アクアリウムにて
「あの人は何を描いているんだろう?」
雨の日の水族館は、水を打ったように静かで穏やかな空間。
そんな中で響くシャッシャッという鉛筆の擦れる音が、舞子はいつも不思議だった。
いつも…と言っても、雨の日に舞子が水族館に足を運ぶようになったのはそれほど前でもない。
梅雨に入って、学校で先生に怒られたある日。
通学路脇の小さな水族館を見つけてからだ。
そして、その日から舞子には気になる人ができた。
大水槽を正面に捉え、手を動かす。
その手元に迷いは無く、心地よいリズムで何かを描く少年。
舞子よりも少し幼く見える少年は、舞子が水族館に来る日にはいつも同じ場所、同じ姿勢でそこにいた。
- 大水槽前の広い座席には、少年と舞子しかいなかった。
青く光る水の中を泳ぐ魚を眺めながら、少年の鉛筆の音を聞くとなんだか違う世界にいるような気分になれた。
(自分も魚になれないだろうか?)
優雅に泳ぐ魚の群れは、とても魅力的だ。
学校に行って、勉強して、家に帰って…。
毎日それだけを繰り返すことが、なんだかつまらなかった。
魚になったら、そんなことを考えなくてよさそうだと思った。
シュッシュッシュッシュッ…
規則正しい鉛筆の音。
その音が疲れた舞子にはとても心地よかった…。
「閉館時間だよ」
揺り起こされるまで、舞子は何が起こったのかわからなかった。
「…え?」
「閉館時間。早く出ないと怒られる」
少年はぶっきらぼうにそう言った。
どうやらいつの間にか眠っていたらしかった。
慌てて起きると、館内に閉館の音楽が流れていることに気が付いた。
少年が無言立ち去ろうとしたので、舞子は思わず声をかけた。
「あの! ありがとう……いつも何描いてるの?」
少年が目をぱちくりさせている。
唐突な質問だと舞子自身も思った。
だが…
「海を描いてる」
少年はそう答えた。意外な答えだった。
「海? …だって、水槽見て描いてたよね?」
「魚見てるとさ、なんか、こいつらにとったらここが学校みたいなんだろうなって。俺が学校嫌みたいに、こいつらはここに居たくないんじゃないかなって思えて…せめて絵の中だけでも逃がしてやろうかなって」
少年はそういうとニヤッと笑った。
舞子は考えた。
どうやら少年がここに来る理由は、舞子と同じのようだ。
舞子もフフッと笑った。
「今度絵、見せてくれる?」
「何でアンタに見せなきゃいけないわけ?」
水族館の出口に向かいながら、二人はたわいも無い話に花を咲かせていた。
それから、舞子は少し毎日がつまらなくなくなった。
初恋チックかもしれません。