009
帝都アラバストに帰還すると、前回なかったイベントが発生する。
要塞都市を空から俯瞰した映像と一緒にシステムメッセージが流れ込む。
間もなく帝都アラバストは魔物の侵攻を受けます。
防衛戦に参加されない方は「いいえ」を選択してください。
一度「はい」を選択すると戦場から出られない場合があります。
参加して勝利した場合は貢献度により経験値と名声を得ることができます。
「帝都防衛戦に参加されますか?」
「おおーっ! 滅茶苦茶面白そうじゃないか!」
得も言われぬ興奮を覚えながら俺は「はい」を選択する。
防衛戦における死亡はデスペナルティが発生しません。
二時間を経過しても勝負が着かない場合、自動的に帝都護衛軍の勝利となります。
システムメッセージによる説明が終わると外装が転送された。
転送された先は魔導空艇と呼ばれる旅客船内だった。
まだ冒険者に開放されていない移動手段の一つである。
魔導空艇内は複数の層で構成されており、後部は主に各種店舗や居住区、前部は酒が振舞われる広い社交場だった。その一角にある卓へ着いていた俺は、すぐさまアリアを召喚して甲板へ上がる。おそらく市街戦も繰り広げられているので、どこへ配属されるかは完全に無作為らしい。旅客船の飛行には甲板の左右に設置された、特殊な回転翼による揚力と、魔導機関で生み出した推力が利用されている。開発者である魔導工学博士は未だに現役らしく、祖国の工業都市で後生の育成に携わっているそうだ。
鈍い音がして魔導空艇が大きく揺れた。
甲板に出ていた乗客が姿勢を崩して転倒する。
各所で悲鳴と動揺のざわめきが巻き起こっていた。
すぐさま数名の客室乗務員が現れて乗客を船内へ誘導する。それと平行して重々しい鎧を装着した大男を筆頭に船内から十六名構成の部隊が姿を現した。有事の際に備えて魔導空艇に常駐している護衛団である。
「偵察班は目標の捕捉を急げ! 魔術班は魔導空艇に防御結界を張れ!」
怒号に合わせて飛竜に跨った二名の青年が夕闇へ舞う。
女魔術士二名は風属性魔術の詠唱を開始する。空中に黄緑色の魔方陣が展開して、防御結界<バリアール>が発動した。大気で形成された防御壁が甲板を優しく包み込む。
「隊長、揺れは巨大鳥が船底を掠めたからのようです」
「ふむ。大きさは?」
「翼幅で二十メートル程度ですね」
船上へ舞い戻った偵察班の青年が飛竜に騎乗したまま報告を済ませる。
鎧姿の大男は一考してから指示を飛ばした。
「その規模の巨大鳥が魔導空艇に襲いかかってくるとは考え難いな。なにかに追われていた可能性が高い。改めて周辺の警戒に当たってくれ」
「はっ!」
偵察班の青年は器用に手綱を揺らして飛竜を再飛翔させた。飛蛇竜と異なり飛竜は正しく接すれば心を通わせることができるが、主従関係あるいは友好関係を築くまで信頼を得るとなれば容易くない。それゆえ部隊における竜騎士の立場は、ほかの職業に比べて高く設定されていた。
俺は甲板を見回して位置関係を確かめる。
護衛団は魔導空艇の全方向を監視できるよう、船首の隊長を起点に菱形を描くよう展開していた。その中心に女魔術士二名を配置している。静寂を取り戻した甲板に二基の巨大な回転翼が騒音を撒き散らしていく。
防衛戦が始まる準備段階なのか、NPC護衛団が緊張を演出している。
しばらくすると偵察班の二名が無事に帰還した。
「巨大鳥の軌道修正を完了しました」
「周辺にそれらしい魔物は存在しませんでした」
「解せないな」
隊長は低い重低音を発しながら腕を組む。
「巨大鳥の前方不注意が原因だと考えられるか?」
「なんとも言えませんが……それらしい魔物がいなかったことも事実です」
「我々は安全が確保されるまで甲板に待機しておく。偵察班は見てきたことを船長に報告してくれ。その後の指示は状況に応じて適宜行う」
「わかりました」
偵察班の二名が飛竜を従えて船内へ戻っていく。
隊長は屈強な肉体を誇示するかのように巨大な槍斧を取り出した。
相変わらず物理学を無視しているが、そこは問題にすべきことではないだろう。
俺は改めて指揮官を確認した。
髪と顎鬚が顔を包むように連なっているため、精悍な顔立ちと相俟って百獣の王を連想させる。帝都散策中に集めた情報から推測すると、魔導空艇護衛団第三部隊の隊長だろう。裏表のない豪快な性格の大男という特徴だったからな。
「巨大な影が浮上してきます!」
その声に反応した護衛団が左翼側へ集結する。それぞれがどういう役割を担っているかは判然としないが、構成を見る限り魔術士は後方支援、攻撃は前衛主体という戦術を選択していそうな印象を受けた。
空戦では極めて異例の組み合わせだろう。
本来なら遠距離攻撃に勝る魔術士が攻撃を引き受けて、前衛は詠唱が完了するまでの時間稼ぎを担当すべきだ。それともなにか重大な理由でもあるのだろうか?
「なによ……あれ?」
「偵察班の奴、警戒範囲を見誤りやがったな」
くしゃくしゃと髪を掻きながら青年は悪態を吐いた。
「叱責はこの状況を乗り越えてからでも遅くはないさ」
「隊長の言う通りだな」
「でもまあ、愚痴りたくもなるわね」
「とにかく今は標的に集中すべきだ」
これより帝都防衛戦を開始します。
侵攻軍Lv3 VS 防衛軍lv5
ちなみに帝都防衛戦のレベルは、冒険者の職業レベルとは別物だ。
一から七の七段階に分けられており、五以上で幹部級が登場することになる。
本サービスの開始時期を考慮すれば、この時点で戦力になる冒険者はいない。
その辺りは運営側の重々承知しているらしい。
刹那――甲板の雰囲気が一変する。
雲の海から浮上したのは巨大な黒竜だった。
頭部から尻尾までの全長が推定二十五メートル、体重は推定二十トン前後で黒色の鱗に全身が覆われている。鰐のような頭部には二本の角を生やし、前肢と後肢のほかに背中から蝙蝠のような翼を生やしていた。巨大な牙や鋭利な爪といった露骨な凶器も怖いが、この大きさになると長い尻尾による強烈な一振りも無視できない。
「しかしこれ……俺のやることあるのか?」
せっかくの防衛戦で役立てないことを悔やんでいると、船内なら甲板に上がってきたNPCが周辺を見回し始める。客室乗員といった風貌の男女三人組で、明らかに非戦闘要員という感じだった。
「この中に『ハイポーション』をお持ちの方はいませんか?」
「この中に『万能薬』をお持ちの方はいませんか?」
ほかにも武器や防具を求める声が絶え間なく続いた。これは生産職も防衛戦で活躍できるよう設定されたもので、必要な生産品を納めることで成果として認めてもらえる。また納品者の貢献度上昇だけでなく、防衛軍の強さにも影響を与えるらしい。
「この中に『眼鏡』をお持ちの方はいませんか?」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
脊髄反射の如く俺はNPCのお姉さんに眼鏡をトレードしていた。
誰かが困っているとき――そっと眼鏡を差し伸べられる俺でありたいからな。
「ありがとうございます! しかしまだ『眼鏡』の数が足りません!」
「眼鏡のことなら俺に任せろ。これでどうだ!」
「素晴らしい眼鏡ですね! ちょっとかけてもらってもいいですか?」
「なん……だと?」
NPCお姉さんは瞳を閉じて顎を上げる。
しばらく眼鏡っ娘を視姦していなかったからだろう。
欲望のすべてが下半身の一点に収束していく。落ち着け……今は非常時なんだぞ。そもそも目の前にいる女性は二次元みたいなものじゃないか? いや、だからこそ誰にも気兼ねなく眼鏡をかけるべきじゃないのか?
「はあ……はあ……お姉さん……これから……かかかかかけますね」
呼吸が荒くなり眼鏡を持つ手が震える。かけた瞬間の興奮は半端なかった。
おそらく現実の俺は青春を迸らせていたことだろう。
しかし数瞬の間を置くと、トレード完了となり、眼鏡は消失してしまう。
「もっと……もっとかけてください!」
「任せろ!」
とにかく俺はNPCに眼鏡をかけまくった。
帝都防衛戦のことも忘れて眼鏡をかけまくった。
まるで椀子蕎麦のように次から次へと眼鏡をかけまくった。
「おそらく巨大鳥が急浮上したのはこいつが原因だろうな」
隊長は忌々しそうに吐き捨てた。
いつでも攻撃を仕掛けられるよう前衛陣は臨戦態勢を貫いている。ゆったり魔導空艇と並行飛翔していた黒竜は、不意に鰐のような頭部を捻り視線を船上へ向けた。縦長の虹彩が甲板の護衛団を煙たそうに睥睨している。
「どうやら見逃してくれるつもりはないらしいな」
次の瞬間、黒竜の大顎が開かれて灼熱の吐息が紡ぎ出された。超高熱の吐息は大気中の酸素を燃焼させて火炎となる。夕闇を明るく照らした紅蓮の炎は魔導空艇に直撃する寸前で風の障壁と衝突した。その衝撃だけで船体は再び大きく揺れる。防ぎ切れない熱波が防御結界を侵食し、船体の一部を溶かして泡立てていく。どう転ぶにせよ短期決戦が求められる局面だった。
「戦闘開始だ! 総員配置に着け!」
抱号を合図に前衛八名で矢印のような陣形を構築する。
鎧姿の隊長が矢尻の先端に立った。最後方の美女が弓を引くような構えを取る。
「一撃で仕留めるぞ!」
大男は槍斧を背負い直して魔術の詠唱を開始した。両翼の四名が加わることで魔法陣の大きさが直径十五メートル前後まで拡大する。前衛と思われた八名一組による超弩級の遠隔攻撃を繰り出すつもりらしい。
「撃てぇええええええええええい!」
隊長の指示で射手は限界まで引いていた不可視の弦を解き放つ。
次の瞬間、巨大な黄色の魔法陣から生成された硬質の矢弾が発射する。
距離が近い上に隙の生じている黒竜の胴体へ見事に突き刺さった。
「グォオオオオオオオオオオーッ!」
苦鳴を漏らしながら黒竜は着弾の衝撃で飛空艇から遠ざかっていく。これなら苦し紛れに暴れられても船体へ届くことはないだろう。もしそこまで計算して攻撃方法を選択したのなら、やはり護衛団の実力は計り知れない領域にある。
「不意を突けばいけるものだな」
「防御結界が破られそうなときは焦りましたけどね」
すでに戦闘時のような緊張感はなく、護衛団の面々も平常運転になっていた。
防衛戦終了のシステムメッセージが流れ込み、活動成果に応じた経験値と名声が付与される。レベルが五つも上がる経験値量に驚いたが、それ以上に眼鏡素材の消費量に度肝を抜いた。ほいほい貢がされてしまう男の気持ちが今ならわからなくもない。




