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「もっと服を肌蹴させなくてもいいの?」
「露骨なのは駄目だよ」
「そうなの?」
「普通にだらしなく寝ているところがいいんだよ。あとはこちらの脳内で脱がせますから余計なことはしないでね的な――まあ莉紗ちゃんには理解できない大人の世界かもしれないね」
ぼんやりとした意識の中に妹と後輩女子の声が響いてくる。
暗闇の中で微かに感じた光は、どうやら写真撮影が原因らしい。中途半端に外されたシャツのボタンも気になるが、今重要視すべきは、妹を修羅の道へ引き込まれないことだろう。
「天音、莉紗に変なこと吹き込むなよ」
「えーっ! ちょっと腐ってる妹も素敵じゃないですか?」
「んなわけあるか!」
「お兄ちゃん、そんな言い方は香梨さんに失礼だよ!」
擁護した兄の気持ちも知らず、妹の莉紗は頬を膨らませた。
兄馬鹿かもしれないが、怒った顔も可愛らしい。特に小柄で線の細い幼児体形は、老若男女問わず保護欲を駆り立てる。春先まで長かった色素の薄い髪は、今現在、お洒落なショートカットに変貌していた。おそらく新作アニメの影響を受けたのだろう。
個人的には三つ編みでアンダーリムの眼鏡をかけているときが一番好みだったのだが、妹には妹の事情があるだろうから眼鏡を無理強いすることは躊躇われた。あとはどこぞのアニメ製作会社が眼鏡を流行らせてくれることを祈るしかない。
「無断で寝顔を撮影するような奴には失礼でもいいんだよ」
はっきり目の覚めた俺は上体を起こしてシャツのボタンを留める。参加者にドレスコードはなかったが、三人とも高校指定の夏服を着用していた。これは「私に恥をかかせないでね」という姉貴の言葉に従った結果である。
「午後三時より参加者の皆様には講習を受けて頂きます。乗船時に配布した小冊子を参考に指定の部屋へ移動してください」
涼やかな声のアナウンスが座敷まで届いた。
船内を見回すと時計の針は午後二時半を指している。妹と後輩が乗船時に手渡された小冊子を開く。後ろから覗き込むと番号に応じて部屋が割り振られていた。五十の部屋に二十人ずつ区分けされている。空番号もあるかもしれないが、千人以上が参加している計算だ。
妹が小冊子を捲ると「ようこそ冒険の世界『ヴァルハラ』へ」という見出しが視界に飛び込んできた。その下には「クライシス社による初のVRMMO‐RPG『ArchAngel/harem night』は――」と概要が綴られている。
「アーチエンジェル?」
「先輩、それはアークエンジェルと読むんです」
黒髪に黒縁眼鏡の後輩が間違いを訂正してくる。おそらく地味系女子に分類されるタイプなのだが、身体に似合わない大きな胸と、均整の取れた顔立ちに心を奪われる諸兄も多いことだろう。
ふむふむ。
VRMMO‐RPG『ArchAngel/harem night』ね。
興味はないが概要についても要約しておこう。
著しい科学の発展には欠かせない存在がある。
VR技術もその例に漏れることはなく、軍事産業の中から生み出されたものだ。それを象徴するように『戦争は科学を飛躍的に発達させるが、平和なスイスでは鳩時計しか生み出さなかった』という映画の台詞まである。
やがて世界初のVRMMO‐RPGが誕生するのだが、これには違う意味で他国の注目を浴びる結果となった。曰く「ミサイルの複雑な演算処理技術を家庭用ゲーム機に搭載した国が、今度はVR技術を用いて多人数同時参加型ゲームを開発したらしい」である。複雑な気持ちにさせられるが、まあ、こういう遊び心は大切だろう。
VRMMO‐RPG『ArchAngel/harem night』は、その前身であるMMO‐RPG『ArchAngel/bridal night』を含め、大人気シリーズ『ArchAngel』の五作目に当たるらしい。ちなみにハーレムナイトという題名だが全年齢対象作品だ。これはクライシス社がアダルトゲームメーカー時代に販売した『ArchAngel/ero』の影響だろう。本来の十八禁要素ではなく、設定とシステム性が受けて、幅広い層に支持された名作だ。
そのため『ArchAngel』シリーズでは、全年齢対象となった今でも、初代『ero』の名残を継承している。ただ天使も悪魔もすべて美少女だったアダルトゲーム時代に対して、全年齢対象になってからは、魔導書で召喚された天使は契約者と異なる性別に設定されるらしい。もちろん悪魔も男女に分けられている。しかし「ヴァルハラ」を舞台にした世界観に変更はなく、物語の根底に「七つの大罪」が組み込まれている点も共通だ。
「先輩、そろそろ移動しませんか?」
「そうだな。部屋の場所はわかってるのか?」
「お兄ちゃん、その前に顔を洗わなきゃ駄目だよ」
「はいはい、わかったよ」
俺は妹と後輩に急かされながら立ち上がった。
それから先行する二人の背中を追いかける。
そう――まずは現状を整理しておくべきだろう。
◇◇◇
人生は挑戦の連続だ。
なにもしなければ、なにも変わらない。
だから俺は十八歳の誕生日を迎えた朝、ついにアダルトゲームの購入を決めたのだ。
最近はオンラインショップで購入可能なため、入手方法について頭を煩わせることはない。
サイトで欲しいアダルトゲームを選択し、指示に従ってレジへ進むだけだからだ。
ここまではいい。問題は受け取り方法だ。
普通に通販で購入した場合、俺より家族が受け取る可能性が高い。
妹や母ならリビングのテーブルに置いといてくれるだろうが、姉が直で受け取ったり、または宅配物を俺より先に発見したときが極めて危険だ。勝手に中身を確認した挙句、俺の性癖を蔑むに違いない。
そこで登場するのがコンビニ受け取りだ。
二十四時間対応だし、確実に俺が受け取れる。
しかも利用するに当たって余分な手数料は一切発生しない。
これはもうアダルトゲームを安全に入手するための手段として開発されたね。
そんなわけで本日、俺は注文していたゲームを迎えに行く。
受け取りに指定したコンビニは、家から随分と離れた場所にある。
普段なら絶対に立ち寄らない店舗で、自転車でも二十分くらいかかるだろう。
しかしそれでいい。なにせ初のアダルトゲーム購入だからな。
念には念を入れておくべきなのだ。
見慣れない街並みだが、道に迷うことはなかった。
コンビニに到着した俺は、早速レジへ向けて歩を進める。店長と思わしき小太りな店員に声をかけようとした刹那、週刊誌を立ち読みしていたらしい女子高生に声をかけられた。
「架神先輩?」
こんなところに俺がいるとは想定していなかったのだろう。
黒縁眼鏡の似合う黒髪少女は小首を傾げていた。
「天音か……外で会うなんて珍しいな」
「先輩こそこんなところでなにをやっているんですか?」
一学年下の後輩が疑問符を紡いでくる。黒髪と黒縁眼鏡から地味な印象を受けるが、顔立ちが整っていることもあって、一部の男子からは非常に高い評価を得ているらしい。かくいう俺も部室での一件があるまでは好感を持っていた。
「待ち合わせだよ(相手はアダルトゲームだけどな)」
「彼女さんとですか?」
「まあ、そんなところだ」
返答しながら俺は店内の物色を開始する。天音の前でアダルトゲームを受け取るわけにはいかないし、帰宅後の長時間プレイに備えて買い物をすることにしたのだ。
陳列棚に所狭しと並べられた商品から珈琲牛乳とBLサンドを選択する。しばらく時間を潰そうと店内を徘徊していたら、会計を済ませたらしい後輩女子が歩み寄ってきた。
「まだ来ないんですか?」
「天音には関係ないだろ?」
「いやあ、どうせ暇なので挨拶くらいさせてください」
「残念ながらバスケ部の山下も野球部の田中も来ないぞ?」
「ということは柔道部の荒谷先輩ですか? でゅふふ……BLサンドと珈琲牛乳だけで体力大丈夫なんですか?」
にやけ面の黒髪少女が俺の脇腹を肘で突いてくる。どうしてBLという修羅の道を選んだのか知らないが、愛嬌のある性格や容姿は本当に嫌いじゃないんだよな。
「それにしてもBLサンドってすごい響きですよね」
「お前の中ではな」
「もうちょっと私に興味を持ってくださいよ。後輩に慕われるなんて先輩冥利に尽きるんじゃないですか?」
「…………」
しばらくしても後輩女子は帰る素振りを見せない。
精算を済ませて出直すことも考えたが、下手に尾行されたら本末転倒だからな。
ここは潔く白状すべきだろう。
「実は彼女と待ち合わせの予定なんてない。見栄を張って悪かったな」
「隠さなくてもいいんですよ? 私は先輩が女の子を好きでも軽蔑なんかしません」
「普通の恋愛感情を禁忌みたいに扱うな」
「もちろん柔道部の荒谷先輩が来ても大歓迎します」
「それだけは絶対にねえよ!」
にやにやと表情が緩みっ放しの後輩に、俺は手厳しい突っ込みを入れておく。
まったく……どんだけ俺の恋愛事情が面白いんだよ。
というか親友である荒谷まで夢に出てきそうで怖い。
頼むから俺の尻を狙うような暴挙には出ないでくれよ。
もう二度と泣きながら目覚めるような経験はしなくないからな。
「それじゃあ、こんなところで一体なにを?」
「たまたま近くを通ったから立ち寄っただけだよ」
「なんか怪しいんですよね」
「どこがだよ?」
平静を装いながら疑問符を投げ返しておく。絶対に動揺を悟られてはならない。
「卑猥な同人誌を世間の目から守っている立場としては、わざわざ家から遠く離れたコンビニを利用する理由なんて、家族に知られたくない物を受け取るためとしか思えないんですよね」
「…………」
返す言葉もございません。実体験からの推測なら腐女子も大変だな。
「天音も苦労してるんだな」
「知らなかったんですか? 教室に居場所がなくて、お昼は基本便所飯ですよ」
「まったく笑えない! 本気の哀しい話はやめろよな」
「冗談なので安心してください。というか先輩、本気で私に冷たくないですか?」
「冷たくされるようなことばっかり言うからだろ。天音の所為で連れに掘られそうになる夢を見たくらいだからな」
「詳しく教えてください!」
「瞳を輝かせるな!」
「だって仕方ないじゃないですか! ホモが嫌いな腐女子なんていません!」
「だろうな!」
どんだけ限定的なんだよ。せめてもう少し際どい線を攻めろよな。
とはいえ、このままでは埒が明かない。
俺は覚悟を決めて話を進める。
「天音はエロ方面の話に拒否反応ないよな?」
「まあ、相手が先輩なら気になりませんね」
「実は俺の姉貴がアダルトゲームメーカーに勤めてるんだよ。最近は全年齢対象作品が台頭してきたんだけど、やはり原点はアダルトゲームにあるわけだろ? 弟として姉貴の仕事内容を知りたい半面、得も言われぬ不安を拭い去れなくてさ。とりあえずクライシス社と無関係な作品で耐性を付けてから、姉貴が担当したアダルトゲームに挑戦しようと考えたわけだ」
「要約すると趣味のエロゲを買いに来たわけですね?」
「お……おう」
前口上をすべて無駄にされてしまった。許し難いな。
「さっさと購入してきたらどうですか?」
「しかしなんというか……天音は本当に寛大だよな。普通の女子高生はアダルトゲームを買いにきた先輩を軽蔑しかしないだろ?」
「架神先輩は『女性は人生を諦めると下ネタを連発し、男性は人生を諦めると下ネタを言わなくなる』という言葉を知らないんですか? エッチなことに興味を持てなくなった男性に未来なんてないんです! つまりアダルトゲームの購入を考えている先輩は、まだ人生を諦めていないことを誇りに思ってください!」
「うん……まあ……そのなんだ……後輩女子にそんなことを叫ばれた時点で俺の人生詰んだわ。飲み物を買いにきたOLさんの憐れみに満ちた瞳を見ただろ?」
褒め殺しとは、このことである。
「そもそも前述の発言だと天音の人生も終わってることにならないか?」
「ふふふ、私の人生なんて始まってもいませんよ」
「誇らしげに語ることじゃないけどな」
ともあれ閑話休題。
「後輩との小粋な会話を楽しみたい気持ちはあるんだけどさ。今日は大事な用事があるからまた今度にしないか?」
「大事な用事ってエロゲをすることですよね?」
「天音……いつも元気溌剌に喋ることが正しいとは限らないんだぞ。若い女性店員さんが今にも警察へ通報しそうな顔をしているからな」
眼鏡の似合う少女を諭し、俺は盛大に嘆息を漏らした。
この出会いが天音の運命を左右するなんて、このときはまだ考える由もなかったのである。もし本当に神が存在するのであれば、どうか可愛い後輩を見放さないでほしい。