでふと莉紗が本題に触れてくる。
「発見した魔物は倒せたの?」
「ああ、なんとかな。掲示板にも情報公開したぞ」
「ふーん。ドロップは?」
「性能も書いてるから掲示板を確認してくれよ」
「了解。それで分配はどうしたの?」
「とりあえず俺が一万七千ジュエルを受け取って、相場が見えてきたら精算することになってる。ただインフレを考慮して現金で保管するのはよくないらしい」
「ちゃんとした人と組めてよかったね」
「人というより子だったけどな」
「そうなんだ?」
妹は大きな瞳を瞬かせる。まあ、特に言及すべきことでもないだろう。
それよりも貴重な現実世界の時間を大切にしなければならない。
不足している眼鏡成分を補給するため、俺はパスタを頬張る後輩へ視線を向けた。
「天音、しばらく視姦してもいいか?」
「お兄ちゃん……その歪みを知らない変態性は部屋に戻るまで封印しよう」
「先輩、今度の冬コミで『明らかに俺じゃねえか!』と叫びたくなるような主人公を描いても怒りませんか?」
言葉は丁寧だが、これは妥協を認めない、完全な脅迫である。
しかしこの場合、俺に拒否権はない。
「非常事態だからな。好きにするさ」
「それなら先輩も好きに視姦してください」
「乗っかっちゃった! この中に誰か突っ込みの上手い方はいませんか?」
あたふたと莉紗は取り乱していた。
そんな妹に後輩女子が優しく微笑みかける。
「突っ込みなんて直接的な表現は駄目だよ。もっとこう『攻めの方はいませんか?』みたいな柔らかい言い回しで再募集だね」
「私が突っ込まれてる! というか香梨さんの意味する突っ込みは別物だよ!」
「まあ……なんだ……とりあえず本題に戻していいか?」
そんなわけでインフレに強いアイテムを教えてもらう。
二人の意見を整理するとこんな感じだった。
①汎用性の高い装備品。
②特定の職業には垂涎の装備品。
③店売りしていない素材。
まず③は値崩れしない安心の投資らしい。需要の高い中間素材(鍛冶や彫金なら各種インゴット)は、スキル上げで大量消費されるため、常に需要が供給を上回る状態で推移するとのことだった。
次にそれらしい装備品も出ているのが①だ。これは単純に部位とステータス上昇が肝らしい。例えば希少種ドロップ品の『黒水晶の耳飾り』は、低レベル帯で死にスロット扱いされている【耳】で、なんと「INT+3 MND+3 CHR+3」のボーナスを得られる。
洒落にならない博打要素を含んでいる感は否めないが、最も値上がる可能性を秘めているのは②らしい。その職業を極めるための必須品と認定されれば、金に糸目を付けない連中が高額で落札してくれるからだ。
ちなみに妹は『黒水晶の耳飾り』が競売に出たら即行で落札すべきと助言してくれたが、天音は「かなりドロップが渋そうだから当分流れないよ」と冷静な判断を下していた。二人の意見を総合すると、素材が一番無難だろうな。
「それにしても低レベルでも貴重な装備品を得られる機会があるんだな」
「前作でも中レベルくらいで倒せる魔物のドロップ品が最終装備だったんだよ?」
「それはそれで面白いのか?」
俺は焼き魚を頬張りながら疑問を口にする。
烏龍茶を飲み終えた後輩が莉紗の語を引き継ぐ。
「一週間に一回しか出現しない上に、ドロップ率一割以下とかですからね」
「ふむ。とはいえ理解し難いな」
「そこがMMOの楽しいところだよ? レベルを上げて強敵を倒すだけじゃなく、どこに力を入れるか自由に選べるの」
確かに自由こそがMMOの醍醐味かもしれない。
それはVRMMOになっても変わらないのだろう。
夕食を終えて部屋へ戻る。当たり前のようにVR機を起動させた。
リクライニングシートに身体を預けてバイザーを下げる。
刹那――世界が一変した。
すぐに競売へ向かって、中間素材を買い集める。
もちろん店売りされていない素材限定で、相場を上回るような価格では落札しない。
下手に需要を知られて転売屋を生まない工夫だ。これもかなり大事な要素らしい。
「先輩、聞こえていますか?」
「おお……天音か?」
「この世界ではカリンですけどね」
本名は香梨と書いて「かおり」と読むのだが、別の読み方として「かりん」を選択したらしい。ともあれ人前で本名を呼ばないよう気を付けないとな。
「どうかしたのか?」
「さっき言い忘れてしまったんですけど、生産で先行するのもありかもしれません。今ある大金を元手に他者を引き離せば、独占的に生産品を供給できますからね」
「ふむ。具体的にはどうすればいいんだ?」
「買い集めた素材を自己消費するだけです」
つまり現段階では損得を考えず、生産スキル上昇を優先するわけだ。
博打的な要素を多分に含んでいるが、眼鏡への距離が縮まることは確実だろう。
それなら進むべき道は一つしかない。大量の素材を抱えてNPCギルドへ向かう。
夜遅くログアウトするまで、俺は各種『鉱石』を焼き続けた。
翌朝、時間ぎりぎりで食堂に駆け込む。
妹と後輩は狩場の話題で盛り上がっていた。
食卓にはサラダとスープ中心のヘルシーメニューが並べられている。
本当なら一秒でも早くログインしたいだろうに、俺が起きてくるまで待っていてくれたに違いない。特段約束事にした覚えはないのだが、食事のときくらいは顔を合わせよう、そんな雰囲気になっていたのである。
「お兄ちゃん遅い!」
「寝坊ですか先輩?」
「そんなところだ。悪かったな」
俺は謝罪してから空席に腰を下ろした。
適当に皿へ乗せてきたパンを齧る。
二人の会話に相槌を打ちながら、これからの計画を巡らせていた。
持て余し気味の資金と時間を使い、眼鏡職人まで一気に駆け抜ける。
大筋の方針は決まっているのだから、悩むべき選択肢の数は限られていた。
①レベリングも視野に入れながら生産スキルを上げる。
②鉱山に引き籠もり素材を自給自足しながら生産スキルを上げる。
どちらにも一長一短がある。
より難易度の高い鉱山挑戦へ向けて、しっかりレベルを上げておくことは、後々大きなアドバンテージになるだろう。
特に膨大な資金力のある現在では、②は非売品の『鉱石』が出ないと、時間の浪費に繋がる可能性が高い。しかしそれでも①より遅れを取ることはないだろう。この事実を踏まえて選択しなければならない。
ふと妹へ微笑みかける後輩の眼鏡が視界に映り込んだ。
よし――②で行こう。目先の眼鏡に踊らされてやるさ。
七月二十七日。
ツベルン鉱山に引き籠もる。
十時間を超える採掘作業は地獄だった。
こうしている間にも競売への供給が増えてくれればいいのだが?
七月二十八日。
ツベルン鉱山引き籠もり生活二日目だ。
ギルドと競売の利用以外は外出を控える。
七月二十九日。
孤独な発掘作業を延々と繰り返す。
相変わらずツベルン鉱山を訪れる冒険者は少ない。
皆無と表現しても過言ではないだろう。
七月三十日。
多額の借金を背負い地下へ落とされた労働者のような気分になってくる。
七月三十一日。
通貨の単位がペリカに見えてくる。本格的に笑えない精神状態なのだろう。
息抜きの必要性を痛感させられた。ともかく眼鏡成分が足りなさ過ぎる。
八月一日。
釣具を揃えてコークスの街中にある港へ向かう。
もちろん釣りをするためだ。一日くらい怠惰に過ごすのもいいだろう。
息抜きのつもりだったが、思いのほか奥深くて面白い。
各生産と異なりスキル上げと金策が両立するのも素晴らしい。
八月二日。
ツベルン鉱山に籠もり馬車馬の如く採掘する。
滅多に出ない『鉱石<黒鉄>』が二つも掘れた。
今後に備えて保管しておこう。
八月三日。
そろそろ次の段階へ進むときかもしれない。
作成したインゴットを削り指輪や髪飾りに加工していく。
各生産の中間素材となるインゴットに比べて、スキル上げで加工した商品の価値は著しく低い。競売に出しても売れないので、すべてNPC販売店で処分する。
八月四日。
日課の採掘作業を九時間、その後の生産に二時間、競売確認に一時間使う。
八月五日。
前日と似たような手順の繰り返しだ。
競売に出せば金になるインゴットを二束三文の完成品に加工していく。
痛みを伴う作業だが、今は堪えるしかない。諦めたらそこで終了だ。
八月六日。
ツベルン鉱山引き籠もり生活に慣れることはない。
八月七日。
日課の採掘作業を九時間、その後の生産に二時間、競売確認に一時間使う。
八月八日。
採掘作業中に一人の少女と出会う。
知らない誰かと話したのは、これで二度目くらいだろうか?
久々の会話は楽しかった――と素直に言えない少女だったんだよな。