005
鉱山へ向かう前にレビアの泉へ立ち寄る。
コークスの観光名所であり、繁栄の証でもある建造物だ。
中央の山から湧き出た水が円形の泉を形成している。
装飾の施された泉の中には、無数の硬貨が沈んでいた。これは鉱山の発展と作業員の安全を祈願して、関係者が百ジュエルを投げ込む風習のためである。
俺は泉に背を向けて百ジュエルを放り投げた。
いつか小銭と呼べる時期が訪れるのかもしれないが、サービス開始直後の冒険者にとって、願掛けに百ジュエルという金額は決して安くない。
魔物の個体数が少なく再湧出も遅いため、好んで鉱山を狩場にする冒険者は皆無で、薄暗い坑道内は相変わらず閑散としていた。採掘ポイントを探しながら吸血蝙蝠を退治するという、まるで冒険者らしくない流れ作業を淡々と繰り返す。ところが夕刻に差しかかったとき、見慣れない名前の魔物を発見した。
先日の教訓を活かして、まずは掲示板を確認する。
それらしい情報を得られなかったので、今度は直で妹と連絡を取ることにした。
左耳を左手で塞ぎ、脳へ直接話しかける。これはウィスパー機能と呼ばれるもので、本来は内緒話に使うみたいなのだが、距離制限がないことを上手く利用し、現在は伝達手段の一つと化しているらしい。
「どうしたの? お兄ちゃん」
「ツベルン鉱山で見慣れない魔物を発見した」
「掲示板は確認した?」
「情報がなかったから莉紗に連絡したんだよ」
「とりあえず突っ込んでみよう。もし負けたら敗戦の理由を教えてもらえる?」
「負けたらって――簡単に言うな! 俺はまだ死にたくないぞ!」
「ここは仮想現実の世界なんだから、死を怖れてたらなにも始まらないよ?」
荒ぶる俺を莉紗は冷静に諭した。
なまじ正論だけに、皮肉しか返せない。
「そういう莉紗は死んだことあるのかよ?」
「前作なら二百回くらい死んでるよ?」
「MMOとVRMMOでは違うだろ?」
「無理なら放置してもいいんだよ?」
「…………」
「諦めることにした?」
「いや、俺はやる。ちょっと待ってろ」
なにかが吹っ切れた。
俺は臨戦態勢を取り巨大アメーバみたいな魔物に突っ込む。
吸血蝙蝠を三撃で葬り去る豪腕が唸りを上げた。
敵対行動により魔物の占有権を得ると、HPバーが白色から赤色に変化する。
これでもう誰にも邪魔はできない。あとは敵のHPバーを削り切れば――
俺は呆然と初期位置に立ち尽くしていた。
正直、勝てる気がしない。俺の拳は奴のHPバーを数ミリしか削れなかった。
しかも不安は攻撃面だけではない。ぐにゃりと姿を変えながら放たれた一撃は、俺のHPバーを四割近く減少させたのである。
「拳闘士には厳しい魔物かもね」
「やっぱりそうだよな」
妹に戦闘結果を伝えると、率直な意見が返ってきた。
しかしこれだけで終わらないのが莉紗である。
「街中にいるなら重戦士になれるよね?」
「まあ、一応。ただレベルも装備も初期のままだぞ?」
「ワンデイアビリティを使うだけだからレベルは関係ないよ」
ワンデイアビリティ――文字通り一日に一回だけ使用可能な特別な技だ。
職業により使える特殊技が異なり、重戦士は「絶対防御」となる。これは一分間無敵状態になるという特殊技で、効果時間内はどんな強敵の攻撃も通じない。様々な局地戦で用いられる汎用性の高いワンデイアビリティなのだ。
「問題は魔術士の確保だね」
「ふむ。素直に募集をかけたら出し抜かれるだろうからな」
妹の立てた作戦は極めて簡明である。
俺が絶対防御で時間を稼いでいる間に、攻撃魔術でHPを削るというものだ。
そのため魔術士を一人募集しなければならないのだが、馬鹿正直に呼びかければ、おそらく情報を嗅ぎ付けた連中に先を越されてしまう。あれこれ説明を要する野良に比べて、気の知れたギルドの統率力は侮れない。
「条件に合う魔術士がコークスの街にいるといいね」
「だな。まあ、誰かに倒されるまでは粘ってみるよ」
VRMMOの世界では、外装の変更は困難を極める。
運営側が積極的に支援していない限り、髪の色や瞳の色を変えるくらいだろう。
もちろん見た目と強さは比例しないのだが、明らかに駄目そうな奴や人相の悪そうな奴を、事前に避けられる判断材料としては有益だ。
とはいえ気の許せる魔術士が簡単に見つかるわけではない。
俺は泉の縁に腰を下ろして通り過ぎる人々を眺めていた。
人当たりの良さそうな魔術士は、ほとんど誰かと一緒に歩いている。
諦めるという選択肢が脳裏を過ぎったとき、黒い外套姿の幼女がレビアの泉に近寄り、徐に取り出した硬貨を投げ入れようとする。俺は反射的に声をかけていた。
「ちょっと待った! 硬貨を投げるときは泉に背を向けないと駄目だ」
「…………」
「急に声を荒げて悪かったな。ただ方法が違うから気になってさ」
きょとんとしている幼女に俺は事情を説明した。
この泉が鉱山都市の繁栄を象徴する建造物であること、硬貨を投げ入れるのは作業員の安全祈願であること、背中を向けることに「また会える」の意味があること。最悪「おまわりさんこいつです」を覚悟していたし、鼻で笑われることも充分に想定内だったのだが、幼女の反応は予想を斜め上に裏切る結果となった。
「団長みたい」
「ん?」
幼女の話は単純だった。
誰もが冒険の世界を楽しむためにVRMMOをプレイする。しかしその大半は効率にばかり目を向けてしまう。まるで現実世界の憂さ晴らしをするかのように最強や大富豪を目指し、世界の美しさや歴史を知るという本来あるべき姿を見失うらしい。
「そういう人もいるんだな。妹や後輩も効率派っぽいところがあるから新鮮だよ」
「うん。確かに珍しい」
他愛もない世間話をしていると、いろいろと学ばされることがあった。仮想現実とはいえ他人と関わるのだから、適当な言動で迷惑をかけてはいけない。しかし現実と似たような能率を求めると、この世界を楽しめなくなってしまう。
瞳を輝かせながら幼女は誇らしげに語る。
このギルドは冒険の世界を楽しむために結成された。
非効率的なことばかりするから、頂点を目指す人はすぐに抜けていく。所属人数と話題性だけは高いから、トップギルドと勘違いするんだろうね。何回もギルドの方針を巡って意見が割れたけど、その度に団長が仲裁して、ギルド内に禍根が残らないよう防いでいるんだよ。
楽しいことが大大大好きなら、新種との戦闘は大好物だろう。
どうせ誰かに狩られるなら、このギルドに託したいと思えた。
だから俺はこれまでの経緯を丁寧に解説する。すると「シェリル」と名乗った幼女は、えへんと小さな胸を張って宣言した。
「私、魔術士Lv12だよ」
「…………」
沈黙する俺にシェリルは頬を膨らませた。
ぽかぽかと殴りかかってくるのだが、もちろん禁止行為なので、俺のHPバーが削られて死ぬことはない。しかし眼前の幼女が俺より強いなんて信じられないな。
「倒す算段はあるの?」
「まあな」
俺は妹に教えてもらった計画を話す。
しばしの沈黙を経て幼女は「やろう」と宣言した。
「ギルドの仲間とやったほうが確実だろ?」
「今動ける人は少ない」
なにやらギルドの八割が面白企画に参加しているらしく、そこから漏れた面子が仕方なくレベル上げ担当とのことだ。それなら遠慮することはない。本来こちらから頼むつもりだったのだから、シェリルの申し出を袖にする理由はないだろう。
「それじゃあ、よろしく頼むよ」
「任せて」
改めて得意満面な幼女の姿を確認する。
月並みな表現すれば、人形のように可愛い。
家族に外装を変更してもらったのか、金髪に碧眼という珍しい容貌だった。眼鏡をかけていないにも関わらずこの破壊力なのだから、もし眼鏡をかけていたらロリコンが黙っていないだろうな。いや、眼鏡とロリコンは関連性低いんだっけ?
ともあれ戦場となる鉱山へ二人で向かう。
「お? まだいるな」
「ツベルン鉱山は中途半端だからね」
「そうなのか? 金策には使えそうな?」
「微妙だよ」
レベル上げどころか、金策にも不向きらしい。
とはいえ彫金のスキル上げには適しているらしく、サービス開始直後の過剰なレベリングが一段落したら、ここにも人が集まるかもしれないとのことだった。
「名前は『ジェリーロジャー』だね」
「うむ。早速だが準備はいいか?」
「駄目だよ」
小さな声で機先を制される。なにやら詠唱時間が無駄になるらしい。
つまり安全な状況で放てる最初の魔術は様子見で、着弾してから絶対防御を使い、短い一分間をフル活用しようというわけである。射程ぎりぎりまで離れたシェリルは、現時点で最も強力な魔術の詠唱を始めた。
言語とは異なる文字の羅列が紡がれていく。
中空に黄緑色の魔方陣が浮かび上がり、そこから放たれた真空の刃が魔物を襲う。
着弾に合わせて絶対防御を使用し、俺はジェリーロジャーへ突っ込む。このワンデイアビリティには敵対心上昇効果もあるため、敵は攻撃を仕掛けた幼女ではなく、無敵状態の俺へ向けて重そうな一撃を加えてきた。
しかしジェリーロジャーの攻撃は不可視の防御壁に撥ね退けられる。
俺は焼け石に水と理解しながらも鉄拳を放つ。HPを削れないどころか、そもそも攻撃が当たらない。とはいえ魔物のHPバーは確実に減少していく。あとはもうシェリルの削り能力に賭けるしかない。
絶対防御の効果時間が切れた瞬間、俺のHPバーはがくんと幅を縮めていく。
二発攻撃を受けただけで、瀕死の状態に陥っている。しかしジェリーロジャーのHPも二割程度しか残っていない。抵抗されなければ、あと二発分くらいか?
その直後、爆炎が魔物を包みHPバーを削る。
すぐさま幼女は次弾となる魔術の詠唱を開始していた。
あとは運を天に任せるしかないだろう。魔物の攻撃が先か魔術の着弾が先か――
俺は呆然と初期位置に立ち尽くしていた。
結果を見届けることなく力尽きてしまったらしい。
ワンデイアビリティを消費した以上、もう一回挑戦することはできない。
ちゃんとした構成で挑めば確実に倒せただろうな。
そう考えると幼女の所属するギルドに任せたほうがよかったのかもしれない。
ぼんやりと後悔の念を唱えていると――シェリルの声が直接脳内に届いた。
「聞こえる? なんとか倒せたよ」
「おおっ! やったな!」
「レビアの泉で待ち合わせしよう」
「ん?」
「ドロップアイテムがあったから……大事な分配の話をしたいんだよ?」
悪知恵を働かせれば、嘘を吐けたに違いない。
それを正直に教えてくれただけで、アイテムは幼女へ託すべきだろう。
もしドロップ品情報を妹に期待されていなければ、この場で「あげる」と言い出し兼ねない状況だった。ともあれトレビの泉で待ち合わせの約束をする。
【梟の瞳】
――――――――――――――――――――――――――
梟の装飾が施された髪飾り
戦利品の発見率上昇
競売可能/譲渡可能/複数所持不可
――――――――――――――――――――――――――
「どうかな?」
「正直、価値がわからない」
幼女に示されたドロップ品を確認した俺は、なんとも間抜けな回答をすることになった。そもそも「戦利品の発見率上昇」の効果が不明なので、この発見率上昇の数字次第で価値が大幅に変わるだろう。そんなことを伝えると、幼女も同意見らしかった。
「所持金は?」
「いきなりだな。ぶっちゃけ五十ジュエルしかない」
「それなら……こうかな」
開かれたトレードウィンドウには、一万七千ジュエルが乗せられている。
あまりの金額に俺は言葉を紡ぐことができなかった。
「ギルドの経理担当に話は通してあるよ?」
「それにしてもだ!」
「あくまで一時金」
「どういうことだよ?」
「相場が安定したときに価値がなければ一部を返金してもらう。反対に予想以上の価値だったときは追加でジュエルを払う」
「ふむ。それじゃあ、しばらくは使えないな」
「そうじゃない」
きっぱりと否定したあと、幼女は世界を仕組みを語る。
MMOの世界は緩やかなインフレ傾向になるため、特別な事情でもない限り、入手困難なアイテムや装備品は価格が上昇するらしい。そのため一万七千ジュエルなる大金を生かすには、ただ貯蓄するという選択肢は論外で、本当の価値を判断する先見の明が求められるらしい。
「嘘を吐くこともできただろ? どうして馬鹿正直に答えたんだ?」
「ギルドの方針……嘘は吐けない。この世界を楽しめなくなる」
「わかった。じゃあ遠慮なく使わせてもらうよ」
「うん。あとジェリーロジャーの出現条件はわかるかな?」
「いや、どうなんだろう? 採掘してたら偶然発見したんだよな」
「周辺の魔物は倒してた?」
「絡んでくる吸血蝙蝠は退治してたな」
「それだと時間POPか抽選POPかわからないね」
シェリルは腕を組んで考え込む。
その容姿から想像もできない仕種が微笑ましい。
「この内容で掲示板に書き込んでもいいかな?」
新種魔物報告スレ★32
1:MOON
ここは未報告の魔物情報を交換するスレッドです。
種類、場所、出現条件、戦闘内容などを書き込んでください。
38:シェリル
【種類】希少種
【場所】ツベルン鉱山
【条件】不明
【戦闘結果】
重Lv1と魔Lv12の二人組で撃破。
絶対防御と無限の魔力を使用。
戦利品は『梟の瞳』と二百ジュエル。
向けられた画面には惜しみなく情報が書き込まれている。
もちろん『梟の瞳』の詳細も添えられていた。
「俺は構わないよ。しかし真面目だな」
「情報の共有は大切だよ」
確かにそうかもしれない。
妹の手助けがなければ、この結果はなかっただろう。
やがて夕食の時間になったので、俺はログアウトすることにした。
「今日はありがとうな。そろそろ飯だから一度落ちるよ」
「わかった。また会おうね」
「おう。また今度な」
幼女と別れた俺はログアウトを選択する。
ゆっくりとバイザーを上げると、見慣れた現実世界が広がっていた。