行き倒れていた年下男子と付き合ったら
夏木リカコは30代の女性会社員。
中くらいの規模の会社で、事務員として働いている。
リカコは今まで、恋にはあまり興味がなく、仕事ばかりをこなしてきた女性だ。
「恋をするのってあまり興味が湧かないのよね」
それは、彼女がそう思っているからだ。
夢中になれるものはなく、熱中できるような趣味もない。
おそらくこれからもそうだろうと考えている。
そのため、リカコはそんな味気ない日常に不満を抱いていた。
「刺激のない毎日、物足りない気がするわ。けれどだからといって未知の世界に飛び込んでいくような熱量なんて持ってないし」
寒い冬のある日。
その日は雪がちらつく真冬だ。
暖房の効いている部屋の中で、リカコは会社の仕事をしていた。
リカコが務めている会社は広告の会社。
クライアントの要望を聞き、まとめ、売れるポスターや看板のデザインを考える。
リカコはしかしデザインセンスがない。
そのため、事務仕事をこなすだけで、たまにしかデザインの仕事を手伝わない。
「リカコ先輩。ここ数字があわなくて~」
「それはこっちの計算が間違っているようね」
「なるほど~。あざっす、先輩」
時折後輩の女の子の世話を焼きながら、会社のお金の流れをまとめ、おかしなところがないかチェックしていく。
それがやるべき事だ。
3階建てのビルの中。
観葉植物が唯一装飾として機能している部屋の中で、リカコは週5日働いている。
休日に呼び出されたり、大量の残業などはないため、ホワイト企業の部類に入るのだろう。
働く彼女のデスクの上には余計なものは一切ない。
他の社員のところには飲み物のカップや家族の写真が置かれていたりするが。
若い社員などはお菓子などを文房具の入れ物の中に隠しておいていることもある。
しかし、リカコは仕事の場所にそういったものは一切おかなかった。
「もぐもぐ」
「こら、人に見つかったら怒られるわよ」
「大丈夫ですよ~」
とはいっても、他人に対して規則にうるさい人間というわけではないため、本来はいけない就業時間中のお菓子の飲食を目撃しても、多少は目をつむっている。
守らなければならない重要なルールさえ守ってくれれば、リカコは割と寛容な方だった。
休憩時間を挟んで午後も仕事をするリカコ。
その手つきは慣れたもので、他の社員が時間をかけて行うものでも、彼女にかかればすぐに終わった。
無心に仕事を消化する。
休憩時間も自らがいる部署の部屋から離れず、カロリーメイトと栄養ゼリーを手にしながら書類やパソコンを見つめ続ける。
「先輩、休憩しないんですか~?」
「私は平気よ。集中を切らしたくないの」
「長時間仕事よくできますよね~」
そうして時間が過ぎゆき、終業時間には一日分の仕事は全て終わらせていた。
同じ部署の後輩が質問してきたが、さらっと答えて解決。
職場の人たちから頼りになると言われる。
そんな一幕を挟む余裕すらあった。
リカコはその事を嬉しく思っていたが、仕事しかできない事を思って、少し憂鬱になった。
帰り際、出入り口の近くでデザインについて熱く語っている新人を見つめながら、会社をでる。
荷物を持って、電車を乗り継いだリカコは、日が暮れた町の中を歩く。
向かうのは、彼女が住んでいるアパート。
築30年以上経過しているが、そんな年齢はマイナス点にはならない。
かなりの掘り出し物で、手入れが行き届いており清潔。その地域にあるアパートの中では一番綺麗な建物だった。
そんなアパートに帰る前、リカコはコンビニに立ち寄った。
途中のコンビニで、弁当と温かいコンポタの缶、スナック菓子を購入する。
「お菓子のパッケージ、季節限定になってる。もう冬なのね。ついこの間まで秋だったのに」
健康に悪いと思いつつも、コンビニの食べ物に頼るのは、リカコに自炊する気力も能力もなかったからだ。
店員の顔は良く変わるので覚えていない。
最初通い始めたころは、自炊のできない人間だと思われるのが嫌だった。
購入しているもので、自分の生活や意欲の無い生活がばれて、惨めな思いをするのが。
しかし今ではもう気にならなくなっていた。
周囲に対する関心が薄れている状態とも言えて、味気ない生活を送っていると、リカコは思ってしまう。
そんな彼女の記憶の片隅には、小さくひっかかる出来事がある。
それは、数日しかいなかったコンビニ店員との会話だ。
その人は、若い男性で、働き始めの人物だった。
ぎこちない手つきで一生懸命商品のバーコードを専用の機械で読み取るのだが、うまく行かずに焦ってしまう。
その様子はあまりにも必死だったものだからリカコは珍しく励ましの言葉を送ったのだ。
「失敗することなんて誰にでもあるのだから、気にしないで」と。
その男性と、次に会った時は、ちょうど仕事が終わってコンビニから出てくるところだった。
お礼を言われて、美味しいお菓子をいくつかもらったのが、少しだけ温かい思い出だ。
ここ数か月間の中であった、リカコの心を動かす貴重な思い出だ。
そんな少し前の事を思い出しながら、リカコは家へ向かう。
アパートまであと数分。
コンビニの商品を特に派手でも地味でもない鞄にいれて、道を歩く。
しかしもうちょっとで到着というところで、リカコの目の前に問題が転がっていた。
これは比喩ではなく、物理的な説明だった。
なぜなら、道端に男性が行き倒れていたからだ。
真冬の寒さの中、しかも雪がちらついている状況。
男性とは言え、行き倒れている人間をこのまま放置していては凍死する可能性がある。
周囲を見回すと人の姿はいない。
知らない人間に声をかけるという状況に気が引けつつも、リカコは行き倒れの男性に声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
男性は20代になったばかりの若者だった。
顔は整っているが、あどけなさを感じる見た目だ。
青白い唇が「だ、だいじょ……」と言葉らしきものを紡ぐ。
すると、目を開けた男性のお腹から、豪快な虫の声が鳴り響いた。
「だいじょ……ぶです」
言葉の内容とは裏腹に、声音に生気が感じられないし、見た目も大丈夫ではなさそうだった。
男性は「今月お金が少なくて。いつもお菓子ばかり食べていたんです」と恥ずかしそうにつぶやく。
その様子がとても哀れに見えたため、リカコはコンビニで買っていたコンポタをあげる事にした。
道は薄暗く、街灯は離れた場所に立っていたため、顔はよく見えなかった。
そんな奇妙な出会いがあったものの、リカコは無事に家に帰った。
その後、お風呂に入って。コンビニ弁当を食べて、すぐに就寝する。
くつろぐ時間はあまりなかったが、そんな時間があったとしても持て余していた事は確実だった。
早く眠ろう。
そう思ったところ、普段はかかってこない電話の音がする。
スマホの番号を確認すると両親からだった。
珍しいと思いながらも、疲れがたまっていたので後でいいやと放置。
重くなった体を寝室のベッドの上に横たえる。
眠りの国にいざなわれる前、先ほど道端であった出来事は、少しだけ非日常だったなと思い起こす。
小説や漫画でよくある恋愛の始まりみたいだと、リカコは思った。
「まあ現実じゃ、そんな奇妙な出来事そうそう起きないんでしょうけど」
それから数日後。
その日は休日だ。
リカコは玄関の掃除を久しぶりにしていた。
毎日仕事に忙しく、部屋の管理を疎かにしていたため、ところどころ汚れてきていたからだ。
手を動かすリカコは、次にまとまった連休があるので、その時に掃除道具を買って、本格的に行おうと考える。
「面倒だけど汚れっぱなしにしておくのは気持ち悪いものね」
その後の予定を立てながら玄関の掃除をすませていたら、行き倒れの男性と再会した。
どこからか帰ってくる男性は、求人情報の雑誌を手にしている。
男性の表情は暗い。
その男性は、リカコの部屋の隣に住んでいるようだった。
見慣れた扉の前に立ち止まろうとして、リカコに気づく。
視線を交わすと相手が驚いた。
「あ、あなたは」
「こんにちは。お隣さんだったんですね」
「ええ、まあ」
挨拶をすると、やはりお隣さんだったことが判明する。
彼の名前は塔夜だ。
井川塔夜。
自己紹介をして、変わった名前ですねとリカコが言ったら、塔夜は「よく言われます」と答えた。
塔夜があの日のお礼を何かしたいといったので、リカコは遠慮する。
しかし、彼の熱意に押されたのと、料理が得意だという事で、何か作ってほしいと頼むことにした。
「ご飯とか作るの得意かしら」
「あ、割と得意な方だと思います」
最近体の調子が少しだけ悪いように感じられて、多めに睡眠をとってもなかなか疲れがとれないからだ。
日常生活が原因と考え、そのうち改善しなければと考え始めていた。
料理についての塔夜からの質問に、リカコは「味付けは濃いめ、中華料理が好きで、汁物などでたくさん食材を摂取できる者も好きと」好みを答える。
そうしたら、数時間後。
塔夜はプロも真っ青のフルコースを作ってきた。
野菜炒めに、煮込みシチュー。
ふつうのご飯と色々具材を痛めたチャーハン。
オムライスや、ハンバーグ。
そばやうどんなんてものまであった。
数時間でできるわけがないので、いくつかは冷凍してあったものらしいが、それでも多すぎだった。
「普段から料理を?」
「ええ、はい。悲しい事に、たまに暇な時間が多いもので」
情けなさそうな顔をする彼に庇護欲が湧くのを感じつつも反応は「そうですか」にとどめる。
突っ込んで聞かない方がいいだろうなと、リカコは心の中にメモをした。
それはともかく、料理のクオリティはすごく高い。
自宅のテーブルに並べた見た目も良かったが、味の質も比例していた。
近くで見守っていた塔夜の存在も忘れて、ひと時夢中になって箸やスプーンを動かした。
その出来栄えに驚いたリカコは、料理の仕方を教えてほしいと頼む。
その日から塔夜はリカコと度々顔を合わせて、料理教室をすることになった。
塔夜から料理を教わる日々が日常になった頃。
リカコは塔夜から告白される。
「リカコさん、僕と付き合っていただけませんか?」
だが、それは玉砕を覚悟してのことだった。
塔夜は超が付くほど不器用で、物覚えもよくなかった。
そのせいで、職につけていなかった。
料理人になればとも思ったが、書き込み時になると、お客さんからどんどんオーダーが入って、頭がパンクしてしまうらしい。
「僕じゃふさわしくないってわかってますから、言いたかっただけなんです」
彼はただ不器用なだけだと思っていたが、リカコは性格にも問題があるように見えた。
真面目すぎて、優しすぎる。
そのため人の領域に度々足を踏み入れがちである点が問題だと考える。
以前、人間関係で問題が起きた事はあるかと聞けば、何度もと答えが返ってきた。
「こんな僕だと釣り合わないですよね、ははは……はぁ」
自嘲したあと、将来の不安を口にする塔夜。
「いつもこんな根暗で後ろ向きだから、一緒にいても楽しくないでしょうし。きっと一緒にいて楽しいって思ってくれる人なんて、現れないんだろうな」
「そんなこと」
「ありますよ。根暗だって学生時代散々言われましたもん。この間の面接のときだって」
この間行き倒れていた時は、バイトの面接を5つ連続で落ち、面接官に面接時間以上の時間をかけて丁寧に人格否定され、その帰りで慣れない酒を一口飲んだのが原因だったと判明する。
ちなみにそのお酒は酔っぱらった関係でどこに捨てたのか忘れたらしい。
後日ゴミ拾いに戻ったらしいが、見つからなかったとか。
リカコは、放っておいたら死にそうだなと彼について感想を抱いた。
それならとリカコは自分と付き合って主夫になってくれないかという。
リカコにも塔夜の好意があり、生活面でのサポートを必要としていたからだ。
「いえ、そんな。リカコさんに失礼ですよ。もっとふさわしい人がいると思いますし」
塔夜は遠慮したが、リカコは首を振った。
「私、恋愛にはあまり興味がないの」
「そ、そうなんですか?」
「あ、でも。リカコさんにその気がなくても、男の人がたくさん言い寄ってくるんじゃ。僕よりも条件の良い人なんていっぱい」
「興味ないわ。私は塔夜君が良いと思ったから、こうして声を掛けているの」
リカコはいつも自分からこういった事を口にする方ではなかった。
人生の中で何度か告白された事はあるが、それはいつも男性からだった。
だから、冷静さをよそってはいるが、内心リカコはどきどきしていた。
「それでどうなの?」
「ぼ、僕は……」
あちこちに視線を向けて、途方にくれたような顔をする塔夜。
こんな会話をするはずではなかったという感情が、顔に出て丸わかりだった。
「あなたがどうしても嫌だというのなら、金輪際この話はしないわ。けれど、少しでも私に好意を抱いてくれるなら、お試し期間だと思って付き合ってくれないかしら」
すると、塔夜は震える声で、「よ、よろしくお願いします」と言い、頭を下げた。
「ね、願ったりかなったりなんですけど、本当にいいんですか?」
「ええ、これからよろしくね」
その日から二人は、恋人としてつきあう事になった。
とはいってもいきなり同棲というわけにはいかないため、互いの部屋の合いかぎを持ち、お互いの都合がつく時にだけ部屋を行き来することになった。
まだ互いのことをきちんと知らないのだから、自分たちがいない間に部屋にあがりこむのは控えるべきだと考えたためだ。
それはリカコが塔夜のために決めた事でもあった。
塔夜は若いため、人生にやり直しがいくれでも聞く。
それに、他に釣り合う若い女性がいるかもと思ったからだ。
リカコは塔夜にいつでも恋人を辞めて良いといったが、塔夜はそんな事はありえないという。
それからリカコ達は時間をかけて、距離を縮めていく。
互いの過去のことを話したり、生い立ちを話したりしながら、塔夜はリカコの部屋の掃除をしたり料理をしたりしていた。
塔夜は世間一般の人間が持っていないような知識を時々疲労する。
変わった動物の生体だとか、深海の出来事、古代の歴史。
リカコはそれらを耳にすることを楽しんでいた。
日常ではないものを提供してくれる塔夜は、リカコの心の隙間を埋めてくれる存在になっていたのだ。
「ということで、その動物は絶滅してしまったんですよね」
「生物って不思議よね。おどろくような不便さがあったりするもの」
「そうですね。人間の体にも使われていないものがあるみたいですし」
生活面ではリカコの方が逆に世話になっている事が多いため、彼にしてあげたい事はないか探す事もあった。
そのため、たまに時間が空いた時などは、塔夜の向き不向きを探したり、人生相談に乗ったりしていくことにした。
「あなたは時間をかけてじっくりコツコツ努力する方が向いているわね。いっぺんに何かをしようとするとパニックになってしまい、体が動かないんじゃない?」
「そうなんです! あと、あれこれたくさん指示されるのも、頭が追い付かないっていうか」
「体が覚えていくもので、時間をかけて技術を積み上げるものとか、何かあればいんだけれど。……伝統芸能の道とかかしら」
それらは、将来の事についてや、トラブルへの対処方法が主だ。
「このあいだ、人を怒らせてしまって、何が原因なのか分からないんです」
「それは困ったわね、詳しい状況を教えてくれる?」
「実はーー」
リカコは次第に塔夜と話す事が、これからの日常になればいいと思うようになっていた。
つきあってから1年が経過した。
リカコは、家の中に塔夜がいる光景に見慣れてしまった。
仕事から帰ってきたリカコに、彼が夜ご飯を作っている。
彼がいるため、リカコはコンビニに寄り道する事なく、まっすぐ帰宅するくるのが当たり前になっていた。
たまに寄り道する場合は、生活用品の買い足しや、お互いの誕生日プレゼントを買う時だった。
リカコは、以前塔夜の誕生日に、ハンカチをプレゼントした時の事を思い出す。
受け取ったかれは大袈裟なくらい喜んでいて、その姿を見たリカコも同じくらい嬉しい気持ちになった。
塔夜は嬉しかったのか、何でもない日にリカコに対してお礼のプレゼントをくれた。
特に好みらしいものがないリカコは、人から何か好きなのか聞かれることが多い。
だというのに、塔夜が選んで取り寄せてくれた地方グルメは、リカコの好みのぴったりのものだった。
リカコはこれが通じ合う関係というものかと、実感した。
誰かの感情に影響を受けて、同じ気持ちになる。そんな日々には充足感があった。
少しずつ、二人が確かに心距離を近づけていたある日、塔夜の元カノがやってきて、彼の部屋におしかける。
交際経験の無さそうな塔夜だが、学生時代に二度女性と恋人関係になった事があった。
いずれも女性の方から言い寄られたらしく、そのどちらも長続きはしなかった。
一度目はクリスマス直前の事で、恋人がいない期間の穴埋めに利用されたのではないかと推測される。
二度目は好みでないストーカーに言い寄られてた女性が、塔夜に偽りの交際を申し込み、その関係がずるずるとそこそこの期間続いたというものだ。
押しかけてきたのは後者。
靴を脱ぎっぱなしにした彼女は、塔夜の名前を大声で呼びながら、大股でズカズカと部屋に上がり込んできた。
しかし、その場にはリカコもいたため、大変仰天してしまった。
警察を呼ぼうとスマホを手に取っていたリカコは、正体を知って唖然とするしかない。
「とう君! 久しぶり! 元気してた! あなたの彼女がやってきたよ!」
「元! 元彼女でしょ!?」
元カノらしい女性は、目を向いている塔夜に抱き着きながら、馴れ馴れしく接する。
反対に抱き着かれている方の塔夜は迷惑そうな顔で引き離そうとしていた。
普段頼りない塔夜の様子からは想像できなくらい強引に引きはがされた女性を見て、リカコは口を開け閉めするしかできない。
やっとの事で「あの……」と一言口に出したが、声量が小さかったのか、押しかけた女性の耳には届かなかった。
リカコの事を無視する彼女は捲し立てるように、自分の事を喋る。
「実はねぇ、ちょっと困った事になっててぇ。職場の上司がしつこいんだあ。とう君、彼女いないでしょ? 私がまたつきあったげるぅ!」
「いるって、いるから! 彼女。付き合ってるの!」
「えっ!?」
そこではじめて女性は、同じ部屋の中にリカコがいることに気が付いた。
物でも見るような視線を向けた彼女は、形だけ丁寧な自己紹介をする。
「どーも。私、とう君の彼女をしてた逢沢カナミといいます。あなた本当にとう君の彼女?」
「え、ええ」
塔夜が「ジロジロ見たら失礼だよ」と言うが、逢沢と名乗った女性はじっとこちらを見続ける。
数秒間値踏みされるような視線を浴びせられた後、鼻で笑われた。
「えー、おばさんじゃん。とう君って、じゅく……年上好きだったのぉ」
「カナミ! 前々から言おうと思ってたけど、そういう失礼な態度よくないよ」
リカコは別に全国のおばさんと熟女に恨みがあるわけではない。
しかし、他人同然の相手におばさん、熟女呼ばわりされた事に、カチンときてしまった。
日頃付き合いがあるなかで、人から失礼な事を言われても適当にあしらってきたが、これだけはスルー出来なかった。
「逢沢さんっていうのよね。逆に聞くけどあなたはいくつなの?」
「とう君と同じ20代でーす。ぴっちぴっちのきゃっぴきゃぴ」
今時そんな言葉言う人いるんだと軽い驚きを覚えたリカコは、職場の後輩の顔を思い出す。
彼女もよくリカコの想像を超えた若さゆえの行動力と短慮ゆえのミスを発揮するがこれほどまでではなかった。
リカコができる先輩かどうかは置いといて、まだ敬った態度をとってくれるだけ可愛げがあるというものだ。
「人生のパートナーを選ぶっていうのは、その場しのぎのものじゃないのよ。きちんと相手と足並みを合わせていかないと。あなたここに来てから今まで塔夜君を困らせてばかりじゃない。相手の顔も見ないで恋人を名乗ろうだなんて、おこがましいにもほどがあるわ」
「はぁ? おばさんのくせにえらそーに説教しないでくれませんかあ。そっちの方がその場しのぎで付き合ってるってわかんないの? 誰だって最後は若くて可愛い子がいいにきまってんじゃん」
ここは絶対に譲れない。
人としても、彼女としても。
そう思って、逢沢カナミとの間に見えない火花を散らしていると、塔夜が大きく咳ばらいした。
「ごほん。カナミ、いや逢沢さん僕は君と復縁するつもりはないから、変えてくれないかな」
「えー? 何それ。もしかして意地はってんの? 一度終わった関係やり直すの過去悪いとか? そんなの気にしなくていいじゃん」
「そんなんじゃない。僕はリカコさん以外の女性と将来を共にするつもりはないってだけだ」
塔夜が真剣だと分かったのだろう。
そこまで、ふざけた態度で喋っていた逢沢カナミの様子は固まる。
はっきりと断った塔夜は彼女を玄関まで引っ張っていく。
「ちょ、話はまだ」
「もう終わった。これ以上話す事なんてない。迷惑だから出て行って」
「はぁ? 何それ、せっかく会いにきてあげたってのに! ちょっ
そして、逢沢カナミの体を家の外に押し出して玄関のカギをしめてしまった。
さすがにこれほどの塩対応をされた後、もう一度部屋に入ってくる気はなくなったのは、憤慨したような荒い足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
その後、塔夜には迷惑をかけたと平謝りされたが、リカコは彼のせいではないからと言い、カナミと顔を会わせないようにある程度時間をつぶしてから部屋を去った。
本当はもっと彼との時間をとりたかったが、一人で考える事もあるだろうと思ったためだ。
それから数日後、リカコは塔夜からデートに誘われた。
生き先は、近所にある小さな水族館だ。
入場料も安く、メジャーな施設であるため、そういう場所に興味のないリカコでもテレビや雑誌なので見た事があった。
いきなり遠出したり、知らない場所に行くよりはハードルが低い。
リカコは軽い気持ちで塔夜の誘いを承諾した。
しかし、本番が近づくにつれてリカコの気持ちは緊張していく。
デートに来ていく服を考えたり、小物を合わせたり、普段はあまり読まない女性向けの雑誌に目を通したりもした。
デートの約束をした日の夜はいつも通り眠れていたにもかかわらず、当日が近づくたびに睡眠時間がやや削れていった。
そんな中で迎えたデート当日。
リカコは水族館まえで塔夜と待ち合わせた。
大人らしい大人締めのコーディネートをしたリカコ。
そんなリカコの姿を予想したのか、塔夜の服装も大人しめの色合いだった。
言動や普段の失敗から、いつもは若者っぽさが感じられるだけに、顔を会わせたリカコは少しだけ緊張してしまうのだった。
その後、入場したリカコ達は、隣り合いながら入り口から順番に水槽を眺めていく。
様々な生き物の豆知識を持っている塔夜と一緒だと、何気ない生き物でも今日深く見る事ができた。
お昼頃にアシカのショーを眺めたあと、水族館のお土産コーナーでお揃いのマグカップを購入し、施設を出る。
小さなところだっため、半日で見終わってしまったのだ。
「この後、近所のレストランを予約してあるので行きませんか」
「それは構わないけれど、大丈夫なの?」
リカコは塔夜のその誘いを嬉しく思いつつも、少し心配になった。
行き倒れが初対面であり、求職活動中の塔夜の未来は、一般人よりはやや暗雲が立ち込めている。
生活が、今すぐどうこうなるというわけではないが、あまり高い所を負担させるわけにはいかなかった。
「その、内緒にしていましたけど、今まで数時間ずつバイトで貯めたお金があるので。少しならば」
「そうなの? 初耳だわ」
「お、驚かせたくて」
何を恐れているのか不安そうな塔夜の様子をみて、リカコは朗らかに笑って見せる。
おそらく、頼もしいところを見せたいという彼の思惑があっただろうが、実際の生活実態に話の方向が寄ってしまったので、情けなく思っているのだろう。
リカコは彼の背中を軽くたたいて励ました。
「頑張っている証拠ね。塔夜君が選んでくれたレストラン、楽しみだわ。行きましょう」
「はい!」
その後は入ったレストランは、予約こそ必須だったものの、そこそこの値段で一般客でも気軽に楽しめるメニューばかりだった。
おそらく壁にかかっている有名人のサインをみるに、人気店であるために予約という手間が必要なのだろう。
ランチを済ませた後は、しばらく町を散策して、公園で人休憩。
とりとめのない雑談をしたのち、家に帰る流れになった。
その少し前に、真っ赤な顔をした塔夜は小さな箱を差し出した。
「あ、あの! これ、受け取っていただけませんか!?」
まさかという思いから受け取って中身を確かめると、リカコの予想通りそこには小さな指輪があった。
「どうしたの? これ」
「えっと、実は昼間言ったバイトで臨時収入があって、ネタで仕入れていた高額商品が売れた日があったんですよ。その月に多めにもらったんです」
「そんな事あるのね」
のちにリカコが聞いた話では事実は少し異なり、前々からコツコツ貯めていた資金の一部だという事が明かさるのだが、塔夜はそのことを相手の負担に思ってほしくないためにその場では嘘をついていた。
計画的に貯金できる方が印象よくなっただろうにとリカコは笑い、塔夜が恥じたというのが顛末だ。
「あの、頑張ってお仕事しますし。リカコさんの好きな料理だって作ります。それにお、面白い話だっていっぱいできるようになりますから!」
箱の中に入った指輪は、高価とはいいがたいものだ。
以前職場で結婚した女性が見せてくれた結婚指輪よりも小さく、はまっている宝石も輝きが鈍い。
人によっては「そんなもの」と言われるかもしれない指輪。
それでもそんなものが、リカコの心を動かしてやまなかった。
誰かに一途に愛され、求められるという実感が心を熱くする。
きっと彼はこれからもリカコを愛し、今以上に尽くしてくれるだろうと思えた。
「だから、これからも僕の彼女でいてくれませんか? 贅沢は言いませんから」
その言葉を聞いたリカコの胸の内で、自信のない塔夜を応援して支えたいという気持ちが大きくなった。
自分が傍にいて彼の人生の大切なものの一つになれたらと。
リカコは指輪をつけて、塔夜に「喜んで」と微笑んだ。
色味のない、退屈な日々。
何かに強い興味や執着を抱くことのない代り映えのない日々。
リカコは、塔夜はそんな日々に彩りを与えてくれたかけがえのない男性だ。
帰りにもうすっかりたまにしか寄らないコンビニの前を通ったリカコ達。
リカコはその時に、そういえば、と過去の話をする。
唯一強く思い出でに残っているその記憶を話せば塔夜は驚いた後、「やっぱりリカコさんと付き合て良かったです」言った。
「僕は、あの時の言葉があったから、リカコさんと出会うまで頑張り続けられたんです。ちゃんと見てくれて、応援してくれる人もいるんだってそう思って」




