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第9話

 一つの言葉を、一から覚えるというのはとても大変なことだとここ数日で痛感した。そもそも、前世ですらいつの間にか当然のように言葉を理解して、文字を覚えて、読み書きをして──母語だから当たり前だろと思っても、赤ん坊の時分から常に言葉に触れて経験値を積み重ねるというのはとても大事なことだ。


 つまり、何が言いたいかというと──


「ワタシ、■■■、リベラ」


「リ、ベラ……?」


 定められた教材や指導員が居ない中で言語を覚えるのは想像以上にハードだということだ。もうね、手探り感がすごい。


 最初のほうなんてあてずっぽうだし、彼女がこちらの考えを的確に適切に汲み取ってくれるからまだ何とか上手くいっているが、これが意思の疎通も全くできず、コミュニケーションが成り立っていなかったら地獄である。


 ──たぶん、前世の俺は英語科目がひどく苦手だったんだろうなぁ。


 なんとなく、そんなことを考えながらエルフ娘──出会ってからかなりの日数を経てようやく名前が判明したリベラと、楽しく英会話(?)レッスンをしながら薄暗い洞窟を進んでいく。


「オレ、ハ……ヤ、ゴ」


「ヤゴ?」


「ヤ、ゴ」


 湖から支流を流れる洞窟道の探索を始めてから今日で体感一週間。モンスターや度々現れる分かれ道を進みながらも、こうしてリベラとコミュニケーションを続けたおかげか、簡単な単語ならば理解できるし発話もできるようになった。


 難点を上げるとするならば、俺の声が虫独特の濁声で気持ち悪いということか……。それでもこれは俺からしてみると物凄い進歩であった。


 逆に言うと洞窟探索のほうは全くもって進歩がないというか、変化がなかった。


「ンゴォ……」


「カワ、■■■、ナイ、ネ?」


 進めど進めど同じ風景。上を見上げれば薄暗闇が満ちた天井。左右にはゴツゴツとした岩肌の壁が延々と続き、通路の中央には湖から流れてきた水路が走っている。本当に何も、何も、変わらない。


 広い広いとは予想していたが、そんな考えを嘲笑うかのようにこの洞窟は広大すぎる。それに、最初のころはそれなりにモンスターの気配を感じて、実際に襲われたりもしていたのだがここ数日はそれがメッキリなくなった。


 普通に考えれば喜ぶべきことなのかもしれないが、状況が状況だけに手放しには喜べない。あれだけ鳴き声やら気配を隠さなかったというのに、寧ろ、不自然に静かすぎるので逆に気を張ってしまう。


 ──気味が悪いったらありゃしない。


 臆病風に吹かれて、先に進まないわけにもいかない。死ぬまでこんな異世界感が局所的すぎる洞窟なんてのは嫌だ。何か進展が欲しいところだ。


 なんて考えながらちゃぷちゃぷと水路を泳いでいると、違和感を覚えた。


「ンゴ……?」


 モンスターや眼前の景色が変化したのではない。それはほんとに些細な変化で、ともすればただの気の迷い、勘違いだと一蹴しても不思議ではない変化。


「……」


「ヤゴ■?」


 放屁ジェットを止めて、俺はじっくりと水面を見つめる。唐突にその場に留まった俺を見てリベラは何事かと首をかしげる。けれど、上手く説明できる気もしなかったので、俺は脳裏によぎった違和感の正体を確かめることに注力する。


 今日までずっと移動の時は水の中で移動をしてきた。深い蒼色をした水は光の反射によっては翡翠色にも見えてとても幻想的である。それがここ最近、この水路を泳いできた俺の当たり前であり、飽きるほど見たからこそその変化に気が付けたのかもしれない。


 ──少しずつ、濁ってきている……?


 ほんの僅か、少しでも波紋を立ててしまえば搔き消えてしまうような微かな濁り。だが、先に進めば進むほどにその違和感が確信へと変わっていく。


 徐々に、徐々に、あれほど蒼く輝かしかった水色に不躾な汚い泥色が混じってすべてを台無しにしてしまう。完全に水の色が薄汚くなったのと同時、気が付けば広い空間に出た。


「ンゴ?」


「え?」


 先ほどまで陸と水路で明確な境目があった。けれどその半球(ドーム)状の空間に出た瞬間、その境目を取り払ったように水路から水がゆったりと溢れて、地面一帯が水浸しになる。


 背の高い水草や稲穂をぶら下げた葦、大きな葉っぱ──浮葉植物がちらほらとたたずんでいる。眼前の光景を一言で表すのならば、「湿地帯」が一番適切であろう。今までの鬱屈とした岩窟風景とは別方向の光景に思わず呆然としてしまう。


 それでも立ち止まることはせず、勢いのままに先へ進んでいくとさらに驚く光景が広がっていた。


 ──集落?


 藁ぶきで出来た家……と呼ぶには聊か粗雑な造りな住処が点々と都合三十ほどが密集している。明らかな人工物にこの湿地帯に何かが住んでいることは確実。実際、中からヒトではない何かの声が聞こえた。


「ダレ?」


「ワカンナイ」


 反射的に隣の少女へと尋ねてしまうが、ここの住人ではない彼女がその答えを持っているはずもない。


 空間の構造的にこの集落のような場所を通り過ぎなければ先へは進めない。だが果たして素通りしてもいいものなのか? そもそも素通りできるのか? もしかしなくてもこの集落のようなものに近づけば中から何か──モンスターが出てきて襲ってくるのではないか?


 その疑問の答えは、近づく前に集落の出入り口を警備しているであろう存在に見つかることだった。バシャバシャと水飛沫を上げ、怒鳴るようにして近づいてきたのは間違いなく二足歩行をする人型に近い……鰐のようなモンスターだった。


「■■■■■■ッ!!」


 翡翠色の鱗肌に、腕やら太ももあたりの筋肉が異常に発達している。その大きな口には鋸刃のような鋭利な歯がぎっしりと詰まっており、容易に岩を噛み砕いてしまいそうだ。そして、何よりも驚くべきはその鰐のモンスターが言葉──訛りすぎて上手に聞き取れなかったが──リベラと同じ言葉を話しており、胸当てや剣のような装備を身に纏っているということだ。


 ──こいつは驚いた……。


 集落……群れているということはこの湿地一帯を縄張りとしているモンスターはそれなりに知性があるとは思っていた。だが、まるでヒトのように武器や防具を纏い、言葉を話すとは全く予想していなかった。


「チ、チガウ! ワタシ■■■■■──」


「■■■■■■!!」


 剣の柄に手をかけて構える鰐モンスターを見て、リベラは慌てて何か、弁明の言葉を話すが眼前の鰐は全く取り合ってくれずに、周囲を見回って大きく声を張り上げた。


 それはまるで仲間を呼び寄せる合図のようで──その実、鰐の遠吠えによって集落の中から武装した屈強な鰐のモンスターがわらわらと十体以上出てきた。その中でも特に体が大きく、他の鰐とは鱗の色が違う──赤膚の鰐がその他の鰐たちを掻き分けて俺とリベラの前に立ちはだかった。


「■■■■、■■■■■■!!」


「■■」


 俺たちを見つけた鰐がその赤膚の鰐に状況を説明しているのか、こちらを指さしてくる。それを聞いて赤膚の鰐は大仰に頷いた。その短いやり取りだけで理解する。


 ──こいつがこの集落のリーダーか。


 今まで遭遇してきたモンスターとは何もかもが違う。住処を形成し衣服や装備を身に着ける文明度、コミュニティ形成と言葉を介する知性に、獲物を見つけても即座に襲ってこない理性。一定の規則によって統率の取れた群れだ。


 赤膚の鰐は他の鰐を後ろに下げると一歩前に進み出て、静かに言葉を紡ぐ。


「■■■■■■■■■?」


「ワタシタチハ、■■■■■■。■■■■■■──」


「■■■■■■?」


「ソウデス」


「……」


 その受け答えはもちろんリベラがするのだが、今までの簡単な単語の会話程度では聞き取れるはずもない。それでも、雰囲気で何となく警戒されていることだけはわかった。そして、赤膚の鰐はしばし考えるそぶりを見せて、それを解くともう一度俺とリベラを見た。


「■■■■■■、■■■■■■■■。■■■■」


「……ワカリマシタ」


 腰に携えた曲刀を抜き放ち、赤膚の鰐は何か提案をして、それを渋々といった様子で承諾する。


 一体、今のやり取りでどんなことが取り決められたのか。不思議に思っているとリベラが申し訳なさそうに分かりやすく説明をしてくれた。


「ミチ、トオル、ギュスターヴ、カツ、マケ、エサ」


「oh……」


 リベラの言葉はなんとも簡潔で分かりやすい。


 つまり「この先を通りたければ、俺に勝て。負けたら、お前らを食う」と、こういうことだ。


 随分と乱暴ではあるが、数ではあちらが有利。まだ、明確な条件を提示して、それをクリアすれば先に進ませてくれるのなら良心的なのかもしれない。


 ──これは腹を括るしかないな。


 リベラを戦わせるわけにもいかない。俺は深く深呼吸をして、自分よりも一回り大きい赤膚の鰐へと対峙した。

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