第7話
どうやら、俺はあの巨大蟹に辛くも勝利を納めたらしい。だって、目が覚めたら項垂れたように水面に浮かぶヤツの死体があったから。
「ンゴォ……」
最後の一撃。一心不乱だったので記憶は曖昧だが、俺は蟹の殻を突き破って、奴の胎内を喰い漁った。
身体の大事な臓器やら肉やらを喰われた蟹は絶命して、俺もすぐさま気を失い──どうやら、蟹を喰らったことでまた脱皮……もとい、成長したみたいだ。いまいち、実感がわかない。
──あれだけぐしゃぐしゃに折れ曲がった手足と身体も綺麗に元通り……。
いや、正確に言えば元通りではなかった。
いつも通り、脱皮をすると身体が大きくなるのだがその比率がかなり大きかった。いつもは1.5倍のところを3倍近くになって急に成長期である。何よりも、見た目的に変わったのは身体をまるで鎧のように覆うドス黒い外殻だ。
身体はもちろん、腹回りから手足の関節、頭には兜のような殻が身についていた。これが巨大蟹を捕食したことによる恩恵なのだろう。今までぶよぶよで心許なかった防御力が一気に手に入った。
──地味に噛む力とかも上がってるよな、コレ……。
意外と言うべきか、俺が意識を失っている間に他のモンスターが蟹の死体や俺に群がったりすることはなかった。
巨大蟹はこの湖の中でも食物連鎖の上らへんに位置するモンスターだったっぽいし、他のモンスターたちからしてみると、労せずして巨大蟹を喰える絶好のチャンスだったわけだが不思議だ。
──まぁ、そのお陰で俺が蟹を喰えてるんだけど。
自分で殺めた命は自分でしっかりと責任を持って食べましょう。この世界に来てから大事にしているモットーを胸に、俺はバリバリ、ボリボリと残っていた巨大蟹の殻やら鋏拳に足やらを食べていた。
どこで? 愛しの砂の中? 答えは否。絶海の孤島の如く、ぽつんと水面に浮かぶ岩場で、助けた少女の側である。
──とりあえず、こっちも襲われてなくてよかった。
元々、俺があの蟹と対峙することになった原因はこのエルフなのだ。だと言うのに、蟹を倒して満足、なんかかなり成長できて、めでたしめでたしとはいかない。なんなら、ここから本題である。
──心肺蘇生はできなかったけど、自力でなんとかしたみたいだな。
この岩場に避難させたときは水をゲロって苦しそうで今にも死にそうだったが、何とか一命は取り留めたようだ。今は呼吸も安定しているし、目が覚めるのも時間の問題だろう。生命の生存本能ってスゲー。
──一応、蟹の身は取っておくか……?
ヒト……もとい、エルフがモンスターの肉を喰うのかどうかはわからんが、目が覚めて何も食べるものがないよりはいいだろう。何日間も飲まず食わずで、空腹に精神を蝕まれる苦痛は理解しているつもりだ。
依然としてバリバリと蟹の殻を貪りながら、エルフ娘の姿を改める。助けたときは容姿を気にする余裕なんて無かったが、今こうしてしっかり観察してみるとわかる。
──こりゃあえらく別嬪さんだ。
ファンタジーのド定番、その美貌は作りものめいていて絶世。しかも長命で魔法の扱いに長けているのもよくあるお決まり。眼前の少女もその例に漏れず、絶世の美少女だ。
小麦色の肌に、鋭くとんがった長耳。スッと通る鼻梁に──何よりも目を惹いたのはまるで夜空に舞う、流星の軌跡を束ねたように輝く銀の長髪だ。歳のくらいは……見た目だけで判断するのならば十四、五あたりだろう。
──エルフはエルフでもダークエルフってやつかな?
暫く見つめていても飽きないくらいの美貌に呆然としながらも、ポンコツな記憶力を引き出す。その間も食べる動作は止まらない。どうやら、見惚れるのと食い意地は共存するらしい。新発見である。
硬い殻を噛み砕いているので咀嚼音はそれなりに煩く、ともすれば隣でこんな騒音を立てられたら目が覚めそうなものだが、少女は実に穏やかに眠っている。
「──ぅんん……」
そろそろ蟹の殻も半分を食べ終える頃。奇怪な咀嚼音と共に少女の呻く声が混じり、もぞりとその小さな体を捩らせた。かと思えば、少女はあっさりと身を起こした。
「……」
やっぱり隣で「バキ」、「ボギ」と騒音を立てながら食事をするのはやり過ぎたかと、唐突な少女の目覚めに申し訳なく思う。
当然と言うべきか、少女はこの状況が全く呑み込めていないようで、きょろきょろと周囲を見渡してから、酷く眠たそうな視線をこちらに向けてきた。ここで一言、寝起きにピッタリな小粋なジョークでもかませればよかったのだが──
「ンゴ、ンギギ──」
そこで俺は一つの問題に思い至る。
──あれ。俺氏、喋れなくね? もしかしなくても、そういえばモンスターじゃね?
前世の弊害か。無駄に自分が「人間」だったという感覚が強すぎる所為か、完全に失念していた。喉を震わせても気持ち悪い鳴き声しか響かず、上手く言葉を紡げない。……いや、そもそも、俺はこの世界の言葉を知らない。
──てか、この場合はエルフ語?
いやいや、ちょっと待て。こういう異世界転生のお決まりパターンとして最初からこの世界の言葉を理解できるという便利能力が──
「■■■■■■■?」
そんな都合の良い妄想を打ち砕くように少女が首を傾げて何かを言う。うん。微塵も分かんない。
前世で言う日本語とも英語とも違う独特な語感にイントネーション。これはちょっと知らない言語ですね。
──てかちょっと待って、言葉が喋れない以前に俺、モンスターやんけ。
次から次へと、分かりきっていた問題が脳裏に浮上して積み重なる。
言葉は通じないし、モンスターって普通はヒトに害を成すバケモノだし、目の前のエルフ娘的に俺もその部類の存在だと思われても不思議じゃない。だって虫だし。それも成長したことで結構ちゃんと怪物然としたモンスターだし。
俺は慌てて少女との距離を離し、何とか身振り手振りで自分は人畜無害で、敵意が全くない存在だとアピールしてみた。
「ン、ンゴ、ンゴゴ──」
動けば動くほど奇怪な声と共に墓穴を掘っているような気がしないでもないが、こちらの混乱とは裏腹に眼前の少女は異様に落ち着き払っていた。
「■■■■■■■」
なんなら慌てふためく俺を宥めるように身体をぽんぽんと撫でてきた。
──oh……臆せずに普通に触ってくるやん。もしかして虫とか大丈夫系のヒト?
やはり少女の言葉は理解できないが、予想外の行動に意表を突かれたのは事実。その慣れた手つきから、もしかしてこの世界ではヒトとモンスターは共存関係にあるのかと一つの可能性が湧き出てくる。と言うか、そう理由付けしてしまうほうが色々納得できるし希望が持てる。
依然として美少女エルフに身体を撫でて完全にリラックスしながら、思考を巡らせる。
──しかし困った……。
折角、この異世界の原住民と出会えたと言うのに、言葉が通じないのでは色々と情報を手に入れることも難しい。幸いなのは、この娘が俺を見ても怖がらず、寧ろ優しくなでなでしてくれる癒し系少女だったことだ。
言葉が通じないとわかった瞬間は、「あんな死にそうになりながら助けたのに骨折り損のくたびれ儲けじゃん」と気落ちしたが、今のこの癒しで全部チャラだ。なんならおつりが返ってくるまである。
「ンゴォ……」
久方ぶりの誰かの温もりに身も心も蕩けさせて呆けていると、不意に隣から「ぐぅ~」と唸るような腹の音が鳴り響く。
その音が誰から鳴ったなんて言うまでもない。徐に目線を少女へと向ければ、彼女は無表情ながら僅かに頬を赤らめて視線をそっと反らした。
──可愛いかよ。
思わぬ萌えの供給になんだか別の意味で癒されながら、俺は残しておいた蟹の身を彼女の目の前に置く。
──お食べなさいな。
心の内でそう呟きながら、少女を見ると彼女はこちらの意図を察してくれたようで、申し訳なさそうに眉根を顰めながらも真っ白な蟹の身にかぷりと噛み付いた。どうやら、ヒトもモンスターの肉は食べるらしい。
その事実にホッと胸を撫でおろしながら、幾分か冷静さを取り戻した思考で考える。
──さて、これからどうしよう?




