008
「さてと」
十月十五日、鉱山都市、午前九時だ。
俺は爺さんからもらった七つの地図を使用する。
それまで白紙だった世界地図に、七都市周辺の地形が表示された。
七都市で購入可能な地図とクエストで入手する地図、それらを組み合わせることで世界地図は完成する。爺さんが「虹色の門」を利用して、各地の地図を買い集めてくれたのだ。まだまだ空白部分があるとはいえ、このアドバンテージは大きいだろう。
データ化された地図を確認しながら、俺は『ヴァルハラ』生活三ヶ月目にして、初となるフィールドへ足を踏み出した。
「…………」
目の前に広がる光景に言葉を失ってしまう。
街の中に比べて圧倒的に幻想的だったからだ。
鉱山都市周辺に相応しい岩石砂漠が広がり、ろくに植物も育たない殺風景な土地だが、豊富な鉱物資源が街の繁栄に寄与している。
二つ目あるいは三つ目の職業を上げているのか、サービス開始から二ヶ月以上経った今も、初心者用の狩場はレベリングで盛況を極めていた。早速、魔物に捕捉されてしまう。しかしオオトカゲは非好戦的な魔物らしく、こちらを一瞥しても、無闇に襲いかかってくる様子はなかった。
掲示板の情報と地図を参考に神都イージスを目指す。
拳闘士Lv20ということもあって、この周辺で脅威になる魔物はいない。
地図を頼りに、ざくざく進む。岩石砂漠を抜けると、入り組んだ高地に出た。
相変わらず見通しの悪い場所で、いつ魔物に襲われてもおかしくない。
肉体的な疲弊は存在しないが、単独での移動は神経を磨り減らす。
午前九時にコークスの街を出発して、午後二時にアクマクの森に到着した。
ここまでは予定通りである。
アクマクの森は東西南北すべての道と連結した、いわゆる中継地点的なエリアで、冒険者なら誰もが一度は通る場所らしい。
地図によれば俺は南から進入したらしく、東西のどちらかに抜ければ、別の七都市へ向かうことができるようだ。一週間で七都市すべてを巡れるのだから、この森さえ上手くやり過ごせば、五時間程度で目的の街へ着けるのだろう。
しかし今重要なのは別都市への進行ルートではない。
残された北へ抜けて神都イージスを目指すのである。
即ち真っ直ぐ突き進めばいい。ただし問題は眼前に広がるアクマクの森だ。
高さ五十メートルの樹木を筆頭に、複数の層が重なり合わさることで、鬱蒼とした密林を形成している。その中にはコンクリートの建造物を貫いて生長しているものもあった。かつて栄光を極めた高度な文明が、朽ち果てたかのような情景である。
万が一の戦闘に備えて、アリアを召喚しておく。
呼び出された金髪少女は、相変わらず無表情だった。
しかし役目は充分理解しているようで、適度な距離を保ちながら先行していく。
完全に打ち解けたわけではないのだが、多少の融通は利くようになったのである。
Lv25の集団なら安全に進める道も、拳闘士Lv20と天使では、怪しげな危険地帯にほかならない。好戦的な魔物に絡まれれば、確実に鉱山都市へ逆戻りだ。慎重に慎重を期しながら巨大な甲虫類の群れを避けていく。
移動は思いのほか順調だった。
なぜなら濃い植生で日光が遮られるため、地表付近の草は非常に育ちが悪く、歩行に適した地形が構築されているからだ。非好戦的な鳥類は無視して、猛獣と甲虫類に気を配る。
「マスター」
不意に金髪少女に呼び止められた。
手にしたフリップには「北北西」と書かれている。
その方角を探り当てるより先に、猛獣の低い唸り声が聞こえてきた。
俺は大木の陰に身を潜めて様子を窺う。ここまでの苦労を無駄にしたくないという気持ちが緊張を生む。しばらくすると忍装束の少女が姿を現した。その背後を獰猛そうなサーベルタイガーが追いかけている。
魔物の名前は白色で表示されていた。
サーベルタイガーは厄介な特殊技を使ってくるため、レベリングで狩られることはないが、強さ的にはRビートルと変わらなかったはずである。つまりジェリーロジャーと対峙したときのような、攻撃が通らないという可能性は限りなく低いだろう。
「アリア、フォローを頼む」
俺は拳闘士のワンデイアビリティ「極限流七星覇王拳」を発動させた。
左右それぞれの拳に可視化されたオーラが宿る。この「極限流七星覇王拳」は、単純明快な攻撃アビリティだ。使用することで超強力な攻撃を二回繰り出せる。
まずは右手の一発をサーベルタイガーへ放つ。
衝撃波を伴った一撃が、魔物の横っ腹に命中する。
名前を赤色にしたサーベルタイガーは、攻撃目標を俺に変えて突っ込んでくる。
そこへアリアの単発七倍撃<ゲート・オブ・ヘブン>が放たれた。
豪奢な門扉が解き放たれるようなエフェクトが発生し、その向こう側からレイザーような弾丸が飛来してくる。命中の約束された遠隔攻撃が、サーベルタイガーを射抜く。
強烈な連続攻撃で魔物のHPバーを大幅に削る。
残りは二割弱だ。これはいける。そう判断した俺は左拳を振るう。
猛り狂う獣に二発目の「極限流七星覇王拳」が命中する。
正面から強烈な一撃を食らったサーベルタイガーは、断末魔のような叫び声を上げながら崩れ落ちていく。霧散した魔物の亡骸から戦利品が見つかる。ドロップアイテムは『虎の牙』と『虎の毛皮』だった。
「ありがとうっす!」
救援を察したらしい忍装束の少女は、こちらへ歩み寄りながら礼を述べた。
ショートカットの似合う元気溌剌な女の子である。
いや、正確にはショートカットではないらしい。三つ編みに束ねられた長い後ろ髪が、腰の高さ辺りで不規則に揺れている。
見た目通りなら妹と同年代くらいだろうか?
「でも気を付けないと駄目っすよ。見ず知らずの冒険者を助けるために、ワンデイアビリティを使うなんて、ちょっとお人好し過ぎじゃないっすか?」
「悪かったな。それ以外の救援方法が浮かばなかったんだよ」
「いやいや、あたしは褒めてるんすよ?」
「それなら助けた甲斐もあったな。ところで一人なのか?」
単独で神都へ向かっている俺が言うのも変だが、この時期に一人で危険地帯を通ることは珍しい。高レベルになるほどデスペナルティが増えるので、それが足枷となり、意味のない軽率な行動を取り難くしているからだ。
「なにか文句でもあるんすか?」
「そう突っかかるなよ。ちょっと気になっただけなんだからさ」
「ふーん。とりあえず移動しないっすか?」
指し示された先には、木造の小屋があった。
いわゆるセーフティーゾーンで、魔物が侵入できない場所である。
どうやら無計画に逃げていたわけではないらしい。本来はログイン直後の襲撃を避けるための小屋だが、のんびりと会話を楽しむにも最適な安全地帯だろう。
「換装士っすか?」
「そんなに驚くことじゃないだろ?」
「いやいや、換装士なんてネタジョブみたいな存在っすよ?」
「おすすめされたんだぞ? しかも頼りになる爺さんにな」
「なにか嫌われるようなことでもしたんじゃないっすか?」
「おいおい……そこまで心配されるような職業なのか?」
さすがに不安になった俺は、ついつい弱音を吐いてしまう。
単独で神都を目指す理由として、換装士になることを告げたら、こういう流れになったのである。爺さんを疑うつもりはないが、ここまで否定されると焦るぞ。
忍装束の少女は足を組んで一考する。白い太股が悪魔的な引力を放っていた。
「上げて損をする職業ではないんすよ。前衛系上級職への代替えになるっすからね」
「代替え?」
「そうっす。例えば『機槍士』は『重戦士Lv25と斬刀士Lv25』が条件なんすけど、そのどちらかを『換装士Lv25』に置き換えても成立するんすよ」
「それって結構すごくないか?」
「確かにそうっすね。上級職を使い分けてる冒険者の中には、とりあえず換装士Lv30まで上げて、それを軸に職業を網羅するくらいっすよ」
明らかに含みのある口調だった。
まるでそれ以外に活用法がないみたいな言い草である。
「拳闘士Lv20から換装士Lv20になるつもりだったんだが、話を聞いてると別の選択肢も視野に入れるべきなのか?」
「うーん。換装士そのものが生産職向けの冒険職っすからね」
「ん?」
「言葉通りの意味っすよ。生産職が冒険職に転職する場合に考慮するくらいっすね。とはいえ換装士として力を発揮できるような職人なら、生産職として充分にやっていけるはずなんすよね。だから中途半端な職人が換装士になっても微妙なんすよ」
話を聞くうちに換装士の全容が見えてくる。
鍛冶師や彫金師に向いていると聞いていたが、なるほど、すべての生産職に適応した冒険職らしい。それならそれで構わないだろう。
「ふむ。つまり俺なら立派な換装士になれるかもしれないわけだな」
「どういうことっすか?」
「彫金師なんだよ」
「ふーん。職人ギルドとかに所属してるんすか?」
「いや、してないよ」
答えながら少女の装備品を確認する。
どこにもギルドエンブレムが入っていない。
もしどこかのギルドに所属している場合、外装のどこかにエンブレムが表示される。
それが見当たらないということは、どこにも所属していないのだろう。
隠しても仕方がないので、素直な感想を述べておく。
「ギルド未所属って、随分と珍しいよな」
「お互い様じゃないっすか?」
「まあ、そうなんだけどさ。俺の場合はコークスの街に引き籠もってたからな」
「ふーん。なんでまた冒険職を目指すことにしたんすか?」
「別に冒険職へ鞍替えするつもりじゃないんだよ。ただ世界を旅するなら生産職のみというわけにもいかないだろ?」
「生産職でも移動手段の確保は重要ということっすか?」
「さあな。職人スレだと七都市巡りはしておくべきとか、帝都へ行ける程度のレベルは必須とか、かなり差があってどうも参考にならないんだよ」
「それじゃあ、とりあえずレベルだけ上げておくみたいな感じっすか?」
「いや、目的なら話しただろ? 世界を旅するためさ」
忍装束の少女は瞳を瞬かせる。
意味が伝わらなかったらしい。だから改めて説明しておく。
「正確には生き別れた妹と後輩を捜す旅だけどな」
「急に話が壮大になったっすね」
「仕方ないだろ? こんなことになるなんて想像もしてなかったんだからさ」
「確かにそれは言えてるっすね。いきなりウィスパー機能が使えなくなったのは反則っすよ。しかしそれにしても、出発が遅くないっすか?」
「自覚はしてるよ」
それから迂闊に動かなかった理由や、生き別れた二人の話をしたりした。
一度打ち解けてしまえば、女子のほうが饒舌になる。
くノ一を選んだ経緯やら、ギルド未所属の理由、いろいろと話してくれる。
おそらくこれまでの出来事を誰かに語りたかったのだろう。
その気持ちは痛いくらいわかる。
誰かに不安を吐露するだけで、なぜだか気持ちが和らぐからだ。
「ところで名前を教えてもらってもいいっすか?」
「蓮と書いて蓮だ」
「いやいや……それ……ひょっとして本名じゃないっすか?」
「あ。でもまあ、ここでも呼び名は一緒だから問題ない」
「ふーん。わかったっす。蓮と憶えておくっすよ」
ちなみに少女の名前は乱華というらしい。
円形闘技場で名を馳せている有名人だが、それについては踏み込まないことにした。
本人の口から語られるまでは、深入りすべきではないだろう。
そういや俺の名前を聞いた乱華は、事情を知っている風ではなかった。
黒歴史になりそうな逸話ばかりのため、彫金師のRENと聞けば、事情通は吹き出してしまうのである。最近では「俺は男女問わず眼鏡をかけまくる漢なんだぜ?」というAAが張られていたからな。
知らないならそれに越したことはない。
ともかく俺は話題を変えることにした。
「ところでどこへ向かう途中だったんだ?」
「目的地なんてないっす。ここで金策をしてたんすよ」
乱華は不愉快そうに吐き捨てた。
忍術を使うには触媒が必要なため、ほかの職業よりも金欠になるのだろう。
魔術書や装備品を整えるため、しばらく金策に奔走する、この世界ではよくあることだ。経験値とジュエルを両立して稼げない以上、誰も避けて通ることのできない仕様である。しかしどうやら――そういう単純な事情ではなかったらしい。




