009
乱華の話は単純だった。
懇意にしていた生産者から、触媒を販売してもらえない。
それは第三の魔導書が発見された時期と一致している。
要約すれば、こうだろう。
しかし肝心の理由がよくわからない。
「合意の上とはいえ他者への攻撃が認められたっすよね? つまりこれまで不可能だった他者への接触も可能になった。これがどういうことか理解してるっすか?」
「説明通りの意味じゃないのか?」
「それはそうなんすけど……ああもう……言わないとわからないっすか?」
きょとんとする俺に、少女は頬を赤らめた。
もじもじと身体をくねらせていると、太股が布地を持ち上げて、忍装束の裾から中が見えそうになる。自然律に従い俺の視線は魅惑の三角地帯へと向かう。
「もう! ちゃんと聞いてるんすか?」
「お……おう」
普通に怒られた。
どうやら初対面でも物怖じしない性格は健在らしい。
これだけ自己主張できるなら、嫌なことは嫌だと言えるよな?
余計に意味がわからなくなったので、俺は素直に正答を求めることにした。
「正直、よくわからない。接触が可能になると、一体どうなるんだ?」
「胸とか……お尻とか……触られるんすよ」
「…………」
「なんすか?」
「それは仕方ないだろう? 真剣勝負に手加減を要求するつもりか?」
「そうじゃないっす!」
急に忍装束の少女は声を荒げた。その勢いに気圧されてしまう。
ぷるぷると身体を震わせながら、乱華は口惜しそうに事実を吐露した。
「合意なら身体に触れられる。もちろんそれ以上のこともできるっす。これまで懇意にしてきた生産職のほとんどが、ジュエル以外での支払いを求めてきたんすよ」
聞いて楽しくなるような話ではなさそうだった。
悪意と欲望に満ちた、決して笑えない話だ。
だから俺は早々に提案する。
「競売があるだろ?」
「愛想を振り撒いて値下げしてもらってたっすからね。もし触媒の購入を競売に切り替えるなら、しばらくは金策に奔走するしかないんすよ。自業自得なところもあるし、それについて不満はないっす。ただ合意の部分が解除されたとき、どうなるんだろうという怖さは、どうしても払拭できないんすよね」
その言葉に戦慄を覚えた。
莉紗や天音に見知らぬ変態野郎の魔手が迫るかもしれない。
嫌がる妹を無理矢理に押し倒し、散々眼鏡を取り替えたあと、ぺろぺろされるかもしれないのだ。想像しただけで身の毛が弥立つ。言い表せない憤怒の感情が胸中で蠢く。
「糞っ垂れが!」
「…………」
「急に取り乱して悪かったな。一緒に参加した妹と後輩がいると言っただろ? 今の話を聞いたら心配になってさ」
「それは……そうすね。ごめん。不安を煽るような言い方して申し訳ないっす」
「気にするな。悪いのは眼鏡を舐め回そうとしている糞野郎だろ?」
「え?」
「間違えた。他人の足元を見てる生産職連中だろ?」
「まあ……そうなんすかね?」
忍装束の少女は煮え切らない態度だった。
これまで安値で卸してもらっていたことに恩を感じているのかもしれない。
しかし今回の一件は越えてはならない一線を越えている。
だからこそ断固とした態度を取るべきなのだ。
「素材の高騰に合わせて完成品も値上がりすることはよくある。ただ代金を身体で支払えというのは、提示した側を擁護できる要素がない。しかも任意による接触が可能になった矢先だろ? ちょっと性質が悪過ぎないか?」
「うう……そう言われるとすごく腹が立ってきたっす」
「そこで提案」
「なんすか?」
「当面の触媒代は俺が出すから、神都まで案内してくれないか?」
「はあ?」
素っ頓狂な声を上げる乱華だった。訝しそうにこちらを見つめてくる。
どう好意的に受け取っても、俺を信用していない目だった。
「虎の子だったワンデイアビリティも使えなくなったし、ここから一人で無事に神都へ辿り着けるか不安なんだよ」
「一人って……金髪の連れがいるじゃないっすか?」
不思議そうな少女の視線を追いかける。
そこでようやく俺は状況を飲み込めた。
女子のアリアが同行していたから、少女の不安を取り払えたのだろう。経緯を踏まえれば、乱華はもっと、男を警戒するはずだ。いくら俺が命の恩人であっても、こんなすぐには打ち解けられない。というか天使の存在を忘れるなんて酷い話だな。
「こいつは『忠実の魔導書』で召喚した天使のアリアだ」
「…………」
「そこを疑われると話が進まないんだが?」
「…………」
「これを見ても納得できないか?」
俺は装飾の施された魔導書を取り出す。
半眼だった乱華の瞳が丸々と見開かれていく。どうやら驚きを言葉で表現できないらしく、ぱくぱくと金魚みたいに口を動かしている。
「信じてくれたか?」
「…………」
「だったら装備を確認してみろ。専用の装備をしてるからさ」
「…………」
ぎこちなく首を捻ると、乱華はアリアを調べた。
やがて現実を受け止めたのか、その視線をゆっくりと俺へ戻す。
「えっと……あの……冗談っすよね?」
「本当のことだ。鉱山都市に引き籠もっていたと話しただろ?」
挙動不審を絵に描いたような態度で、乱華は無言のアリアへ視線を向けていた。
混乱の疑問符を頭の上に浮かべながらも、忍装束の少女は天使に興味津々らしい。
ここは仲を取り持ってやるべきだろうな。
俺が自己紹介するよう促すと、アリアは顎を引いて首肯する。
『神都へ向けて出発ですね?』
「…………」
「…………」
どちらともなく俺と乱華は顔を見合わせた。
話が通じないことくらいは伝わっただろう。
「まあ……こういう奴なんだよ」
「そう……なんすか……大変っすね」
気を取り直して俺は天使へ向き直る。
エプロンドレス姿の金髪少女は、フリップを持ったまま首を傾げていた。
「その前に安全策を模索しているところだよ」
『今夜はここで破廉恥な行為をするわけですか?』
「あのさアリア……この状況で……その返しは笑えない」
乱華は両手で肩を抱きながら後ずさっている。
なんだろう、この敗北感。
全然信用されてないじゃないか?
まあいい。閑話休題だ。
「さっきの提案、考えてくれたか?」
「…………」
「ここから無事に神都まで案内する。対価として当面の触媒代を受け取る。わかりやすくていいだろ? 特に金策目的でアクマクの森にいるなら尚更だ」
「そうかもしれないんすけど……慢性的な金銭不足なんすよね。結局その場凌ぎで誰かに頼ってたら、これまでと変わらない気がするんすよ」
「円形闘技場で随分と名を馳せてるんだし、ギルドに入れば触媒代の補填くらいあるだろ? 意地の張りどころを間違えると悲惨だぞ」
避けていた部分に踏み込んでみる。
どうにも乱華の考えがわからないからだ。
忍装束の少女がギルド未所属の理由。
曰く当初は大好きな人と一緒のギルドに所属していたらしい。
しかし大好きな人が突然ギルドを去ったので、乱華も跡を追うようにギルドを抜けたという。その後は各地を転々としながら、大好きな人を捜しているらしい。PvPへ精力的に参加しているのも、知名度を上げる一環とのことだ。
大好きな人と一緒のギルドに所属したい。
それまではどこのギルドにも所属しない。
この決意を俺は純粋に評価する。ただし得策ではないだろう。
「ギルドには所属しないっす。でも神都までは案内するっすよ。状況はともあれ助けられた恩があるっすからね」
「わかった。ともかく、ありがとう」
「お礼は無事に神都へ到着してからでいいっすよ」
これで商談成立だ。
まずは乱華の世界地図で攻略ルートを確認する。
アクマクの森を北へ抜けたあと、平原エリアを一つ越えれば神都だ。
このラズリー平原は、神都を境に、北と南に分かれている。
南はLv20からの狩場に適しており、北は強敵が跋扈する無法地帯らしい。
「つまり神都を見落として北まで進むと危険なわけだな」
「そうっすね。平原だから油断する冒険者も多いみたいっすよ」
乱華に案内を依頼したのは、どうやら正解だったらしい。
俺一人なら絶対に見落としていた。運が向いているかもしれないな。
パーティーを組んでセーフティゾーンの小屋を出た。
鬱蒼とした密林の中を歩き始める。どこからともなく野鳥の声が響いていた。
ここが仮想現実であることを忘れてしまいそうなリアリティだ。
ともあれ順調に進めば夜までに神都へ到着することだろう。
「そうそう。絡まれたときの対処を決めておいたほうがよくないっすか?」
「えーっと……その辺の作戦は任せていいか?」
「わかったっす。それじゃあ、一匹なら倒す方向でいいっすか?」
下手に逃げてリンクされるより、そのほうが安全ということだった。
注意点として、二つ補足される。
①魔物に発見され難い場所へ連れ込んでから倒す。
②二匹以上に絡まれたら忍術で足止めして逃げる。
使用する忍術の再詠唱可能時間の関係で、無傷は不可能だとしても、敵対心が解ける距離まで逃げ切れるらしい。睡眠魔術で魔物を眠らせて逃げる作戦の忍者版といったところだろうか? こういう緊急避難の術を備えているからこそ、単独で危険地帯を探索できるのかもしれないな。
「真っ直ぐ神都へ向かっていいんすか?」
「んんん……どういうことだ?」
「だから言葉通りの意味っすよ。どこかに寄り道しなくていいんすか? ちゃんと報酬をもらうんすから、ある程度の要望には答えるっすよ?」
先行していた乱華が後ろを振り向く。
どうやら冗談や悪ふざけではないらしい。
「近くに寄り道するような場所があるのか?」
「それは人それぞれじゃないっすか? 立ち寄りたい場所なんて、受けてるクエスト関連で、結構変わるものっすからね」
「なるほどな。とりあえず今は寄りたい場所はないよ」
「了解っす。それじゃあ、神都へ向かうっすね」
「ちょっと待ってくれ」
俺は歩き始めた少女を呼び止める。
前述の言葉を聞き逃さなかったからだ。
「どうかしたんすか?」
「ある程度の要望は聞いてくれるんだよな?」
「まあ……そうっすね。寄り道以外でなにかあるんすか?」
「神都へ到着するまで眼鏡をかけてくれないか?」
「なんでっすか?」
当然の疑問が返ってきた。しかも怪訝そうな顔をしている。
さっきまでの和やかな雰囲気は一体どこですか?
「案内人が眼鏡をかけているというだけで安心するからだ」
「なんすかそれ?」
「そんなに驚くようなことじゃないだろ? 妹なんて『眼鏡男子きたぁああああああああああああああああああああ!』とか普通に叫ぶぞ? つまり眼鏡は男女ともに愛される至高の装飾品というわけさ」
「…………」
「駄目なら諦めるよ。無理強いするつもりはないからな」
「なんか目が死んでるっすよ! そんなに落ち込むことなんすか? ああもう……眼鏡くらいかけてあげるっす」
「本当か?」
「この世の終わりみたいな顔をされたら断れないっすからね」
忍装束姿の眼鏡っ娘誕生である。
最初は照れ臭そうにしていた乱華だが、途中からは気にも留めなくなっていた。
久しぶりの眼鏡女子を堪能しながら、俺はアクマクの森を突き進んでいく。




