傘と私と
初めまして、佐佑と申します。このサイトに小説を投稿するのは初めてなもので表現や内容等に拙い部分もあるかもしれませんがご了承ください。
誤字、脱字や文法的におかしいところがあったらどうぞお知らせください。感想お待ちしています。
「今日は雨かぁ・・・どうしよう、大会近いのに」
間宮美空はそう呟いてベッドの上で伸びをした。
彼女は小学六年生。町内の子供たちで結成した女子サッカークラブに所属している。日曜日には毎週のように練習に励んでいた。しかし今日の天気は、嵐とはいかないまでも、グラウンドをぬかるませるには十分なくらいの雨。案の定、起きて十分経たないかのうちに、コーチから『今日の練習中止ね』という電話がかかってきた。
電話を切った美空は朝食の準備を始めた。ハムエッグを焼き、野菜を切ってドレッシングと和える。そんな行動を、彼女は慣れた様子で、実にスムーズな動作でやってのけた。
「とりあえず、ストレッチはやっておかないとなぁ。お昼も夕飯もあるもので何とかなりそうだし。今日は家でのんびりしよう」
そう言ってトーストを一口かじったその時である。
「おいおい、何言ってんだ?こういう雨の日が、一番風情があるんだぜ?」
突然後ろから声がしたので美空は思わず立ち上がった。振り向いてみるが誰もいない。気のせいかと思って腰かけようとしたがまた声が聞こえてきた。
「あ、今時のガキに風情とか言っても分からねえか。それにこのご時世じゃ家にいても退屈しないようになってるからな」
やっぱり気のせいじゃない。美空は声のした方―玄関に向かった。相手が誰なのか分からないから不安になって壁に立てかけて一番手に近いところにあった傘―昔ながらの赤い唐傘―を一本握った。その時だった。
「痛っ!ちょっ、離せ!脚が痛いわ!」
何故か先程の声が、やけに大きく聞こえた。驚いて傘を思わず離す。支えを失った傘はそのまま床に倒れる。
と、思いきや、それは宙返りを一つして柄を下に浮き上がった。そしてその傘紙から若く健康的な人間のような両腕と大きな一つ目を現して「や」と挨拶してきたのだった。
両者の間に沈黙が流れた。
「きゃあああーっ!!!」
先にその沈黙を破ったのは美空の悲鳴だった。部屋を、いや、彼女が住んでいるマンション全体を揺るがさんばかりの大きな悲鳴だった。
そこから先はもう大騒ぎである。美空が自室に逃げ込むと、傘はふわふわと体を浮かせて、「俺は鬼や天狗じゃないんだから」とついてきた。
それに対し美空は「妖怪退さーん!」叫びながら、枕、ティッシュ箱、漫画と、部屋にある物をとにかく手当たり次第投げつけた。それから約五分、美空は大声で叫んだのと興奮したのとで息を切らした。
「どうしたっ、美空?もうっ、おしまい、なのかよ?」
傘は挑発的な口調で話しかけるが息切れしているのはそちらも同じだ。ふと、美空はあることに気付いた。
「ねえっ、何であなた、あたしの名前、知ってるの?」
それを聞いた傘がぽんと掌を打った。そして、「そうか、そこから説明しなくちゃな」と言った。
「付喪神?」
「おうよ。作られて百年経った物に宿った魂、それが俺だ」
ハムエッグを食べながら、美空はあることを思い出していた。
『これはね、あなたのひいおじいちゃんが作ったの。腕の立つ傘職人だったって、村中の評判だったのよ』
このマンションに引っ越してきた時の母の言葉だった。父を早くに亡くした美空を一人で育て上げる為に一人、凛とした顔で働き続けている母は祖父―美空にとっての曽祖父について語る時だけには子供っぽい表情を見せていた。
「しかし時の流れってやつは早いねぇ。オヤジにべったりだった雪坊が今じゃ一人娘を持つ母親だ」
「雪坊?」
「雪子だよ。お前の母ちゃんのこと。んでもって、オヤジっていうのがお前のひいじいちゃんな。ところで雪坊は今日も仕事か?」
「・・・うん。仕方ないよ。あ、それよりあなたの名前教えて?」
「おう、よくぞ聞いてくれたな!俺の名は唐傘場家門夜之助骨麻呂」
「じゃあ、とりあえずカラって呼ぶね」
「おいっ!せめて最後まで名乗らせろ!まだ半分も言ってないぞ!」
「え、今のまだ途中だったんだ?」
こうして、話せて両腕と一つ目までついている傘(通称カラ)と美空の生活は始まった。
それから二週間、美空はまたサッカーの練習に励んでいた。もうすぐ隣の区のチームとの試合があるのだ。
「まっち、最近何か楽しそうだよね」
大会前日、帰り道にチームメイトで一番の仲の良い、夏川に突然そう話しかけられた。
「そう?」
「うん。何だか家に帰るのが楽しそうに見えるよ」
「そっかぁ。やっぱり話し相手がいるからかな?」
「話し相手?お母さん最近家にいるの?」
「ううん。・・・親戚の人が来てるの!お母さんの、おじさん!」
「ふ~ん、そうなんだ」
「あ、あたしこっちだ。じゃあ、なっち、明日の試合頑張ろうね!」
「もちろん!今のウチらなら負ける気しないよね!」
美空はマンションに入り、エレベーターに乗りながら先程の発言について考えた。
「お母さんのおじさん・・・。ある意味カラだってひいおじいちゃんの子供だよね?」
エレベーターの扉が開き、自分の部屋へと小走りで向かう。「ただいま」の言葉と同時にドアを開ける。するとどこか気の抜けた「おかえり」が帰ってくる。それがほんの少しであるが嬉しかった。
「サッカーの試合、明日だっけか?」
「うん。今日コーチにほめられちゃったんだ。お前は周りを冷静に見れるから明日もこの調子で、って!」
「そっか。これでお前に足りないものはあと一つか」
「足りないもの?怪我もしてないし、シュートだって決まるようになってきてるよ?」
「足りないものっつうか・・・どちらかというと欲しがってるものだよな」
「シューズはまだまだ履けるし、ユニフォームも新しくて気に入ってるよ?」
「そういう形のある『物』じゃねえんだよ。見に来て欲しいんだろ?雪坊に」
美空はハッとなった。母が帰ってくるのは美空が寝る時で、美空が起きる時には母は出勤しているのだから精々「おやすみ」や「いってらっしゃい」程度のことしか言えない。ひどい時は会社の近くのホテルで過ごしていることもある。この生活ペースが気づけばもう一カ月近く続いていた。
「でも、来てって言っても無理だよ・・・。お母さん、仕事忙しいもん」
「そういや、そこに留守電メッセージが一件入ってるぜ」
美空は母のためにいつも留守電の機能をオンにしている。無機質な音の後にメッセージが再生された。
『もしもし、美空?お母さんよ。明日の試合なんだけれど・・・ごめん。どうしても打ち合わせが外せなかったの。でも、期待してるから、がんばって!』
誰かを納得させようとしている口調でハスキーボイスの伝言は終わった。
「ほら、やっぱりね。さ、ご飯作んなきゃ!」
務めて明るく振る舞い、美空はキッチンに向かう。
「明日は土砂降りだな」
部屋を出ていく間際、カラの呟きが聞こえた。
翌朝、美空はカーテンの隙間から差し込む陽光で目が覚めた。カーテンを開けると、そこには雲ひとつない青空が広がっていた。
出ていく間際、カラに「見に行く?」と尋ねたら「腕振り上げて大声で応援してやるよ」と答えられた。そんな状況をチームメイトや相手チームが見たら確実に大騒ぎになるので「やっぱりいいや」と言って、家を後にした。
試合の方は両チームとも一歩も譲らない接戦だった。フォワードはひたすら目の前のボールを追い、ディフェンスやキーパーは足や腕を出来るだけ伸ばしてゴールを守る。始まってからずっとこの調子だった試合も、気がつけば0対0のままで残り十五分に差し掛かっていた。
相手のメンバーがボールを器用に押し進めながらゴールに迫る。美空はいけないと思ってボールめがけてスライディングした。
それが原因で左のふくらはぎに大きな擦り傷ができた。本来ならすぐにでも手当をすべきだったのだろうが、この日はマネージャーがうっかり救急箱を忘れてしまっていた。マネージャーに大声で怒鳴りつけるコーチに
「あたしは平気です」
と言った美空は、近くにあった水道水で傷を洗っただけで試合に戻った。
そして残り1、2分、ボールを受け取った美空は相手チームに囲まれていた。しかしこの状況ですら、いや、この状況だからこそ、美空はとても落ち着いていた。目の前の相手に気をつけながら、背後にこっそり目をやる。するとノーマークの夏川が見えた。
「なっち!」
左足で思い切りボールを蹴飛ばす。夏川は見事にそのパスを受け取ると素早いフットワークで相手の追跡を切りぬける。そしてゴールを前に思い切り足を振り上げた。
ピーッ!
試合終了のホイッスルが鳴ったのとボールがゴールに入ったのはほぼ同時だった。
「やったぁ!」
一瞬の沈黙の後、美空は走り寄ってきた夏川と大きくハイタッチをした。その時後ろから声がした。
「美空!」
女性の声だ。一瞬のうちに美空の心が躍った。
「おか・・・」
「ママっ!」
美空が言い終わる前に夏川が駆け出し、その声の主に抱きつく。それを見た美空は今更のように思い出した。夏川と名字をもじったあだ名で呼び合うようになった理由、それがお互いの下の名前が全く同じだからであったことに。
「間宮ちゃんもよく頑張ったわね。足のケガ、大丈夫?」
ベンチに戻ると夏川母が優しく声をかけてくれた。彼女の声は美しいソプラノだ。何でこんなに違う声の種類を聞き分けられなかったのだろう。美空は顔を赤く染めて、ただ愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
「まっち、一緒に帰ろう。途中まで送るよ?」
母の運転する車から、夏川が声をかけてくる。
「大丈夫だよ。ここから家までそんなに遠くないし」
なるべくやんわりと断った。この親子のことは好きだが、今一緒にいることは何となく気まずい。
じゃあねと窓ガラスの向こう側から唇の動きだけで伝えて、夏川親子を乗せた車は去った。
実力が互角のチームに勝てた。それは嬉しいことのはずなのに何となく前が向けない。ふと何か雫が落ちてくるのを感じた。
「雨・・・?」
見上げると空はいつの間にか分厚い灰色の雲に覆われていた。ぼうっとしていると雨脚はますます強くなってきた。美空は慌てて雨宿りできそうなところを捜した。
「ここなら大丈夫だよね」
美空が見つけたのはスーパーマーケットの入り口付近、僅かに屋根が突き出ているところだった。お父さんがいた時は、お母さんとよくこのスーパーに買い物に行ってたなぁと思いながら目の前を歩く人々を見た。もはや鞄で防ぎきれないほどの勢いをつけた雨に人々は傘を広げる。緑、黄、白、そして赤。だんだん目の前がカラフルになってくる。それを見ると美空は、濃紺の長ズボンとパーカーをまとった自分が少しみじめに思えてきた。
「カラを連れてきた方がよかったかな・・・」
そう呟いた途端に強い風が吹いた。屋根があっても壁はないスーパーの入り口にいる美空に、風は容赦なく雨粒を叩きつける。
―やっぱり中に入ろう―
そう思って回れ右をした時、突然彼女の頭上が空色になった。
「!?」
驚いて見上げる。黒い骨組が見えて、自分は今傘の下にいるということに気付いた。
「美空」
名前を静かに、そして優しく呼ぶハスキーボイスに泣かされそうになる。小さい青空の下、親子は久しぶりにお互いの顔を真正面から見た。
家に帰って、まず風呂に入ろうとすると、母に呼びとめられた。
「美空、ふくらはぎに怪我してるでしょ?先に消毒するからおいで」
美空は大いに驚いて、不思議そうに見た。
「お母さん、何で知ってるの?試合、見に来てなかったでしょ?」
そんな美空の問いかけに、母の方が不思議なものを見た顔つきになった。
「実は買い物をしているときに声が聞こえたの」
「えっと、にんじんもじゃがいももあるわね。あの子、もう家に帰ったかしら?」
『いーや、見事に雨に降られてる。今まさにここで雨宿りしてるぜ。お前から見て左の方の出口だ』
突然聞こえた声に雪子はそちらを覗く。すると濡れた様子の美空が見えた。カートを放り出し、慌てて駆け寄ろうとするとまた声が聞こえた。
『落ち着け雪坊。まずは会計が先だ。それから絆創膏も買っとけ。あいつ試合中に派手に転んで、ふくらはぎをケガしたからな』
「そんなことがあったんだ」
母に傷の消毒をしてもらいながら美空は言った。
「私を雪坊って呼ぶのはあなたのひいおじいちゃんだけだったのだけど・・・それにしては若い声だったのよね。でもあの声がなかったら、私はあなたに気付かないで右の方に行ってしまうところだったわ。何にせよ、その声に感謝ね」
そう言って母はまた微笑む。美空もつられて微笑んだ。
美空が部屋に戻ると床に寝そべり漫画を読むカラがいた。美空は小さく「あっ」と言うと素早く漫画を取り上げる。
「何すんだよ?」
「漫画は勝手に読まないで、って言ったでしょ?」
「いいだろ別に」
ふうと一息つくとカラの隣に寝そべる。
「いつから見てたの?」
「最初から。目立たない様に気配は消していたけどな」
「だったら雨が降った時に来てくれればよかったのに」
カラは「あー」と呟く。お互い仰向けになっているので表情は見えない。
「でも、俺が来るより雪坊が来たときのが嬉しいだろ?」
部屋が静かになる。美空は少し笑って言った。
「次、出かけてるときに雨が降ったら来てね」
「おー、いいぜ。雨の日の魅力ってやつをたっぷり教えてやる」
「別にそれはどうでもいいやー」
雨はもう止んでいる。夜空は雲ひとつなく澄み渡っていた。