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第6話

 全力の放屁ジェットでぷかぷかと水面に浮かぶ人間──あれは少女か──に接近する。先ほどからピクリとも動いていないことから意識がないことは当然。


 ──……ってか完全に溺れてるよなアレ。生きてんのか?


 邪推してしまうがこの目で確認するまで希望を捨ててはいけない。


 ぶくぶくと水中から泡を立ち昇らせて、今か今かと接近してきているモンスターもいることだし、早く回収しなければ。流石に目の前で急にスプラッターが繰り広げられるのは嫌だ。


 ──噛み殺すというなかなかショッキングな戦法を多用する身でも、人間はちょっと……ねぇ?


 水上バイクのように水しぶきを上げながらも激走。少女の元で急停止したのと、水中からソレ(・・)が浮上してきたのはほぼ同時であった。


「ンゴ……ッ!?」


 泡の弾ける軽快な音。何か巨大な存在によって、こちらに覆いかぶさるようにして白波が立ち上った。瞬時に微動だにしない少女の濡れそぼった衣服を甘噛みして捕獲。白波に巻き込まれないように放屁ジェットで後退する。


 少し遅れて、ついさっきまでいた位置に巨大な鋏が打ち付けられて激しい水飛沫が舞う。


「ブググググググググッ!!」


 その胴体と同じくらい大きな鋏の様な腕には見覚えがあり、苦い記憶が呼び起こされる。


 ──よりにもよってお前かよ……。


 この湖(確定)で目覚めてから初めて襲われたモンスターの巨大蟹くん。あの時は何もかもわからない状態で「なんかデカくて強そう」、「こんなん絶対勝てんし逃げよ」みたいな感じで必死に逃げたけど……。


 ──……こりゃあ、今見ると更に別格で規格外だとわかりますな。


 顎メダカくんのあの頑強な下顎とは比べ物にならないくらいの上腕二本の鋏。泥エビくんと同じ泥色で甲殻類……だが、その硬さは全くの別物だ。巨大蟹はハードを煮詰めに煮詰めまくった(シェル)に対して、泥エビくんのは柔らか素肌のソフト(シェル)だ。


 ──これ、勝てる?


 最近は勝てる相手だけを狙って、明らかに格上の相手には挑まないように徹底していた。だから、同等か自分より雑魚の相手との戦闘経験ばかり積んで調子に乗っていたのかもしれない。これは全然だ。全くもって順当に殺り合える自信がない。


「ンゴゴ……」


 それなのに、意識の無い少女を庇いながらの戦闘なんて更に無理だ。どうにかしてこの少女を一旦、安全な場所に避難させないと……。


 ──てか、あんさん人間じゃなくてエルフだったんですねぇ!


 流石は異世界、流石はファンタジー。普通の人間以外の種族もちゃんと用意はございますと……。エルフの他にどんな種族が何種類ぐらい存在するのか、実に気になるところではあるが今はそれどころではない。


 巨大蟹の移動速度は鈍足で、のっそのっそと水を掻き分けて距離を詰めてくる。これなら逃げるのは容易、このエルフ娘を避難させることもできそうだ。問題はどこに避難させるかである。


 ──岸まで運ぶには遠すぎるしよぉ……!


 放屁ジェットで移動をしながら視線を右往左往させる。見渡す限り水、水、水。木の板の一つも流れちゃいない。これはもしかしてちゃんと岸まで運ばなければいけないのでは? ……そう覚悟を決めそうになっていた時だった。


「ンゴ?」


 眼前にお誂え向きの台座型の岩が水面から競り出しているではありませんか!


 ──捨てる神ありゃ拾う神ありってか!?


 今はとにもかくにも少女を水から上げてやりたい。かなり流されていたのか身体の熱が殆ど感じられない。もしかしたら……とそう思ってしまうが、それでも一縷の望みに賭ける。


「ンゴラ」


 初めての上陸が岩場だとは思いもしなかったが、無事に少女の退避には成功した。


「ッ!?ゴホッ!ゴホッ!ゴホ──」


 岩場に上げた瞬間、揺れか何かの衝撃によって少女が口から大量の水を吐き出した。どうやらまだ命はあるらしい。流石は長命種たぶんなエルフと言ったところか。すぐさま身体を横向きにして、水を吐き出しやすいようにしてやる。


 本当は直ぐにでも心肺蘇生をしてあげたいが、そんな悠長なことを言ってはいられない。巨大蟹はこちらに向かってきているし、あっちを何とかしなければ仮に意識を取り戻せたとしても詰みだ。


 ──自力で何とかしてくれ!!


 丸投げで申し訳ないが仕方ない。無理なモノは無理と割り切って、逆に対処できそうなモノは腹を括って対処する。


 ──いつの日かのリベンジだぜ。


 勢いよく水に飛び込み、放屁ジェットでのっそのっそと波掻き分ける巨大蟹へと距離を詰める。一時の陸地は別に大した感動も無くて、逆に最初はあれほど窮屈だった水の中が心地よく思える。


 そして、前世では感じることのなかったささくれ立ったこの気持ちの高ぶりは、この身体に生まれ変わって初めて味わった感情の一つ。闘争本能……とでもいうべきか、恐怖もあるが興奮もある。


 ──俺ってこんなんだっけ?


 考えながら、実に自分らしくないと思う。いや、そもそも前世の自分がどんな奴だったかなんて今のところ微塵も思い出せないのだが……。まぁ、無駄なことを考えるのもここまでだ。


「ブググググググググッ」


 ──よう、久しぶりだなぁ。


 心の内で発した言葉は当然、眼前の蟹には届かない。別に届く必要もなかった。意思疎通のできないモンスターとの命のやり取りはいつだって突然なんだ。今だってそうだ。


「ブグググッ!!」


 蟹は歪なほど大きな鋏拳を振り上げて、一気にこっち目掛けて振り下ろす。移動速度は遅いが、攻撃の速度はそこそこ──いや、かなり速い。


「ンゴゴ──!」


 三割の水量を噴出して右に突っ込むようにギリギリで回避。余裕を持って躱す予定がギリギリ(・・・・)だ。これはもうちょっと間隔を速めて動き出さなければ危ない。あと、水の管理も重要だ。


 ──攻撃の後隙がほぼ無いな……。


 巨大蟹は両手の鋏拳を交互に打ち付けて、攻撃の間隙をほぼ無くしている。しかも中途半端な回避じゃ、打ち付け攻撃の余波に巻き込まれて一気に態勢を崩される。これは随分と厄介だ。


 ……けど、付け入る隙が無い訳じゃない。


「ンゴラッ!!」


 一定の距離を保ち、絶え間なく放屁ジェットで移動を繰り返しながら、鋏拳の攻撃範囲から逃れる。その延長線上で鋏拳の届かない後ろに回って、突進からの噛み付き攻撃を見舞う。だが、これが全く効いてる気がしない。


 ──ちょっと予想以上に硬すぎんだろ!?


 しかもこの巨大蟹、視野がとにかく広くて必死になって背後に回ってもすぐに場所を捕捉されて攻撃を仕掛けてくる。割合としては回避に徹している時間の方が圧倒的に長かった。


 周囲の迷惑などお構いなしに荒波を巻き起こして、縦横無尽に鋏拳を振り回す巨大蟹。常に攻撃と余波の射程範囲、腹の中の水残量を思考の片隅に留めながら隙が来るまで睨めっこ。


「ンガッ!?」


 偶の攻撃も痛痒にすらならない。流石に一筋縄では行かない……だが、前回は逃げるしかなかった強者相手にここまで肉薄できている事実に胸中を巡っていた高揚感やら興奮は燃料を投下された焚火のように燃え上がる。


 思考は加速し、動きも更に鋭く、機敏にとめどなく動く、動く、動く。


 ──いいねぇ。根競べと行こうじゃねぇかよッ!!


「ブグググググググ!!」


 巨大蟹も致命的な攻撃とはならずとも、周囲を蠅のようにうろつかれてガジガジと噛み付かれるのはムカつくらしい。ちょっと、動きの機敏さが増した気がする。それでも、動きを止める気なんてさらさらないが……。


「ンガラッ!!」


 もう何度目かわからない背後への噛み付き攻撃。やはり攻撃は蟹に微塵も影響を及ぼしていないような気もするが……俺とて何も無策で、我武者羅に、ダメもとで攻撃を続けているわけではない。


 ──だいぶ(ひび)……突破口の糸口が開けてきたなぁッ!?


 一回の攻撃で活路を見出せないのならば、重ねれば良い。単純な話だ。俺はさっきから同じ個所──蟹の背中のド真ん中あたり──しか攻撃をしてない。


 時間の感覚は希薄。寧ろどうでもいいとさえ思う。今はただ、徐々に広がってきた活路に無我夢中だった。攻撃の跡が重なり、軽く傷ついて、そのうち罅になり始める。その達成感と興奮に引っ張られるようにして、思考は白熱する。


 ──水の再充填。次、右の振り下ろし攻撃の着水と同時に大回りで右に突っ込む。ジェットの割合は四割で、背後に回り込めたら二割のジェットと強化された脚力で背中に肉薄……。


 時間がたてばたつほど、試行回数が増えるほどに動きと思考が洗練されていく。俺が蟹に勝っている点は機動力の一つのみ。攻撃はワンパターンで、地味で、派手やかさは無いが、こちとらただのヤゴなんだからしょうがない。無い物ねだりをするのは時間の無駄だ。


 罅が徐々に広がっていく。それと並行して巨大蟹から動揺と焦燥感を感じた。既に奴にとってもこの背中の傷は無視できないものになっている。こっちの動きに対処しきれてないもどかしさが滲み出ている。


 ──このまま翻弄しきってやらぁ!!


 あと二、三回攻撃を加えれば殻を破壊できる。中身が露出すれば一気に柔らかい身を食い破って体内に侵入できる。そこまでいければもう勝利は目前だ。


 同じ手順で、しかして作業にはならず、細心の注意を払って、鋏拳をやり過ごして、余波で生まれた大波もジェットの跳躍で回避して、背後に回り込めば残りの水を一気に噴射して突進。実直にこれまで攻撃を重ねてきた背中に噛み付きを──


「──ッ!?」


 しようとしたところで、急に蟹がその場でぐるりと一回転した。ここに来て新しい攻撃パターンに思考は真っ白になる。


 身体は硬直し、緊急時用に残していた腹の水を噴射することもできない。気が付けば、ぐるりと遠心力を載せた凶悪な蟹の右拳が目の前にあった。そこで漸く「ブボッ」と間抜けな音がして視界が少し上にズレた。どうやら放屁ジェットが出て、上に跳躍したらしいのだが回避は間に合わない。


「ンが──ッッッ!!?」


 直撃は避けたが、俺の身体は蟹の鋏拳に掠るようにして当たり水面に吹き飛ばされる。


 全身が死ぬほど痛い。まるで一生懸命に組み立てたパズルがバラバラと散らばって崩れ去るような感覚。絶望と言うよりも、呆然というか、色々とビックリだ。


 油断は無かった……はずだ。詰め切る最後まで集中を切らさず攻め込めていたと思う。いい精神状態で戦闘に望めていたはずだ。……けれど、それは向こうも同じで、なんならあの蟹の方が一枚上手だった。まさかあの瞬間まであの回転攻撃を隠していたとは……。


 ──グ……ソ、がぁ……!


 気が付けば水の中。それもそれなりに深い所まで沈んでしまった。身体は前述した通り、死ぬほど痛い。足もほとんどが変な方向に曲がっているし、あの一撃を受けてよく身体がへし折れなかったのと関心すらしてしまう。


 正直、もう何も考えたくない。限界だ。てか、死ぬ。たぶん……いや、ほぼ確実に。そうだと分かっていても、身体は無意識に肛門から水を吸い込み、準備を始める(・・・・・・)


 ──いったい、なんの?


 もう結構頑張ったし、自分にしては善戦した方だ。それでも実力が足りなかった。運がなかった。手札がなかった。仕方がなかった。そう諦めようとしているのに──気が付けば腹の水を勢いよく吹き出し、一気に水上へと舞い戻る。


 ──だから、もういいって……。


【本当に?】


「ッ!!」


 誰かに、そう問いかけられたような気がした。


 急に空中へと吹き飛んで、霞む視界の中で確かに巨大蟹の後姿を補足した。ヤツはもう俺を殺したものと判断して、岩場に寝転がっている少女へとのそのそ近づき始めていた。完全に無防備な状況だ。これなら……いける。


 ──水の残量は、十分……。


 無意識な本能に引き上げられるように、気が付けば思考は熱を帯びて、再び発火しようとしていた。


 ──ここまで来て、諦める……?


 ナンセンスだ。ありえない。何を弱気になっている。一度やると決めたなら、死んでもその覚悟を突き通せ。


 ──それが、俺って存在だろうがッ!!


「ンゴラァァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 奇怪な雄たけびを上げて、腹に残っていた水を全て使って推進力を生み出す。後先のことは考えない。考えたところで無意味だ。だから、今持ち得るありったけを全賭けした。


 巨大蟹はその異様に広い視野で以て俺を補足して、少女に向かっていた歩みが止まる。振り落ちる隕石のように落下して、こっちはグングンと速度を跳ね上げていく。対する巨大蟹は身体の方向転換をして肉薄する俺を迎撃しようとしている。


 距離は……絶妙だ。この速度のまま行けばこっちが先に背中に到達するようにも思えるし、それよりも先に向こうが大勢を立て直せるような気もする。


 ──知るかッ!!


 もう全て手札は出し尽くした。どうなるかは神のみぞ知る。上手くいったら上手くいったで全力を尽くすまでだ。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 喉が擦り切れんばかりに叫ぶ。神頼み以外に、あと俺にできる事と言えば気迫ぐらいだ。相手を殺すと言う覚悟。俺は生き残ると言う信念。気合と根性とその他諸々の感情は吐き出して、叩きつけた。


「──ブググッ!!?」


 果たして、最後の悪あがきが功を奏したのか、定かではないが蟹の動きがまるで何かに気圧されるように、一瞬だけ硬直したような気がした。


 ──なんだ?


 わからない。けど、今はどうだっていい。考えるのは生き残った後だ。


「ンガァッ!!」


 気が付けば、俺は巨大蟹の大きく罅割れた背中の中央付近に到達し、反射的に崩れかけた甲羅に噛み付いた。


「ブギィイ!?」


 それと同時に初めて、蟹が苦痛を訴える悲鳴を上げた。それでも足りない。蟹の背中にしがみついて、必死に噛み付く。


 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も────


「ギィイイイイイイイイァアアアアアアアアアアアアアア!!」


 肉も、血管も、内臓も、脳みそも、その硬い殻の中にしまい込んでいたモノ全てを貪り、噛み千切って、嚥下し、また噛み千切って、また嚥下して、それをまた何回も繰り返した。


「ぎぃ、ぃい、いいいいい──」


 そうして、今までしつこいくらいに鳴り響いていた断末魔はいつの間にか静かになって。ぬるりと身体は突き破った殻の部分から吐き出た。


「ぶべ……」


 蟹の体液を全身に滴らせ、力なく水面に打ち付ける。


 バシャンと水飛沫が上がって、その衝撃が身体に偉く響いた。もう指先一つも動かすことができない。……その指もぐちゃぐちゃになってしまったけれど。


 ──勝った……のか?


 正直、分からない。けれど、蟹が動く気配は感じないし、大事な部分は噛み砕いた(・・・・・)。たぶん、大丈夫なはず。それよりも、自分の身体だ。無理をし過ぎた所為で本気で死ぬかもしれない。


 ──ここまで頑張って死にたくわねぇなぁ……。


 本音を言えば、これだ。誰だってそのはずだ。


 きっと、この迫りくる微睡みに抗わなければ危険な気がする。けれど、満身創痍の身体と思考にどうにかできるはずもなくて、易々と俺の思考は真黒に塗りつぶされていく。


 ──あの、エルフ……は、?


 そこまで考えて、意識は急に途切れた。

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