006
白煙が晴れると建物が瓦礫の山と化していた。
明らかに機嫌が悪い標的は乱暴に振った尻尾で廃墟の側面を破壊する。
その上に乗り上げた蒼黒竜は咆哮後に息を吸い込む。広範囲に拡散された灼熱の吐息は紅蓮の炎を纏い街路を焼き払う。木造はおろか鉄筋コンクリートさえ溶解させる超高熱だ。おそらく現在生産可能な最高の防火装備でもその意味を成さないだろう。
「グォオオオオオオオオオオッ!」
蒼黒竜の尻尾が新たな建物を倒壊させる。
白煙に乗じて移動するミルフィーユを縦長の虹彩は見逃さなかった。
まずは鰐のような頭部を低い位置まで下げる。次いで大顎が開かれて灼熱の吐息が紡ぎ出された。火炎を伴う熱波が街路を泡立てながら前方位を蹂躙していく。
「作戦変更だ! 正面から戦うのは無謀過ぎる!」
「了解!」
身を潜めていたドレッドヘアの重戦士は、一変した街路へ躍り出て地対空ミサイルを発射する。放たれた筒は射手の安全を確保すると、ロケットブースターに点火して超音速を超えた。次の瞬間――超高速のミサイルが蒼黒竜の胴体に命中する。爆発して鋼の鱗を削ると血飛沫を撒き散らさせた。しかし肝心のHPバーはほとんど減らせていない。
鰐のような頭部が地面を這うようにして射手へ向けられた。ドレッドヘアの重戦士は本能的に装備を変更して全力疾走を開始する。直後に獲物を追う猛獣の如き灼熱の吐息が放たれた。廃墟のコンクリート壁に隠れて直撃を避けるが、蒼黒竜に捕捉されるという、絶望的な状況は何一つ変わっていなかった。
刹那――独特な騒音を奏でながら魔導空艇が上空に現れる。開け放たれた扉から蒼黒竜の頭部へ集中攻撃を放つ。標的は悠然と顔を持ち上げると大気を吸い込む。急激に軌道を変えて魔導空艇は灼熱の吐息を回避し、そのまま中空を旋回して蒼黒竜の意識を引き留めた。状況を確認していたチグリスは通信機を通して乱華に賞賛を送る。
「完璧な援護だわ」
「チグリス姉様……あたし頑張るっすよ」
魔導空艇に気を取られている蒼黒竜へ、ミルフィーユは再び<スタンフラッシュ>を唱える。八百万カンデラの閃光と百八十デシベルの爆音が発生し、一時的に目標の視覚と聴覚を混乱状態に陥らせた。潜んでいた攻撃部隊が一斉に突っ込み、じりじりと蒼黒竜のHPバーを刻んでいく。
ミルフィーユは仲間に治癒系魔術を唱えることで敵対心を稼いでいた。
これは聖騎士ならではの方法であり、填まれば強固に敵対心を維持できる。
「グォオオオオオオオオオオッ!」
廃墟の中心で蒼黒竜は雄叫びを上げた。
上手く翻弄しているようにも見えるが、それは現時点においてという、参考にならない条件化でしか成り立たない。なぜなら討伐対象である蒼黒竜は未だ無傷に等しいし、反面、こちらは一撃で殲滅させられる危険性を孕んでいるからだ。
「チグリス」
「あなたが参加したところで戦況は変わらないわ」
「アリアとバルムンクを投入すれば、圧倒的に削る速度は向上するだろ?」
「そこがわからないのよね。私たちはダンゲロスでしょう?」
その言葉には八咫烏に加担する意味がわからないという響きが含まれていた。
どこまでも冷静にギルドの損得勘定をしてくれているのだろう。
「八咫烏にも不利という自覚くらいあるだろ。あとで報酬を求めればいい」
「なるほど……それは名案ね」
嗜虐的な笑みを浮かべて黒髪の少女は静かに立ち上がる。
それからパーティーの誘いを飛ばしてきた。承諾しながら俺は疑問符を投げかける。
「俺は盾役の補助に回る。削り役はチグリスに任せても大丈夫か?」
「賢明な判断ね。あなたのレベルじゃ一ミクロンもHPを削れないわ」
作戦会議という名の暴言を浴びてから、それぞれの持ち場へと急行していく。
俺は瓦礫を越えてミルフィーユの逃げた場所へ向かう。
本来なら一堂に介する行為は極めて愚かだが、もし早々に戦力を欠いたのなら、把握しておくことで対策として役に立つだろう。焼かれて変形した地面の先には、溶解したコンクリート壁があった。完全に貫通していないことを考慮すれば、熱波の直撃は避けている可能性が高い。
蒼黒竜の背中を追いながら俺は思考する。
これまでのような待ち伏せや不意討ちを繰り返すにしても、それを逆手に取られて一網打尽にされる可能性も否定できない。特にHP残量で行動パターンの異なるタイプは厄介だ。今はディレイの長い大技を連発しているため、距離を保ちながら攻撃を加える作戦が機能しているが、このまま最後まで押し切れる確率は低いだろう。
不意に蒼黒竜は上体を起こして翼を羽ばたかせた。これは飛翔するためのものではなく、旋風を巻き起こす攻撃手段である。羽ばたきから生み出された秒速六十メートルの強風は、瓦礫と化したコンクリート片を広範囲に飛散させた。
具体的な被害状況はわからないが、阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてくる。
どうやら遊撃部隊の数名が負傷したらしい。一つ一つの行動が災害そのものである。
俺は頑丈そうな建物に身を隠しながら先を急ぐ。
蒼黒竜の攻撃目標にされることはないだろうが、特殊技の範囲攻撃は無差別にダメージを与える。つまり迂闊に動いて強風に煽られるのは最悪だ。そもそもこの戦闘自体がNPCを含めたイベントになっているので、倒壊した建物の下敷きになって死亡とかも普通にありそうで怖い。
ふと別の建物から重鎧を身に纏った機槍士が姿を現した。すぐさま手招きして俺を呼び寄せる。蒼黒竜からは死角になっているので遠慮なく合流をした。案内された場所では五名の魔術士がヒーリングを行っている。
「駄目元で聞くがMP回復系のドリンクを持ってないか?」
「用意してなかったんですか?」
「もちろん用意はしていた。ただ魔術士は着替え装備が多いからな。手持ち分を使い果たしたんだよ」
「補給部隊は?」
「潜んでいた建物が悪かった。全滅したとの報告なら受けている」
重い空気が廃屋に漂う。
この流れを払拭するべく俺は眼鏡を取り出した。
「MP回復系のドリンクは持っていませんが、MPを徐々に回復させる眼鏡なら持っています。髪型や胸の大きさ性癖によっては回復量が二倍になるので、容姿や性格に合わせて回復量の高い眼鏡を選んでください」
「これは……ほとんど流通していない特殊な眼鏡ばかりだ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
眼鏡を確認していた魔術士の女性陣が言葉を失っている。
ひょっとして使用済みかどうか心配しているのだろうか?
「安心してください。まだ誰にも舐めさせていませんよ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
あれ……さっきより空気が重くなってないか?
しかしまあ、それは仕方がないことかもしれない。
見知らぬ誰かに胸の大きさや性癖を教えるのはきついだろうからな。
とりあえずここはMP回復用の眼鏡さえ置いていけば大丈夫だろう。
「ここは任せますね。俺は盾役の補助に向かいます」
「感謝する」
俺は礼の言葉を背中で受けながら駆ける。
走りながら手持ちの魔弾を確認しておく。
通常時なら充分な弾倉数だが、蒼黒竜の前では丸裸同然だろう。
とはいえ命懸けの任務を擬似的に体験できることがVRMMOの魅力だからな。
映画の主人公になったつもりで乗り越えるしかないだろう。
三つ目の避難場所まで移動を済ませた俺は両手を膝に置いて息を整える。
酸素を欲する肺と間違いなく筋肉痛になるであろう身体が悲鳴を上げていた。たった数キロ走っただけでこの有様である。疲労の概念は想像以上に戦局を厳しくしていた。己の脆弱さを恨みながら俺は心肺機能の回復を待つ。それに比べてワインレッド髪の美女は澄ました顔をしていた。額に汗を浮かべているが疲労は微塵も感じさせない。
「現実でも体力トレーニングとかしてるんですか?」
「当然だ」
当然らしかった。
「ダンゲロスの協力には感謝している。二名の天使と眼鏡がなかったら撤退を余儀なくされていただろう」
「礼は討伐に成功してから頂きますよ」
ミルフィーユはワインレッドの髪を三つ編みにしている。
即席なので多少乱れているが眼鏡の効果を引き出すためには仕方ない。
「ここからの大崩れはないだろう。気を付けるとすれば残り一割になってからだな」
「どういうことです?」
「特殊技を連続使用する暴走モードがあるかもしれない」
「なにか対策はあるんですか?」
「ワンデイアビリティを使用して一気に決める」
「なるほど……それなら俺も参加できそうですね」
ワンデイアビリティ「換装の極意」を使用中なら、レベル的に見劣りする俺でも充分な戦力になるだろう。
ミルフィーユは現在飛翔中の蒼黒竜を見上げていた。
おそらく次に地上へ降ろしたときが勝負どころだろう。
「そろそろだな」
促されて俺は東方向の空を見上げた。
白い雲の中に黒い点のようなものが見える。
それが次第に大きくなって竜影だと把握した。
「八咫烏のメンバーは全員竜族との戦闘経験があるんですか?」
「戦闘経験があるのは三分の一くらいだろうな。しかもMMOとVRMMOでは勝手が違う。戦い方を知っているだけで実戦は全員初みたいなものだ」
ワインレッド髪の美女は端的に分析する。俺は改めて視線を空へ戻した。
局面は対空への遠隔攻撃から地上戦へと発展する。蒼黒竜の反撃が織り交ざり周辺の建物が破壊されて白煙を立てた。直接的な被害を受けていない避難場所からでも、その圧倒的な脅威は余すことなく伝わってくる。
「総仕上げの時間だ」
いよいよ八咫烏による総攻撃が始まるのだった。
どれくらい経ったのだろう。蒼黒竜の巨躯が地面に崩れ落ちる。
霧散する躯の中から戦利品が出現した。
【貞節の魔導書】SSS
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天使サーニャを召喚するための魔導書
乙女の祈りが「嫉妬」を鎮める
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